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ローゼンベルク家の食卓

【4-18-1】ソイラテにしてみる

2010/05/28 1:26 四話十海
 
 炊いた米と、茹でたエビ、細く切ったニンジンとキュウリとオムレツ、そしてレタス。ひとまとめにして海苔でくるんで、きっちり巻いて。輪切りにして、ランチボックスにきゅっと詰める。
 今日の弁当は巻きずし。一つずつ口に運び、お茶をすする。日本からの土産でもらったグリーンティーだ。コメにはよく合う。
 すっかりを食べ終ると、オティアは自分の分のカップを流しに運び、洗って片づけて。それから携帯と財布をポケットに収め、所長を振り返った。

「コーヒー飲んでくる」
「ん、行ってこい」

 チリン。足下で、鈴が鳴る。オーレが咽を鳴らしながら尻尾をまきつけ、足の間ですりすりと8の字を描いている。

「……ごめんな」 

 オティアは小さな白い猫を抱き上げるとディフに渡し、入れ違いに青い傘を受け取った。

「そら、こいつを忘れるな」
「ん」
「みゃーっっ」

 白いふかふかの毛皮を撫でると、くるっときびすを返し、足早に事務所を出て行った。
 置いてきぼりをくらったオーレは青い目を半月型にして耳を伏せ、ぺしたん、ぺしたん、とディフを尻尾で叩いた。それから顔を見上げて、かぱっとピンク色の口を開けた。

「んにゃーっっ!」
「……心配するな」

 ディフはほんの少し、眉を寄せながらもほほ笑んで小猫の頭をなでてやった。がっしりした指で耳の付け根をこりこりとかいてやった。

「シエンの付き添いだよ」
「にゅ」

 もごもごと口の中で何かつぶやきつつ、オーレはディフの懐に潜り込み、ごそごそと丸くなった。

「よしよし、そこで寝てろ」

 所長はどかっとソファに腰を降ろし、新聞に手を伸ばした。
 窓の外には灰色の雲が垂れ下がり、しとしとと細い雨が降っている。強くもならず、弱くもならず、朝からずっと、途切れる間もなくしとしとと。
 雨の日の猫はとことん眠い。じきに懐の奥から、規則正しい寝息が聞こえ始めた。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 エレベーターが一階に着いた。ドアが開くなり、シエンとオティアは並んで歩き出す。号令もかけていないのにぴったりと同じ歩調で、互いに視線も合わせずに。ビルの出入り口の所で、どちらからともなく手にした傘を開く。
 深みのある森の緑と、矢車菊の青。寄り添う二つの傘の内側に、ぱらぱらと雨粒が布に弾ける音が響く。申し合わせたように緑色の丸い看板の下でひょいと曲って中に入る。

 そこに、エリックが居た。

 禁煙エリアのテーブルに腰かけて。すぐにこっちに気付き、手を振ってきた。
 傘を畳むやいなや、シエンはまっすぐに歩いてゆき、自分からエリックに声をかけた。

「パソコン、どうだった?」
「うん……初期化した。全部まっしろ」

 オティアはさっさとコーヒーを買いに行ってしまった。こっちをちら、とも見ようともしない。シエンはまゆ根を寄せてきゅっと目を閉じ、頭を下げた。

「ごめんね!」
「え? どうして君が謝るの?」

(だって原因は……俺たちだから)
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 遡ること前日。
 シエンとオティアはやはり同じ時刻に、同じ店にいた。そしてこれまた同じテーブルでランチを取っていたエリックはいち早くシエンに気付き、笑顔で手を振って……あれ、と首をかしげたのだった。

 ややくすんだ金色の髪、うっすらと雲をまとい、優しく霞む夜明けの紫の瞳。そっくりの顔が二つ並んでいる。
 ただし、器の造作こそ同じだが満たされている水の温度と質感はそれぞれ微妙に異なる。外見の類似性に惑わされずに向き合えば、おのずと違いは見えてくる。
 シエンは戸惑いながらも軽く右手を掲げ、挨拶を返した。それからオティアとそろってカウンターに向かい、飲み物を注文した。

「カフェラテのショートを二つ、一つはソイミルクで」
「はい、かしこまりました。ショートのカフェラテとソイラテですね。あちらの赤いランプの下でお待ちください」

 ソイミルクで。
 その言葉を聞いた瞬間、オティアはぴくっと眉を震わせた。が、何も言わず自分のカフェラテを受け取り、シエンから少し遅れて歩いて行った。

「やあ」
「こんにちは」

 ちらりとエリックの手元の紙カップに視線を走らせると………「Soymilk」と書かれている。シエンと同じだ。
 何となく面白くない。むすっとしてどすん、とバイキング野郎の真向かいに腰を降ろした。やや遅れてシエンが隣に座る。ちょっと困ったような表情で。
 エリックの前にはコーヒー以外のものも乗っていた。白い薄手のノートパソコンが1台、フタの部分にかじりかけのリンゴが明るく浮かび上がっている。ヒウェルが使っているのと同じマークだ。
 
「仕事中?」
「いや、これはプライベート用のマシンだから……」

 そう言って、エリックはポケットから白いコードをとり出した。

「ほら、この間バッテリーが残り少ないって言ってたから、充電用に、ね」
「あ、うん、ありがとう」

 シエンは素直にコートのポケットからiPodを取り出した。イヤホンがささったままになっている。持ち歩いてるらしい。しかも、頻繁に使っているらしい。
 ますますもって、面白くない。

「ちょっと貸して」
「はい」

 エリックは慣れた手つきでコードを差し込み、iPodを白いノートパソコンに接続した。ブゥン……と微かな音がして、iPodの画面に「接続中」の文字が浮かぶ。

「これで大丈夫だよ。しばらく時間かかるけど」
「よかった。けっこう残り少なくなってたから、どきどきしながら聞いてたんだ」
「リラックスミュージックなのに?」
「本末転倒?」
「かもね」

 軽やかに言葉を交わしつつ、シエンはソイラテを口に含んだ。

「……ソイミルクって、あっさりしてるんだね」
「そうだね、植物性だから」
「思ったより、大豆っぽくない」
「コーヒーの香りが強いからかな……知ってる? ソイミルクって、豆腐の材料なんだよ」
「えっ、豆腐!?」

 ぎょっと目を見開いて、まじまじと紙カップの中を凝視している。
 ああ、可愛いな。
 くすっと笑うと、エリックは何食わぬ顔で続けた。

「海水から抽出したミネラルを加えて、凝固させると豆腐になるんだ。もっとも、コーヒーに使うのよりずっと濃いやつだけどね。かなり豆っぽい味がするし」
「飲んだこと、あるの?」
「ちょっとだけ。探求心が抑えられなくて……」
「え、つまり、エリック、豆腐を手作りしたってこと?」
「……うん。実験キットがあるんだ。豆腐の手作りセット」

 しばしの沈黙。
 オティアはカフェラテをず……とすすってから、ぼそりと言った。

「それ、子供用だろ」
「……実は」
「えーと……子どもの頃の話?」
「いや、去年」
「え? え? え?」

 目をぱちくりさせながら、首をかしげている。小鳥みたいに。今まで何の疑問も持たずにしていたことが、急に気恥ずかしくなってきた。

「趣味って言うか、気晴らしって言うか……休みの日に、ちょこちょことチャレンジしてるんだ。トイザラスで買ってきて」
「仕事で毎日、実験してるのに?」
「うん。何か、大人になってから無性にもう一度やりたくなっちゃうんだよね、ああ言うのって」

 やれやれ、ご苦労なことだ。
 オティアはふーっとため息をついた。
 こいつ、ヒウェルと似た者同士、いい勝負だ。
 今でこそ仕事と私生活をきっちり分けているけれど、ディフも警察に居た時はこんな感じだったんだろうか?

「できあがった豆腐は、食べたの?」
「うん。塩ふって、スプーンですくって」
「それだけ?」
「調理法、わかんなくて……」
「いろいろあるよ。そのまま切って味噌スープに入れても美味しいし、すりつぶしてひき肉と混ぜてミートボールにしたり……そこまで凝らなくても、麻婆豆腐にしてもいいし。シンプルに、ソイソースだけで食べるのも有りだって、サリーが」
「応用性のある食材なんだね」

 趣味と仕事の境目がない。典型的なワーカーホリックだ。それなのに、何だってこう、シエンと会話が弾んでいるのか。
 ますますもって、面白くない。

「ちょっとごめん、冷えちゃったみたい」
「どうぞ」

 シエンが席を立つと、エリックはパソコンの画面に目を落とし、キーボードに指を走らせた。
 オティアはずいっと身を乗り出し、低い声で……ただし、店内のBGMに負けないように、腹の底から力を入れてささやきかけた。

「シエンに近づくな」

 エリックは手を止め、顔をあげた。

「あいつ、好きな奴がいたんだ。だけどそいつは、今は別の奴と付き合ってる。だから……」

 不用意に刺激するな。おびやかすな。言おうとした矢先にさらり言葉を挟まれる。重ねた書類の間に一枚、すうっとまっさらな紙を滑り入れられたような心地がした。

「だったら、オレにもチャンスはあるってことだよね」

 気負いの無い口調で、余計な力は微塵も入っていない。しかし、決して軽々しく口にしたのでもない。その証拠に、青みを帯びた緑の瞳はちらとも揺らがず、ひたとこっちを見据えている。

 オティアはぎりっと奥歯を噛みしめた。
 子どものざれ言と軽くあしらわれたのなら、まだ反撃の余地もある。相手の油断を突くこともできる。
 だが、エリックは逃げずに正面から受け止めている……オティアの言葉の意味する事を。底に含ませた微妙な感情の揺れまでも察しているかのような口ぶりだった。

 こいつ、あくまで退くつもりはないってことか。だが、こっちも後には退けない。
 務めて淡々と言葉をつなぎ、伝えるべきことを伝えた。

「あいつに何かあったら……殺す」
「覚えておくよ」

 その瞬間。二人の間には怯えも、おごりも、同情も存在しなかった。
 大人と子どもではない。警察官と民間人でもない。ただ対等の立場にある『個人』と『個人』の意志が交わされていた。
 
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