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ローゼンベルク家の食卓

【2-9】ここで死なれたら寝覚めが悪い

2008/03/13 1:29 二話十海
 倉庫にたどり着いた時はもう、足を運ぶのさえやっとになっていて。
 あえて『抵抗できない』ふりをする必要も無くなっていた。

 ふらふらと管理棟の前を歩いているとすぐにドアが開いて、見覚えのある男たちが出てきた。

「てめえはっ」

 問答無用で平手打ち。一瞬、目から火花が散った。のろのろと見上げる。

「手間かけさせやがって……」

「おい、あまり傷をつけるなよ。『商品』はもう、そいつしかいないんだ」

「わかってらあ。けっ、あんのスかした眼鏡野郎のせいで……」

 何故自分がここにいるのか。何をしているのか。毛ほども疑っていない。もとより『スかした眼鏡野郎』との関連性など、考えてもいないようだ。

 単純な奴らで助かった。

 結局、きついのは最初の一発だけで。あとは腕をひねられたり、小突き回されたりする程度で終わった。
 ここにいる間にされたことに比べれば大した事じゃない。

「どうする、こいつ」

「『宿舎』にぶちこんどけ」


  ※  ※  ※  ※  ※


「………ってえなあもお……」

 唇が腫れている。手足は鉛を詰めたみたいに重く、あちこち嫌な熱を持っている。
 ちょっとでも動かそうとするとまず鈍痛が走り、続いてズキンと鋭いのが来る。

 くそ、あいつら思いっきり殴りやがって。
 
 眼球を動かして部屋の中を見回す。眼鏡がないのでよくわからないが、どうやらさっきまで子どもたちの閉じ込められていた部屋に居るらしい。

 さしあたって監禁しとくことに決めたって訳か。
 いつまで生きてられるか疑問だが。

 おそらく死体の隠し場所でも探しているのか、あるいは……抜けた『出演者』の穴をどう埋めるかで慌てているのかもしれない。

 ざまあみやがれ。

 くくっと喉の奥から笑いが漏れる。肋がきしみ、顔をしかめた。

「あーくそ……一服やりてえなあ……」

 掠れた声でぼやいていると、がちゃんと鍵の回る音がして。ドアが開き、また閉まった。

 ああ、ついにその時が来たか。

 最後の一服を許可するほど連中が寛容とは思えないが、ダメモトで交渉だけでもしてみるか……。

 足音がコンクリートの床に響く。やけに軽い。さほど広くもない部屋だ。すぐに隣までやってきた。
 のろのろと見上げる。

「あ……」

 かすむ視界に写るのは、少しくすんだ金色の髪。やさしく煙る紫の瞳。

「オティア……くそっ、とうとう幻覚見えてきたか……」

 口の端が青黒く腫れて血がにじんでる。血の気の失せた顔。初めて会った時に比べればマシだが、ふらふらして今にも倒れそうだ。

「……ひどい顔してやがる……こんな時ぐらい笑ってくれてもいいだろうに……」
「バカなこと言ってんじゃねー」
「え……本物? …何で来た……」

「死なれたら寝覚めが悪い」

 ああ。少しは俺のこと気にかけていてくれたのか……嬉しいよ。でもなあ、オティア。

 お前が今。
 ここに居たら。

 意味ないだろうが!

 待てよ。ここにいるのが本物ってことは顔の傷も本物だと言うことか。
 かっと体内をアドレナリンがかけめぐる。
 誰にやられたかなんて、聞くまでもない。

「…殴られたのかっ」


 起きあがろうとした瞬間、体中のありとあらゆる場所が悲鳴をあげやがった。
 押さえ切れなかった『本物の悲鳴』が喉の奥で耳障りな音を立てる。

「たいしたことない」


 程度の問題じゃないんだよ……くそ、お前が殴られたってことが我慢できない。
 二度と奴らに手を出させたくなかったのに。

(そもそもお前、何でここに居るんだ?)

(俺がメールしたのはディフとレオンで……あ、まさか……)

 こいつが今、住んでるのはレオンの部屋。ディフはここんとこずっとリビングに常駐。
 しかも奴はしょっちゅう脱いだ上着をそこらに放り出す。

(…………見たのか、携帯)

 ミスった。オティアの行動力と直感をあなどっていた。


「…ハンカチ貸してやりたいんだけど…無くしちまったらしい…救急セットもどっかいっちまった」

 妙な具合に腹の底がひきつれる。しゃべるだけで人間、体力削れるもんなんだな……。

「…いらないだろ、そんなの」
「だってお前…殴られて」

 お、笑った。
 なんか皮肉っぽい笑みだが、とにかく笑った。

「何……だよその顔」
「人の怪我心配してる場合か」
「あー………そーゆー意味か………確かに色男が台無しだ…な」

 また無表情に戻っちまった。
 視線の温度が氷点下まで下がってる感じだ……。

 見捨てとけばよかったって、本気で思ってるだろ、お前。

(……そうだよ。俺のことなんか見捨てちまえばよかったんだ。お前に恩を着せて、凄まじい記憶を無理矢理引きずり出した酷い男だ)

(ここで俺が死ねばすっぱり縁が切れたんだぞ。この先二度とお前を煩わせることもなかったはずなんだ)

 咳き込んで、血を吐いた。
 どうやら、もう声を出すのも無理っぽい。

 喉がぜいぜい鳴ってる。鉄サビのにおいとどろりとした塩辛い波がからみつき、息の出入りを妨げる。
 肺はぺしゃんこになった風船みたいだ。いくら息を吸っても膨らまない。

 シャレにならんぞ、この状況。
 自分の吐いた血で溺れそうだ……せめてあの二人がたどり着くまで、お前を守りたいのに。

(しゃべることさえできなくなったら俺に何が残るのだろう?)

 すっとオティアの顔が近づいてくる。傍らに膝をついて、屈み込んで、手を触れてきた。
 
「う……」

 今にも潰れるかと思った胸の痛みが、すっと和らぐ。堪え難い手足の軋みが少し収まり、だいぶ呼吸が楽になった。

「え……これ……どうして? 一人なのに?」
「揃ってなきゃ何もできないってわけじゃない…ただ完治は無理だ」
「充分だよ……ありがとうな、オティア」

 体が動かせれば上等だ。床に手をつき、起きあがる。

「ぐっ」

 よし、いいぞ……痛いって事は生きてる証拠だ。
 裂けたシャツの袖で口元の血を拭う。

 ふいっとオティアが目をそらし、塗りつぶされた窓の外に視線を向けた。

「どうした?」
 
「シエンが……探偵連れてくる」
「ってことは、そろそろ一騒動あるな」

 壁に手をつき、立ち上がる。

「あいつ元々、爆弾の専門家だからさ、こーゆー時、どうしても行動が派手になるんだ」
「……こっちに被害がこなきゃ別にいい」
「監禁場所は建物の入り口から遠い、だから入り口なら問題ないだろとか言ってさ。一度なんか大型トラックで突っ込んできたことが」
「犯罪だろ。派手だな」
「まー手榴弾とかバズーカを持ち出さないだけまだマシと」

 言った瞬間。管理棟の方角からドカーンとごう音が轟いた。
 安普請の壁が、天井がぐらぐら揺れてガラス窓がびりびり震える。
 
 爆弾……だよな、これ。

「……進歩のない奴」

 いや、むしろグレードアップしてると言うべきか?

「……あいつ、シエンに怪我させてたら殺す…っ」

 オティアが言い終えるか終えないかのうちに、低いエンジンの轟く音、タイヤのきしる音が聞こえて……
 
 ガシャーンと、金属のシャッターがひしゃげてぶっとぶような音が(いや、そのものが)聞こえてきた。
 今度は車で突っ込んできたな……。

「ディフ〜〜〜〜」

 10年以上つきあってて一つ学んだことがある。奴の辞書に、隠密行動と言う文字はない。

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