▼ 【第一話】キッドナップ×キンダーハイム
2008/03/11 4:25 【一話】
記事リスト
- 【1-0】登場人物 (2008-03-10)
- 【1-1】会わせてやるよ、お前の兄弟に (2008-03-10)
- 【1-2】貴重な情報源なんだ (2008-03-10)
- 【1-3】キッドナップ×キンダーハイム (2008-03-10)
- 【1-4】鏡の向こう側 (2008-03-10)
- 【1-5】CatchUp Twins (2008-03-10)
- 【1-6】この部屋は飯が美味いぞ (2008-03-10)
▼ 【1-0】登場人物
【ヒウェル・メイリール】
フリーの記者。25歳。
黒髪、アンバーアイ、身長180cm、細身(と言うか貧弱)
フレーム小さめの眼鏡着用。
口先と舌先、指先を駆使して世を渡る、小悪党と言う言葉がぴったりのこずるい男。
【レオンハルト・ローゼンベルク】
通称レオン
弁護士。ヒウェルとは高校時代からの友人。26歳。
ライトブラウンの髪と瞳、身長180cm、着やせするタイプで意外と筋肉質。
一見、温厚そうな美人さん、実は腹黒。実家は金持ちだが家族への情は薄い。
ディフとは恋人同士。
【ディフォレスト・マクラウド】
通称ディフ、もしくはマックス
元警察官、今は私立探偵。ヒウェルとは高校時代からの友人。25歳。
ゆるくウェーブのかかった赤毛、ヘーゼルブラウンの瞳、身長180cm、肩幅やや広め。
がっちりした骨格に適度な筋肉のついた頑丈そうな体格。(実際、丈夫)
裏表のない直情家、世話好きでおせっかいな熱血漢。
レオンとは恋人同士。
【シエン・セーブル】
双子の片割れ。16歳。
ややくすんだ金髪、紫の瞳、身長170cm、やせ形。
【オティア・セーブル】
双子の片割れ。16歳。
外見はシエンとほぼ同じ。
【エリック】
シスコ市警の科学捜査官。ディフの警官時代の後輩。
【アレックス】
レオンの秘書。もともとは執事をしていた。
次へ→【1-1】会わせてやるよ、お前の兄弟に
フリーの記者。25歳。
黒髪、アンバーアイ、身長180cm、細身(と言うか貧弱)
フレーム小さめの眼鏡着用。
口先と舌先、指先を駆使して世を渡る、小悪党と言う言葉がぴったりのこずるい男。
【レオンハルト・ローゼンベルク】
通称レオン
弁護士。ヒウェルとは高校時代からの友人。26歳。
ライトブラウンの髪と瞳、身長180cm、着やせするタイプで意外と筋肉質。
一見、温厚そうな美人さん、実は腹黒。実家は金持ちだが家族への情は薄い。
ディフとは恋人同士。
【ディフォレスト・マクラウド】
通称ディフ、もしくはマックス
元警察官、今は私立探偵。ヒウェルとは高校時代からの友人。25歳。
ゆるくウェーブのかかった赤毛、ヘーゼルブラウンの瞳、身長180cm、肩幅やや広め。
がっちりした骨格に適度な筋肉のついた頑丈そうな体格。(実際、丈夫)
裏表のない直情家、世話好きでおせっかいな熱血漢。
レオンとは恋人同士。
【シエン・セーブル】
双子の片割れ。16歳。
ややくすんだ金髪、紫の瞳、身長170cm、やせ形。
【オティア・セーブル】
双子の片割れ。16歳。
外見はシエンとほぼ同じ。
【エリック】
シスコ市警の科学捜査官。ディフの警官時代の後輩。
【アレックス】
レオンの秘書。もともとは執事をしていた。
次へ→【1-1】会わせてやるよ、お前の兄弟に
▼ 2008/03/10(月) 【このページについて】
2008/03/11 4:32 【はじめに】
ちょっと不思議な力を持ってる双子と。
学生時代からずーっとお互いを想ってたくせに片っぽがなかなか気づかず、やっと大人になってからくっついた美人でちょっと黒い弁護士と探偵と。
その友だちの胡散臭いフリーの記者と。
まじめでヘタレな鑑識さん。
総勢6名が夕飯の食卓を囲んだり。お弁当つくったりつくってもらったり。
恋愛したり喧嘩したり…たまにサスペンスもある、そんなお話です。
………全員男だけどな。
そんな訳ですから、BLやML、やおいと言った単語が苦手だな、と言う人はタイトルの頭に★のついたお話は避けた方がよろしいかも知れません。(★が増えるほど濃厚)
舞台はアメリカ、カリフォルニア州、サンフランシスコを想定。
なにげに海外ドラマ風味。
全てフィクションです。
実在の事件、団体、企業、人物等には一切関係ありません。
それでは、どうぞごゆっくりご笑覧下さい。
ありがたくもピクシブでリクエストをいただき、このほど続編を公開しました!
- ローゼンベルク家の食卓2021https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=16500690
- ローゼンベルク家の食卓から派生した小説が電子書籍としてAmazon Kindleストアー、電子書店パピレスより配信開始!くわしくはこちらから。
- 222222ヒット御礼用小説、【ex14】メリィちゃんと狼さんです。
- これ以前のお礼小説はこちらからどうぞ。
- 第四話終了記念、コーヒータンブラー用台紙配布中。こちらからどうぞ。
- 人物紹介
- 第一話:キッドナップ×キンダーハイム(完結)
- 第二話:永久(とわ)に消さんこの忌まわしき場所を(完結)
- 第三話:ローゼンベルク家のお品書き(完結)
- 第四話:スパイラル・デイズ(最終更新日2011-01-22)(完結)
- 第五話:ガブリエル寮の食卓(最終更新日2012-10-30)
- 【番外編】(最終更新日2013-10-15)
- 【短編】(最終更新日2013-10-15)
- 【ギャラリー】(最終更新日2011-12-24)
- Web拍手御礼用お礼短編更新しました。(2013-01-13)
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※四年に渡り書きつづってきた小説です。一本一本のエピソードは短いものの、結構な量があります。少しずつお読みになる事をお勧めいたします。
姉妹サイト「羊さんたちの遊卓」
ファンタジー別館「とりねこの小枝」
▼ 【1-1】会わせてやるよ、お前の兄弟に
彼は逃げ出した。
撮影と称してくり返される陵辱の日々から。
モノとして売られた先から、隙を見て。
この世のどこにも行く宛なんかない。安心できる場所なんかない。
どんな人間にも欠片ほども興味はない。信用なんてもっての他。
彼が会いたいのはこの世でたった一人だけ…。
※ ※ ※ ※ ※
どんよりと曇った灰色の十月の終わりの空を、そのまんま形にしたような薄汚れた灰色の建物。
玄関脇の窓ガラスが割れていたが、既に割れた縁が黄ばんですり減っている。長い事そのまま放置されているらしい。
庭に並ぶ子供用の遊具……すべり台やブランコ、ジャングルジムは元は明るい色に塗られていたのだろうが、今はすっかり色あせて。
ぼろぼろとはげ落ち、赤錆の浮いた地肌と入り交じり、陰気なまだら模様を描いている。
いい具合に荒んでやがる。
ヒウェル・メイリールは玄関を出るなり、ため息をついた。
設備と同じくらいすり切れた職員たちは、いかに自分たちが日々の業務を効率的にこなしているかを抑揚のない声でしつこくアピールしていた。
いかにこの施設が身寄りの無い子どもたちに行き届いたケアをしているか。
今まで何人の子どもたちが誠実な里親のもとに引き取られ、幸福な生活を送っているか。
毎年とどくクリスマスカードの枚数、感謝の手紙。
聞きもしないことまでべらべらべらべら、際限もなく。
そのくせ、こちらが聞きたい事に向けてじわりと駒を進めるなり、手のひらを返したように黙り込み。ペーパークラフトみたいな笑顔を顔に貼付けて目配せしやがった。
『お会いできて光栄でした。もっとゆっくりお話したいのはやまやまなのですが、そろそろ私たちも大事な仕事がありますので……』
まったくもって胸くそわりぃ……。
柄にもなくきっちり締めていた細いタイを引っ張り、いつもの『適度にゆるんだ状態』に戻す。
ごそっと胸ポケットに手をつっこみ、煙草を取り出した。ほのかなミントの香りが鼻腔をくすぐる。
一本くわえて、ライターに火をつけようとしたその時だ。
「この野郎、おとなしくしろ!」
物騒な声を聞いた。出所はすぐそばの路地。
ほぼ条件反射でのぞきこむと、一人の少年と数人の大人がもみ合っている。
こいつぁどう見たって『適切な指導』の範囲を越えてるぞ!
「おい、お前ら何やってんだ!」
口から飛んだ煙草が地面に落ちるより早く、男たちは逃げ出した。派手なシャツを着てる割には、やましいことをしている自覚があったらしい。
内心ほっとしながら近づき、少年を助け起こそうとしたが……ばっと乱暴に手を振り払われた。
※月梨さん画「路地裏の猫」
まるで猫だな。
ガリガリにやせ細って毛並みもごわごわ。かけらほども人間を信用しちゃいない。
「…お前、ここの施設の子だろ」
その言葉を聞くなり少年は逃げ出した。が、すぐにふらつき、ぱったりと倒れてしまう。
「あ、おい待て……って、え?」
ぼろぼろにすり切れ、汚れた服に血がにじみ、殴られたとおぼしき傷もところどころにあった。
少年がぐったりしている間に手持ちの救急キット(なにせ仕事仲間に約一名、生傷の絶えない奴がいるもんだからいつも持ち歩いてるのだ)で応急手当をすませた。
「飯…食ってないのか。ほれ」
ポケットに突っ込んであったチョコバーををさし出したが、眉をしかめて目をそむけられた。
「……ピーナッツ入りは苦手か」
肩をすくめてまた戻す。
一瞬だけ浮び上がった感情の動きが消え失せて、少年もまた元の無表情に戻ってしまった。
優しげな紫の瞳の奥に沈む、あまりに深い疑いの色だけは変わらずに。
さて、どうしたものか。
トラブルのにおいがぷんぷんするが、同時にそいつは自分が今追いかけているネタの手がかりでもある。
油断をすれば逃げられる。かと言って押さえ込むのは逆効果。とにかくとっかかりが必要だ。こいつが自分の意志で俺のそばにいたいと思わせるだけの何かが。
試しに取材で調べた『施設に預けられてた子のうち「問題のありそうな」子』のリスト取り出す。理由こそ明確にされないが、何度も里子先から施設に戻されたり。他の施設からたらい回しにされたりしている子ども。
いなくなっても、あまり真剣に探されない子どもの名を順番に呼んでみた。
「シエンと…オティア・セーブル……兄弟だけど同い年ってことは双子か。どっちだ?」
シエン、と呼ばれたときにわずかに表情が動く。
「シエンか、お前……よし、一人発見、と。オティアは一緒じゃないんだな。ああ、俺、こーゆーモンなんだ」
名刺を渡すが『シエン』は無感動、まったく興味を見せない。かまわず話しかける。
「あそこの施設から里子に出された子どもらが何人か…行方がわかんなくなってるだろ」
「里子先から何回も戻されてるような『問題児』ばかりだから施設の連中も敢えて追跡しようとしない。探そうとしない」
「……そーゆーのに食らいつくメディアもあるのさ。でもヤバい仕事に自社のライターを使うと後腐れがあるから、俺みたいなフリーランスを雇うんだ」
「お前さんを見つけられたのはラッキーだったよ…あ、一本いいかな?」
煙草をくわえ、今度こそ愛用のライターで火をつける。深く吸って、胸にためてから吐き出した。
よし、いいぞ……だいぶすっきりした。
『シエン』は何も言わない。ただ煙が立ちのぼる様子を目で追っている。
「シエン。オティアがどこにいるのか……知りたくないか?」
返事はない。
「俺は、知りたい。それが仕事だからな」
背中を折り曲げ、少年と目の高さを合わせる。
「俺を信じろ、なんて虫のいい事ぁ言わないよ。だが…仕事だけはきっちりこなす主義でね…」
じっと顔をのぞき込む。
暗い目が見返してくる。底なしの水たまりをのぞき込んでいるような気がした。
どこまでも深く、澄んでいるが魚もいない。水草も育たない。氷さえも張らない、純粋すぎる水。
「…………会わせてやるよ。お前の兄弟に」
紫の闇の向こうでわずかに何かが動いた。
「だから…知ってることを教えてくれ」
小さく首を横に振った。しかしわずかに迷いが見える。
「なあ、シエン。お前はまだ…子どもだ」
いつもより少しだけ、話すペースを落した。頭の中にカードを広げて、慎重に選ぶ。
さて。どの手札をオープンにして、どれを伏せようか?
「できることにしたって限度がある。一方、俺はオティアとは縁もゆかりもない。いきなり里子に出された先に押し掛けたって追い返されるのがオチだ。でもお前がいれば…次のステップに進める。ギブ&テイクだ」
相手は子どもだ。
しかも警戒している。ここで嘘をつけば立ちどころに見抜かれる。
ひとりぼっちの子どもってのは野生動物か野良猫並みにカンが鋭い。かつて自分がそうだったように。
「…あの施設、俺のいた所に比べてかなり…子どもの扱いが雑だな。それでも行ったのはオティアに会いたいからじゃないのか?」
「……信用…できない…。誰、も…」
「ああ、いい心がけだ。俺を利用しろ。俺もお前を利用させてもらう。……OK?」
ほんの少し間があって、こくり、と金髪の頭がうなずいた。
「来い。もうちょっとマシなもん食わせてやる。情報源に倒れられちゃかなわん」
歩き出すヒウェルの後を、警戒しながらも、少年はついて行く。
ゆっくりと、時折、わずかによろめきながら。
引き離された兄弟の行方を探してあちこちさまよっていた。その間にかなり衰弱していた。
本当は、今にも地面に崩れ落ちそうなぐらいだった。
しかし、目の前の『見知らぬ男』を頼るつもりは欠片ほどもなかった。
次へ→【1-2】貴重な情報源なんだ
▼ 【1-2】貴重な情報源なんだ
紫の瞳の少年を連れてヒウェルが顔を出したのは、学生時代からの友人、レオンハルト・ローゼンベルクの部屋だった。
呼び鈴を鳴らすと、ぬっとドアを開けて赤毛の頑丈そうな男が顔を出す。
「よお、ディフ」
「飯にはまだ早いぞ」
『もうちょっとマシなもん』とは要するにこの男。
レオンの恋人ディフォレスト・マクラウドの手料理だった。すぐ隣の部屋に住んでいるのだが、恋人のためにこうして毎日、甲斐甲斐しく食事を作りに来ている。
とかくこの男は外見に似合わずマメなところがあり、高校時代から寮の簡易キッチンでちまちまと料理をしていた。
ルームメイトをやっていた時分はヒウェルもたびたび恩恵に預かり、部屋こそ違うものの同じマンションに住んでいる今はたびたび夕飯をたかりに来ている。
「俺はレオンに食わせるために作ってるんだ、貴様のためじゃない」なぞと言いつつ最近はきちんと3人分の食事を用意してくれているあたり、つくづく律儀と言うか、真面目と言うか。
その間、一言も喋らないまま、少年はピリピリと神経をとがらせていた。
庭付きの広々とした高級マンション。到底、こいつの住処とも思えないがドアマンに笑顔で手を振って入った。
迷う風もなく最上階まで連れてこられて、呼び鈴を押したと思えば出てきたのはガラの悪い赤毛。
身のこなしに隙がない。明らかにヤバいことに慣れている。
目つきも鋭く、無駄にガタイがいい。履き古したジーンズにネイビーブルーの厚手の綿シャツ、ボタンは上二つ開けている。羽織っているのはバイク乗りが着ていそうなごっつい革のジャケット。
服装といい、所作といい、どう見ても堅気じゃない。
逃げた方がいいんじゃないか?
思わず半歩後じさる。
「こいつに飯、食わせてやってほしいんだ。できれば風呂も」
「……ヒウェル」
すっと部屋の奥からすらりとした男が出てきた。ライトブラウンの髪と瞳、一見たおやかな美人。
仕立ての良いシャツと品の良いタイ、ぴしっと折り目のついたダークブラウンのズボンに磨かれた革靴。基本的なパーツは眼鏡の男と同じだが、ランクが違う。
逃げかけた足が止まる。
他の二人と比べると、明らかに着てるものが違う。この家の主人はこの男だろう。でも会社員とは思えない。
いったい何者なんだろう?
「やあ、レオン」
上質のスーツの上着を脱いだだけでまだタイも外していない。
ついさっき帰ってきたばかりってところだろうか。
やばいな。邪魔しちまったかな。
秘かに胸の中で舌打ちしつつ、さらりと挨拶する。
「珍しいですね。今日はもう帰ってたんですか」
「たまには、ね。それで、その子は?」
少し離れた所で黙ってそっぽを向いている少年を振り返る。
「あー、まあ、何てーか……取材の協力者です」
わずかにかっ色の瞳がすがめられる。
あまり歓迎されていないようだが、勝算はあった。
ディフなら落せる。この保護欲の塊みたいな男が腹空かせてボロボロになった子どもを放っておくはずがない。
「……風呂、準備しとく」
……よし。
ざかざかと浴室へと歩いて行くいかつい背中を見送りつつ、心の中でガッツポーズを取った。
やがて準備が整い、少年が風呂に入っている間にディフは台所で何やら作り始めた。
一人分追加してるのだろう。
おそらくは弱った子どもでも楽に食べられそうなものを。
レオンと二人、リビングで待つ。
何となく、いや、かなり気まずい。
「……あ、俺ディフのこと手伝ってこようかな……」
立ち上がろうとした刹那、にっこり笑ってぴしゃりと言われた。
「できれば事務所のほうにしてほしいね」
冷たい目。冷たい声だ。ディフが見てない所ではこれだよ。だが、いつものことだ。
「俺の知ってるうちで一番まっとうな飯食えるところはここしかありませんし……それに。こんなに夜遅くに、俺が彼奴の部屋にあがりこんでもよろしいので?」
レオンにこんな風に歯向かうのは初めてだ。冷や汗かきながらも精一杯虚勢を張る。
「もう連れてきちゃったんだからしょうがないじゃないですか」
「ヒウェル」
「……何です」
「次はないよ」
ぞわっと鳥肌が立った。
穏やかな言葉の後ろに刃物が潜んでいる。触れたと気づくより先に切られているような、研ぎ澄まされた抜き身の刃が。
陪審員の前では非の打ちどころのない誠実な弁護士。
敵に対しては容赦のない冷徹な策士。
この男が心を許す相手はこの世でおそらくただ一人。
二度と同じ手は使うなってことか。しかしとにもかくにもOKはOKだ。
「感謝します」
肩をすくめてそっぽを向かれた。
ひとっ風呂あびたシエンは出された着替えには袖を通さず、元の通りのぼろ服を(それでも精一杯ほこりをはらって)着て出て来た。
「やっぱり俺のシャツだとでかすぎたか?」
困ったような顔して小声でささやくディフに同じく小さな声で返す。
「いや……警戒してるだけだと思うぞ」
食卓を囲む人数がいつもより一人多い。
微妙な緊張感の漂う中、出されたスープを少し口にした途端。
少年は嘔吐して倒れてしまった。なごやかな? 食卓が一気に修羅場に変わる。
「お、おい大丈夫かっ! 医者っ! 救急車っ!」
「いや、ずっと食ってなかったんだと思うが……とにかく着替えさせて寝かせろ」
「そ、そ、そ、そうだな……」
客用の寝室に運び服を脱がせようとすると、少年は弱々しく首を振り、もがいた。
しかしほとんど力が入らず、やせ細った手足からあっさりすり切れた服が抜き取られる。
「っ!」
三人は息を飲み、黙って顔を見合わせた。
容赦無く掴まれた手の痕、指の痕。胸や内股、腹、太もも。皮膚の鋭敏な場所を執拗に狙った赤黒い吸い痕、そして歯形。
それよりもっと酷い仕打ちをされた形跡も認められる。
いくぶん薄くなってはいるが、おそらく一度や二度ではないだろう。虐待なんて単語ではもはや追いつかないくらい、凄まじい陵辱の痕跡が刻まれていた。
ぐいっと柔らかな布が手に押し付けられる。見上げると、世にも凶悪な顔をした赤毛の野獣とご対面した。
ヘーゼルブラウンの瞳がうっすら緑を帯びている……そうとう頭に血がのぼってるな。
左の首筋には薔薇の花びらほどの大きさの傷跡がほのかに赤く浮び上がっている。
昔、処理中の爆弾に吹き飛ばされた時の名残りだ。伸ばした髪に隠れちゃいるが、こいつが見え始めたら要注意。
「着せてやれ、早く」
「ああ」
自分が今どれほど凶暴なご面相になっているか、自覚はあるらしい。
大人もののTシャツは少年の体を覆うには充分な大きさがあった。
「これでは病院に連れて行けそうにない……ね……ヒウェル」
有無を言わさぬ静かな声でレオンに言われる。
事情を説明しろと言うことだ。
観念して昼間あったことを洗いざらい話すしかなかった。
少年を連れてくるまでのいきさつを聞き、レオンは素早くおおよその事情を察した。
しかし今度はディフがいい顔をしない。
「やっぱりここは警察に行くべきなんじゃないか」
(あーもーこいつはこーゆーとこは融通きかないんだから……)
警察に連れて行かれたら、こいつはもう自由に動けない。そうなったら、思い詰めて収容先の病院を脱走、なんてこともやりかねない。
「聞けよ、ディフォレスト。警察官は公務員だ、勤務時間しか働かない。でも…お前は違うだろ?」
ヒウェルはここぞとばかりに二枚舌を駆使して説得にかかった。
「考えてもみろ。どっかのお役人さんが、夕食までに家に帰ってビールを飲みたいってそれだけのためにこの子の扱いを後回しにした、それが全ての発端なのかもしれないぜ?」
返事はなし。だが身じろぎもせず聞いている。握った拳を口元に当てて。
「自分で仕事選べるからってんで私立探偵のライセンスとったんだろ。こう言うときのために使うんじゃないのか、その特権は」
「む……」
ディフは思った。
確かにヒウェルの言うことは筋が通ってる。
今の自分なら、組織の命令や規則に縛られることなく、あの子のためにフルに時間を使える。
ベッドに横たわる少年を見て。
レオンを見て。
ヒウェルを見て。
また、レオンを見る。
レオンは肩をすくめた。
やれやれ。ヒウェルに協力するのは気が進まないが……しかたない。
「ヒウェルはその子と約束したんだろ」
「…そうなのか?」
「ああ、お前の兄弟に会わせてやるってな」
「……わかった」
ぐったりした少年にレオンが温めたスポーツドリンクを与えた。失われた水分を補うために、少しずつ、少しずつ。
「本当は点滴した方がいいんだけどね……」
「…さっき吐いたのも、ほとんど胃液ばっかりだったもんなあ」
「呑気な台詞いけしゃあしゃあと吐いてんじゃねえっ! 俺は心臓止まるかと思ったぞっ」
歯を剥いて唸るディフを無視してヒウェルは平然とした口調で問いかけた。
「…で、レオン。その子、どれぐらいで動かせます?」
「動かすのは難しいね。まともに話ができるようになるのも数日かかりそうだ」
「あー…そりゃまたなんとも………時間のロスが痛いな」
「いい……。話す…から」
「OK、いい心がけだ、シエン。さあ……知ってることを話してもらおうか」
にっこり笑って手帳のページを開き、ペンを構える。
背後でディフが目を剥いてるのが見えるようだがいつものことだと無視を決め込む。
目を閉じたまま、少年はぽつりぽつりと語り出した。
問題の施設から別々のところにひきとられて、でもそこからまたすぐに次のところに送られて「売られた」。
隙を見て逃げ出して、長距離トラックの荷台に隠れてシスコまで戻ってきたのだと。
「なるほどね」
背後の気配がさらに剣呑なものに変わる。
だが、幸いにしてもはやターゲットはヒウェルではない。
淡々とメモをとり、時折質問をはさんで確認しながら聞き込みを続けた。
「要するに…最初にお前さんを引き取った奴ぁ『仲買い』だったってことだな…ほい、探偵さん、これ最初にこの子を引き取った奴の住所と名前」
ぴらっとメモを渡すとディフは無言で部屋を出ていった。
今夜は徹夜で残業だろう。しかも自主的にタダ働きだ。
高校の時と比べてずいぶん大人しくなったが『マッド・マックス』は健在だ。とくに子どもがからむとなると。
「知ってた…そいつ、前、にも…違う子を連れて…だから」
「…だから?」
「だから…二度と…会えない…って…」
「…忘れるな、その言葉」
きゅっと眼鏡を外し、顔を寄せてささやいた。少年にだけ聞こえるように、小さな声で。
「絶対会わせてやるよ。お前の……兄弟に。二人そろったときに言ってもらうぜ。あの台詞は間違いだったって…な」
「遠いんだ…。遠くて…。わから…な…ぃ…」
「シエン? おいっ」
思わず手を握る。やせ細った指がゆるくにぎり返してきた。
「ヒウェル。その子、体力がないんだ、続きは明日にしたほうがいい」
「……っ」
唇を噛みしめる。
遠い日の記憶が蘇る。
何故一人になったのかはわからない。
けれど血のつながった家族と呼べる存在から完全に切り離され、自分は『一人』なのだと初めて理解した瞬間の記憶が…
積み重ねた時間の底からつかの間せり上がり、沈んだ。
(少なくとも俺は里親に関しちゃ『大当たり』を引いた)
(だが、この子は……)
「しっかりしろ…お前にはまだ……血のつながった兄弟がいる…一人じゃ…ない」
ヒウェルの手を握ったまま、少年は深い眠りに落ちて行く。
そっとその手を離して、眼鏡をかけ直した。
「レオン、この子しばらく預かってもらえますか? 貴重な情報源なんだ」
つとめていつもの声を出した。少なくとも自分ではそのつもりだった。
「しょうがないな。…とはいえ、ずっとついていられるわけでもないし…」
「……客用寝室、空いてましたよね。しばらく寄せてもらっていーっすか。俺がひっついてるから……ディフと交代で」
「わかったよ。好きに使いなさい」
「……ありがとう」
「ひとり看護士を呼ぶよ、医者は無理としても…体調が心配だ」
「お願いします……」
呼ばれてやって来たのは法律事務所の秘書にしてレオンの元執事、アレックスだった。
月梨さん画。右がアレックス(左は法律事務所の共同経営者。レオンの先輩弁護士。今回出番無し!)
「……看護士の資格も、持ってたんだ」
「はい、趣味で色々と」
「………多趣味でいらっしゃる」
いったい、彼はいくつ資格を持ってるんだろう?
首をひねりつつヒウェルは愛用のノートパソコンを起動してネットにつなぎ、調査を開始した。
レオンは何やら電話にメールにと忙しそうだ。
どこに電話してるか知らないが、裏からディフのサポートに入るつもりだろう。相変わらず手際がいい。
「さあて……戦闘開始と参りますか」
次へ→【1-3】キッドナップ×キンダーハイム
呼び鈴を鳴らすと、ぬっとドアを開けて赤毛の頑丈そうな男が顔を出す。
「よお、ディフ」
「飯にはまだ早いぞ」
『もうちょっとマシなもん』とは要するにこの男。
レオンの恋人ディフォレスト・マクラウドの手料理だった。すぐ隣の部屋に住んでいるのだが、恋人のためにこうして毎日、甲斐甲斐しく食事を作りに来ている。
とかくこの男は外見に似合わずマメなところがあり、高校時代から寮の簡易キッチンでちまちまと料理をしていた。
ルームメイトをやっていた時分はヒウェルもたびたび恩恵に預かり、部屋こそ違うものの同じマンションに住んでいる今はたびたび夕飯をたかりに来ている。
「俺はレオンに食わせるために作ってるんだ、貴様のためじゃない」なぞと言いつつ最近はきちんと3人分の食事を用意してくれているあたり、つくづく律儀と言うか、真面目と言うか。
その間、一言も喋らないまま、少年はピリピリと神経をとがらせていた。
庭付きの広々とした高級マンション。到底、こいつの住処とも思えないがドアマンに笑顔で手を振って入った。
迷う風もなく最上階まで連れてこられて、呼び鈴を押したと思えば出てきたのはガラの悪い赤毛。
身のこなしに隙がない。明らかにヤバいことに慣れている。
目つきも鋭く、無駄にガタイがいい。履き古したジーンズにネイビーブルーの厚手の綿シャツ、ボタンは上二つ開けている。羽織っているのはバイク乗りが着ていそうなごっつい革のジャケット。
服装といい、所作といい、どう見ても堅気じゃない。
逃げた方がいいんじゃないか?
思わず半歩後じさる。
「こいつに飯、食わせてやってほしいんだ。できれば風呂も」
「……ヒウェル」
すっと部屋の奥からすらりとした男が出てきた。ライトブラウンの髪と瞳、一見たおやかな美人。
仕立ての良いシャツと品の良いタイ、ぴしっと折り目のついたダークブラウンのズボンに磨かれた革靴。基本的なパーツは眼鏡の男と同じだが、ランクが違う。
逃げかけた足が止まる。
他の二人と比べると、明らかに着てるものが違う。この家の主人はこの男だろう。でも会社員とは思えない。
いったい何者なんだろう?
「やあ、レオン」
上質のスーツの上着を脱いだだけでまだタイも外していない。
ついさっき帰ってきたばかりってところだろうか。
やばいな。邪魔しちまったかな。
秘かに胸の中で舌打ちしつつ、さらりと挨拶する。
「珍しいですね。今日はもう帰ってたんですか」
「たまには、ね。それで、その子は?」
少し離れた所で黙ってそっぽを向いている少年を振り返る。
「あー、まあ、何てーか……取材の協力者です」
わずかにかっ色の瞳がすがめられる。
あまり歓迎されていないようだが、勝算はあった。
ディフなら落せる。この保護欲の塊みたいな男が腹空かせてボロボロになった子どもを放っておくはずがない。
「……風呂、準備しとく」
……よし。
ざかざかと浴室へと歩いて行くいかつい背中を見送りつつ、心の中でガッツポーズを取った。
やがて準備が整い、少年が風呂に入っている間にディフは台所で何やら作り始めた。
一人分追加してるのだろう。
おそらくは弱った子どもでも楽に食べられそうなものを。
レオンと二人、リビングで待つ。
何となく、いや、かなり気まずい。
「……あ、俺ディフのこと手伝ってこようかな……」
立ち上がろうとした刹那、にっこり笑ってぴしゃりと言われた。
「できれば事務所のほうにしてほしいね」
冷たい目。冷たい声だ。ディフが見てない所ではこれだよ。だが、いつものことだ。
「俺の知ってるうちで一番まっとうな飯食えるところはここしかありませんし……それに。こんなに夜遅くに、俺が彼奴の部屋にあがりこんでもよろしいので?」
レオンにこんな風に歯向かうのは初めてだ。冷や汗かきながらも精一杯虚勢を張る。
「もう連れてきちゃったんだからしょうがないじゃないですか」
「ヒウェル」
「……何です」
「次はないよ」
ぞわっと鳥肌が立った。
穏やかな言葉の後ろに刃物が潜んでいる。触れたと気づくより先に切られているような、研ぎ澄まされた抜き身の刃が。
陪審員の前では非の打ちどころのない誠実な弁護士。
敵に対しては容赦のない冷徹な策士。
この男が心を許す相手はこの世でおそらくただ一人。
二度と同じ手は使うなってことか。しかしとにもかくにもOKはOKだ。
「感謝します」
肩をすくめてそっぽを向かれた。
ひとっ風呂あびたシエンは出された着替えには袖を通さず、元の通りのぼろ服を(それでも精一杯ほこりをはらって)着て出て来た。
「やっぱり俺のシャツだとでかすぎたか?」
困ったような顔して小声でささやくディフに同じく小さな声で返す。
「いや……警戒してるだけだと思うぞ」
食卓を囲む人数がいつもより一人多い。
微妙な緊張感の漂う中、出されたスープを少し口にした途端。
少年は嘔吐して倒れてしまった。なごやかな? 食卓が一気に修羅場に変わる。
「お、おい大丈夫かっ! 医者っ! 救急車っ!」
「いや、ずっと食ってなかったんだと思うが……とにかく着替えさせて寝かせろ」
「そ、そ、そ、そうだな……」
客用の寝室に運び服を脱がせようとすると、少年は弱々しく首を振り、もがいた。
しかしほとんど力が入らず、やせ細った手足からあっさりすり切れた服が抜き取られる。
「っ!」
三人は息を飲み、黙って顔を見合わせた。
容赦無く掴まれた手の痕、指の痕。胸や内股、腹、太もも。皮膚の鋭敏な場所を執拗に狙った赤黒い吸い痕、そして歯形。
それよりもっと酷い仕打ちをされた形跡も認められる。
いくぶん薄くなってはいるが、おそらく一度や二度ではないだろう。虐待なんて単語ではもはや追いつかないくらい、凄まじい陵辱の痕跡が刻まれていた。
ぐいっと柔らかな布が手に押し付けられる。見上げると、世にも凶悪な顔をした赤毛の野獣とご対面した。
ヘーゼルブラウンの瞳がうっすら緑を帯びている……そうとう頭に血がのぼってるな。
左の首筋には薔薇の花びらほどの大きさの傷跡がほのかに赤く浮び上がっている。
昔、処理中の爆弾に吹き飛ばされた時の名残りだ。伸ばした髪に隠れちゃいるが、こいつが見え始めたら要注意。
「着せてやれ、早く」
「ああ」
自分が今どれほど凶暴なご面相になっているか、自覚はあるらしい。
大人もののTシャツは少年の体を覆うには充分な大きさがあった。
「これでは病院に連れて行けそうにない……ね……ヒウェル」
有無を言わさぬ静かな声でレオンに言われる。
事情を説明しろと言うことだ。
観念して昼間あったことを洗いざらい話すしかなかった。
少年を連れてくるまでのいきさつを聞き、レオンは素早くおおよその事情を察した。
しかし今度はディフがいい顔をしない。
「やっぱりここは警察に行くべきなんじゃないか」
(あーもーこいつはこーゆーとこは融通きかないんだから……)
警察に連れて行かれたら、こいつはもう自由に動けない。そうなったら、思い詰めて収容先の病院を脱走、なんてこともやりかねない。
「聞けよ、ディフォレスト。警察官は公務員だ、勤務時間しか働かない。でも…お前は違うだろ?」
ヒウェルはここぞとばかりに二枚舌を駆使して説得にかかった。
「考えてもみろ。どっかのお役人さんが、夕食までに家に帰ってビールを飲みたいってそれだけのためにこの子の扱いを後回しにした、それが全ての発端なのかもしれないぜ?」
返事はなし。だが身じろぎもせず聞いている。握った拳を口元に当てて。
「自分で仕事選べるからってんで私立探偵のライセンスとったんだろ。こう言うときのために使うんじゃないのか、その特権は」
「む……」
ディフは思った。
確かにヒウェルの言うことは筋が通ってる。
今の自分なら、組織の命令や規則に縛られることなく、あの子のためにフルに時間を使える。
ベッドに横たわる少年を見て。
レオンを見て。
ヒウェルを見て。
また、レオンを見る。
レオンは肩をすくめた。
やれやれ。ヒウェルに協力するのは気が進まないが……しかたない。
「ヒウェルはその子と約束したんだろ」
「…そうなのか?」
「ああ、お前の兄弟に会わせてやるってな」
「……わかった」
ぐったりした少年にレオンが温めたスポーツドリンクを与えた。失われた水分を補うために、少しずつ、少しずつ。
「本当は点滴した方がいいんだけどね……」
「…さっき吐いたのも、ほとんど胃液ばっかりだったもんなあ」
「呑気な台詞いけしゃあしゃあと吐いてんじゃねえっ! 俺は心臓止まるかと思ったぞっ」
歯を剥いて唸るディフを無視してヒウェルは平然とした口調で問いかけた。
「…で、レオン。その子、どれぐらいで動かせます?」
「動かすのは難しいね。まともに話ができるようになるのも数日かかりそうだ」
「あー…そりゃまたなんとも………時間のロスが痛いな」
「いい……。話す…から」
「OK、いい心がけだ、シエン。さあ……知ってることを話してもらおうか」
にっこり笑って手帳のページを開き、ペンを構える。
背後でディフが目を剥いてるのが見えるようだがいつものことだと無視を決め込む。
目を閉じたまま、少年はぽつりぽつりと語り出した。
問題の施設から別々のところにひきとられて、でもそこからまたすぐに次のところに送られて「売られた」。
隙を見て逃げ出して、長距離トラックの荷台に隠れてシスコまで戻ってきたのだと。
「なるほどね」
背後の気配がさらに剣呑なものに変わる。
だが、幸いにしてもはやターゲットはヒウェルではない。
淡々とメモをとり、時折質問をはさんで確認しながら聞き込みを続けた。
「要するに…最初にお前さんを引き取った奴ぁ『仲買い』だったってことだな…ほい、探偵さん、これ最初にこの子を引き取った奴の住所と名前」
ぴらっとメモを渡すとディフは無言で部屋を出ていった。
今夜は徹夜で残業だろう。しかも自主的にタダ働きだ。
高校の時と比べてずいぶん大人しくなったが『マッド・マックス』は健在だ。とくに子どもがからむとなると。
「知ってた…そいつ、前、にも…違う子を連れて…だから」
「…だから?」
「だから…二度と…会えない…って…」
「…忘れるな、その言葉」
きゅっと眼鏡を外し、顔を寄せてささやいた。少年にだけ聞こえるように、小さな声で。
「絶対会わせてやるよ。お前の……兄弟に。二人そろったときに言ってもらうぜ。あの台詞は間違いだったって…な」
「遠いんだ…。遠くて…。わから…な…ぃ…」
「シエン? おいっ」
思わず手を握る。やせ細った指がゆるくにぎり返してきた。
「ヒウェル。その子、体力がないんだ、続きは明日にしたほうがいい」
「……っ」
唇を噛みしめる。
遠い日の記憶が蘇る。
何故一人になったのかはわからない。
けれど血のつながった家族と呼べる存在から完全に切り離され、自分は『一人』なのだと初めて理解した瞬間の記憶が…
積み重ねた時間の底からつかの間せり上がり、沈んだ。
(少なくとも俺は里親に関しちゃ『大当たり』を引いた)
(だが、この子は……)
「しっかりしろ…お前にはまだ……血のつながった兄弟がいる…一人じゃ…ない」
ヒウェルの手を握ったまま、少年は深い眠りに落ちて行く。
そっとその手を離して、眼鏡をかけ直した。
「レオン、この子しばらく預かってもらえますか? 貴重な情報源なんだ」
つとめていつもの声を出した。少なくとも自分ではそのつもりだった。
「しょうがないな。…とはいえ、ずっとついていられるわけでもないし…」
「……客用寝室、空いてましたよね。しばらく寄せてもらっていーっすか。俺がひっついてるから……ディフと交代で」
「わかったよ。好きに使いなさい」
「……ありがとう」
「ひとり看護士を呼ぶよ、医者は無理としても…体調が心配だ」
「お願いします……」
呼ばれてやって来たのは法律事務所の秘書にしてレオンの元執事、アレックスだった。
月梨さん画。右がアレックス(左は法律事務所の共同経営者。レオンの先輩弁護士。今回出番無し!)
「……看護士の資格も、持ってたんだ」
「はい、趣味で色々と」
「………多趣味でいらっしゃる」
いったい、彼はいくつ資格を持ってるんだろう?
首をひねりつつヒウェルは愛用のノートパソコンを起動してネットにつなぎ、調査を開始した。
レオンは何やら電話にメールにと忙しそうだ。
どこに電話してるか知らないが、裏からディフのサポートに入るつもりだろう。相変わらず手際がいい。
「さあて……戦闘開始と参りますか」
次へ→【1-3】キッドナップ×キンダーハイム
▼ 【1-3】キッドナップ×キンダーハイム
子どもがらみの事件となると、とにかくディフはフットワークが軽い。
警官時代に培った技と人脈をあます所なく活用し、レオンからのサポートも相まって手際良く仲買人を摘発。
子どもの売買に施設の職員数名がからんでいることまで探り出し、数日後の夜、ヒウェルの携帯に報告を入れてきた。
「え、なに、もうそこまで挙げちゃったの? ちょい待ち、施設の職員はもーちょい泳がせといてよ。警察にとっつかまる前に聞いときたいことあるからさ…OK、よろしく」
「…逃げないように張ってる? それはいいけど、明日の朝何食えばいいのよ、俺ら。……わかった、冷蔵庫にあるのあっため直すから。それじゃ、サンキュ。愛してるよ」
電話越しに投げキッス一つ。怒鳴り返される前に素早く切る。そして、翌朝。
その頃には少年は家の中を歩けるまでに回復し、元執事の用意した清潔な衣服に着替えていた。
「よお、シエン……朝飯できてるぜ。お前さんたちを売っぱらうのに一役買った職員ね。今、ディフが張り付いてっから。これ食ったら会いに行く」
返事はないが、こくんとうなずいた。
「俺の予備の携帯の一つだ。何かわかったらこいつですぐに連絡するよ……」
携帯五つほどずらっと引き出し、うち一つを手渡す。少年はじっと見てから受けとった。
「探偵の調査料のことなら気にすんな。あいつは子どもがからむといつでもタダ働きするんだよ。自主的にな」
作り置きのスープと焼くだけになっていたパンケーキを焼いて朝食をとる。
鬼のように濃いコーヒーを流し込むヒウェルの隣で少年はちまちまとスープを飲み、パンケーキを口に運ぶ。
(まいったな……けっこう可愛いじゃないか)
そんな姿を見ながらヒウェルは自分に言い聞かせた。
(私情は禁物、私情は禁物……下手に深入りすると引き際を見誤るぞ)
食べ終わった皿を洗いながら何気なく話しかける。とにかく話そう。黙っていたら余計な方に思考がひっぱられる。
「…双子って…呼び合うって言うけど……近くにいればわかるのか? お前ら、もしかして」
「…さぁ」
「コルシカの兄弟って小説で読んだだけなんだけどね…双子の片方が怪我すっと、もう一人も離れてても同じ痛みを感じるんだ…」
「離れたことなんか…なかった、から…」
洗い終えた皿を水切りカゴにつっこんだ。
ったく金は余ってんだから食器洗い機ぐらい買えっつの。
「……すまん。行ってくるよ。必ず情報は届ける。お前に、真っ先に」
ドアに向かいながらちらりと振り返る。
黙って見送っていた。
※ ※ ※ ※
思えばこの時、既に私情はばっちり挟んでいたのだ。
自覚がないだけに始末に負えない。
(くそ、引き際を見誤ったか)
ヒウェルは自分の置かれた状況を確認し、秘かに悪態をついた。
数日前に訪れた例の施設の裏手。建物と建物の間の、空き缶や新聞紙、その他得体の知れないゴミの散らばるじめじめした狭い空間には、胸の悪くなるような湿った空気が淀んでいる。
できればこんな所で人生の締めくくりなんざ迎えたくないもんだ。
両手を上げたまま、ちらりと背後を振り返る。
数日前に、にこやかに自分がいかに善人かをアピールしていた男が、目を血走らせて拳銃を構えている。
要するに、まあ、こいつが人身販売組織とつるんでいた職員の総元締だった。
(あの一言さえ言わなけりゃなあ……)
『確かにあなたが仲介した里親は一番数が多い。ですがね、同じ家に一年も経たない内に何人も里子を送り込むってのは、ちと不自然じゃありませんか?』
いつもなら相手の精神状態がヤバいなと思った時点で聞き込みを切り上げた。
しかし今回は……そこでさらにしつこく食い下がった。少しでも『シエン』の兄弟の居場所に関する情報を知りたいばかりに。
『いや、勘違いなんかじゃりませんよ。住所は変わってるが、同じ里親だ……これはどう説明していただけるんでしょうね?』
結果として職員は逆ギレし、引き出しに隠し持っていた銃をつきつけてきたのだ。
「こっちを見るな! 両手を壁につけ」
「……不自然な死に方だと思いませんか、それ」
「うるさいっ! さっさと言われた通りにしろーっ」
しぶしぶ灰色の壁に両手を伸ばす。指先にじっとり湿ったモルタルの手触りが触れる。
(うう、やだなあ、こんな所で死ぬの……)
「そこまでだ、銃を降ろせ」
張りのあるバリトンが飛んできた。
路地の入り口にがっしりしたシルエットが両足を踏ん張り、仁王立ち。軽い前傾姿勢を取りつつ、両手で凹凸の少ないオートマチック式の拳銃……シグ・ザウエルP229を構えてぴたりと銃口をこっちに向けている。
ディフだ。
援軍到着。しかし、なぜかヒウェルが慌てふためく。
「わーっ、ちょっとたんま、ストップ! お前、いっつも威嚇で当てるだろ!」
「ええい、要救助者の分際でごちゃごちゃ抜かすんじゃねえっ 13発入ってるんだ、運が良けりゃ1発は当たる!」
「その装填数が不吉なんだよ、なぜ銃身に一発こめない!」
「……暴発が怖いから」
「わーっ、やっぱお前が降ろせーっ」
「お前ら……何やってんだ?」
漫才めいたやり取りに職員があっけにとられる。その隙にディフが引き金を引いた。
腹の底に響く銃声とともに、男の手から拳銃が落ちた。すかさずヒウェルが落ちた銃を拾い上げる。
走りよるとディフは手際良く男の腕をねじり上げ、持参した粘着テープでぐるぐると後ろ手に縛り上げた。
「よし、クリア」
「サンキュ、助かった。……で、今の威嚇? 狙った?」
「ノーコメント」
次へ→【1-4】鏡の向こう側
警官時代に培った技と人脈をあます所なく活用し、レオンからのサポートも相まって手際良く仲買人を摘発。
子どもの売買に施設の職員数名がからんでいることまで探り出し、数日後の夜、ヒウェルの携帯に報告を入れてきた。
「え、なに、もうそこまで挙げちゃったの? ちょい待ち、施設の職員はもーちょい泳がせといてよ。警察にとっつかまる前に聞いときたいことあるからさ…OK、よろしく」
「…逃げないように張ってる? それはいいけど、明日の朝何食えばいいのよ、俺ら。……わかった、冷蔵庫にあるのあっため直すから。それじゃ、サンキュ。愛してるよ」
電話越しに投げキッス一つ。怒鳴り返される前に素早く切る。そして、翌朝。
その頃には少年は家の中を歩けるまでに回復し、元執事の用意した清潔な衣服に着替えていた。
「よお、シエン……朝飯できてるぜ。お前さんたちを売っぱらうのに一役買った職員ね。今、ディフが張り付いてっから。これ食ったら会いに行く」
返事はないが、こくんとうなずいた。
「俺の予備の携帯の一つだ。何かわかったらこいつですぐに連絡するよ……」
携帯五つほどずらっと引き出し、うち一つを手渡す。少年はじっと見てから受けとった。
「探偵の調査料のことなら気にすんな。あいつは子どもがからむといつでもタダ働きするんだよ。自主的にな」
作り置きのスープと焼くだけになっていたパンケーキを焼いて朝食をとる。
鬼のように濃いコーヒーを流し込むヒウェルの隣で少年はちまちまとスープを飲み、パンケーキを口に運ぶ。
(まいったな……けっこう可愛いじゃないか)
そんな姿を見ながらヒウェルは自分に言い聞かせた。
(私情は禁物、私情は禁物……下手に深入りすると引き際を見誤るぞ)
食べ終わった皿を洗いながら何気なく話しかける。とにかく話そう。黙っていたら余計な方に思考がひっぱられる。
「…双子って…呼び合うって言うけど……近くにいればわかるのか? お前ら、もしかして」
「…さぁ」
「コルシカの兄弟って小説で読んだだけなんだけどね…双子の片方が怪我すっと、もう一人も離れてても同じ痛みを感じるんだ…」
「離れたことなんか…なかった、から…」
洗い終えた皿を水切りカゴにつっこんだ。
ったく金は余ってんだから食器洗い機ぐらい買えっつの。
「……すまん。行ってくるよ。必ず情報は届ける。お前に、真っ先に」
ドアに向かいながらちらりと振り返る。
黙って見送っていた。
※ ※ ※ ※
思えばこの時、既に私情はばっちり挟んでいたのだ。
自覚がないだけに始末に負えない。
(くそ、引き際を見誤ったか)
ヒウェルは自分の置かれた状況を確認し、秘かに悪態をついた。
数日前に訪れた例の施設の裏手。建物と建物の間の、空き缶や新聞紙、その他得体の知れないゴミの散らばるじめじめした狭い空間には、胸の悪くなるような湿った空気が淀んでいる。
できればこんな所で人生の締めくくりなんざ迎えたくないもんだ。
両手を上げたまま、ちらりと背後を振り返る。
数日前に、にこやかに自分がいかに善人かをアピールしていた男が、目を血走らせて拳銃を構えている。
要するに、まあ、こいつが人身販売組織とつるんでいた職員の総元締だった。
(あの一言さえ言わなけりゃなあ……)
『確かにあなたが仲介した里親は一番数が多い。ですがね、同じ家に一年も経たない内に何人も里子を送り込むってのは、ちと不自然じゃありませんか?』
いつもなら相手の精神状態がヤバいなと思った時点で聞き込みを切り上げた。
しかし今回は……そこでさらにしつこく食い下がった。少しでも『シエン』の兄弟の居場所に関する情報を知りたいばかりに。
『いや、勘違いなんかじゃりませんよ。住所は変わってるが、同じ里親だ……これはどう説明していただけるんでしょうね?』
結果として職員は逆ギレし、引き出しに隠し持っていた銃をつきつけてきたのだ。
「こっちを見るな! 両手を壁につけ」
「……不自然な死に方だと思いませんか、それ」
「うるさいっ! さっさと言われた通りにしろーっ」
しぶしぶ灰色の壁に両手を伸ばす。指先にじっとり湿ったモルタルの手触りが触れる。
(うう、やだなあ、こんな所で死ぬの……)
「そこまでだ、銃を降ろせ」
張りのあるバリトンが飛んできた。
路地の入り口にがっしりしたシルエットが両足を踏ん張り、仁王立ち。軽い前傾姿勢を取りつつ、両手で凹凸の少ないオートマチック式の拳銃……シグ・ザウエルP229を構えてぴたりと銃口をこっちに向けている。
ディフだ。
援軍到着。しかし、なぜかヒウェルが慌てふためく。
「わーっ、ちょっとたんま、ストップ! お前、いっつも威嚇で当てるだろ!」
「ええい、要救助者の分際でごちゃごちゃ抜かすんじゃねえっ 13発入ってるんだ、運が良けりゃ1発は当たる!」
「その装填数が不吉なんだよ、なぜ銃身に一発こめない!」
「……暴発が怖いから」
「わーっ、やっぱお前が降ろせーっ」
「お前ら……何やってんだ?」
漫才めいたやり取りに職員があっけにとられる。その隙にディフが引き金を引いた。
腹の底に響く銃声とともに、男の手から拳銃が落ちた。すかさずヒウェルが落ちた銃を拾い上げる。
走りよるとディフは手際良く男の腕をねじり上げ、持参した粘着テープでぐるぐると後ろ手に縛り上げた。
「よし、クリア」
「サンキュ、助かった。……で、今の威嚇? 狙った?」
「ノーコメント」
次へ→【1-4】鏡の向こう側
▼ 【1-4】鏡の向こう側
部屋でぼんやりしていると、電話が鳴った。発信者はH……あの眼鏡の記者の頭文字だ。
ぷちっとボタンを押す。
「よ、シエン。待たせたな。ちょっとばかりゴタゴタがあってさ。ちょいと発砲事件に巻き込まれてね。何、心配すんな撃たれたのは俺じゃない」
少年は眉をひそめた。
発砲とは穏やかじゃない。なのに、どうしてこいつはこうも呑気な口調で喋るのか。
「わかったよ、オティアの行き先。仲買人じゃないらしい。安心してくれ」
「…………」
「さる筋からもうちょっと詳しい情報引き出してから帰るから。昼飯は冷蔵庫のタッパーに入ってんで適当にあっためて食ってくれ。でなきゃアルに頼むか、な。それじゃ!」
言いたいだけ言って電話は切れた。
無茶苦茶だなこいつら。
すけべ眼鏡の自称記者はともかく、何であの探偵とか弁護士まで首つっこんでくるんだろう…全然関係ないのに。
※ ※ ※ ※
一方、『無茶苦茶な奴ら』は事情徴収で連れて行かれたはずの警察署で何故か…鑑識にいた。
※月梨さん画 ヒウェルとディフ
「ったく無茶しやがって。俺が張り込んでなかったらどうなったと思う?」
「んー、さすがにこの季節、死体置場の冷凍庫はつらいかもね」
「真面目に聞け!」
見事な低音で怒鳴られた。腹の底までよく響き、室内を仕切る薄いガラスがびりりと震える。
ちろりと横目で見やると、くわっと歯を剥いてにらみつけて来た。
(あー……本気で怒ってるなあ……)
心配されてるのはわかるんだが、素直にうなだれるのは性に合わない。第一今さら照れくさくってかなわん。そっぽを向いて、ぐんにゃり口を曲げて吐き出した。
「いいじゃん、あの場で市民権限で現行犯逮捕できたんだし」
「人ごとみたいに言うな! 逆上した犯罪者ってのは何をするかわからんぞ。引き際をわきまえるか、さもなきゃ身を守る手段を身につけろ」
「だーかーらお前にひっついてんの」
「貴様っ!」
「……あの、センパイ」
金髪に眼鏡をかけた、ひょろりと背の高い男が遠慮がちに切り出した。
「ここ本来なら関係者以外立ち入り禁止ですから、お静かに……」
「すまんな、エリック」
鑑識のコンピューターから警察のデータベースにアクセス、家出人・行方不明者のリストをあたっている所だった。
かろうじて操作するのは金髪の捜査官。背後の二人は見ているだけ……建前上は。
「オティア・セーブル……十六歳、白人、男性……ああ、検索条件一つ追加で…『里子』も入れてくれ。さて、どうだ?」
「……出ました」
「何!」
「家出人扱いになってますね。里親から捜索願が出されています」
「家出、ねぇ…」
「ティーンエイジャーの家出人はあんまし真面目に探されないからな……事件にならない限り」
「里子だし?」
「……」
「そこで黙るな、話題振った俺が困る」
ちらりとヒウェルは友人の顔を見上げた。軽く拳を握って目を伏せている。
まったくお前って奴は……何考えてるか丸分りだ。少しはずるさや駆け引き、ごまかしってもんを覚えた方がいいぜ、ディフ。
「理解してるさ、別に彼らが『冷酷』な訳じゃない。『義務』は果たしてる。ただ少しばかり消極的なだけだ」
「すまん」
「…に、してもこのリスト、変じゃないか。行方不明になった子どもの数と、地域にばらつきがある」
「どれ」
にゅっと顔を突き出し、ディフが画面に見入る。自然と鑑識捜査員に身を寄せる形になる。
「エリック、これ地図に出せるか?」
「ちょっと時間がかかりますが……ぅぁ」
「どうしたバイキング。妙な声出して」
「……あー、その、静電気がちょっと」
「気をつけろよ? ここは精密機械がぎっしり詰まってんだから」
ちらりとディフの首筋に目線を走らせてから金髪の鑑識捜査員は画面に向き直った。
(そんなに顔寄せないでください、センパイ。理性が飛びそうだ)
(その赤毛をかきあげて……うなじにキスしたくなっちまう)
「そうですね……気をつけます」
画面上に表示された分布図を見てヒウェルは目をすがめた。
「やっぱ、変だ。だれかの意図を感じるね。若くて、健康で、不意に姿を消してもあまり真剣に探されない…そんな子を狙って、だれかが集めてる」
琥珀の瞳の奥に獲物を見つけた狐にも似た光が走る。
「これは誘拐だよ。家出じゃない」
「証拠……は?」
「なくても動く」
「無茶言いますね」
くい、と眼鏡の位置を整えると、ヒウェルはすまして言ってのけた。
「俺、警官じゃないから……それでさあ、エリック。無茶ついでにもう一つ頼みたい事があるんだけど……」
そして十分後。
ヒウェルとディフは取調室の隣に居た。マジックミラーの向こうでは、件の職員の尋問が行われている。
「うん、まちがいないよ、俺に銃をつきつけたのはあの男だ」
「何わかりきったこと言ってんですか、今さら」
「ほら、一応首実検だし、これ」
「無茶言いますね」
がっくりと金髪の捜査官が肩を落す。一方、取調室では施設の職員が目をギラつかせて何ごとか口走り始めていた。
ついに訪れたのだ。緊張と苛立ちが限界値に達し、聞かれたことも聞かれていないことも喋り出す瞬間が。
「あいつらがいると薄気味悪い出来事が続いて……」
「小さな頃から、泣き出すとあっちこっちから物が飛んできて。いつも二人してひっついて、何もかも見透かしたような目をしやがる!」
「里親から何度戻されたと思う。押し付けられたこっちはいい迷惑さ、だからバラバラに引き離して、二度と戻らない場所に送り込んでやったんだ!」
「他の連中だって内心ほっとしてるんじゃないか? 厄介払いができたって……」
うわずった声を聞いた瞬間。ヒウェルはすぐ隣で剣呑な気配が膨れ上がるのを感じた。赤い髪の毛がもわもわと逆立っているように見えた。
やばい。とっさに飛びつき、押さえ込む。
「なンだとっ、あの野郎っ」
ほぼ同時にエリックも反対側から飛びつく。
「センパイ、抑えて、抑えてーっ」
「ミラーを壊すなっ」
二人掛かりでも押さえきれるかどうか厳しいとこだが、ここで手を離したら最後。元警察官による器物破損(と容疑者への暴行)なんてシャレにならん事態になりかねない。
「あー、やっぱレオンにも来てもらればよかったかな……」
「それ以前にここは一般人立ち入り禁止です……」
「堅いこと言うな、もう入っちゃってんだから」
「無茶言いますね」
次へ→【1-5】CatchUp Twins
ぷちっとボタンを押す。
「よ、シエン。待たせたな。ちょっとばかりゴタゴタがあってさ。ちょいと発砲事件に巻き込まれてね。何、心配すんな撃たれたのは俺じゃない」
少年は眉をひそめた。
発砲とは穏やかじゃない。なのに、どうしてこいつはこうも呑気な口調で喋るのか。
「わかったよ、オティアの行き先。仲買人じゃないらしい。安心してくれ」
「…………」
「さる筋からもうちょっと詳しい情報引き出してから帰るから。昼飯は冷蔵庫のタッパーに入ってんで適当にあっためて食ってくれ。でなきゃアルに頼むか、な。それじゃ!」
言いたいだけ言って電話は切れた。
無茶苦茶だなこいつら。
すけべ眼鏡の自称記者はともかく、何であの探偵とか弁護士まで首つっこんでくるんだろう…全然関係ないのに。
※ ※ ※ ※
一方、『無茶苦茶な奴ら』は事情徴収で連れて行かれたはずの警察署で何故か…鑑識にいた。
※月梨さん画 ヒウェルとディフ
「ったく無茶しやがって。俺が張り込んでなかったらどうなったと思う?」
「んー、さすがにこの季節、死体置場の冷凍庫はつらいかもね」
「真面目に聞け!」
見事な低音で怒鳴られた。腹の底までよく響き、室内を仕切る薄いガラスがびりりと震える。
ちろりと横目で見やると、くわっと歯を剥いてにらみつけて来た。
(あー……本気で怒ってるなあ……)
心配されてるのはわかるんだが、素直にうなだれるのは性に合わない。第一今さら照れくさくってかなわん。そっぽを向いて、ぐんにゃり口を曲げて吐き出した。
「いいじゃん、あの場で市民権限で現行犯逮捕できたんだし」
「人ごとみたいに言うな! 逆上した犯罪者ってのは何をするかわからんぞ。引き際をわきまえるか、さもなきゃ身を守る手段を身につけろ」
「だーかーらお前にひっついてんの」
「貴様っ!」
「……あの、センパイ」
金髪に眼鏡をかけた、ひょろりと背の高い男が遠慮がちに切り出した。
「ここ本来なら関係者以外立ち入り禁止ですから、お静かに……」
「すまんな、エリック」
鑑識のコンピューターから警察のデータベースにアクセス、家出人・行方不明者のリストをあたっている所だった。
かろうじて操作するのは金髪の捜査官。背後の二人は見ているだけ……建前上は。
「オティア・セーブル……十六歳、白人、男性……ああ、検索条件一つ追加で…『里子』も入れてくれ。さて、どうだ?」
「……出ました」
「何!」
「家出人扱いになってますね。里親から捜索願が出されています」
「家出、ねぇ…」
「ティーンエイジャーの家出人はあんまし真面目に探されないからな……事件にならない限り」
「里子だし?」
「……」
「そこで黙るな、話題振った俺が困る」
ちらりとヒウェルは友人の顔を見上げた。軽く拳を握って目を伏せている。
まったくお前って奴は……何考えてるか丸分りだ。少しはずるさや駆け引き、ごまかしってもんを覚えた方がいいぜ、ディフ。
「理解してるさ、別に彼らが『冷酷』な訳じゃない。『義務』は果たしてる。ただ少しばかり消極的なだけだ」
「すまん」
「…に、してもこのリスト、変じゃないか。行方不明になった子どもの数と、地域にばらつきがある」
「どれ」
にゅっと顔を突き出し、ディフが画面に見入る。自然と鑑識捜査員に身を寄せる形になる。
「エリック、これ地図に出せるか?」
「ちょっと時間がかかりますが……ぅぁ」
「どうしたバイキング。妙な声出して」
「……あー、その、静電気がちょっと」
「気をつけろよ? ここは精密機械がぎっしり詰まってんだから」
ちらりとディフの首筋に目線を走らせてから金髪の鑑識捜査員は画面に向き直った。
(そんなに顔寄せないでください、センパイ。理性が飛びそうだ)
(その赤毛をかきあげて……うなじにキスしたくなっちまう)
「そうですね……気をつけます」
画面上に表示された分布図を見てヒウェルは目をすがめた。
「やっぱ、変だ。だれかの意図を感じるね。若くて、健康で、不意に姿を消してもあまり真剣に探されない…そんな子を狙って、だれかが集めてる」
琥珀の瞳の奥に獲物を見つけた狐にも似た光が走る。
「これは誘拐だよ。家出じゃない」
「証拠……は?」
「なくても動く」
「無茶言いますね」
くい、と眼鏡の位置を整えると、ヒウェルはすまして言ってのけた。
「俺、警官じゃないから……それでさあ、エリック。無茶ついでにもう一つ頼みたい事があるんだけど……」
そして十分後。
ヒウェルとディフは取調室の隣に居た。マジックミラーの向こうでは、件の職員の尋問が行われている。
「うん、まちがいないよ、俺に銃をつきつけたのはあの男だ」
「何わかりきったこと言ってんですか、今さら」
「ほら、一応首実検だし、これ」
「無茶言いますね」
がっくりと金髪の捜査官が肩を落す。一方、取調室では施設の職員が目をギラつかせて何ごとか口走り始めていた。
ついに訪れたのだ。緊張と苛立ちが限界値に達し、聞かれたことも聞かれていないことも喋り出す瞬間が。
「あいつらがいると薄気味悪い出来事が続いて……」
「小さな頃から、泣き出すとあっちこっちから物が飛んできて。いつも二人してひっついて、何もかも見透かしたような目をしやがる!」
「里親から何度戻されたと思う。押し付けられたこっちはいい迷惑さ、だからバラバラに引き離して、二度と戻らない場所に送り込んでやったんだ!」
「他の連中だって内心ほっとしてるんじゃないか? 厄介払いができたって……」
うわずった声を聞いた瞬間。ヒウェルはすぐ隣で剣呑な気配が膨れ上がるのを感じた。赤い髪の毛がもわもわと逆立っているように見えた。
やばい。とっさに飛びつき、押さえ込む。
「なンだとっ、あの野郎っ」
ほぼ同時にエリックも反対側から飛びつく。
「センパイ、抑えて、抑えてーっ」
「ミラーを壊すなっ」
二人掛かりでも押さえきれるかどうか厳しいとこだが、ここで手を離したら最後。元警察官による器物破損(と容疑者への暴行)なんてシャレにならん事態になりかねない。
「あー、やっぱレオンにも来てもらればよかったかな……」
「それ以前にここは一般人立ち入り禁止です……」
「堅いこと言うな、もう入っちゃってんだから」
「無茶言いますね」
次へ→【1-5】CatchUp Twins
▼ 【1-5】CatchUp Twins
優秀な鑑識捜査員の協力と気苦労、そして若干の胃痛とひきかえに、ようやく双子の片割れの居場所が判明した。
『誘拐分布地図』の中心の情報を集めるにつれ、見えてきたのだ。最初はおぼろげに、次第にはっきりと……悪意の『巣』が。
「シスコの郊外の山ん中にな。潰れた屋内型遊園地を改装した工場があるらしいんだが……どーも胡散臭いんだよなあ」
「………」
「従業員はお前らぐらいの子どもばっかりでさ……職業訓練って名目になってるが、監視体勢が厳重すぎるんだ」
「………」
「見られたくない物を隠そうとすると自ずと箱がでかくなるってことかな。どうよ、シエン。一緒にオティアを迎えに行かないか?」
「この子も連れてこうってのか!」
「ああ、そうだよ。たぶん……近づけば、お互いにわかる……そうだろ、シエン?」
「…はっきりわかるわけじゃない」
「充分だ…お前が一緒なら、オティアにも伝わるんじゃないかな。助けに来たって。まーたお前ん時みたいに逃げられたんじゃ、かなわん」
少年がうなずく。
「よし、決まりだ。歩きやすい靴履いてこうぜ。車は……俺が出す? それともお前さんが?」
「俺ので行こう」
持ち主と同じくらいいかつい四輪駆動車はシスコの坂道も田舎の山道もおかまい無しにぐいぐい進む。
午後の陽射しがだいぶ西に傾いた頃。いいぐあいにひなびた田園にもなれず、さりとてこぎれいなリゾートにも成り切れなかった中途半端に小さな町にたどり着く。
「ちょい、そこで停めて」
「どうした」
「煙草が切れた」
「……ガムにしとけ」
「やだね」
そこはかとなく寂れた空気の漂うコンビニに入り、買い物がてら聞き込みをしてみると……不吉な事実が判明した。
どうやら、件の職業訓練所は『従業員』が頻繁に入れ替わっているらしい。
「この前も似た様なこと聞かれたけど。あんた何者?」
「あ、わかる? 実は俺、FBIの捜査官なんだ」
「……あーそうですか」
「さらっと無視されたー」
「ドコの世界にんな怪しげなFBIがいるか!」
「いつもワイシャツ、ネクタイは欠かさないんだけどなぁ」
「お前はどんなきちんとした服着ても服の方がダラっとするからな」
「だったら次はタキシード着てやらあ」
「…無駄な努力」
「何?」
忍び込むのは暗くなってからの方がいいだろう。
話し合った結果、道路沿いのドライブインで時間を潰すことにした。
この手の店はどこもかしこも型にはめたみたいに似ている。
油染みた壁、ギンガムチェックのビニールのテーブルクロス、ガラスの蓋つきトレイの中にドーナッツとデニッシュ、たまにベーグル。
調理場からはフライドポテトの香りが漂い、グリルの上ではいつも必ずバーガーが焼かれている。
なぜか大概、生焼けでパンはぱさついている。
幸い、チリはそこそこいける。いささか辛味が強いがヒウェルの基準からすれば充分に許容範囲だった。
コーヒーは……入れたてならともかく、客の少ない時間は煮詰まっていて喉にいつまでもひっかかり、酸っぱい後味を残した。
「お前、よく飲めるな」
においを嗅いだだけでディフが顔をしかめた。
「んー、まあ、毎日飲んでるやつと大差ないし。そう言やお前っていつもこう言う時はコークだよな」
「これなら、どこ行っても同じ味だ。一番安定してる」
「そーゆーもんかね」
シエンはボトル入りの水を片手に黙って座っている。
一見、ふて腐れているような顔をして。
たらたらと他愛も無い言葉を投げ合いながら、その実二人は油断なく周囲の客の言葉に耳をすませていた。
どうやら、件の工場の異様な雰囲気は町の住民も薄々察してはいるようだ。
いたく興味をかきたてられているようで……。
夜遅くに窓を黒く塗りつぶしたでかいバンが出入りしていたとか。
ちらりと見たが働いている子どもらは何かにおびえたような顔をしていた、とか。
工場の職員はどう見ても堅気じゃない。何やっているかわかったもんじゃない、等々。
異口同音、好き勝手に喋り散らし、そして最後は決まってこう締めくくるのだ。
『ま、どのみち俺らにゃ関係ないわな』
所詮は他所から来た連中のやること。
見まい、聞くまい、関わるまい。基本的にノータッチを決め込んでいるらしい。
「あまり収穫はなし、か」
「いや……いくつかあったね」
紙ナプキンでぐいっと口を拭うとヒウェルは立ち上がった。
「一つはお前さんのばかでっかい四駆でも楽に出入りできる程度に道のコンディションが保たれてるってこと」
「もう一つは?」
「動きがあるとすれば、深夜だってことだ」
※ ※ ※ ※ ※
月の無い夜だった。
天上高くきらめく星の光もここまでは届かず、手元にかまえた懐中電灯の丸い白い光が唯一の頼り。
さすがに大型のは目立つから、ペンライトタイプの小さなのを一本ずつ持った。
こんなに短いのですら、ディフのやつはライトの付け根の部分を持つ。
身についた習性。いざとなれば目くらましを食らわせてから頑丈な柄の部分でぶん殴る気満々なのだろう。
途中、何度かシエンに「そこ、やばい」と言われて立ち止まる。改めて注意深く見回すと警報装置や監視カメラが仕掛けられていた。
「よくわかったな」
「……ん」
「回避できるか、ディフ?」
「このタイプならな。そこが死角だ」
「よし……」
まったく、この箱はでかすぎる。
幾重にも重ねられたでかいでかい『箱』の中で生産されていたのは、どう見ても法定基準をぶっちぎりでオーバーした銃器類、そして『袋詰めされた白い粉末』だった。
「……どうする」
「とりあえず……撮っとく」
機械の騒音に紛れてシャッターの音は聞こえない。中は煌煌と明るく、フラッシュをたく必要もなかった。
「どうだ、シエン。オティアはいるか?」
返事は無い。うなずきもしない。ただ、彼は見つめていた。
身じろぎもせず両目を限界まで見開いて、窓の中を食い入る様に。
※月梨さん画「ほんとにそっくりだな」
視線の先に、薄汚れた作業衣を来た、痩せた少年が居た。うつろな目でゆるゆるとただ与えられた作業を機械的にこなしている。
伸び放題の髪の毛は目の前の少年と同じ、少しくすんだ金色。優しく煙るアメジストの瞳。
目、口、鼻、耳、体を構成するありとあらゆるパーツが鏡に写したようにそっくりだ。
「……ほんとにそっくりだな」
シエンの肩が震えている。
あの子に会うために、こいつは命をかけたんだ。すぐにでも飛び込みたいだろう。それを必死でこらえている。
「もう少しの辛抱だ。今はまだ監視がきつい。終業時間まで待つんだ。灯りが消えたら、チャンスがある」
「わかって……る」
「そうかい」
そのまま、物陰にうずくまってひたすら待った。
そして深夜。
他の従業員が『寮』に連れて行かれる中、当の探し人は他の数名の子どもとともに選り分けられ、別室に連れて行かれる。
こそこそと追跡して窓から中をのぞきこむと…
タイル張りの殺風景な白い部屋。おそらく、屋内遊園地だった頃の食堂の調理場を改築したのだろう。
しかし、窓の外まで漂ってくるのは料理の臭いとは世界一遠い。
過剰にまき散らした消毒薬でも消せない、腐った肉と乾いた血の臭い……死臭だ。
「医務室? いや、手術室……違うな。解体場だ」
「臓器密売か!」
「『商品』に『商品』を製造させてたんだ……効率いいね。人件費の節約にもなる」
「どうする、通報するか!」
「こんな田舎の警察に何を期待するって? 到着する頃にはあの子はバラのお臓物だぜ。今、やらなきゃ……意味がない」
「俺も…行く」
「……よし。じゃ、一つ条件がある」
ディフの背中をぽんぽんと叩いた。
「コレの傍を離れるな」
「俺は弾避けか!」
「…弾避けは必要ない」
「おーこりゃ勇ましいこって。それとも……」
小さな声で付け加えた。鏡の向こうで聞いた噂を思い出して。
「……ポルターガイスト……それともシックス・センスかな?」
「女の子がテレビと話すアレか?」
「はい、いいからあんたは前!」
「……」
実際にはそんなに便利なものじゃない。
少年は思った。
なんとなく『弾の来る場所』がわかるだけなのだが、今ここでそれをいちいち説明する気にはなれなかった。
「時計、合わせろ……5分きっかりで俺が奴らの気ぃ引きつけるから。お前とシエンでつっこんでオティアを確保しろ」
「OK」
「陽動したら俺、全力で逃げるから後はよろしく。逃げ足には自信あるから!」
ヒウェルが通路の向こうに消えて行く。
手術台には服を脱がされた金髪に紫の瞳の少年がくくりつけられ、『作業』を待つばかりになっていた。
周囲には順番を待つ他の子どもたち。酸素ボンベや薬品のビン、チューブ、その他もろもろが乱雑に並べられている。
(ここでは銃は使えない)
ディフは一度構えた銃にセーフティをかけ直し、ベルトのホルスターにねじこんだ。
じりじりと時間が過ぎて行く。
かっきり5分後。
予定のタイミングでヒウェルは銀色のオイルライターを取り出し、カキッとフタを開けた。
火を灯して中華街で仕入れてきた爆竹に点火。乱雑に積み上げられた『商品』の箱に放り込んだ。
ば、ば、ばばばばばばばば、ばんっ!
景気良く爆音が響く。ついで、とばかりにさらにもう二つ三つつ追加してやった。
こう言うことは派手にやっといた方がいい。
工場の職員たちは血相を変えて武器を手に走って行った。手術室が手薄になる。
「行くぞ」
少年に一声かけてディフは走り出した。
手術台の傍に一人だけ残っていた男が銃を取り出し、構えた。
手術衣にゴム手袋、医者崩れってとこか?
得物は22口径。避ける暇はない。もとよりそのつもりもない。ここで逃げたら後ろのシエンに当たる。
安定していない構えだ。おそらく撃つことに慣れていない。
ならば……走れ!
パンっと風船の弾けるような軽い音が響く。
左の肩に衝撃が走り、灼熱の針に貫かれるような感触があった。
急所はそれた。二発目は撃たせない。
ひるまず一気に距離を詰め、右手で殴り倒した。体重の乗った、スピードといいタイミングといい、申し分のない一撃だった。
きれいに弧を描いて吹っ飛んだ相手の銃を取り上げ、マガジンから弾を抜いてぽいっと投げ捨てる。
粘着テープで両手をぐるぐる巻いて……
「よし、クリア」
「…アホか…」
無茶を指摘されるのは今に始まったことじゃない。この程度の傷なら慣れている。
血をだらだら流したまま、ディフは手術台に歩み寄った。
今はこの子を助ける方が先だ。
屈み込み、手を伸ばすと少年の目に怯えの色が走った。唇を震わせ、小さく首を左右に振る……表情を凍りつかせたまま。
「………助けに来た。君の兄弟も一緒だ」
静かな声で話しかけながら拘束具を外した。
きつく食い込むベルトを外していると、痩せた手足に指が触れた。
ほとんどろくに食べていなかったんだ……。
震えるむき出しの肩に、上着を脱いで着せかける。穴が開いてるがないよりマシだろう。
手術台から少年を助け降ろすと、シエンがすっと近づいてきた。
双子はだまって見つめ合い、抱き合った。
ほっと安堵の息をつく。
手術台の横では、他に4人の少年と少女が身を寄せ合って震えていた。もはや逃げる気力すら失っていたのだろう。空っぽの目が食い入るようにこっちを見ている。喜びも安らぎも悲しみも、怒りすらもはぎ取られ、この子たちにはもう、恐怖しか残っていないのだ。
「大丈夫だから……」
床に膝をついてかがみこみ、双子の片割れに呼びかけたのと同じ言葉で話しかけた。
「君たちを、助けに来た」
ぽつり、と血が一滴、床に滴り落ちる。震えていた子供らのうち一人がのろのろと顔を挙げ、ディフの左肩を指さした。
「……怪我……してる」
「平気だよ」
良い傾向だ。自分を気遣ってくれる。この子らの心はまだ死んじゃいない。
「君たちの中に怪我をしてる子はいるかな?」
子供たちは顔を見合わせ、首を横に振った。
「そうか……良かった………。すぐに他の大人が来る。君たちを安全な場所に連れてってくれる人たちがね。それまで、もう少し待ってるんだ。いいね?」
まさにそのタイミングでひょっこりと顔を出した奴がいる。
ヒウェルだ。
「銃声聞こえたぞ。シグの音じゃない……っておい、撃たれてますかもしかして!」
「22口径だ。貫通してるし臓器にも当たってない。大した傷じゃねえよ」
「それ…彼の前でも同じ台詞言える?」
くいっとしゃくったヒウェルの親指の先にはレオンの姿があった。
しかるべき筋に通報し、応援を手配してようやく駆けつけたのだろう。彼のすることはいつも的確で抜かりがない。
「あ……」
「ディフっ!」
ひと目見るなり、真っ青になって駆け寄ってきた。
(まずい所見られちまった)
体中を駆け巡るアドレナリンのおかげで傷の痛みはさほど感じない。しかし胸の奥がずきりと痛む。
「すぐ、医者に」
「まって」
よろよろと手術台に縛られていた少年が近づいてくる。しょうがない、と言う顔でもう一人も一緒に。
二人の手がディフの腕に触れた。
「…ここ」
「え?」
一瞬、傷口が熱くなった。
「はいおわり」
「熱っ……………あ、あれ?」
肩を見る。血の滲んだシャツの下にぽっかりと赤く、丸く口を開けていたはずの銃創が消え、真新しい皮膚が再生していた。
「傷が……消えてる」
かすれた声でつぶやくと、レオンがのぞき込んできた。やや遅れてヒウェルも顔をつっこむ。
「何を馬鹿なことを……っ!」
「……常日頃人間離れした丈夫な男だとは思ったが、自己修復機能までついてたか」
「んな訳あるか! シエンと……オティアだ」
「よかった。…ありがと…」
「おい、しっかりしろっ」
ふらりと倒れる『オティア』をディフは治ったばかりの腕で抱きかかえた。
その時、彼の胸の中で今までにない感情が芽生えた。
腕の中の小さなあたたかい体を守りたいと思った。大切に翼の下に包み込んで……。
「ありがとうって言うのは……俺の方だ……」
それまで世界中でたった一人にだけ捧げていた笑顔で答えていた。
少年はくたん、とそのまま気を失ってしまった。
「そうか…二人そろってないと力が使えないんだな。だからバラバラに預けられたんだ」
「ありがとう…二人とも。感謝…する」
工場の方が騒がしい。
レオンの通報により『騎兵隊』(FBIとか書かれた濃紺の上っ張り着てるが)が到着していたようだ。
解体室の入り口に小柄な女性捜査官と背の高い男性捜査官の二人組が現れる。室内を素早く見渡し、男性捜査官が無線で救護班を呼んだ。
こうして組織の人間はまとめて検挙され、工場に集められた子どもたちも保護されたのだった。
次へ→【1-6】この部屋は飯が美味いぞ
『誘拐分布地図』の中心の情報を集めるにつれ、見えてきたのだ。最初はおぼろげに、次第にはっきりと……悪意の『巣』が。
「シスコの郊外の山ん中にな。潰れた屋内型遊園地を改装した工場があるらしいんだが……どーも胡散臭いんだよなあ」
「………」
「従業員はお前らぐらいの子どもばっかりでさ……職業訓練って名目になってるが、監視体勢が厳重すぎるんだ」
「………」
「見られたくない物を隠そうとすると自ずと箱がでかくなるってことかな。どうよ、シエン。一緒にオティアを迎えに行かないか?」
「この子も連れてこうってのか!」
「ああ、そうだよ。たぶん……近づけば、お互いにわかる……そうだろ、シエン?」
「…はっきりわかるわけじゃない」
「充分だ…お前が一緒なら、オティアにも伝わるんじゃないかな。助けに来たって。まーたお前ん時みたいに逃げられたんじゃ、かなわん」
少年がうなずく。
「よし、決まりだ。歩きやすい靴履いてこうぜ。車は……俺が出す? それともお前さんが?」
「俺ので行こう」
持ち主と同じくらいいかつい四輪駆動車はシスコの坂道も田舎の山道もおかまい無しにぐいぐい進む。
午後の陽射しがだいぶ西に傾いた頃。いいぐあいにひなびた田園にもなれず、さりとてこぎれいなリゾートにも成り切れなかった中途半端に小さな町にたどり着く。
「ちょい、そこで停めて」
「どうした」
「煙草が切れた」
「……ガムにしとけ」
「やだね」
そこはかとなく寂れた空気の漂うコンビニに入り、買い物がてら聞き込みをしてみると……不吉な事実が判明した。
どうやら、件の職業訓練所は『従業員』が頻繁に入れ替わっているらしい。
「この前も似た様なこと聞かれたけど。あんた何者?」
「あ、わかる? 実は俺、FBIの捜査官なんだ」
「……あーそうですか」
「さらっと無視されたー」
「ドコの世界にんな怪しげなFBIがいるか!」
「いつもワイシャツ、ネクタイは欠かさないんだけどなぁ」
「お前はどんなきちんとした服着ても服の方がダラっとするからな」
「だったら次はタキシード着てやらあ」
「…無駄な努力」
「何?」
忍び込むのは暗くなってからの方がいいだろう。
話し合った結果、道路沿いのドライブインで時間を潰すことにした。
この手の店はどこもかしこも型にはめたみたいに似ている。
油染みた壁、ギンガムチェックのビニールのテーブルクロス、ガラスの蓋つきトレイの中にドーナッツとデニッシュ、たまにベーグル。
調理場からはフライドポテトの香りが漂い、グリルの上ではいつも必ずバーガーが焼かれている。
なぜか大概、生焼けでパンはぱさついている。
幸い、チリはそこそこいける。いささか辛味が強いがヒウェルの基準からすれば充分に許容範囲だった。
コーヒーは……入れたてならともかく、客の少ない時間は煮詰まっていて喉にいつまでもひっかかり、酸っぱい後味を残した。
「お前、よく飲めるな」
においを嗅いだだけでディフが顔をしかめた。
「んー、まあ、毎日飲んでるやつと大差ないし。そう言やお前っていつもこう言う時はコークだよな」
「これなら、どこ行っても同じ味だ。一番安定してる」
「そーゆーもんかね」
シエンはボトル入りの水を片手に黙って座っている。
一見、ふて腐れているような顔をして。
たらたらと他愛も無い言葉を投げ合いながら、その実二人は油断なく周囲の客の言葉に耳をすませていた。
どうやら、件の工場の異様な雰囲気は町の住民も薄々察してはいるようだ。
いたく興味をかきたてられているようで……。
夜遅くに窓を黒く塗りつぶしたでかいバンが出入りしていたとか。
ちらりと見たが働いている子どもらは何かにおびえたような顔をしていた、とか。
工場の職員はどう見ても堅気じゃない。何やっているかわかったもんじゃない、等々。
異口同音、好き勝手に喋り散らし、そして最後は決まってこう締めくくるのだ。
『ま、どのみち俺らにゃ関係ないわな』
所詮は他所から来た連中のやること。
見まい、聞くまい、関わるまい。基本的にノータッチを決め込んでいるらしい。
「あまり収穫はなし、か」
「いや……いくつかあったね」
紙ナプキンでぐいっと口を拭うとヒウェルは立ち上がった。
「一つはお前さんのばかでっかい四駆でも楽に出入りできる程度に道のコンディションが保たれてるってこと」
「もう一つは?」
「動きがあるとすれば、深夜だってことだ」
※ ※ ※ ※ ※
月の無い夜だった。
天上高くきらめく星の光もここまでは届かず、手元にかまえた懐中電灯の丸い白い光が唯一の頼り。
さすがに大型のは目立つから、ペンライトタイプの小さなのを一本ずつ持った。
こんなに短いのですら、ディフのやつはライトの付け根の部分を持つ。
身についた習性。いざとなれば目くらましを食らわせてから頑丈な柄の部分でぶん殴る気満々なのだろう。
途中、何度かシエンに「そこ、やばい」と言われて立ち止まる。改めて注意深く見回すと警報装置や監視カメラが仕掛けられていた。
「よくわかったな」
「……ん」
「回避できるか、ディフ?」
「このタイプならな。そこが死角だ」
「よし……」
まったく、この箱はでかすぎる。
幾重にも重ねられたでかいでかい『箱』の中で生産されていたのは、どう見ても法定基準をぶっちぎりでオーバーした銃器類、そして『袋詰めされた白い粉末』だった。
「……どうする」
「とりあえず……撮っとく」
機械の騒音に紛れてシャッターの音は聞こえない。中は煌煌と明るく、フラッシュをたく必要もなかった。
「どうだ、シエン。オティアはいるか?」
返事は無い。うなずきもしない。ただ、彼は見つめていた。
身じろぎもせず両目を限界まで見開いて、窓の中を食い入る様に。
※月梨さん画「ほんとにそっくりだな」
視線の先に、薄汚れた作業衣を来た、痩せた少年が居た。うつろな目でゆるゆるとただ与えられた作業を機械的にこなしている。
伸び放題の髪の毛は目の前の少年と同じ、少しくすんだ金色。優しく煙るアメジストの瞳。
目、口、鼻、耳、体を構成するありとあらゆるパーツが鏡に写したようにそっくりだ。
「……ほんとにそっくりだな」
シエンの肩が震えている。
あの子に会うために、こいつは命をかけたんだ。すぐにでも飛び込みたいだろう。それを必死でこらえている。
「もう少しの辛抱だ。今はまだ監視がきつい。終業時間まで待つんだ。灯りが消えたら、チャンスがある」
「わかって……る」
「そうかい」
そのまま、物陰にうずくまってひたすら待った。
そして深夜。
他の従業員が『寮』に連れて行かれる中、当の探し人は他の数名の子どもとともに選り分けられ、別室に連れて行かれる。
こそこそと追跡して窓から中をのぞきこむと…
タイル張りの殺風景な白い部屋。おそらく、屋内遊園地だった頃の食堂の調理場を改築したのだろう。
しかし、窓の外まで漂ってくるのは料理の臭いとは世界一遠い。
過剰にまき散らした消毒薬でも消せない、腐った肉と乾いた血の臭い……死臭だ。
「医務室? いや、手術室……違うな。解体場だ」
「臓器密売か!」
「『商品』に『商品』を製造させてたんだ……効率いいね。人件費の節約にもなる」
「どうする、通報するか!」
「こんな田舎の警察に何を期待するって? 到着する頃にはあの子はバラのお臓物だぜ。今、やらなきゃ……意味がない」
「俺も…行く」
「……よし。じゃ、一つ条件がある」
ディフの背中をぽんぽんと叩いた。
「コレの傍を離れるな」
「俺は弾避けか!」
「…弾避けは必要ない」
「おーこりゃ勇ましいこって。それとも……」
小さな声で付け加えた。鏡の向こうで聞いた噂を思い出して。
「……ポルターガイスト……それともシックス・センスかな?」
「女の子がテレビと話すアレか?」
「はい、いいからあんたは前!」
「……」
実際にはそんなに便利なものじゃない。
少年は思った。
なんとなく『弾の来る場所』がわかるだけなのだが、今ここでそれをいちいち説明する気にはなれなかった。
「時計、合わせろ……5分きっかりで俺が奴らの気ぃ引きつけるから。お前とシエンでつっこんでオティアを確保しろ」
「OK」
「陽動したら俺、全力で逃げるから後はよろしく。逃げ足には自信あるから!」
ヒウェルが通路の向こうに消えて行く。
手術台には服を脱がされた金髪に紫の瞳の少年がくくりつけられ、『作業』を待つばかりになっていた。
周囲には順番を待つ他の子どもたち。酸素ボンベや薬品のビン、チューブ、その他もろもろが乱雑に並べられている。
(ここでは銃は使えない)
ディフは一度構えた銃にセーフティをかけ直し、ベルトのホルスターにねじこんだ。
じりじりと時間が過ぎて行く。
かっきり5分後。
予定のタイミングでヒウェルは銀色のオイルライターを取り出し、カキッとフタを開けた。
火を灯して中華街で仕入れてきた爆竹に点火。乱雑に積み上げられた『商品』の箱に放り込んだ。
ば、ば、ばばばばばばばば、ばんっ!
景気良く爆音が響く。ついで、とばかりにさらにもう二つ三つつ追加してやった。
こう言うことは派手にやっといた方がいい。
工場の職員たちは血相を変えて武器を手に走って行った。手術室が手薄になる。
「行くぞ」
少年に一声かけてディフは走り出した。
手術台の傍に一人だけ残っていた男が銃を取り出し、構えた。
手術衣にゴム手袋、医者崩れってとこか?
得物は22口径。避ける暇はない。もとよりそのつもりもない。ここで逃げたら後ろのシエンに当たる。
安定していない構えだ。おそらく撃つことに慣れていない。
ならば……走れ!
パンっと風船の弾けるような軽い音が響く。
左の肩に衝撃が走り、灼熱の針に貫かれるような感触があった。
急所はそれた。二発目は撃たせない。
ひるまず一気に距離を詰め、右手で殴り倒した。体重の乗った、スピードといいタイミングといい、申し分のない一撃だった。
きれいに弧を描いて吹っ飛んだ相手の銃を取り上げ、マガジンから弾を抜いてぽいっと投げ捨てる。
粘着テープで両手をぐるぐる巻いて……
「よし、クリア」
「…アホか…」
無茶を指摘されるのは今に始まったことじゃない。この程度の傷なら慣れている。
血をだらだら流したまま、ディフは手術台に歩み寄った。
今はこの子を助ける方が先だ。
屈み込み、手を伸ばすと少年の目に怯えの色が走った。唇を震わせ、小さく首を左右に振る……表情を凍りつかせたまま。
「………助けに来た。君の兄弟も一緒だ」
静かな声で話しかけながら拘束具を外した。
きつく食い込むベルトを外していると、痩せた手足に指が触れた。
ほとんどろくに食べていなかったんだ……。
震えるむき出しの肩に、上着を脱いで着せかける。穴が開いてるがないよりマシだろう。
手術台から少年を助け降ろすと、シエンがすっと近づいてきた。
双子はだまって見つめ合い、抱き合った。
ほっと安堵の息をつく。
手術台の横では、他に4人の少年と少女が身を寄せ合って震えていた。もはや逃げる気力すら失っていたのだろう。空っぽの目が食い入るようにこっちを見ている。喜びも安らぎも悲しみも、怒りすらもはぎ取られ、この子たちにはもう、恐怖しか残っていないのだ。
「大丈夫だから……」
床に膝をついてかがみこみ、双子の片割れに呼びかけたのと同じ言葉で話しかけた。
「君たちを、助けに来た」
ぽつり、と血が一滴、床に滴り落ちる。震えていた子供らのうち一人がのろのろと顔を挙げ、ディフの左肩を指さした。
「……怪我……してる」
「平気だよ」
良い傾向だ。自分を気遣ってくれる。この子らの心はまだ死んじゃいない。
「君たちの中に怪我をしてる子はいるかな?」
子供たちは顔を見合わせ、首を横に振った。
「そうか……良かった………。すぐに他の大人が来る。君たちを安全な場所に連れてってくれる人たちがね。それまで、もう少し待ってるんだ。いいね?」
まさにそのタイミングでひょっこりと顔を出した奴がいる。
ヒウェルだ。
「銃声聞こえたぞ。シグの音じゃない……っておい、撃たれてますかもしかして!」
「22口径だ。貫通してるし臓器にも当たってない。大した傷じゃねえよ」
「それ…彼の前でも同じ台詞言える?」
くいっとしゃくったヒウェルの親指の先にはレオンの姿があった。
しかるべき筋に通報し、応援を手配してようやく駆けつけたのだろう。彼のすることはいつも的確で抜かりがない。
「あ……」
「ディフっ!」
ひと目見るなり、真っ青になって駆け寄ってきた。
(まずい所見られちまった)
体中を駆け巡るアドレナリンのおかげで傷の痛みはさほど感じない。しかし胸の奥がずきりと痛む。
「すぐ、医者に」
「まって」
よろよろと手術台に縛られていた少年が近づいてくる。しょうがない、と言う顔でもう一人も一緒に。
二人の手がディフの腕に触れた。
「…ここ」
「え?」
一瞬、傷口が熱くなった。
「はいおわり」
「熱っ……………あ、あれ?」
肩を見る。血の滲んだシャツの下にぽっかりと赤く、丸く口を開けていたはずの銃創が消え、真新しい皮膚が再生していた。
「傷が……消えてる」
かすれた声でつぶやくと、レオンがのぞき込んできた。やや遅れてヒウェルも顔をつっこむ。
「何を馬鹿なことを……っ!」
「……常日頃人間離れした丈夫な男だとは思ったが、自己修復機能までついてたか」
「んな訳あるか! シエンと……オティアだ」
「よかった。…ありがと…」
「おい、しっかりしろっ」
ふらりと倒れる『オティア』をディフは治ったばかりの腕で抱きかかえた。
その時、彼の胸の中で今までにない感情が芽生えた。
腕の中の小さなあたたかい体を守りたいと思った。大切に翼の下に包み込んで……。
「ありがとうって言うのは……俺の方だ……」
それまで世界中でたった一人にだけ捧げていた笑顔で答えていた。
少年はくたん、とそのまま気を失ってしまった。
「そうか…二人そろってないと力が使えないんだな。だからバラバラに預けられたんだ」
「ありがとう…二人とも。感謝…する」
工場の方が騒がしい。
レオンの通報により『騎兵隊』(FBIとか書かれた濃紺の上っ張り着てるが)が到着していたようだ。
解体室の入り口に小柄な女性捜査官と背の高い男性捜査官の二人組が現れる。室内を素早く見渡し、男性捜査官が無線で救護班を呼んだ。
こうして組織の人間はまとめて検挙され、工場に集められた子どもたちも保護されたのだった。
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▼ 【1-6】この部屋は飯が美味いぞ
その後、引き上げたレオンの自宅にて。
「お前、ほんっとーにもう痛くないのか?」
ヒウェルはためつすがめつディフの肩をのぞきこんだ。
当人は血のついた服を無造作に脱ぎ、替えのシャツを羽織った所。ちらりと見たが完全に傷は消えていた。
文字通り、跡形も無く。
「傷、塞いだだけだから……無理はしないで」
シスコに戻る間、車の中で眠り続けいた『オティア』だったが、マンションに到着するなりぱっちり目を開いて起きあがった。
まるで誰かが知らせたように。
そして、双子は手をとって歩き出したのだ。一言も言葉を交わさぬまま、何もかも全て通じ合っているように見えた。
「ふさがってりゃ問題ない、食って寝てりゃすぐ治る」
「お前それレオンの顔見てもう一度言ってみろ」
「……あ」
レオンが苦笑していた。
「あまり俺の寿命を縮めないでくれ」
「ごめん…子どもが危ないって思ったら…」
「頭のネジすっ飛ばしたんだよな。いつものことだけどさあ。少しは学習しろよなマクラウドくん?」
「貴様に言われたくはない!」
ぐわっと歯をむき出してヒウェルに唸った後、ディフは一転して少年にやわらかな笑みを向けた。
「……ほんとにありがとな、オティア」
少年はちょこん、と首をかしげた。
「俺、シエンだよ?」
「え?」
「ええっ?」
「こっちがオティア」
「マジかっ」
「うん」
「わあ、ややこしい」
「えーっと、つまりヒウェルが最初に会ったのがオティアで、後から来た君がシエンってことか?」
「……入れ替わったのか。シエンが仲買い人に連れてかれそうだから」
「俺の知らない間にね」
オティアは黙って明後日の方を見ている。
「……お前は知ってるような口ぶりだったもんな……オティア?」
誰にも助けを求めずに。ただ兄弟を守るために体を張ったのか。
ヒウェルは思わず舌を巻いた。
ったく、あきれ果てた意地っ張りだぜ……。
心の中で悪態をつきながらも、なぜか顔がほころぶ。
彼は知らない。自分では見えるはずもない。
いつものにやけた薄ら笑いではなく、濁りのない素直な顔でほほ笑んでいることなんか。
それが、たった一人の十歳近くも年の離れた少年が原因であることも。
「さて……二人とも」
頃合いを見計らってレオンが口を開いた。にこにこと人当たりの良い笑みを浮かべて。
「行くところもないだろうし、警察やFBIの聴取もあるしここにいてくれ。もしかしたら裁判にも出てもらうかもしれないし」
「いいんじゃね? ここセキュリティは万全だし……」
「いいの?」
「…まぁ…シエンもまだ動かせないしな…」
「俺も……まだ聞かせてほしい事あるしな。それにこの部屋は……飯が美味いぞ」
「お前が言うな」
こうして双子と記者と弁護士と探偵、5人の共同生活が始まった。
住む場所は微妙にばらばら(同じマンションの中ではあるが)……でも夕食はご一緒に。
(キッドナップ×キンダーハイム/了)
月梨さん画、ヒウェルとオティア。
「お前、ほんっとーにもう痛くないのか?」
ヒウェルはためつすがめつディフの肩をのぞきこんだ。
当人は血のついた服を無造作に脱ぎ、替えのシャツを羽織った所。ちらりと見たが完全に傷は消えていた。
文字通り、跡形も無く。
「傷、塞いだだけだから……無理はしないで」
シスコに戻る間、車の中で眠り続けいた『オティア』だったが、マンションに到着するなりぱっちり目を開いて起きあがった。
まるで誰かが知らせたように。
そして、双子は手をとって歩き出したのだ。一言も言葉を交わさぬまま、何もかも全て通じ合っているように見えた。
「ふさがってりゃ問題ない、食って寝てりゃすぐ治る」
「お前それレオンの顔見てもう一度言ってみろ」
「……あ」
レオンが苦笑していた。
「あまり俺の寿命を縮めないでくれ」
「ごめん…子どもが危ないって思ったら…」
「頭のネジすっ飛ばしたんだよな。いつものことだけどさあ。少しは学習しろよなマクラウドくん?」
「貴様に言われたくはない!」
ぐわっと歯をむき出してヒウェルに唸った後、ディフは一転して少年にやわらかな笑みを向けた。
「……ほんとにありがとな、オティア」
少年はちょこん、と首をかしげた。
「俺、シエンだよ?」
「え?」
「ええっ?」
「こっちがオティア」
「マジかっ」
「うん」
「わあ、ややこしい」
「えーっと、つまりヒウェルが最初に会ったのがオティアで、後から来た君がシエンってことか?」
「……入れ替わったのか。シエンが仲買い人に連れてかれそうだから」
「俺の知らない間にね」
オティアは黙って明後日の方を見ている。
「……お前は知ってるような口ぶりだったもんな……オティア?」
誰にも助けを求めずに。ただ兄弟を守るために体を張ったのか。
ヒウェルは思わず舌を巻いた。
ったく、あきれ果てた意地っ張りだぜ……。
心の中で悪態をつきながらも、なぜか顔がほころぶ。
彼は知らない。自分では見えるはずもない。
いつものにやけた薄ら笑いではなく、濁りのない素直な顔でほほ笑んでいることなんか。
それが、たった一人の十歳近くも年の離れた少年が原因であることも。
「さて……二人とも」
頃合いを見計らってレオンが口を開いた。にこにこと人当たりの良い笑みを浮かべて。
「行くところもないだろうし、警察やFBIの聴取もあるしここにいてくれ。もしかしたら裁判にも出てもらうかもしれないし」
「いいんじゃね? ここセキュリティは万全だし……」
「いいの?」
「…まぁ…シエンもまだ動かせないしな…」
「俺も……まだ聞かせてほしい事あるしな。それにこの部屋は……飯が美味いぞ」
「お前が言うな」
こうして双子と記者と弁護士と探偵、5人の共同生活が始まった。
住む場所は微妙にばらばら(同じマンションの中ではあるが)……でも夕食はご一緒に。
(キッドナップ×キンダーハイム/了)
月梨さん画、ヒウェルとオティア。
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- 【ちょっとした後日談】 (2008-03-10)
▼ 【ちょっとした後日談】
後日。双子(主にシエン)からディフが撃たれたとき、実は念動力で弾を外そうとしたのだがそらし切れず、当たってしまったのだ聞かされる。
「つまりテレキネシスってひとくちに言うけどそんな便利じゃなくて」
「うんうん」
「弾の推進力というか貫通力を止められるほど強力な力なんてないから、この弾の側面の…ここにちょっと触ってやると、ほんのちょっと向きがかわるだろ。まぁ銃口をぶらすほうが楽なんだけど。あんなハイスピードのものより」
「確かに変わるな……本気で危なかったんだ、俺」
「モノを動かすのも…全体をつかんで押してるわけじゃなくて、こう…指いっぽんで押すとするとどこに力入れる?みたいな」
「こんな感じか」
ヒウェルがテーブルの表面に立てたコインを指でぴん、とはじいてくるくると回す。
シエンがうなずく。
「普段そんなにちゃんと考えてるわけじゃないけどね。イメージはそんなかんじ。だいたいそういう細かいことはオティアのが得意だし」
「そうなのか?」
「ケガなおすのはシエンのが得意だ」
「それじゃあのとき、ディフに撃ち込まれた弾そらせたのは…どっちだ?」
「それはオティア。だって俺見えてなかったもん」
「バラすな…」
「……ありがとう…命の恩人だ」
(キッドナップ×キンダーハイム/了)
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「つまりテレキネシスってひとくちに言うけどそんな便利じゃなくて」
「うんうん」
「弾の推進力というか貫通力を止められるほど強力な力なんてないから、この弾の側面の…ここにちょっと触ってやると、ほんのちょっと向きがかわるだろ。まぁ銃口をぶらすほうが楽なんだけど。あんなハイスピードのものより」
「確かに変わるな……本気で危なかったんだ、俺」
「モノを動かすのも…全体をつかんで押してるわけじゃなくて、こう…指いっぽんで押すとするとどこに力入れる?みたいな」
「こんな感じか」
ヒウェルがテーブルの表面に立てたコインを指でぴん、とはじいてくるくると回す。
シエンがうなずく。
「普段そんなにちゃんと考えてるわけじゃないけどね。イメージはそんなかんじ。だいたいそういう細かいことはオティアのが得意だし」
「そうなのか?」
「ケガなおすのはシエンのが得意だ」
「それじゃあのとき、ディフに撃ち込まれた弾そらせたのは…どっちだ?」
「それはオティア。だって俺見えてなかったもん」
「バラすな…」
「……ありがとう…命の恩人だ」
(キッドナップ×キンダーハイム/了)
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