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ローゼンベルク家の食卓

【第二話】永久(とわ)に消さんこの忌まわしき場所を

2008/03/13 0:57 二話十海
  • PCのみですが縦書き版をご用意いたしました。こちらからお読みいただけます。
  • 文字数をオーバーしてしまったので最後の一章だけこちらにはみ出してしまいました。
  • 内容はほぼ同じです。
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【2-0】登場人物

2008/03/13 0:58 二話十海
【ヒウェル・メイリール】
 フリーの記者。25歳。
 黒髪、アンバーアイ、身長180cm、細身(と言うか貧弱)
 フレーム小さめの眼鏡着用。
 口先と舌先、指先を駆使して世を渡る、小悪党と言う言葉がぴったりのこずるい男。
 最初にオティアを拾って来た張本人。

【オティア・セーブル】
 不思議な力を持つ双子の片割れ。16歳。
 ややくすんだ金髪、紫の瞳、身長170cm、やせ形。
 極度の人間不信だが、ヒウェルには徐々に心を開きつつある。
 口数は少なく喋る言葉は鋭い。

【シエン・セーブル】
 不思議な力を持つ双子の片割れ。16歳。
 外見はオティアとほぼ同じ。
 オティアより穏やかだが、臆病でもろい所がある。
 最初の事件で撃たれたディフをオティアと二人で治癒した。

【レオンハルト・ローゼンベルク】
 通称レオン
 弁護士。ヒウェルとは高校時代からの友人。26歳。
 ライトブラウンの髪と瞳、身長180cm、着やせするタイプで意外と筋肉質。
 一見、温厚そうな美人さん、実は腹黒。実家は金持ちだが家族への情は薄い。
 ディフとは恋人同士。

【ディフォレスト・マクラウド】
 通称ディフ、もしくはマックス。
 元警察官、今は私立探偵。ヒウェルとは高校時代からの友人。25歳。
 ゆるくウェーブのかかった赤毛、ヘーゼルブラウンの瞳、身長180cm、肩幅やや広め。
 がっちりした骨格に適度な筋肉のついた頑丈そうな体格。(実際、丈夫)
 裏表のない直情家、世話好きでおせっかいな熱血漢。
 レオンとは恋人同士だったが、シエンに心惹かれつつある。
 
【アレックス】
 レオンの秘書。もともとは執事をしていた。

次へ→【2-1-1】秋のおわり、冬のはじまり

【2-1-1】秋のおわり、冬のはじまり

2008/03/13 0:59 二話十海
 季節は秋から冬に移りつつある。
 そろそろ厚手のジャケットかコートを出しておくべきか。手袋もあった方がいいかな。

「よう、マックス」

 馴染みの洋品店の店員は上機嫌に声をかけてくれたが、選んだ品物を目にすると遠慮勝ちに言ってきた。

「そいつはお前さんにはちょっと小さすぎるんじゃないか?」
「いいんだよ、俺が着るんじゃないから」

 シンプルな手袋とハーフジップのフリース。形とサイズは同じで色違い。
 オティアはどうやら青系が好きらしい。シエンは穏やかなアースカラーを好む傾向が強い。

 うっかりレオンに任せたらカシミヤ100%のセーターを買ってきた。
 肌触りが良いと双子には好評だったが、さすがにあれは洗濯に手間がかかる。成長期の子どもが普段から着るにはいささか不向きだ。

 オティアとシエンがレオンの元に引き取られてから早くも一ヶ月が過ぎようとしていた。

 二人はほとんどマンションから出ることもなく、暇を持て余しているようだった。
 オティアはレオンの書斎の本を片っ端から読みはじめ、シエンはと言うと何をするでもなく。

 いつも部屋の中で所在なさげにぼーっとしている。
 TVは見たくないらしい。

 一度、うっかりヒウェルのやつがつけっぱなしにしていた画面から事件の再現ドラマだか、映画だかの1シーンが流れていて。
 ひと目見るなり表情が強ばり、がたがた震え始めた。

 慌てて消した。

 シエン(当時はオティアと入れ替わっていた訳だが)の里親は元々彼を純粋に給料の要らない店員として手元に置くつもりだったらしい。
 
 怯えて泣くばかりだった彼を持て余し、誘拐された時も『家出人』として捜索願いを出したきり、積極的に探そうとはしていなかった。

 シエンを引き取りたいとレオンが申し出ると露骨にほっとした表情をして快諾したらしい。

『理解してるさ、別に彼らが”冷酷”な訳じゃない。”義務”は果たしてる。ただ少しばかり消極的なだけだ』

(……そうだな、ヒウェル。お前の言う通りだ)

 買ったばかりの衣類を抱えて店を出る。

 びゅうっと突風が吹き付ける。
 故郷のテキサスほど乾いちゃいないが、シスコも曇った日は意外に冷える。

 次は食料品だ。
 食卓を囲む人数が増えた分、仕度に手間はかかるようになった。献立にも頭を悩ますようになったが、今はそれなりに楽しい。

 最初に飯を作るようになったのは確か高校の時だった。
 寮の食事はカサは多いが味はお世辞にも美味いとは言いがたく。たまりかねて部屋の簡易キッチンで朝飯を作った。
 パンケーキとスクランブルエッグにベーコンを添えて。
 一人作るのも二人作るのも同じだからと、当時ルームメイトだったレオンの分も用意した。

 それまで何を口にしても嬉しそうな顔をしなかったあいつが、その時、初めて笑顔を見せたのだ。
 優しげなかっ色の瞳に温かい色が浮かんでいた。礼儀正しい作り笑いなんかじゃない、心の底からあふれる素直でまっすぐな笑顔だった。

 そいつをひと目見た瞬間、ごく自然に口にしていたのだ。

「また、作るよ」と。


 自分は凡人だ。
 あの子たちのためにできる事なんざ限られている。だったら、己の手に負える範囲で最善を尽くすまでだ。

 ぐいっと顔を上げるとディフは歩き始めた。首筋を覆う赤い髪をたてがみのようになびかせて、向かい風の中を。

次へ→【2-1-2】★心はいつも自由だよ
全年齢(笑)→【2-2】ヒウェル捨てられる
 

【2-1-2】★心はいつも自由だよ

2008/03/13 1:06 二話十海
 ここ数日、レオンは胸の奥にチリチリとわずかな引き攣れを抱えていた。
 原因は……わかっている。
 
 双子を引き取って以来、ディフは前にも増してレオンの部屋で過ごす時間が長くなっていた。
 それはそれで歓迎すべき事態なのだが。

 普段は眼光鋭いヘーゼルブラウンの瞳が、双子を見守る時は穏やかな光を宿す。
 そして、ふとした折りに彼がシエンに向ける、やわらかな笑顔。
 それは今までは世界中でただ一人、レオンにだけ捧げられていた表情(かお)だった。

 その事でディフを問いただしたり、まして責める気など毛頭なかった。
 ただ後ろでじっと見ているだけ。静かに。ただ、静かに。
 瞳の奥に憂いと若干の苛立ちの色を潜ませて。


 ディフも恋人の変化を感じ取っていた。
 さっきもシエンに買ってきた冬物を渡しながらふと気配を感じて振り返り、レオンと目が合った。
 しかしすぐについ、とそらされてしまう。

 いたたまれずディフも目をそらす。

 レオンのそばを通りすぎながらぽそりと囁いた。

「後で…俺の部屋に来てくれ」
「気にしなくていいよ」
「…話したい……」
「わかった」

 部屋に呼び出したのはいいものの、いざ二人っきりになると言葉が出てこない。
 言わなければいけないことがあるとわかっているのに、喉がつまり、舌が強ばる。

 思い詰めた表情のディフにレオンが声をかける。

「そんな顔させたいわけじゃなかったんだが…困ったな」

 くしゃっと顔が歪む。やばい、泣きそうだ。奥歯を噛んで懸命に耐えた。

 レオンの手が頬を包み込む。唇が額に触れた。

 …もう、だめだ。

 ぽろりと一粒涙がこぼれる。

「ああ…泣かないで」

 目元にもキスが降ってくる。
 なんで、こんな俺に。
 俺なんかにそんな優しくしてくれるんだ。

 俺はお前を‥‥‥‥‥‥裏切ってるのに。
 
「そんなに……優しくするな……俺には……も……その資格がない……」
「心はいつも自由だよ、ディフ。…俺が君を愛してることにかわりはない」

次へ→【2-1-3】★★君を手放すつもりはない

【2-1-3】★★君を手放すつもりはない

2008/03/13 1:08 二話十海
 震える腕で、力いっぱい抱きしめていた。
 もしかしたら、すがりついていたのかもしれない。

「君があの子を気にしてるのはわかってるんだ。命の恩人だものな」
「……愛してる、レオン…お前がいなきゃ……生きてけない……嘘はないのに……それなのに俺は……」
「無理することはないよ。俺に必要以上に気をつかわなくてもいいんだ、だいたい…君がしたいことを俺が止められるわけがないよ」
「お前は…俺を甘やかしすぎだ……」
「君が俺を嫌いになって、もう二度と顔も見たくないって言うんだったらちょっとは考えるけどね。そうじゃないなら、何も問題ない。それに君の憂い顔も十分堪能したし」


 ディフの腕が滑り降りて、手を握ってきた。にぎり返すのも待たずに自分からキスしてくる。

 ああ、君って人は。
 俺の言葉を聞いていなかったのかい?
 憂い顔を堪能したって…言ったじゃないか。
 それなのにこんなに無防備にキスしたりして。どこまで可愛いんだろうね、まったく。
 
 ここで濃厚なディープキスを仕掛けたりしたら、どんな顔をするのだろう。
 ちらりと浮かんだ悪戯を思いとどまり、キスに応える。あくまで優しく。

 唇が離れると彼はシャツのボタンを外し、ぐいっと無造作に広げ、肌をさらしてきた。
 鎖骨のあたりまで見えるくらいに。

「俺のしたいことを止められないって…言ったよな………お前の……痕、つけてくれ」

 ヘーゼルブラウンの瞳がつやつやと濡れている。
 ともすれば顔をそむけそうになるのを必死で堪えているのだろう。
 うつむき加減に目を細めて、ため息まじりにぽつぽつと言葉をつづる。
 おそらく罪悪感と、ためらいからだろうが。妙に悩ましげに感じられるのはさっき交わしたキスのせいだろうか?

 その顔、他の奴に見せたくないなあ……。

「君が望むなら。いくらでも」

 肌に唇を寄せられただけでため息が漏れる。
 この一年、レオンに惜しみなく愛された体は研ぎすまされて。ほんのかすかな愛撫にさえ応えるようになっていた。
 鎖骨の下あたりを強く吸われる。

「く……あっ」
 
 肌に歯を立てられ、噛まれた。びくっとすくみあがり、反射的に逃げそうになる。
 でも離れたくなかった。必死でしがみついた。

「レオ……ン……」
「俺はけっしてものわかりのいい男じゃない。けどね。君のためなら別だ」

 俺が言えば君はおそらくあの子への想いをあきらめるだろうね。
 でもそんなことで君を苦しめたくはないんだ。

「君が笑っていてくれるならそれが一番いい」

 怯えた気配がしたが、それも一瞬。すぐにディフの手が頭を包み込むように抱きしめてきた。

 彼に対する君の気持ちが、親鳥にも似た保護欲なのか。それとも恋愛感情なのか。正直俺にもよくわからない。
 だが…相手がシエンなら、見える範囲にいる。君と彼とがどの程度親しくなったか、すぐにわかる。

 それに、まだ子どもだ。

 背に回した腕に力を込め、優しい抱擁に体を預けた。ディフの指先が髪に絡みつき、撫でられる。

 俺は君を手放すつもりはないよ。
 何があっても、決して。

次へ→【2-2】ヒウェル捨てられる

【2-2】ヒウェル捨てられる

2008/03/13 1:10 二話十海
 一方、ヒウェルは人身売買組織摘発の顛末を記事にまとめるのに没頭していた。
 施設の職員からづらづらたどって、オティアを買い取った児童ポルノの撮影元まであと少しでたどり着こうとしていた。
 本来の里子の追跡レポートと同時進行だからまさにデスパレードな状況で。ちょいといい仲だった彼氏のこともついつい放置ぎみに。

 当人から電話がかかってきてようやく気づいた。この一ヶ月、一度も連絡していなかったな、と。

「最近……電話してくれないね。デートにも誘ってくれないし」
「ごめん、仕事、忙しくて。もうしばらくかかりそう」
「…あ、そ。じゃ、さよなら」

 ぶちっと電話を切られる。
 かけ直したが、繋がらない。どうやら着信拒否をかけられたらしい。舌打ちして携帯を閉じてから、ふと……昨日が相手の誕生日だったなと思い出した。

「あーあ、終わりってことですか。うん、まあそーゆーもんだよね」 

 肩をすくめて、仕事に戻った。
 所詮、その程度のつきあいだ。縁がなかったんだよ。

 グッバイ、ダーリン。幸せにな。



  ※  ※  ※  ※


 オティアを買い取った先の『撮影所』はどうやら、チンピラどもが資金稼ぎに運営していた所だったらしい。

 レオンが言うには、おそらくマフィアの下請けのそのまた下請けじゃないかと。
 俺も同意見だ。
 施設の前でオティアを連れ去ろうとしていた連中は、センスの悪い服装といい適度な逃げ足の早さといい、まさにそんな感じだった。

 そう言う連中に限って下手に刺激すると逆上して何やらかすかわかったもんじゃない。脳みそが足りないぶん、すぐに行動に出るから厄介だ。
 このマンションにいればオティアもシエンも安全だろうが…いつまでも家に引きこもりって訳にも行くまい。

 この機会に、後腐れ無くきっちり潰しておくのに限る。
 自然とレオンとの打ち合わせにも熱が入るが……ふとした拍子にため息が漏れる。

「ヒウェル。どうした?」
「え?」
「ひどい顔、してる」
「まいったな……そんなに?」

 うなずかれた。

「まあ、大したことじゃないんですけどね……仕事に没頭しすぎて、彼氏と別れました。ってか、捨てられた?」
「おや」
「その程度のつきあいだったってことですよ……たまに会って、食事して、ベッドで楽しめばOKって感じ?」
「あいかわらずだね」

 同情でもない。たしなめるでもない。ただ、事実を理解したと的確に伝えてくる。
 だからレオンにはためらいもせずに言えるのだ。
 ディフが相手だとこうはいかない。

 裏に含むものがないとわかっちゃいるんだが……あの男はまっすぐすぎて、白すぎて。
 一緒にいると自分の薄汚れた狡猾さが際立ち、いたたまれなくなる瞬間がある。

「…正直言うとね。俺、あなた達が羨ましいんだ。だから…つい、からかいたくなる。ディフがまたいーい反応するから…」
「からかうのはかまわないが、やりすぎないようにしてくれよ……反応が面白いのは認める」
「OK、ほどほどにしとく」

 スリープ状態になったノーパソの液晶画面に顔が写る。
 ……うわ、ほんと、ひどい顔だ。目の下にクマできてるし(いや、これは主に仕事のせいか)眉間に皺がよっちゃってるよ。

 レオンならずともこりゃ聞きたくなろうってもんだ。『どうした』って。
 ため息、二つ目。今度はふかぶかと腹の奥から。

「時々、不安になるんだ。俺にも……レオン、あなたほど人を好きになることができるんだろうか」
「まだ、出会ってないだけさ。真実心を傾けるべき人に」

 他の相手が言ったなら、んなまさか、と笑い飛ばす所だろうが。さすがに10年近く前に『真実心を傾けるべき』相手に出会っちまった奴の言うことは重みがある。

「いつだって指先と口先ですり抜けてきたからなぁ。真実と向き合うのが、怖い」
「その時がきたらわかるさ。大切なのは、逃げないことだ。自分の心から」
「逃げない、か……」

 俺は……逃げてなんか、いない。
 たぶん。

「……あんな……十歳近くも年下の目つきも性格もひねくれたガキに夢中になるなんてっ」

 少しくすんだ金髪に優しい紫の瞳。だが口をひらけば飛び出すのは生意気な冷めた言葉。シエンと再会してから、冗談みたいに強気になりやがって。
 出会った時のあの消え入りそうな弱々しさはカケラもありゃしねえ。

「自分が心底、信じられねえっ」
「案外あの子達かもしれないね。ディフも随分気にしてる。」

 気づいてたのか、この人は。
 ……そら気づくわな。ディフのやつ隠そうともしていなかったし。

「いいんすか? それで。あなたはずっと奴を見てた…10年以上も。やっと恋人になれたってのに」
「忍耐力はあるほうなんだ。それに…」
「それに?」
「俺もあの子達が可愛くなってきた。情がうつったというのかな」

「……」

 思わず両手をあげて、『お手上げのポーズ』をとる。

「やっぱりかなわないや、あなたには」
「名目上の保護者は俺になっているからね」

 ふとレオンは人の悪そうな顔で笑った。

「君たちがもし結婚でもすることになったら、バージンロードを歩く役はやらせてもらえるかもしれないね」
「……」

 うーわー、想像したくねえ……。
 すると何か? 俺はレオンに頭下げて言わねばならんのか。

「息子さんを俺にください!」と……

 ……。
 ……………。
 ナイアガラの滝にバンジージャンプかます方がマシかも知れん。

 それからしばらくの間、オティアと腕を組んでバージンロードを歩いて来るレオンの夢にうなされた。

次へ→【2-3】真実こそ我が生業(つとめ)、されど

【2-3】真実こそ我が生業(つとめ)、されど

2008/03/13 1:12 二話十海
 記者になりたい。
 高校生の時、話したらディフにこう言われたことがある。

ルー・グラントみたいな?」
「いや……どっちかっつーとコルチャックかな」

 そして今、俺は宣言通り、コルチャックばりにうさんくさい事件ばかり追いかけて日々の暮らしを立てている。
 危ない所に踏み込みすぎて、死にはぐったのも一度や二度じゃない。
 時にはレオンやディフ、もっと多くの友人知人を巻き込んでどうにかこうにか生き延びてきた。

 ファッション欄やインテリアコーナー、芸能ゴシップ、はてはペットの記事なんかも手がけるが…やっぱり事件を追いかける時が最高に心が躍るね。

 もはや性分、染み付いた本能だ。
 何だってそんな無茶ばっかりやってるのかと問われれば、単純に『好きだから』としか言いようがない。

 しかし今回は正直焦っていた。
 これまでの調査でオティアを買い取った先の正体はつかめた。しかし肝心の場所がわからない。
 シスコを中心に拠点をいくつか持っていて、ヤバくなると次々に移転している。

 尻尾を掴むどころか、ヒットするのは抜け殻ばかり。
 こうなると唯一の手がかりは実際に捕えられていたオティアしかない。
 だが……。

 施設のこと、仲買人のことまではぽつりぽつりと話していたオティアだったが、肝心の『撮影所』のことになると貝のように口を閉ざしてしまうのだ。

 調査は一向に進まず、時間ばかりが流れてゆく。このままじゃいつまでたってもあいつらは自由になれない。
 苛立ちをつのらせつつ、ヒウェルは今日もオティアを自宅兼事務所に呼び出した。

「……言いたくない」 
「参ったな。そんなに俺のこと信じられないか」

 つらそうな顔をしている。ほとんど表情を動かさないこいつにしては珍しい。
 つらいのは百も承知だ、しかし、あまり時間をかけたくはない。最近、どうもキナ臭い領域に踏み込んできたなとひしひしと感じる。
 タッチの差でヤバい連中とのニアミスを回避したことも一度や二度ではない。
 一日、いや一秒でも早くケリをつけたい。
 そのためには、オティアの証言が不可欠なのだ。

「頼むよ……あいつらが二度とお前にちょっかい出さないように…徹底的に叩き潰しておきたいんだ」
「……」

 黙って首を振った。
 くそ、また空振りか。
 コーヒーメーカーの中味は既にどろどろに煮詰まっていかなヒウェルと言え既に口にできる状態ではない。
 煙草を一本くわえてライターで火をつけて、一服ふかしてから問いかけた。

「煙草、いいよな?」

 答えは無い。そもそも期待すらしちゃいない。

「ちゃんと約束通り兄弟に会わせてやったじゃないか。ちょっとは信じてくれよ」
「……そうじゃない」
「…じゃあ、何なんだ?」
「……」

 返事はない。
 また、だんまりか。くそ、こうなりゃ根比べだ。

 煙草をふかしつつ横目でちらりと見ると、ぎちっと左胸のあたりを掴んでいる。
 関節まで白く血の気を失った指の下で青いセーターが皺になっている。
 顔色が、真っ青だ……。

「おい、オティア?」

 思わず駆け寄り、肩に手を置いた。触れた瞬間、びくんっとオティアの全身が雷に撃たれたように大きく震えた。
 一秒か二秒の間、彼は凍り付いていた。どう孔の収縮した紫の瞳を見開き、まるで石の像にでもなったみたいに身じろぎもしなかった。

 どうした、オティア。
 呼びかけようとした瞬間、びしっと手が払われる。衝撃が骨に響くほど強く。

「ってぇなあっ」

 そのまま彼は身を翻し、部屋を飛び出して行く。

「オティア!」


 慌てて追いかけたが、完全に出遅れた。廊下に飛び出すと、タッチの差でエレベーターの扉が閉まった所だった。

「くっそーっ」

 ランプの表示を確かめる。
 上か?
 下か?

 ……上だった。

「上か……上なら……まだ、心配ないよな……」

 おそらくレオンの部屋に戻ったのだろう。この時間なら、おそらくアレックスかディフのどちらかがついているはずだ。

 シエンもいるし……。

 って俺、何やってんだ?

 愕然とした。
 
(なんで、あそこでオティアに近づいたりしたんだ。声かけたりしたんだ!)

(動揺してるってことはがっちり着込んだ鎧にすき間ができたってことだ。あそこで仕掛ければ上手くすれば聞き出せたはず……)

(ってか、いつもそうして来たじゃないか!)

「……どうかしてるぞ、ヒウェル」

 ぐしゃぐしゃと髪の毛をかきあげると部屋に戻った。

次へ→【2-4】俺は記者なんだよ

【2-4】俺は記者なんだよ

2008/03/13 1:13 二話十海
 あれから三日経ったがオティアは一向に部屋から出てこない。
 こっちから出向いても、シエンがドアの前に踏ん張っていて通してくれない。

「オティアはだめだよ」

 見てくれは可愛い番人さんだが中味はオティアと変わらず頑固で。断固として通してくれない。

「…しょうがねぇなあ…」

 また一日、無駄にしちまうのか。
 一服やりたい心境だが双子の部屋の周りでは禁煙をきつく言い渡されている。舌打ちするのが関の山だ。

「……………もう来ないで。無理に聞き出そうとするなら、もう来ないで!」


「優しく聞いても話そうとしないのはそっちだろう? 別に無理強いした覚えは…ないぜ」


「それでどれだけオティアが苦しんでるのか、わかってない!」

 体を折り曲げて、はらわたから絞り出すような声で叫んでいる。この子でも、こんなに激しい声を出すことがあるんだな。

 紫の瞳の奥に激しい怒りと、それよりもなお強い怯えが揺れている。
 いや、荒れ狂ってるって言った方がいいな、既にこのレベルは。

 まるで追いつめられて逃げ場を無くした小動物だ。
 ここは同情すべきだろうか。それとも敢えて冷静に突き進むべきか……。
 ほんの少しだけ迷う。
 どうすればいいって? わかり切ったことじゃないか。
 取材対象の感情に捕われるな。引きずり込まれたら最後、自分の立ち位置を見誤る。

 かと言って、ここで上辺だけとりつくろって『優しいひと』に見せかけるのは論外だ。やろうと思えばできないこともないんだが、少なくともこいつらと向き合う時は……その手のごまかしは打ちたくない。


「ああ…わからないよ……あいにくと俺は凡人でね」

 屈み込み、シエンと同じ高さに目線を合わせる。ひとこと、ひとこと、噛んで含める様にして話しかけた。

「俺は…記者なんだよ。ソーシャルワーカーでもカウンセラーでもない…」

 にらまれた。
 そんな所だろうな。予想の範囲内だ。

「じゃあな、シエン。またな」

 答えを聞かず、背を向けて歩き出す。リビングでディフとばったり出くわした。
 
 にらまれた。

 今日はよくにらまれる日だ。
 おーおー、地獄の番犬みたいな面しやがって、今にも噛み付きそうだぜ。実際出るとしたら牙じゃなくて拳だろうけどな。

 ……やっぱ聞かれたかな、さっきの会話。

 肩をすくめてすれ違い、足早に部屋を出た。


  ※  ※  ※  ※


 ヒウェルと入れ違いに双子の部屋に向かった。
 俺の足音を聞きつけるとシエンは慌てて部屋に入ってしまった。

 閉ざされたドアをノックをしようとして、結局できずに引き下がる。

 夕食の時間になっても双子は部屋から出てこない。
 二人ぶんの食事をトレイに乗せて廊下に置いておいたが、まったく手がつけられていない。
 さすがに心配になって声をかけてみた。

「シエン。オティア?」

 返事が無い。
 細くドアを開けて中のぞきこんでみると、一つのベッドの中で二人、ぴったりとくっついて眠っていた。
 まるでお互いを守ろうとするように。

「…………」

 きりきりと胸が締めつけられた。
 できるのものなら傍に行って、抱きしめてやりたいと思った。けれど、俺はまだそこまであの子たちに受け入れられていない。ここで近づいたところで、怯えさせるだけだ。(あいにくと自分の柄の悪さには自信がある)

 だから何もせず、静かにドアを閉めて。手つかずの夕食を下げる。

 リビングのソファに座ると、ため息がもれた。
 ちらりと時計を見る。

 まだレオンは帰ってこない。とてもじゃないが自分の部屋に引き上げる気になれず、そのまま待つことにした。
 
 あの子たちを二人っきり、暗い家の中に置き去りにしたくない。

 しちゃいけない。

 今はまだ、その手を握ることはできないけれど。せめて……レオンの帰るまでは。

次へ→【2-5】Postman

【2-5】Postman

2008/03/13 1:19 二話十海
 あれから一週間。
 双子は一度も部屋から出てこない。少なくとも俺がレオンの家にいる間は。

「あいつら飯、食ってるのか?」

 聞いたらディフはむすっとした顔で

「少しな」

 と答える。そしてまた黙って飯を食う。
 ここんとこずっと、同じ部屋にこそいないが双子につきっきりらしい。ほとんど自分の部屋にも戻らずに。
 ディフが仕事の時はアレックスが来て、交替で付きっきり。

 こいつを出し抜くぐらいその気になれば簡単だ。しかし、何かを守ろうとする時の暴れっぷりもよく知っている。あえて危険を侵したくはなかった。

 それに……唯一、引き綱を握ってるレオンも今回ばかりは止めないだろう。

「ごちそーさん」
「皿はキッチンに運んどけよ」
「へいへーい」

 汚れた皿をシンクにつっこみ、ふと横を見る。俺がさっき食ったのとは別にスープが用意してあった。
 あれが双子の分か……ほんとに少ししか食ってないんだな……。

 舌の奥がやけに苦い。
 胸がむかつく。

 ヤニが切れたか。それともカフェインか。早いとこヤサに戻って補給しよう。
 そうすりゃすぐに直るさ……。


 自宅に戻り、煙草をふかす。
 一本、二本、まだ収まらない。
 三本、四本。吸い殻ばかりが増えて行く。仕事はいっこうにはかどらない。

「コーヒーでも入れるか……思いっきり濃いやつ」

 キーボードから手を離してのびをしたその時、呼び鈴が鳴った。

「はいはい」

 レオンかな。
 また説教でもたれにきたか。ぐいっと煙草を灰皿にねじ込み、立ち上がる。積み上げた資料がばさばさと床に落ちた。
 舌打ちしつつ雑に脇に除けてとりあえず通り抜けるすき間を作っている間に、また鳴った。

 よっぽどお急ぎらしい。

「今開けますって……あれ?」

 予想に反して立っていたのはシエン。
 何を言えばいいのか。
 何を聞けばいいのか。

 とっさに声が出てこなかった。
 阿呆みたいに突っ立ってると、シエンがぐいっと両手に抱えた紙の束をつきつけてきた。

「……なんだ、これ?」

 受けとる。
 大きさも紙質も不揃いで、しかもえらくよれよれだ。

「…渡したからね」

 それだけ言うと、後ろも見ずに走って行った。

 デスクの前に戻り、書かれた内容に目を通す。

 オティアの書いたものだった。
 俺たちと出会う前に自分の身に起きたことが綴られていた。

 ところどころ支離滅裂で、文法も構成もあったもんじゃない。
 それ故に生々しい。
 自分の中に刻まれた消えない記憶を紙に叩き付けるように文字にしている。一度書いた部分をぎっちり横線で塗りつぶしたり。

 あきらかにペン先が潰れたんじゃないかと思うような、刺し跡があったり。
 紙そのものをぐしゃりとにぎりつぶし、また広げたのも何枚か混じっていた。
 びりびりに引き裂いたのを丁寧に張り合せたページもあった。

 筆跡の壮絶さとは裏腹に、文体そのものは淡々としている。
 何をされたのか。『撮影所』に居た男たちの人数、服装、撮影所に使われていた倉庫の場所。
 あらゆる部分がかなり正確で、細かい。

「観察力あるんだな、あいつ…」

 所々、ちょっと紙がよれってたり、字がにじんでたり、一部判読不可能な場所もある。
 涙の跡だ。

 時折、微妙に筆跡の違う紙が混じっている。
 ここは……シエンが代筆したのだろうか。

 双子がもがき苦しんでいる痕跡がありありと……書かれた事実以上に紙の状態に現れていて。
 じりじりと石炭の火を飲み込んで。内側から腑が灼けるような気がした。

 読みながら何度か眼鏡を外し、顔を覆う。

「きったねえ字……」

 乱れてかすれた文字の向こうに、胎児みたいに体を丸めたオティアの姿が見える。
 紫の瞳を見開いて。
 血が出るほど唇を噛みしめて。

 畜生。
 あいつはたった十六なのに。
 これが既に起きてしまったことだって事が、あまりに悔しくて。何もできなかった自分がもどかしくて。
 喉の奥から塩辛い波がせり上がる。

「くそ……読みづらいったら……ありゃしねえ」

 目の前が滲む。きっと目が疲れてるんだ。
 それだけだ。

  ※  ※  ※  ※  ※

 それからも何度か同じようなメモが届いた。
 メッセンジャーはシエン。いつも目が真っ赤で、来るたびにやつれて行く。
 渡すだけ渡して、返事もしないで帰って行く。
 ある日、ためらいがちに声をかけた。

「シエン……その………これだけの資料があれば……もう充分だ。ありがとう」

 ちょっとだけ足を止めて振り返る。けれどやはり何も言わない。

「後は…俺がやる……ごめん……」

 黙ったまま。歩いていってしまった。

 たった十六の子どもが。
 必死で二人、支え合って。
 ここまでもがき苦しんで教えてくれたんだ。
 何が何でも潰してやる、きれいに終わらせてやる。
 
 俺は警官でもソーシャルワーカーでもカウンセラーでもない。だから俺のやり方でやる。

 いつもならここでレオンとバトンタッチするところだ。最低でもディフに応援を頼むだろう。
 だが行き先と、相手の人数がわかってるんだ。

 気をつけさえすれば俺一人でもやれると見た。

 俺一人でやらなきゃいけないと思った。

 逃げ足の早さには自信がある。しかし万が一の場合には備えておこう。

 オティアのメモをまとめてファイルして、封筒に入れて。

『レオンへ』と宛名を書いてデスクの上に乗せる。

 俺の身に何かあったとき、この部屋に入るのはレオンかディフ、あの二人のうちどちらかだ。
 必ず彼の手に渡る。

 オティアの書いた地図はやたらと正確だった。目的地の地図上の座標はすぐに突き止めることができた。
 財布と携帯と、ボイスレコーダーと、カメラ、ノート、ペン、そして小型のマグライト。
 そして忘れちゃいけない、煙草とライター。

 必要なものだけ懐に突っ込んで車に乗り込んだ。

「さて……戦闘開始だ」

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【2-6】潜入

2008/03/13 1:23 二話十海
 16の少年がトラックの荷台で餓えと乾きに苛まれながら辿ってきた道のりは、フリーウェイをすっ飛ばせば二時間ほどの距離でしかなかった。

(あちこち配送先に立寄りしながら走ってきたんだ。直通ならこんなもんだろう)

 道から少し外れた茂みの中に車を隠す。
 最寄りの道路標識と、目印になりそうな看板(おあつらえ向きに冷凍グリンピースのばかでかい立て看板があった)を携帯のカメラで撮影してからディフ宛のメールを作成する。
 文面はいたって簡単、これから潜入する倉庫の座標だけ。
 件名は『SOS』。

 もう一通はレオンに宛てて。こちらも文面は至って簡単。
『デスクの上、封筒の中』

 不覚にもメールを打つ指が震えた。

 今さらながら、一人で来たことにビビっているらしい。
 なに、様子を見るだけだ。証拠写真を撮ったらすぐ退散すればいい。
 
 書き終えたメールに写真を添付して下書きフォルダに放り込んだ。
 念のためだ、念のため。使うとは限らない。

 ※   ※   ※   ※

 舗装されていない横道をざかざかと林の中に向かって入って行くと……木々の間に、ぬっと灰色の屋根が現れた。
 あれだな。

 道に刻まれたタイヤの跡から察するに、頻繁にでかい車が出入りしてると見た。
 用心しながら近づいて行く。

 ボロい倉庫の脇に少し離れて同じくらいボロい二階建ての管理棟がくっついている。
 辺りには何台かの車が雑に停めてあった。

 確かオティアのメモによると撮影現場は倉庫の方だった。

 慎重に足を運び、窓のそばに忍び寄る。が、ご丁寧に真っ黒に塗りつぶされている。
 不健康なこった。よっぽど太陽の光がお好きじゃないらしい。
 そろりそろりと入り口に回る。

 入り口のシャッターは空いていた。
 薄暗い倉庫の中は真ん中を通路が通っていて両脇に小部屋が並んでいる。
 
 どうする。
 やっぱ、部屋ん中に入らないと証拠にゃならないよな……。
 そろそろと通路に足を踏み入れる。
 数歩進むと外の光は届かなくなり、今にも寿命の来そうなへたれた蛍光灯の明かりだけが頼りになる。
 たったそれだけのことなのに外から遮断され、建物の壁と言う結界の中に閉じ込められたような息苦しさを覚える。

 ただでさえ狭い通路の中に、これまた乱雑に段ボール箱が積み上げてあるもんだから余計に狭い。

 ったく、どんだけ無精者がそろってんだ。
 日頃の自分の行いを棚に上げつつそろそろ進んでいると……。
 ぎぃ、と蝶番のきしむ音がした。
 ドアの開く前ぶれだ。

 とっさに積みあがった段ボール箱の陰に身を潜める。
 派手なシャツの上に黒いレザーのジャケットを雑に羽織った男が出てきた。
 ドアの向こうに人の気配がした。一人じゃない。怯えて息を潜めているような。
 上着のポケットからマグライトを取り出した。

(おそらく奴は一度背を向ける。その時がチャンスだ)

 予想通り、男は通路側に背を向けてドアを閉め、鍵をかけようとした。すかさず走りより、マグの柄を振り下ろす。

 小型のやつだがそれなりに重みはある。

 ごいんっと鈍い音。確かな手応え。
 ちょっとばかり手の芯がしびれたが、大したことじゃない。
 昏倒した男の脈を見る。

 …よし、生きてる。まあ俺の腕力だとこんなもんだよ。
 倒れた男のベルトとタイを外して手足を手際良く縛り上げるとポケットを探る。財布と、車の鍵、部屋の鍵。

 速やかにドアを開けて中にすべりこみ、気絶した男を引きずり込む。けっこう重いな……。
 ドアを閉めて、ふっとひと息、周囲を見回す。

 予想通りの光景が待っていた。怯えた目をした子どもが5人。うち二人が女の子。年頃は十五、六歳ってとこか……上手い選択だ。家出してもおかしくない年齢の子を狙ってやがる。

(ええい、胸くそ悪い)

 部屋の隅には寝床代わりらしいマットレスと、椅子が転がっている。どうやら宿舎――いや、監房に行き当たったらしい。
 
 まいったね。証人を見つけちまったよ。さて、こいつは幸運と言うべきか、不運と言うべきか。
 子どもたちは一言もしゃべらず、互いにぴったりひっつきあって、体を縮めてこっちを見ている。
 乱れた髪の毛をかきあげ、にじんだ汗を拭う。自然と口元に笑みが浮かんだ。

 幸運、ってことにしとくか、とりあえず。

「さーて……この中に車の運転ができる子はいるかな?」

  ※  ※  ※  ※  ※

 それから数分後。表に停まっていた車のうち一台がエンジンをふかし、やたらとでかい音を立てて走り出す。

「ガキが逃げやがった!」

『撮影所』の男たちはてんでに車に乗り込み、追いかけた。

 車はフリーウェイには出ようともせず。近くの町からも遠ざかるようにして走って行く。
 ついには追いつめられて細い林道に入り込み、灌木の茂みに突っ込んで止まった。

「手間掛けさせやがって……出ろ! おら、さっさと出てきやがれ!」

 でかい拳銃をふりまわし、どかどかと車体を蹴りつける。

「わかった、わかったって。今外に出るからさ。撃たないでくれよ?」

 ひしゃげた運転席のドアが開き、乗っていた人間が出てきた。
 背は高いが貧弱で、安物のスーツに細いネクタイのにやけた顔の黒髪の男が一人。

「お前、誰だっ」
「……おい、ガキがいないぞっ」
「何っ?」

 ありがたいことに幸運は二度続いてくれた。
 捕えられていた子どもたちの中に、運転できる子が一人いたのだ。


  ※  ※  ※  ※  ※


 一番年かさの男の子に自分の車のキーと、予備の携帯を渡す。

「いいかい、俺が奴らの車で逃げる。きっと追いかけてくるはずだ。奴らが出払ったら……この車で、逆の方角に逃げろ」
「落ちついたら、携帯のこの番号にかけるんだ。俺の知り合いの弁護士に繋がる。きっと力になってくれるから……いいね?」

 子どもに渡した携帯は、以前、ディフが爆弾で吹っ飛ばされた際にレオンに連絡をとったときの番号を使ってる。
「この番号でかけてきたときは緊急事態」を意味する、エマージェンシーコール専用の電話だ。スルーされることはないはずだ。


  ※  ※  ※  ※  ※


「ガキはどこだ」

「さあね。そんなにガキが好きか? 大人を相手にする度胸はないってか? そうだよな、お前らは子どもを苛めるぐらいがせいぜいだ……」

「この……」

「弱い者いじめしか能のない腰抜けだよ。男の風上にも置けない腑抜け……ぐっ」

 つま先が腹にめり込む。既に押さえる必要もないぐらいにボコボコにされて、倉庫の床に転がされていた。

 今のは……けっこう効いたなあ……。

 眼鏡はとっくに無くしている。
 追いつめられて車が茂みの中に突っ込んだ時、エアバックですっ飛ばされたのだ。
 持ち物は全て、上着ごと持ってかれた。かろうじて携帯にロックをかける時間があったのが幸い。

 最初は子どもらの行き先や、俺の目的、警察に連絡したのかどうか。そう言ったことを聞き出そうと殴っていたはずなんだが、皆さん次第に頭に血が昇ってきたらしい。

 わずかにあった目的意識もすっ飛んで、今はただ俺を傷めつけることが最優先事項になってるようだ。
 ひと思いに銃の一発でキレイに終わらせよう、なんて意識すらすっ飛ばしているらしい。

 よっぽど悔しかったんだなぁ……俺に裏かかれたことが。

 ざまあみやがれ。

 口元にうっすら笑みが浮かぶ。

「何笑ってやがる!」

 与えられる投打の波が一段と激しくなった。
 やばい、墓穴掘ったかな……。

 体の奥で何かが軋む。鼻の奥も喉も鉄サビの臭いでいっぱいだ。息をするたびにわき腹に鈍い痛みが走る。

 殴られているのがだんだん他人の体のような気がしてきた。
 やばいかも知れない。
 だが、必要な情報は送った。レオンとディフがきっちりケリをつけてくれるはずだ。

 お前は、自由だ、オティア。
 陽の光の下を歩いて行け。

DSCF0043.png

 できればもう一度……会いたかったよ………。

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【2-7】ヒウェルSOS

2008/03/13 1:26 二話十海
 なぜ、その時部屋を出ようと思ったのか。はっきりとはわからない。

 強いて言えばただ漠然と『いやな感じがして』、オティアは久しぶりに一人で自分の部屋を出た。
 
 静かに廊下を抜け、リビングをのぞきこむ。意図的に足音を忍ばせたつもりはなく、自然と自分の気配を消すのが習慣になっていた。

 わずかに差し込む西日が部屋の片隅をうっすらと赤く染めている。珍しくディフの姿がない。

 ここ数日、かすかに気配は感じていた。彼が仕事で出ている時はアレックスが入れ替わりで居た。
 今はただ、ソファの上に上着だけが置かれている。肩から落してばさりと置いた形がそのまま残っていて、まるで脱皮した抜け殻みたいだ。

 バイク乗りが着ているような、やたら分厚くて頑丈なレザーの上着。
 本人を見ているとそれほどでもないのだが、こうして『殻』だけ見ていると改めて思う。

 無駄にでかい図体だな、と……。

 その瞬間、携帯が鳴った。
 上着の胸ポケットから短く5秒ほど。いかにも実用本意の面白みのない着信音だったが、聞いた瞬間、ざわっと胸の奥が波立った。

 少し迷ってから手を伸ばす。ほんの少し触れただけなのに指先に、ずしりと革の重みがかかる。
 ポケットから携帯を取り出し、開いた。

phone.JPG

 送信者はヒウェル。
 件名は……『SOS』

 即座に自分の携帯に転送した。機種は違うものの同じ会社の製品だったのが幸いし、ちょっとした試行錯誤はあったものの楽に操作できた。

 足音を忍ばせて……今度は意図的に……自分の部屋に引き返す。さっきは気づかなかったがレオンの部屋のドアが細く開いていた。
 中をのぞきこむと……無人、ただし人の居た名残は歴然と残っている。
 ベッドが乱れ、床の上に服が散らばっていた。

 耳をすますとかすかに、バスルームから水音が聞こえる。

 貴重な休みに恋人同士が同じ家の中に居るとしたら、やることなんか決まってる。
 しばらくは出て来ないだろうが……急がなければ。
 見つかったら、まちがいなく止められる。

 出かける支度をしていると、シエンに袖をつかまれた。

「俺も行く」
「ダメだ、お前は残れ」
「絶対一人でなんか、行かせない」
「……わかった」

 二人で手をとり、そっと抜け出す。途中でディフの上着に携帯を戻し、入れ違いに財布を抜き取った。
 移動するには現金とカードが必要になる。

 この時点では二人とも、まだ自由になる金を持っていなかったのだ。

『借ります。後で必ず返す。ごめんね』

 シエンが走り書きして、ポケットに入れた。


   ※  ※  ※  ※  ※
 
 シャワーから上がり、脱衣所で水気の残る髪をタオルで拭いていると。先に寝室に戻っていたレオンが引き返してきた。

「どうした?」

 ぎゅっと口を引き締しめ、厳しい顔をしている。ただごとじゃないとすぐにわかった。

「これを……」

 携帯をさし出して来た。ヒウェルからのメールが届いている。
 件名はいたってシンプル、「SOS」。
 いつも『ヤバいことになったら』送ってくる、奴からのメールだ。

 速攻でリビングに走り、上着のポケットから自分の携帯を取り出した。

 同じタイトルのメールが届いている。
 座標と最寄りの道路標識、目印になるでかい看板。フォーマット通りだ、まちがいない。
 
「……あ……オティア? シエン!」

 気配がない。部屋にもいない。
 クローゼットを見る。
 上着と靴がきっちり二人分無くなってる。
 いやな予感がした。

「レオン! 双子が」
「ああ。他の部屋にもいない。きっと外に出たんだろう」

 開封ずみになっていたメール。俺とレオン以外の誰かが開けたとすれば、双子以外にはあり得ない。
 送信者はヒウェル。だとしたら……見たのは、おそらくオティアだ。

「あいつら、無茶しやがって……」

 上着を羽織る。銃は……自分の部屋か。

「ディフ」
「追いかける。後で落ち合おう」

 レオンに一声かけて飛び出した。
 自分の部屋に立寄り、保管庫から拳銃を取り出す。装填数を確かめ、セーフティをかけて、ベルトのホルスターにねじ込んだ。
 地下の駐車場までのエレベーターがやけにのろのろと感じられた。

 扉が開くなり駆け出して車に乗り込み、発進。
 地響きにも似たエンジン音が地下に轟く。

 スロープを上がってゲートを潜り、外に出ると……一面に広がるどす黒い赤が目に飛び込んできた。暮れ始めた空。灰色の雲を透かして西の空が赤々と染まっている。まるで血がにじんだような不吉な色だ。

 ……ええい、縁起でもない。

 しばらく車を走らせ、フリーウェイの入り口まで来たところで初めて気づく。
 懐が妙に軽い。
 携帯はある。だが……。

「あ……サイフがねえっ?」

 代わりにかさっと指先に折り畳んだ紙が触れる。

 予備のカードと、小銭少々。
 別にとりわけといて良かったとつくづく思った。

 移動するには金がいる。
 未成年が長距離バスのチケットを買うにはカードも必要だ。そこまで見越して財布ごと抜き取っていったのだろう。
 しかし……暗証番号、わかるのか?

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【2-8】Bitter trip

2008/03/13 1:28 二話十海
 オティアの記憶を頼りに路線を探し、バスターミナルでチケットを二枚買った。

 カードの暗証番号はすぐに察しがついた。
 レオンの誕生日を入れたら一発だった。
 ディフときたら、ご丁寧に携帯のアドレス帳にレオンの誕生日も入力してあったのだ。

 人ごみに紛れてバスに乗り込み、二人でぴったりと身を寄せ合って座席に座った。
 ごう音と共にバスが走り出す。
 あの時たどってきた風景が、逆の方向に流れてゆく。もう二度と引き返したくない場所に向かって……。


  ※   ※  ※  ※  ※


 レオンはヒウェルの部屋に居た。

『デスクの上、封筒の中』

 確かにあった。自分宛の封筒。中におさめられたファイルに目を通す。
 読み進むうち、顔から血の気が引くのがはっきりと分った。

「これは……ディフに見せなくて良かったと言うべきかな……ん?」

 電話が鳴った。発信者は『ヒウェル緊急』。

「ハロー」

 返事はない。

「ヒウェル?」
「っ……あのっ、えっと、弁護士さん……だよねっ?」

 子どもの声だ。少年、しかし双子ではない。しかもかなり動揺している。

「あの人が、言ってたっ。あな、あなたなら、助けてくれるって、だから、だからオレっ」

「落ちついて……そうだよ。私は彼の友人だ」

 ヒウェル、いったい何をやらかしたんだい?

 動揺する子どもに話しかけながら、小脇にファイルを抱えて部屋を飛び出した。もう片方の手で別の携帯を取り出す。

「アレックス。車を回してくれ。大至急だ」

 次の電話はFBIへ。
 シエンの救出以来、担当捜査官とは何かとマメに連絡を取り合っていたのだ。

 アレックスの運転する車に乗り込み、走り出す。

「いいかい。今、警察の人に連絡をとったから……そこを動かずにじっと助けを待っているんだよ?」
「うん……うん……」

 子どもの方はこれでいい。
 さて……もう一本、電話しておかないと。


  ※   ※  ※  ※  ※


 フリーウェイを飛ばしていると携帯が鳴った。
 独特の着信音。
 レオンからだ。インカムで受ける。
 ジャック・バウアーを気取って携帯片手に運転する芸当に挑むつもりはなかった。今みたいにギリギリの局面ではなおさらだ。

「どうした、レオン?」
「ディフ。行き先変更だ。これから指示する場所に向かってくれ。住所は……」

 指示された座標と住所をざっと頭の中で地図に置き換え、目をむく。

「……ってそれ方向違うだろう! 遠回りになる。冗談じゃねえ!」
「ディフ、落ちついて。俺の話を聞いてくれ……ヒウェルの携帯から電話があったんだ。緊急用の番号から」

 淡々とした口調で事実を告げて行く。水みたいにしーんと落ちついたレオンの声を聞いているうちに、ぐらぐら煮え立ってた脳みそがいい具合に冷えて行く。

「ヒウェルが逃がした子どもたちが助けを待っている。既に地元の警察には連絡した。保護されるまでの間でいい、彼らをガードしてやってくれ」
「でも」
「ディフ」

 わずかにトーンが変わる。どことなくたしなめるような口調で名前を呼ばれた。どんな顔してるか……TV通話なんざ使わなくてもはっきり見える。

「返事は?」
「……わかったよ」

 不承不承に答えを返す。舌打ちもため息もこぼさなかった自分を褒めてやりたい気分だ。

「ただし、少しばかり距離は置くぜ?」

 何度も言うが己の柄の悪さには自信がある。特に今はさぞかし目つきも鋭く、凶悪になってるだろう。双子のことが(ついでにヒウェルのことが)気がかりで。眉間にばっちり皺も刻まれているはずだ。
 警官の制服を着てる時ならともかく、今、怯えた子どもたちの前に鼻面ぬっと突き出したら……まちがいなく、恐がる。きっと、泣く。

 電話の向こうでうなずく気配がして、わずかに笑いを含んだ声が返ってくる。

「……充分だ。それじゃ、また後で」

 路肩に車を寄せ、カーナビに行き先を入力した。ドライブインの駐車場か。人の出入りはそれなりに多そうだ。
 がっとアクセルを踏み込む。今さら警察に未練はないが、この時ばかりはサイレンを鳴らせないのがもどかしかった。


  ※  ※  ※  ※  ※

 ディフが子どもたちの護衛に向かう間、双子はバスを降りていた。

 バスターミナルを出て歩き出す。目印の巨大な冷凍グリーンピースの看板は案外すぐに見つかった。
 輸送の便宜を計るため、問題の倉庫はフリーウェイの近くにあったのだ。
 少なくとも建設当初は純粋にそういった意図のもとに。

 黙って歩く。
 並んで歩く。
 辺りはすっかり暗くなっていた。外灯と通りすぎる車のヘッドライト、そしてライトアップされた看板の灯りと。
 わずかな光源を頼りに歩く。
 二人でしっかり支え合って。

 と、言うより……ほとんどシエンがオティアを支えていた。
 バスを降りるころから次第にオティアの顔色は悪くなる一方で、看板の下までやって来た時は真っ青になっていた。息をするのもつらそうだ。時折細かく肩が震える。

「もう、無理だよ」
「……ここからは俺一人で行く。お前は待ってろ」

 激しくかぶりを振るシエンの手に、オティアは自分の携帯とディフの財布を押し付けた。

「あいつら、お前のことは知らない。俺が出ていけば、もう仲間はいないと思って安心するだろう。その間に探偵か、弁護士と連絡とれ」
「でも……」
「俺は殺されないから大丈夫」

 はっきりと理由があるわけじゃない。でもなぜだかそんな気がした。
 小さくうなずくシエンをその場に残して、オティアは歩き出した。二度と戻りたくなかった忌まわしい場所につづく、細い道を。

 オティアの背中が遠ざかる。
 まだ少しふらふらしている。すぐにでも駆け寄って支えてやりたかった。
 やがて、木々の闇の中に飲み込まれて見えなくなった。

 シエンは声もなく立ち尽くし、ただ一人闇を見つめていた。


  ※  ※  ※  ※  ※


 指定されたドライブインの駐車場のすみっこに、見覚えのある車が停まっていた。03年型のトヨタのセダン、色はシルバーグレイ。

 ナンバープレートを確認する。
 ……間違いない、ヒウェルの車だ。

 中には子どもが5人乗っていた。ぴたりと身を寄せ合って震えている。
 10mほど離れた場所に車を停めて見守った。何かあったら、いつでも飛び出せるように身構えて。

 せめてレオンの半分でもいい、穏やかな顔つきなら。ヒウェルの三分の一でもいい、巧みに口が回ったら。
 いや、いや、今さら無いものねだりをしてもしょうがない。
 自分にできることに専念しよう。

 しばらくしてパトカーと救急車がやってきた。サイレンは鳴らさずに。ちらっと見たが婦人警官もいるようだ。
 よかった、これでひと安心だ。
 子どもたちが無事保護されたのを見届け、エンジンをかけた瞬間に携帯が鳴った。


  ※  ※  ※  ※  ※


「オティア……」

 震える声でつぶやき、シエンは自分の携帯を取り出した。
 強ばる指で電源を入れた。


 誰に知らせればいいんだろう。
 レオン?
 それとも……。

 束縛を断ち切り、冷たい台の上から解放してくれた温かいがっしりした手。
 服を全て脱がされ、裸で震えていた自分を包み込んでくれたぶかぶかの上着。
 ほんの時たま、穏やかな笑みを浮かべるヘーゼルブラウンの瞳。ふかふかの大型犬の毛並みにも似た赤い髪。
 
 メモリーダイヤルから一つを選び出し……発信。
 1回、2回、3回鳴って、4回目に低い声が答えた。

「シエンか」
「ディフ……」

 涙がこぼれそうになる。

「今、どこだ?」
「看板の……下……オティアが」
「わかった。すぐ、迎えに行く」
「うん」

 つーっと頬を温かな雫が滑り落ちて行く。
 もう声が出ない。うなずくことしかできない。ごめんなさいって、伝えたいのに。言いたいのに。

「待ってろ」
「う……ん」

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【2-9】ここで死なれたら寝覚めが悪い

2008/03/13 1:29 二話十海
 倉庫にたどり着いた時はもう、足を運ぶのさえやっとになっていて。
 あえて『抵抗できない』ふりをする必要も無くなっていた。

 ふらふらと管理棟の前を歩いているとすぐにドアが開いて、見覚えのある男たちが出てきた。

「てめえはっ」

 問答無用で平手打ち。一瞬、目から火花が散った。のろのろと見上げる。

「手間かけさせやがって……」

「おい、あまり傷をつけるなよ。『商品』はもう、そいつしかいないんだ」

「わかってらあ。けっ、あんのスかした眼鏡野郎のせいで……」

 何故自分がここにいるのか。何をしているのか。毛ほども疑っていない。もとより『スかした眼鏡野郎』との関連性など、考えてもいないようだ。

 単純な奴らで助かった。

 結局、きついのは最初の一発だけで。あとは腕をひねられたり、小突き回されたりする程度で終わった。
 ここにいる間にされたことに比べれば大した事じゃない。

「どうする、こいつ」

「『宿舎』にぶちこんどけ」


  ※  ※  ※  ※  ※


「………ってえなあもお……」

 唇が腫れている。手足は鉛を詰めたみたいに重く、あちこち嫌な熱を持っている。
 ちょっとでも動かそうとするとまず鈍痛が走り、続いてズキンと鋭いのが来る。

 くそ、あいつら思いっきり殴りやがって。
 
 眼球を動かして部屋の中を見回す。眼鏡がないのでよくわからないが、どうやらさっきまで子どもたちの閉じ込められていた部屋に居るらしい。

 さしあたって監禁しとくことに決めたって訳か。
 いつまで生きてられるか疑問だが。

 おそらく死体の隠し場所でも探しているのか、あるいは……抜けた『出演者』の穴をどう埋めるかで慌てているのかもしれない。

 ざまあみやがれ。

 くくっと喉の奥から笑いが漏れる。肋がきしみ、顔をしかめた。

「あーくそ……一服やりてえなあ……」

 掠れた声でぼやいていると、がちゃんと鍵の回る音がして。ドアが開き、また閉まった。

 ああ、ついにその時が来たか。

 最後の一服を許可するほど連中が寛容とは思えないが、ダメモトで交渉だけでもしてみるか……。

 足音がコンクリートの床に響く。やけに軽い。さほど広くもない部屋だ。すぐに隣までやってきた。
 のろのろと見上げる。

「あ……」

 かすむ視界に写るのは、少しくすんだ金色の髪。やさしく煙る紫の瞳。

「オティア……くそっ、とうとう幻覚見えてきたか……」

 口の端が青黒く腫れて血がにじんでる。血の気の失せた顔。初めて会った時に比べればマシだが、ふらふらして今にも倒れそうだ。

「……ひどい顔してやがる……こんな時ぐらい笑ってくれてもいいだろうに……」
「バカなこと言ってんじゃねー」
「え……本物? …何で来た……」

「死なれたら寝覚めが悪い」

 ああ。少しは俺のこと気にかけていてくれたのか……嬉しいよ。でもなあ、オティア。

 お前が今。
 ここに居たら。

 意味ないだろうが!

 待てよ。ここにいるのが本物ってことは顔の傷も本物だと言うことか。
 かっと体内をアドレナリンがかけめぐる。
 誰にやられたかなんて、聞くまでもない。

「…殴られたのかっ」


 起きあがろうとした瞬間、体中のありとあらゆる場所が悲鳴をあげやがった。
 押さえ切れなかった『本物の悲鳴』が喉の奥で耳障りな音を立てる。

「たいしたことない」


 程度の問題じゃないんだよ……くそ、お前が殴られたってことが我慢できない。
 二度と奴らに手を出させたくなかったのに。

(そもそもお前、何でここに居るんだ?)

(俺がメールしたのはディフとレオンで……あ、まさか……)

 こいつが今、住んでるのはレオンの部屋。ディフはここんとこずっとリビングに常駐。
 しかも奴はしょっちゅう脱いだ上着をそこらに放り出す。

(…………見たのか、携帯)

 ミスった。オティアの行動力と直感をあなどっていた。


「…ハンカチ貸してやりたいんだけど…無くしちまったらしい…救急セットもどっかいっちまった」

 妙な具合に腹の底がひきつれる。しゃべるだけで人間、体力削れるもんなんだな……。

「…いらないだろ、そんなの」
「だってお前…殴られて」

 お、笑った。
 なんか皮肉っぽい笑みだが、とにかく笑った。

「何……だよその顔」
「人の怪我心配してる場合か」
「あー………そーゆー意味か………確かに色男が台無しだ…な」

 また無表情に戻っちまった。
 視線の温度が氷点下まで下がってる感じだ……。

 見捨てとけばよかったって、本気で思ってるだろ、お前。

(……そうだよ。俺のことなんか見捨てちまえばよかったんだ。お前に恩を着せて、凄まじい記憶を無理矢理引きずり出した酷い男だ)

(ここで俺が死ねばすっぱり縁が切れたんだぞ。この先二度とお前を煩わせることもなかったはずなんだ)

 咳き込んで、血を吐いた。
 どうやら、もう声を出すのも無理っぽい。

 喉がぜいぜい鳴ってる。鉄サビのにおいとどろりとした塩辛い波がからみつき、息の出入りを妨げる。
 肺はぺしゃんこになった風船みたいだ。いくら息を吸っても膨らまない。

 シャレにならんぞ、この状況。
 自分の吐いた血で溺れそうだ……せめてあの二人がたどり着くまで、お前を守りたいのに。

(しゃべることさえできなくなったら俺に何が残るのだろう?)

 すっとオティアの顔が近づいてくる。傍らに膝をついて、屈み込んで、手を触れてきた。
 
「う……」

 今にも潰れるかと思った胸の痛みが、すっと和らぐ。堪え難い手足の軋みが少し収まり、だいぶ呼吸が楽になった。

「え……これ……どうして? 一人なのに?」
「揃ってなきゃ何もできないってわけじゃない…ただ完治は無理だ」
「充分だよ……ありがとうな、オティア」

 体が動かせれば上等だ。床に手をつき、起きあがる。

「ぐっ」

 よし、いいぞ……痛いって事は生きてる証拠だ。
 裂けたシャツの袖で口元の血を拭う。

 ふいっとオティアが目をそらし、塗りつぶされた窓の外に視線を向けた。

「どうした?」
 
「シエンが……探偵連れてくる」
「ってことは、そろそろ一騒動あるな」

 壁に手をつき、立ち上がる。

「あいつ元々、爆弾の専門家だからさ、こーゆー時、どうしても行動が派手になるんだ」
「……こっちに被害がこなきゃ別にいい」
「監禁場所は建物の入り口から遠い、だから入り口なら問題ないだろとか言ってさ。一度なんか大型トラックで突っ込んできたことが」
「犯罪だろ。派手だな」
「まー手榴弾とかバズーカを持ち出さないだけまだマシと」

 言った瞬間。管理棟の方角からドカーンとごう音が轟いた。
 安普請の壁が、天井がぐらぐら揺れてガラス窓がびりびり震える。
 
 爆弾……だよな、これ。

「……進歩のない奴」

 いや、むしろグレードアップしてると言うべきか?

「……あいつ、シエンに怪我させてたら殺す…っ」

 オティアが言い終えるか終えないかのうちに、低いエンジンの轟く音、タイヤのきしる音が聞こえて……
 
 ガシャーンと、金属のシャッターがひしゃげてぶっとぶような音が(いや、そのものが)聞こえてきた。
 今度は車で突っ込んできたな……。

「ディフ〜〜〜〜」

 10年以上つきあってて一つ学んだことがある。奴の辞書に、隠密行動と言う文字はない。

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【2-10】DefのDは破壊のD

2008/03/13 1:30 二話十海
 ばかでっかい冷凍グリーンピースの看板の下に車を止めて外に出る。

「シエン。どこだ?」

 そっと、支柱の陰から小さな姿が立ち上がる。

 ……いた。

 紫の瞳に涙が盛り上がっている。白い頬にいく筋も、流れた後がある。
 ぎりっと胸の奥が締めつけられる。できるものなら抱きしめてやりたいが、俺はまだそれを許されるほどこの子の近くには行けない。

 せめて、微笑みかける。
 彼の心を埋め尽くす不安がすこしでも軽くなるように。

「……心配すんな。オティアは助け出す。必ずな。………ついでにヒウェルも」


 不安そうな顔でこくんと頷いた。


「レオンが来るまで、ここでで待ってるか? それとも」

 続く言葉は自分でもまともとは思えなかった。
 けれどシエンを助けに行く時、オティアは一緒に来ると言ったのだ。
 立場が逆になった今、彼が同じことを思わないとどうして言える?

「一緒に来るか?」
「……行く…」
「わかった。傍を離れるな」

 やっぱりな。
 ここまでずっと支え合ってきた二人だ。


「お前のことは、俺が守る」

 涙を拭ってやることができないのなら、せめてお前の盾となろう。
 
 うなずくシエンに歩調を合わせて歩き出す。

 轍の刻まれた細い道を歩き、林の中に分け入って行く。じきに灰色の倉庫が見えた。
 ホルスターから銃を引き抜き、セーフティを外す。両手で握り、銃口を下に向けて注意深く進む。

「オティアは……どこだ?」
「あっち」
 
 倉庫の方か。ってことは管理棟にいるのが犯人一味だな。

 さて、どうする。
 拳銃一丁でできることなんかたかが知れてる。こう言う時は……原則、相手の持ち物を最大限に活用する。

 見回すと車が何台か停まっていた。
 いかにもぞんざいな駐車の仕方だ。鼻面の向きがてんてんばらばら。がーっと走ってきて、ロクに確認もせず適当にとめたんだろう。

 ……良い傾向だ。

 ざっと見て、一番でかい車に忍び寄る。
 戦車みたいに頑丈な角張った車体の四輪駆動車――ハマーだ。ついてる、これなら警官時代に何度も運転した。
 さらにラッキーなことに、乗っていた奴はキーをさしたまま、ロックもかけずに降りていた。よほど慌てていたのか、あるいはイラついていたのか。

 乗り込み、後部座席に目をやるとプラスチックの箱がいくつか無造作に置かれている。
 ぞんざいにしめられたフタのすき間から、見なれたものがのぞいていた。

 慎重に開けて取り出す。
 思わず小さく口笛を吹きそうになった。

 暴徒制圧用のスタングレネードだ……直接の殺傷力はないが、ごう音と閃光で食らえば行動不能に陥る。
 何に使うつもりだったんだろう?

 知ったことじゃないが、有る物はありがたく使わせてもらおう。
 一個抜き取り、車を降りる。

「いいか、助手席に乗って、伏せてろ。耳をふさいで、目を閉じているんだ」
「……うん」
「すぐ戻る」

 管理棟に忍び寄った。
 ピンを抜き、3秒数えて中に放り込む。窓ガラスが割れる。ごとりと床に落ちる気配。

 2秒、1秒……

 ジャケットを頭からひっかぶり、地面に突っ伏す。

 ゼロ。

 ごう音とともに夜の暗がりが一瞬、まばゆく照らされる。
 部屋ん中に雷でも落ちたような派手な閃光。ほぼ同時に爆風に窓ガラスがたわみ、内側から粉々に吹き飛ばされる。

 成功。
 跳ね起きるとダッシュしてハマーの運転席に飛び乗った。

「しっかりつかまってろ。行くぞ」

 エンジンスタート。一発でかかる。
 アクセルを踏んで、突っ走る。目標は……倉庫の入り口だ。

「ディフ、シャッター閉まってる!」
「すぐ開く」

 耳障りな悲鳴を挙げて安普請のシャッターがひしゃげて吹っ飛ぶ。
 ハマーの車体には擦り傷がついただけ。
 持ち主が文句を言いそうだがこっちの知ったことじゃない。

 外に飛び出し、ちらっと助手席を見る。
 真っ青な顔をしている。今にも倒れそうだ。

「……ここで待ってろ。すぐもどる。いいね?」
「……や、だ……いく」

 よろめきながら車の外に出てきた。

「……走れるか?」

 
 こくっとうなずく。

「よし……ついてこい」

 薄暗い廊下を走り抜ける。スタングレネードの効果が切れるのと、オティアとヒウェルを救出するのと、どっちが早いか、かなりギリギリだ。
 シエンが気がかりだが、あまりペースを落してもいられない。

 ちらっと後ろを振り返る。
 荒く息をついて、それでも懸命に走ってくる。

「オティアはどこだ?」

 震える指がドアの一つを指さした。
 意外に近い。

「ここで待ってろ…帰りはまた走るんだ。中休みとっとけ。いざとなったら車まで抱えてくぞ」


 返事はない。壁によりかかり、膝に手をついて体まげて、必死で息を整えている。

 問題のドアに近づく。
 チャチな鍵だ。これなら銃を使うまでもない。

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【2-11】Twin-Tornado

2008/03/13 1:31 二話十海
 オティアは扉に飛びつき、鍵を念動力で開けようと試みた。最初に逃げた時はそうやって扉を開けたのだ。
 繊細な作業なので集中が必要、今みたいな状況にははなはだ不向きなのだが。

 手間取っている間にだかだかと重たい足音が近づいて来る。

 お迎えだ。
 ヒウェルはとっさにオティアを引っ張ってドアの前から遠ざける。

 その直後に、巨大な生き物が体当たりをかませてきた。
 ぐわっとドアがきしむ。

「な、何だ?」
「ディフだよ」

 めき、びし、ばき……。
 がごん!

 ガタのきてた蝶番がきしんで壊れて、ノブ側を支点にドアが開く。
 ちらりとひらめく赤い髪が見えた。

「ほらな」

 足があがり、とどめとばかりに蹴りつける。
 半壊したドアが今度こそきれいに吹っ飛んだ。

「ヒウェル! 無事か? 死んでないかっ?」

 ある意味失礼な言い方だ。

 ぽそっとオティアが答える。

「残念だけど生きてる」

 お前も大概に失礼だね、おい。

「君ら……」

「迎えに来た。帰るぞ」
「…シエンは」
「一緒に来た。そこの廊下の突き当たりで待ってる」

 オティアは物も言わずにすっと廊下に飛び出した。慌てて俺とディフも後を追う。

「待てよ、オティア!」


 走って行くと曲がり角にシエンが立っている。
 おかしい。
 表情が凍り付いている。近づくオティアを見て小さく視線を左右に揺らす。

 来ちゃいけない、とでも言うように。

 オティアが立ち止まる。

 ちらっとディフの目を見る。奴もうなずき、銃を構えた。
 果たして……すぐ後ろから、拳銃を握った手がにゅっと出てきた。銃口はぴたりとシエンの頭につきつけられている。


「銃を降ろせ、その子を離せ!」
「そっちこそ捨てろ! ガキをこっちに寄こせ……」

 よりによって俺が最初に殴り倒した男だった。
 あーあ、こりゃもう交渉の余地はねえわ。

「ディフ……それ、降ろせよ」
「ここで捨てたら、全員殺される」

 迷いのない声だ。
 シグ・ザウエルを両手で構え、ぴたりと狙いをつけている。教科書通りのポーズだ。ぴくりとも震えていない。
 つくづく警察で銃の撃ち方習った人間だよなと思い知らされる。
 拳銃を握っても冷静でいられるよう、みっちり訓練されているんだ。

「どうせこの騒ぎだ、俺は上に消される! 道連れは多い方が楽しいぜ……」

 しかしながら相手はそうでもないようで。
 目が完ぺきにイっちまってる。いつぶち切れてもおかしくはない。

 幸い、男はシエンより背が高い……ディフもそのことを察しているのだろう。
 撃つ気だ。

 だが、どっちが先だ?

 いきなり相手の持ってる銃が、誰かにつかまれたかのようにぐいっと、不自然な角度で跳ね上がる。

「うぉっ」

 暴発した相手の弾が壁に当たって跳ねて。オティアを掠める。

「オティアっ」

 なりふりかまわず駆け寄った。
 ほぼ同時にディフが引き金を引く。
 腹に響く低い銃声とともに、男の腕の付け根近くに赤黒い穴が開いた。

「……当たったね」
「当てたんだ」

 ディフは構えを崩さず倒れた男に近づき、拳銃を蹴り飛ばした。

 シエンは目を見開いたまま、身じろぎもしない。オティアが黙って近づく。
 どちらからともなく手を握り合った。

 じりじりと進み、廊下の曲がり角に立った瞬間。前方からじゃきっと撃鉄の音が聞こえた。しかも一つじゃない。

 ほっと息つく間もなく最悪の事態に陥ったことを知った。
 いくつもの銃口がこっちを狙っていた。

「くそ……時間切れか」
「もしかして、最初の一発、スタングレネード?」
「ああ」

 ってことはこいつ、俺のデスクの上の封筒の中味は読んでないな。
 あれ見てたら、間違いなく手榴弾を投げ込んでいただろうから。
 幸いと言うべきか。
 不幸と言うべきか。

「……弾、あと何発残ってる?」
「12」
「……足りないねえ、一人一発だとしても」

 じわじわと銃口の壁が迫ってくる。

「最悪、あの子らが逃げる時間だけでも稼ぎたいとこだが…」

「んー、率の低い賭けだが、手伝いましょうか…」

 床に落ちていた拳銃を拾い上げ、構えた。
 グロックか。多分9mmってとこだな。
 運がいい。これがマグナムやパイソンならお手上げだが、こいつなら俺の細腕でもどうにか扱える。

「こう言う状況でも言うべきなのかな。銃を降ろせ、って」
「やめとけ」

 やめとくべきだった。
 気の早い奴の撃った一発がシエンの金髪を掠めて舞い上がらせる。

 心臓が縮み上がった。

 ディフが喉の奥でぞっとするような唸り声を挙げ、発砲した男に銃を向けた。

 撃つか。撃たれるか。
 覚悟を決めた。

 倉庫の中にひしひしと殺気がたちこめ、高まって行く。
 二発目の銃声を聞き終わるまで生きていられるだろうか?

 ふわりと、金色の光が視界の隅をよぎる。
 髪だ。
 金色の髪が二人ぶん、風にでも舞い上がったみたいに逆立ち、波打っている。

 見開かれたアメジストの瞳、四つ。
 瞳孔が拡大して深みを増した紫色の奥底で、あらゆる色が明滅し、たがいに打ち消し合い、虹のように煌めきながらうねっていた。

 双子の中で荒れ狂う何かが、今にも解き放たれようとしていた。

「うぉっ」
「何だっ」

 通路いっぱいに積み上げられた荷物がぐらぐら揺れて、男たちの上に崩れ落ちる。
 キィイイイ、と甲高い音を立てて空気が震え、ポップコーンが弾けるみたいな音を立てて蛍光灯が破裂する。

 続いて窓がいくつかばりばりとふっとんで、ガラスの破片が降り注いできた。

「……偶然…じゃ、ないよな」
「うわっ、まさか……お前たちかっ」

 返事はない。双子は手を取り合ったまま硬直し、ぴくりとも動こうとしない。
 ばんっと真上で蛍光灯が吹っ飛ぶ。とっさに飛びつき、覆いかぶさる。背中にチクチクと何かが刺さる感触があった。

 ぐらぐらと地震さながらに建物全体が震える。
 もう、犯人一味は俺たちのことなんか構っていられない。まっくらになった狭い通路で、我れ先に外に出ようと慌てふためき逃げ惑う。

 混乱の最中、ディフは経験(+野生のカン)で危険を察知していた。他の人間よりほんの少し早くだけ。

 その瞬間、確かに聞いた。
 建物を支える決定的な何かがきしみ、崩れる音を。
 今まで何度か聞いたことがある。

 崩れる。
 外に出る時間はない。

 思考が凄まじい早さで駆け巡る。

 落ち着け。
『爆心地』があの二人だとするなら……一番被害の少なそうな場所は……。

 ぐい、と双子を抱えるヒウェルをひっつかむ。

「ここか!」

 二本の支柱の間にできた、わずかな壁の窪み。
 最悪、天井が落ちてきてもここならまず柱で止まる。支柱が崩れても、倒れるより先に互いにぶつかり、直撃は避けられるはずだ。

 ……あくまで理論通りに行けばの話。だが、迷っている時間はない。

 避難場所に退避した直後に、巨大なミキサーの中にまるごと叩き込まれたみたいにそこらの物が飛び交う。

 背中にばらばらとがれきが落ちてくる。必死で踏ん張った。
 俺が支えていれば下の3人は直撃を免れる。俺が倒れてもヒウェルが居る。
 
 いくつかでかい瓦礫が落ちてきた。しかしぶつかる直前に、妙に不自然な角度で逸れた。
 見えない手がはじき飛ばしたように。

 双子の力か?
 あまり重いものは動かせないはずだ。
 こんなことまでやって大丈夫なのか?

 その瞬間、めきっと壁がきしみ、ゆがんで剥がれて……天井が落ちてきた。

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【2-12】clear!

2008/03/13 1:32 二話十海
 レオンが警官隊とFBIとともに駆けつけた時。
『撮影所』は跡形も無く瓦礫の山と化していた。
 
 ひと目見た途端、レオンの脳裏にあの日の記憶が蘇る。
 ディフが爆発に巻き込まれて病院に駆けつけた時のことが。

 顔から血の気が引いた。

「ディフ……」

 掠れた声で呟く。サイレンの音に紛れてほとんど他人の耳には聞こえないかすかなつぶやきに応えるように、がしゃん、と。
 ひと際大きなスレートの破片が持ち上がり、人懐っこい笑顔が現れた。

「よお、レオン」
「ディフ…っ」

 駆け寄ろうとして警官に止められる。
 瓦礫の下から這い出すと、ディフはさらにがしゃがしゃと破片を取りのけてヒウェルと双子を引っ張り出した。

「要救助者3名、うち2名は未成年だ。爆発物は……たぶんクリアだな」

 その後も警官隊の手で容疑者一味が次々と『発掘』されて行く。
 何が原因かは、薄々察しがついた。
 
 爆発物はないと言い切った。ディフは原因を知っている。おそらくはヒウェルも……双子も。

 救急車のサイレンが近づいて来る。
 双子は疲労困憊といった様子でぐったりしてたものの、ほとんどかすり傷だった。
 ヒウェルは……殴られた怪我が深刻らしい。救護班の応急処置を受けながら、じっとオティアの顔を見上げている。

「寿命が縮んだよ……」
「大丈夫だよ、レオン。バイク乗り用のジャケット着てきたから。けっこう防御力高いんだぜ、これ…それに、倉庫も安普請で……助かった……」

 ぐらり、と腕の中にディフの体がよりかかる。甘えてすり寄って来るのとはまるで違う。
 
「ディフ?」

 べっとりと手のひらに血がついた。
 ジャケットの背に一筋、細い……長い裂け目があった。

「救護班!」

「ディフ……」

 ぐったりしていたシエンが目を開け、よろよろと起きあがろうとする。
 ディフのまぶたが動き、うっすらと目を開けた。

「心配……ない……ちょっとばかり……くらっと来ただけだ」

 穏やかな笑みが広がる。子犬を見守る母犬そっくりのやわらかな眼差し。子猫をなめる親猫のような優しい声。

「大丈夫だよ……シエン。大丈夫だから……」

 その瞬間、レオンは悟った。

 彼(シエン)はひな鳥だ。
 恋人ではない。

 ……困ったな。
 こんな状況なのに……ほほ笑んでしまいそうだ。

 ディフが体を預けて来る。
 傷にさわらぬよう、腕を回して支えた。
 
 本当に、困ったね。

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【2-13】たからさがし

2008/03/13 1:34 二話十海
 
「奇跡ですね」

 金髪の科学捜査官から言われたが、曖昧に笑ってやり過ごした。

 崩れた壁やら天井の下敷きになって、それでも命に関わる怪我を負わずにすんだのは奇跡なんかじゃない。
 双子が守ってくれたからだ。

 瓦礫の下から引っ張り出されて俺とディフはそのまま病院に直行して入院。

 消耗しきってぐったりしていたものの、『奇跡的』にかすり傷だった(おそらくお互いに怪我を治療したのだろう)双子は一晩だけ検査のために入院し、翌日、無事にレオンのマンションに引き上げて行った。

 ディフは俺たちを引っ張り出したくせに、一番重症だった。
 文字通り体を張って盾になったのだ。

(無茶と言うか。無謀と言うか。ほんっとにつくづく後先考えないおせっかいな暴走野郎だよ、あの男は!)

(……だから放っとけねえっつの)

 背中に打撲傷、裂傷、数知れず。中でもとりわけジャケットを切り裂いてざっくり来たのがけっこう深かった。
 おそらく跡が残るだろう。

「サムライみたいだな。後ろからってのがちとしまらないが」

 当人は笑い飛ばしていたが、レオンは少し辛そうな顔をしていた。

 時々、双子がレオンに連れられて見舞いに来るたびにほんの少しずつ体が楽になって行った。
 隠れて治してくれていたようだ。

 おかげで一週間ほどで俺は退院し、現場検証にも立ち会うことができた。



  ※  ※  ※  ※



 冗談みたいに晴れた日だった。

 カリフォルニアの冬は他の土地に比べて温暖だと言うが、物心ついた時からこの土地に住んでる身としては、やはりそれなりに寒い。
 今日みたいに風の強い日はなおさらだ。
 薄手のトレンチコートではいささか役不足。気取らずダウンジャケット羽織ってくりゃ良かったか。

 空は青い。
 磨きぬいたターコイズみたいにどこまでも青く、鋭く、見上げていると目に染みる。

 オティアを苦しめた『撮影所』は、地上からきれいさっぱり消え失せていた。
 今となってはへしゃげた鉄骨やくだけたガラス、板切れ、木切れ、金属片、その他雑多なガラクタの山と成り果てて。

 いずれ真っ平らな更地になるだろう。

 まだあちこちに絆創膏が残っているが、ようやく包帯とはおさらばした体を引きずり、予備の眼鏡をかけて瓦礫の中をうろつき回る。

 チカっと足元で何かが銀色に光る。屈み込んで掘り出した。
 ……外れ。
 しゃくに障るほどぴかぴかの、半分に欠けたナットが一つ。
 ぽい、と放り出す。ま、期待はしてなかったがね。

「……あーこれはもう…見つかんねーかもなあ…」
「なにやってんだ」
「んー……ライター……さすがに携帯は無理だろうけど、残ってないかなーとか思ってな」
「ライター……ああ、赤い模様のついた、あれか」
「ああ。携帯と一緒に取り上げられちまってな」

 そう言えばこいつと初めて会った時も、目の前で火ぃつけたっけな。
 さすがに記憶力がいい。
 Zippoのオイルライター、ウェールズを象徴する赤いグリフォンの紋様入り。イニシャルさえ彫ってない、どうってことない量産品だが……里親の家を出る時、親父から贈られた、記念の品だ。

 若い頃軍隊に居た人らしく、ガツンと机の縁にぶつけて『唯一の傷』をつけてから渡してくれた。
 それまで注がれた愛情と温もりの記憶が全て凝縮した、大事な贈り物。

(親と言うより友だちみたいな間柄だったけど、俺にとっては最高の両親だった)

「やたら頑丈だから、もしかしたら潰れず残ってないかなって……」

 オティアはぐるりとあたりを見回して、すたすたと歩き出した。

「あ、おい、どこ行くんだ?」
「こっちが俺らが居た部屋…だからこっちが事務所のあと」
「わかるのかっ?」
「…確率の問題だ。あるとしたらこのへん…」

 言われた場所にひざまずき、掘り始める。
 犬みたいに素手で。
 細かい破片をとりわけ、指先でまさぐって。

「……CSIにひろわれてねぇ?」

 尖った釘や針金、ガラスや金属の欠片で皮膚が切り裂かれる。けれど手を止めるつもりはなかった。



  ※  ※  ※  ※


 ……だめだ、こいつ、聞いてねえ。

 軽く肩をすくめると、オティアはその辺りを適当にほじくり返した。
 すぐにシエンも走って来る。
 三人で物も言わずに瓦礫の山を掘り返した。たった一つの『たからもの』を探して。

「…あった」
「……え?」

 ヒウェルは立ち上がり、よれよれとオティアに近づいた。黙ってさし出された手の中には、四角い銀色のライター。
 少しばかり擦り傷が増えていたが、間違いない。
 赤いグリフォンの紋様。
 思い出の傷。

「あった……………」

 傷だらけの手で受けとった。ぽとり、とライターの上に雫が落ちる。

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 ※月梨さん画「見つけた!」

「……りが……と…………ありがとう……オティア…ありがとう…」
「……あぁ」

 両手でぎゅっとライターを握りしめて、ヒウェルは泣いていた。レオンでさえ初めて見るような、心の底から無防備な泣きっぷりで。

 オティアは少し離れてシエンと一緒に見ていた。

 こいつでも、こんな風に泣くことがあるのか。

 シエンが小さな声で「よかったね」とつぶやく。
 ヒウェルはうなずき、ぐいっと袖口で涙を拭うとハンカチでライターを拭い、大事そうに左胸のポケットに入れた。

 にぃっと口もとがつり上がり、にやけた笑いをかたちづくる。

「さぁて……殴られた借りは返しとかないとな。じっくりしっかり書かせていただくぜ」



(永久(とわ)に消さんこの忌まわしき場所を/了)

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