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ローゼンベルク家の食卓

サリー編

2009/02/03 19:07 番外十海
 エドワード・エヴェン・エドワーズはクリスマスにあまり縁のない男だった。

 両親は既に亡く、アメリカ国内には親類もいない。
 クリスマスらしいイベントと言えばせいぜい英国の親類縁者とカードをやりとりするぐらいだ。
 警察のOB会のクリスマス会合なんてものもあるのだが、最初の一年目にちらりと顔を出しただけで後の二年は欠席。今年で四年目になる。
 時に友人や元の上司から招待を受けることもあったが、その都度控えめに、丁寧に辞退するのが常だった。
 クリスマスは家族と過ごすもの。自分ごときが顔を出して水をさすのも申し訳ない……なぞと言うのは大義名分、本当は単に出不精なだけなのだ。

 少なくとも自分ではそう思っている。
 この季節に常に彼が家を離れない事を見越して留守番をする猫の世話を頼んで行く友人も多い。もちろん、二つ返事で引き受けた。

 もっとも客商売を営んでいる以上、全くクリスマスらしい装飾をしない訳にも行かない。
 かと言って派手な電飾をちかちかピカピカさせるのはどうにも性に合わず、結局、毎年庭の柊を使ってシンプルなリースを作ってドアに飾ることにしている。
 そんな彼の店にもクリスマスの贈り物を買い求めに訪れる人がいる。ウェブショップにも。実店舗にも。
 そしてこの季節はまた、大事にしてきた古い本の装丁の直しを頼まれることも少なくなかった。

 ぼろぼろになってしまった大切な本を、新しく装丁し直してプレゼントに……と言う訳だ。一度引き受けて喜ばれたので控えめに張り紙とホームページでアピールしてみたところ案外好評で。
 このサービスはエドワーズ古書店の新たな目玉商品になりつつあった。
 今日は子ども用の絵本を手がけた。表紙がすり切れ、ページがばらばらになるほど繰り返し読まれた絵本はエドワーズの手で新たな装丁を施され、世界に一冊だけの本に生まれ変わった。

『ありがとうございます。あの人、喜ぶわ』

 依頼主は頬を薔薇色にしてほほ笑んで、仕上がった絵本を大事そうに胸に抱えて帰っていった。
 きっとあの絵本はクリスマスツリーの根元にそっと置かれて、25日の朝を待つのだろう。舌の奥にかすかに、母の焼いてくれたミンスミートパイの味を思い出す。
 イギリス生まれの彼にとって、たっぷりのドライフルーツとスパイスをふんだんに使ったこのパイはクリスマスに欠かせない食べ物だったのである。
 さすがに自分で作ることはできないし、今は作ってくれる人もいない。今日は店を早じまいにして近所の店に買いに行こうか……。
 
 ふにっと手首に冷たい鼻が押し付けられた。白い体に足と耳の先、そして尻尾がカフェオレ色。ほっそりした青い目の猫がカウンターに腰掛け、首をかしげている。リズだ。現実に戻り顔を上げると、カウンターの前にひょろりとした黒髪の男が立っていた。

「Mr.エドワーズ?」

 おっと。お客さんだ。
 先日仕入れたばかりの日本のペーパーバックが売れた。

「よいクリスマスを」
「あなたも。マックスとレオンにもよろしくお伝えください。オーレとMr.セーブルにも」
「ああ、伝えとくよ」
「にゃ」

 常連客のひょろながい後ろ姿を見送ってから、コートに袖を通した。

「少し出かけてくるよ、リズ」
「みゅ」

 ドアに『外出中』の札を下げ、カギをかけて外に出た。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 くるくる翻る赤と緑、柊のリース、赤い実のリース、もみの木のリース、松ぼっくりのリース、蔦のリース、葉っぱのリース、その他もっとたくさん。サンタクロースにトナカイ、金色の星。聖なる日を祝う種々の装飾と音楽。
 柄にもなくクリスマスのにぎやかさに浮かれたか、あるいは人恋しかったのか。いつもは滅多に立ち寄らないスーパーマーケットまで来てしまった。
 冷凍のパイ皮と、できあいのミンスミート(スパイスとドライフルーツを合わせて砂糖で煮込んだもの)を使えば自分でも焼けるかもしれない。
 そんなことを考えてしまったもんだから、つい、完成品ではなく材料レベルで買ってしまった。
 会計をすませてから、本当にできるのかと少しばかり不安になったが、大丈夫だ。箱に書いてある説明書き通りに実行すれば、できるはずだ……理論上は。
 万が一失敗したところで食べるのは自分一人なのだから。
 よし、問題ないな。

 ペット用品売り場でリズのために小エビ入りのキャットフードを買い求め、リカーショップでいつも飲んでいるのより少し高めのワインを買う。

 スーパーを出てずっしり重たい買い物袋を抱えて家へと向かった。心無しか、早くも道の両脇の商店のイルミネーションが輝きを増してきた。
 曇っているせいだろうか。今日は暗くなるのが早いかもしれない。

 にぎやかなメインストリートから一本横に入り、もの静かな一角……自分のテリトリーにさしかかる。ほっとして肩の力を抜く。意識していたつもりはないが、やはり緊張していたらしい。
 気がゆるんだ瞬間。

「う……」

 正面から吹き付ける風に一瞬息が詰まる。
 何だ、これは……? 生臭い、胸の悪くなるような臭いだ。明らかに有機物由来の。

 警官時代の記憶が脳裏に閃く。普通の人間には馴染みが薄いがあの頃の自分はほぼ日常的に触れていた臭い……かつて命のあった生物の体が腐敗し、崩壊して行くときに発するにおい。
 まさか。

 ぶるっと頭をゆすり、不吉な考えをふるい落とす。その拍子に小エビ入りの缶詰が袋からこぼれ落ち、コロコロと転がって行く。

「おっと」

 いけない、リズのごちそうが。
 追いかけて、さらに細い路地へと入り込む。小さな金色の缶詰はころころころころ転がって……小さな靴にぶつかり、ようやく止まった。
 
「……え?」

 小さな靴、小さな足、小さな体、小さな顔。
 茶色のチェックのズボンにダッフルコートを着た子どもがうずくまっていた。つるりとした象牙色の肌になめらかな黒い髪。東洋系か? 年は5つか6つと言うところだろうか。
 全体的に線が細くきゃしゃな体つき。黒目の大きなくりっとした瞳。可愛らしい顔立ちだ。女の子……だろうか。
 いや、見た目で決めつけるのは性急だ。ここは慎重に。
 内勤巡査時代に迷子の対応では慣れている。おだやかな低い声で話しかけた。

「君……どうしたんだい」

 子どもは顔を上げ、じいっとこっちを見て、ぱちぱちとまばたきした。

「あ……」

 堅く引き結ばれていた口元がやわらぎ、こわばっていた肩から力が抜けて行くのがわかった。どうやら第一関門はクリアしたようだ。

「やあ、こんにちは。おじさんはエドワーズ。君は?」
「………サク………」
「サク?」

 あわててサクヤは一旦口をつぐんだ。いけない、いけない、またうかつに本名を名乗ってしまうところだった。

「さ、サクラ」

 とっさに母親の名前を口にする。ああ、一文字しか違ってない!

「きれいだね。日本の名前かな?」
「う、うん」
「そうか。おじさんの友達にも日本の人がいるんだよ」

(それ、よく知ってます)

「違っていたらごめん。もしかして、君、迷子になっちゃったのかな?」

 こくっとうなずく。

 魔女の巻き起こした風に巻き込まれ、ぐるぐると振り回された。上も下も分からない空間の中でもがき、苦しみ、必死になって抜け出そうと暴れた。
 渾身の力で電撃を放ち、やっと抜け出せたと思ったらアパートから遠く離れた場所まで飛ばされていたのだ。
 周りは知らない人ばかり。子どもの視点から見上げるサンフランシスコの町はまるで別世界で、自分がどこにいるかもよくわかならい。
 自分のアパートに帰るにはケーブルカーに乗らなければいけないことだけは覚えていた。でもどっちに行けばいいんだろう?

 そもそも一人では乗れない。それどころか気をつけなければすぐに迷子として警察に『保護』されてしまう。そうなったら動けない。

「よーこちゃん……よーこちゃん……」

 よろよろと街角をさまよう。知っているはずなのに知らない場所を、あてもなく。
 怖い。
 寒い。
 手足が重い。

「よーこちゃん……」

 ぴりぴりと服の表面が毛羽立ち、髪の毛がふわっとふくらんでいる。
 ほんのわずかな量ではあったけれど、サクヤは無意識のうちに放電し続けていた。緊張と不安と拭いきれない恐怖のせいで能力がコントロールできなくなっていたのだ。
 寒さと疲れですっかり消耗し、へたりこんでいる所に、あの人が来た。
 それは、ずっとサクヤが名前を呼んでいた人ではなかったけれど………同じくらい、安心できる相手だった。

 輝く金色の髪とライムグリーンの瞳。おだやかな声、おだやかな表情。コートを着ている姿は初めて見た。と、言うかこの人が外を歩いている姿を見るのって夏以来なんじゃないだろうか。
 いつも会うときは病院か、エドワーズ古書店の店の中だから。
 屋外と部屋の中とでは、微妙に瞳のグリーンの色合いが違うんだ……。

(エドワーズさん)
 
「そうか。やっぱり君、迷子になっちゃったのか」

 どうする。ここは寒く、この子は凍えている。警察を呼ぶにしろ、パトカーが迎えに来るまでの間、もっと温かい場所に居た方がいいだろう。

「おじさんの家に来るかい? ここよりあったかいし、猫もいる。ポリスマンに電話して、お家の人に迎えに来てもらおう」
「…………うん」
「おいで」

 手を差し出すと、おずおずとすがりつくようにして握ってきた。小さな手と触れ合った瞬間。

「あっ」
「うわっ」

 かすかな衝撃とともにぱちっと青白い火花が散った。静電気か?

「ご、ごめんなさい」
「大丈夫だよ。今日は空気が乾燥しているからね……行こうか、サクヤ」
「え?」
「あ、いや、す、すまない……知ってる人に似てる名前だから……ま、まちがえてしまったんだ、うん」

 何故だろう。この子の顔を見た瞬間、サリー先生と会ったような気がしたのだ。
 サクラの手を引いて歩き出す。ここから自分の店までは、ほんの目と鼻の先だ。

「ついたよ。ここだ」

 ドアのカギを開け、『外出中』の札をひっくり返して『OPEN』に戻す。店の中に入るとサクラはほっと安堵の息をついた。

「にゃーっ」

 尻尾を高々とと上げてリズが駆けてくる。もともとお客には愛想のいい猫だが、今日は格別だ。

「にゃっ? にゃっ? にゃっ?」

 しきりにサクラに話しかけながらすりすりと足の間をすり抜けている。サクラはちょっと困ったような顔をしてしゃがみこむと手を伸ばした。

 ぱちっ!

「んにゃっ」

 全身の毛をもわもわに逆立ててリズが飛び上がる。珍しいものを見てしまった。滅多に動揺しない猫なのだ。

「あ……ご、ごめんね」
「静電気か。大丈夫だよ、冬にはよくあることだからね。しばらくリズの相手をしていてくれるかい?」
「うん」

 素直な子だ。リズとも気が合うらしい。今のうちに電話をかけておこう。携帯を取り出し、開いた。

「おや?」

 電源が落ちている。変だな、スイッチを切った覚えはないのに。改めて再起動を試みるが、うんともスンとも言わない。
 もしかして、さっきの静電気か? 精密機械はデリケートだからな……。苦笑しつつ固定電話に手を伸ばす。

 ばちっ!

「うわっ」

 どうやら、自分もかなり静電気をためこんでいたらしい。まさか、と思ったが、やはり……電源が落ちている。
 参ったな。文明の利器とは便利なようで不便なものだ。たかだか静電気で通信不能になるとは。
 ふと思い立ってパソコンに手を伸ばす。多少は時間がかかるかもしれないが、メールを送ろう。さっきあれだけ放電したんだ、もう大丈夫だろうから……。

 ばっちん!

「………………………」

 まだ、残っていたらしい。そして当然のことながらパソコンも沈黙してしまった。考えてみればこれが一番、静電気には弱い機械なのだった。
 さて、困ったぞ。こうなったら自分が直接、最寄りの分署にこの子を送って行くしかなさそうだ。
 だが、その前に……何かあったかいものを与えておこう。ここに来るまでの間、握っていたあの子の手は冷えきっていたから。

 サクラはリズをしっかり抱きしめて、白い毛皮に顔をうずめている。外を車が通り過ぎたり、風で看板や窓がガタンと鳴るたびにびくっとすくみあがっている。
 かわいそうに、親とはぐれて心細くてたまらないのだ。それとも、何かよほど怖い目にあったのだろうか。
 ただの迷子ならいいんだが……。

 キッチンに行き、ミルクを小鍋に入れてあたためる。沸騰させないように注意しながら弱火でとろとろと。母のレシピを思い出し、砂糖を少しとナツメグを入れて、また蒸らす。
 世話好きの友人が持ってきたジンジャークッキーを数枚小皿にとり、カップに注いだミルクと一緒にトレイに載せた。

「サクラ」
「…………」
「サクラ?」
「あ、は、はい」
「これを飲みなさい。あったまるよ。クッキーもある」
「ありがとうございます……いただきます」

 礼儀正しい子だ。親御さんがしっかりと教育しているのだろう。どんなにか心配していることだろう……早く会わせてあげたい。

「食べ終わったら、一緒に警察に行こう。お家の人も、君を探しているだろうし」

(探してるだろうなあ。風見くんも、ロイも……よーこちゃんも)

「心配ないよ。警察にはおじさんのお友達がいるからね。きっと君の力になってくれる」

 こくっとうなずき、ミルクを口に含んだ。

「あったかい……」

 冷えきった体に、よい香りのする甘いミルクがしみ込んで行く。体に残っていた、怖くてつらくて寒かった記憶が少しずつ和らいで行く。

「ふぁ……」

 いけない……また眠くなってきた……力、使い過ぎたかな。ちっちゃい子の体って、どうしてこんなにすぐ眠くなるんだろう。不便だな。
 このままだとエドワーズさんに迷惑をかけてしまう。隙を見て抜け出した方がいいんだろうか。それともいっそ警察に保護されちゃおうか。
 ……いや、だめだ。
 魔女はどこまでも追いかけてくる。人間の作った秩序や建物の壁などおかまい無しに。

 やはり、こっそり抜け出した方がよさそうだ。ああ、でも……力が抜ける。ちょっとだけ、休んで行こう。
 ほんの少しだけ……。

「サクラ?」

 おやおや。カウンターに突っ伏したまま眠っている。よほど疲れていたのだろう。起こすのにはしのびない。署に連れて行くのはもう少し後にしよう。
 すやすやと眠るサクラを抱き上げた。奥のソフアに寝かせ、ブランケットでくるむ。リズがもそっと中にもぐりこんだ。

「しばらくこの子を頼んだよ、リズ」
「にゃう」

 窓の外は刻一刻と暗くなり、青くかすむ夕闇の中、クリスマスのイルミネーションがちかちかと瞬き始める。電飾も仕込んでいない、柊の枝と赤いリボンだけで作ったリースはかなり寂しげに見えることだろう。

 さて……電話が使えるかどうかもう一度確かめてみるとしようか。それにしても本当に不便だな。電化製品が使えなくなった、ただそれだけのことで、連絡手段が全て断たれてしまうなんて。おまけに近所の家は軒並みクリスマス休暇で留守と来ている。電話を借りに行くこともできやしない。
 一番近い公衆電話は4ブロックも先だ……携帯が普及して以来、めっきり数が減ってしまった。
 困ったもんだ。
 またMr.メイリールあたりがふらっと立ち寄ってくれないだろうか?
 
 その時になって初めて買ってきた食料品を出しっ放しにしていたことに気づく。やれやれ、根本的に料理に向いてないようだ、自分は。
 苦笑しながら買い物袋を持ち上げた。

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