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ローゼンベルク家の食卓

【4-6-5】今後ともよろしく

2008/10/18 2:23 四話十海
 
 9月の半ば過ぎ。冗談みたいな不幸の連鎖と最後のとびっきりの幸運の重なった日の翌日。
 ヒウェルはどうやらマンションに新しい入居者が来るらしいと気づいた。しばらく前からリフォーム業者が出入りしていたと思ったら今日は家具を運び込んでいる。
 自分の住んでる3階より上、レオンたちの住んでる6階よりは下。エレベーターの動き方からしておそらく5階だろうな。止まる回数が格段に多い。

 夕食時に話題にしてみた。

「下に誰か引っ越してくるみたいですね」
「ああ、アレックスだよ」
「え、でも確か彼は6階に住んでるはずじゃあ……」
「今までの部屋が手狭になるんでね」

 そして夕食の席でレオンはおもむろに告げた。

「夕食後にアレックスが挨拶に来るから、皆しばらくはこの部屋に居てくれ」

(下の階に引っ越すのに挨拶も何もあったもんじゃなあるまいし……一体、何を今さら改まって?)

 ヒウェルのささやかな疑問は夕食後に解明された。理由は単純、アレックスは一人ではなかった。
 カールした鹿の子色の髪に黒い瞳の女性と、彼女によく似た幼い男の子が一緒だったのだ。

 そして件のご婦人とアレックスの左の薬指には、おそろいのシンプルな指輪が光っていた。銀色のプラチナを細い金のラインで縁取りし、女性の方にはぷちっと一粒、小さなダイヤモンドが朝露の雫のようにきらめいていた。

 マリッジリングだ。それ以外の何ものでもない。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 その日の夕食はマカロニ&チーズだった。妻(式こそまだだったが、二人は既に市役所に届けを出していた)の手料理を一口食べた瞬間、アレックスは悟った。
 何故、レオンさまがマクラウドさまの料理をあんなにも喜んで食べているのか……。

(ああ、確かに……ソフィアの作るマカロニ&チーズは……最高だ。世界で一番、美味しい)
 
 愛しい人が心を込めて作ってくれた料理は単に味覚を楽しませ、空腹を満たす以上の幸福をもたらしてくれるものなのだ。

「ねえ、アレックス」
「何だい、ソフィア」
「私はあなたのお仕えする家の方々を何てお呼びすればいいんでしょう?」
「あなたの好きなように、ソフィア。レオンさまにお仕えしているのは私であってあなたではないのだから」
「では実際にお会いしてみて決めますね」
「それがいいね」

 そして今。
 アレックスの大事な人たちがソフィアの目の前に並んでいた。そのうち3人はよく知っていて、二人は初対面。

「ソフィア、こちらがレオンハルト・ローゼンベルクさまだ」
「初めまして」
「初めまして。お会いできてうれしく思います、Mr.ローゼンベルク」
「レオンと呼んでください。アレックスも昔からそう呼んでいる」
「はい、レオンさん」

 何て美しい方なんだろう。気品にあふれて、まるでヨーロッパのお姫様のようだわ……。
 やっぱりお嬢様だったのね。

「こちらがディフォレスト・マクラウドさまだ。レオンさまの配偶者でいらっしゃる」
「よろしく、ソフィア。あなたとこんな形で会うとは思わなかったな」

 赤毛さんは思った通りスコットランド系の名前だった。握手した手はほんの少し湿っていて、シャツの袖にも腕まくりした跡があった。
 この人がお皿を洗ったのかしら?

「ええ、私もです……よろしくお願いしますね、マクラウドさん」
「ディフでいいよ。俺の名前、どっちも長くてめんどくさいだろ?」
「わかりましたわ。それでは、ディフと」

 ディフはひょいとかがみこんでディーンの顔をのぞきこんできた。

「それで、こっちの小さな紳士のお名前は何て言うのかな」
「……ディーン」
「お、えらいぞ、ちゃんと自分で言えるのか」
「うん」
「いくつだ、ディーン」

 ディーンは照れくさそうに笑いながら、指を3本立てた。

「三つか」
「うん」
「そうか。よろしくな、ディーン」

 にこにこしてる。ご機嫌なゴールデンレトリバーそっくりの表情で……やっぱり赤毛さんは子どもが好きなのね。

「こちらのお二人はオティアさまとシエンさまだ」

 金髪の双子ちゃんとの握手は遠慮しなければいけなかった。辛い経験をしていて、人に触れられるのは好まないとアレックスが前もって教えてくれたから。
 だからほほ笑んでお辞儀をするだけに留める。

「よろしくお願いしますね」

 二人はこくっとうなずき、シエンと呼ばれた子の方が小さな声で「よろしく」と言ってくれた。

 旦那様も奥様も、どちらも男性、身よりのない子どもを引き取って一緒に暮らしている。最初に聞いた時は驚いた。自分が秘かに思い描いていた家庭とはあまりにかけ離れていたから。
 だけど、改めてこうして全員と会ってみて、思った、自分の想像も、そんなに外れてはいなかったのかもしれない、と。
 そりゃ、確かにこの家で暮らしているのは全員男の人だけど、ちゃんとそれぞれ家庭の中の役割を果たしている。
 レオンさまがお父さんで、ディフがお母さん、オティアさんとシエンさんが子ども。年齢がちょっと近すぎるけど、そんな感じ。

 でも、この眼鏡の男の人は……だれ? 何故ここにいるのかしら。たまたまお客に来たにしては、ものすごく寛いでる。ごく自然にここにいる。
 
「こちらはお二人の高校時代のご学友で、ヒウェル・メイリールさまだ」
「はじめまして、メイリールさん」
「どーも。あなたがレディ・カルーセル(回転木馬の君)だったのか」

 レディ・カルーセル?

 思わず笑ってしまった。

 まるでロマンス小説のヒロインだわ……私はただのパン屋の娘で、しかも一度結婚して息子もいる身なのに。
 回転木馬の君、ですって。
 笑い出したら止まらない、ころころと後から後からあふれてくる。

「まあ、私のことそんな風に呼んでらしたの? おもしろい方ね」

 メイリールさんはけろっとして言ってのけた。

「アレックスはなかなか口が堅くってね。あなたのイニシャルすら教えてくれなかったんだ」

 ディーンはきょとんとした顔で首をかしげている。と、思ったら急に目をきらきらと輝かせた。

「キティ(猫ちゃん)!」

 ドアの陰からひっそりと、白い小さな猫がこちらをうかがっていた。青い瞳を見開いて、ヒゲをぴーんと前に伸ばしてこっちを見ている。

「まあ、可愛らしい」
「オティアの猫なんだ。名前はオーレ」

 自分のことを話しているのがわかったのだろう。オーレはするすると歩いて部屋に入ってきてた。

「よろしくね、オーレ」

 そっと指一本さし出してみると、くんくんとにおいをかいで、すりっと顔をすり寄せる。

「キティ!」

 ディーンが近づくと、オーレはソファを踏み台にして素早くオティアさんの肩に飛び上がった。
 首輪に下げた金色の鈴がちりんと鳴った。

「あ……」
「小さな子は苦手なんだ。慣れてなくて。ごめんな、ディーン」

 オーレは胸を張ってディーンを見下ろしている。『あたしはあなたより偉いのよ』と全身で言っていた。まるでちっちゃなお姫様ね。

「式はどうするつもりなんだい、アレックス」
「落ち着きましたら、挙げたいと思います。身近な人を招いてささやかに。それで、よろしければ皆さんにも参列していただきたいのですが」
「ありがとう。ぜひ出席させてもらうよ」
「ありがとうございます。では、詳しい日取りが決まりましたら、改めてお知らせいたします」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 ローゼンベルク家を辞して真新しい我が家に戻って来ると、ソフィアはほうっと感嘆のため息をついた。

「ユニークなご家庭ね……でも、すてきな方たち」
「ありがとう」
「レオンさんは本当に美しい方ね。さすが、あなたが手塩にかけてお育てした……」

 ごく自然にお嬢様、と言いそうになって、ソフィアはこっそり言い直した。

「ぼっちゃまだわ」

 アレックスはかすかにほほ笑むと妻の肩に手を置いて、優しく引き寄せて、そっと頬に口づけた。

「ねえ、アレックス」
「何だい、ソフィア」
「ロスのご本家からいただいた、結婚祝いのカトラリー。あんまり立派なものでびっくりしてしまったわ」

 本家から届いた結婚祝いの食器セットはシルバー925。銀のナイフに銀のフォーク、スプーンにポットにバター入れ……いずれもとびっきりの一級品だったのだ。

「私、あんな上等な食器セット、使ったことがない。どうやってお手入れすればいいのかしら」
「大丈夫だよ、ソフィア。何も心配することはない」

 ほんのりと頬を染めて見上げる妻の手を握ると、今度はアレックスはうやうやしく手の甲にキスをした。

「私が全て教えてあげよう。君のこの手を傷つけることなく、曇り一つなく、ぴかぴかに磨き上げるやり方を」
「はい……アレックス、喜んで」
 

(有能執事結婚す/了)

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