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ローゼンベルク家の食卓

【3-5】★★★退院祝い(前編)

2008/03/26 21:09 三話十海
 キスだけで体が疼くことがある。
 
 ずっと、ただの慣用句だと思っていた。恋愛小説だのソープドラマの決まり文句。

(それだけで燃え上がってりゃ世話ないぜ!)
 
 ただのファンタジーだと思っていた。
 レオンとベッドを共にするまでは。

 触れあう肌の熱さ、流れる汗、すぐそばで聞こえる息づかい、彼の手、指、髪……舌。温かいだけじゃない、濡れて艶めくかっ色の瞳。それらの記憶がキスを引き金に再生され、体中の細胞の一つ一つに触れあった時の感触を呼び覚ます。

 そうなると……。
 火が灯って、消えない。
 体に刻まれた記憶と同じか、もっと強い刺激が与えられるまで欲しがり続けるのだ。いつまでも。いつまでも。


 ※  ※  ※  ※


「お帰り!」
「ただ今」

 病院から戻ってきたレオンを出迎えた。
 入院していたのは俺の方なのだが、保険やら何やらの手続きに必要な書類をとってきてくれたのだ。

「なんだか立場があべこべだね」
「いいじゃねえか。細かい事は気にすんな!」

 笑みを交わし、親しみをこめて肩を叩く。本当はこのまま抱き合い唇を重ねたい。重ねるだけじゃ終わらない。もっと深く。もっと強く。だが……今はまだ日が高い。

 その程度の事、大した抑制効果がある訳じゃないんだが。
 最大の問題は同じ部屋の中にオティアと、シエンと、何故かヒウェルまでいるってことだろう。
 肩を並べて居間に入る。並んで腰を降ろして、話をする。飽きることなくレオンに見入る。わずかな表情の変化にも胸が踊る。
 
 面会時間はいつまでか、なんてもう気にしないでいいんだ。
 
「あ……」
「ん……」

 また、目が合った。さっきからやけに目が合う。
 もしかして俺のことずっと見てるのか? お前も。

 まただ。
 にこっとほほ笑みかけてきた。ちらりと白い歯の奥にピンク色の舌がひらめくのが見えてしまった。
 まいったね。何て可愛い顔してやがる。もしも今、二人っきりだったら……日が高かろうが、ここが居間のソファの上だろうが、かまうもんか。迷わず押し倒してる。

 軽く下唇を内側に吸い、歯で押さえる。

 キスだけで体が疼く。
 それ以前に、キスの記憶だけで疼く時もあるんだ……な。

 
 ※  ※  ※  ※


 夕食の後、双子と話し、コートを買いにでかける約束をとりつける。
 部屋に戻る二人を見送りながらほっと胸をなでおろした。オティアが一緒に来てくれるかどうか、正直不安だったんだ。
 良かった。

 そっと後ろから肩を押さえられ、耳元で囁かれる。

「今夜は泊まって行くんだろう?」

 それだけの事なのに、温かな吐息とともに吹き込まれる低い声が、耳から体の奥まで伝わり、じわじわと広がって行く。
 肌の表面が細かく波打つような感触に背筋が震え、気がつくとうなずいていた。

(ったく何がっついてんだ!)

 気恥ずかしさをごまかしたくて、わざと明るい声を出す。

「あ、そうだ、パジャマとってこないとな。ジーンズで添い寝すると固いって文句言うだろ、お前」
「……そんなもの、必要無い」

 肩に置かれた手が首筋をなであげ、そのままするりと頬を撫でられた。

「っ!」

 やばい……もう限界だ。レオンを引き寄せ、夢中でキスしていた。
 重ねた唇の間に情けないくらいに激しくなった自分の呼吸が響く。もう、止まらない。
 病室でもキスはした。けれど少し深くしようとすると、いつもレオンにやんわりとさえぎられてしまった。

(後が……つらいだろう?)

 言葉より雄弁に瞳が語る。
 勝ち目のない反対尋問なんざ、しかける余裕は到底なかった。

 ここはもう病院じゃない。
 誰も見ていない。

 それでも何やらいけないことをしているようで、柄にも無くどぎまぎしながら舌を差し入れる。
 
「ぅうっ?」

 逆に捕まり、吸い上げられた。
 ゆるく頬に添えられていた指先で髪の毛をかきあげられる。毛先がうなじを滑る感触に思わずびくん、とすくみあがっていた。

「んんっ」

 やばい……声、出ちまった。

 そのまましばらく弄ばれてからやっと唇が解放される。さんざん絡み合った舌と舌の間につーっと透明な糸が垂れる。
 なんだかひどく淫らな眺めで、いたたまれず目をそらす。
 頭の芯がぼうっと痺れている。膝に力が入らない。今にも足元からふわっと浮き上がり、どこかに吸い込まれて行きそうな気分だ。
 いかん……酸素が足りない。

「は……はぁ……はぁっ……」

 必死で息を整えていると、わずかに笑いを含んだ声でささやかれた。

「最初の勢いはどうしたのかな」
「う……うるさい……お前のキスが……エロすぎるんだよっ」
「褒め言葉だと思っておくよ」


 レオンは思った。


 クリーム色がかった明るい茶色。ミルクティをそのまま透明にしたような瞳が、うっすら緑を帯びている。本来の温かさを保ったまま……いや、さらに熱く濡れ溶けてつやつや光っている。

 いい具合に蕩けてるね。可愛くてたまらないよ。

「ベッドに行こう」

 答えを聞くより早く彼の背に手を回し、肩から上着をすべり落す。
 シャツの上から触れる体は既に熱く火照り、細かく震えていた。そのままダンスでも踊るような格好で歩き始めると、彼の喉の奥から小さなうめき声がこぼれた。

 少し……強引だったかな。

 この前、ベッドを共にしたのは一ヶ月ほど前。余韻に浸る間もなく君は飛び出して行った。まさか、あの後あんなことになるなんて。
 ずいぶんと長い事お預けを食らってしまったね……君も。俺も。

「ぁ」

 もつれあって倒れこんだ体が二人分。ベッドがかすかに軋る。
 優しく横たえる余裕がなかった。
 腕の下、白いシーツの上にゆるくウェーブのかかった赤い髪が乱れて広がる。前に抱き合った時は首筋を覆い肩に軽くつく程度だったが……今は先端が肩を通り越し、少し背中にかかっている。
 まるでちっちゃな翼でも広げたみたいだ。
 片手でシャツの襟元を押さえている。もしかして、恥ずかしいのかい?

(君の体のことなんか、君自身よりよく知っているのに)

「なんだかこの眺めも、すごく、久しぶりな気がするね」
「……そうだな……あの日以来か」
「無事に退院できてよかった。おめでとう」

 シーツの上にひろがる髪を一房すくいとり、キスした。もとより髪の毛に感覚などありはしない。動きが皮膚に伝わるだけなのだが。ディフにとっては、それさえも充分な刺激になってしまうらしい。

「んっ……………」

 目を細めて、ぴくりと震えた。

「ごめんな、心配かけて。ありがとう……」

 手を伸ばし、頬を撫でてきた。

「嬉しいよ。お前の傍に戻って来られて」
「君がいないと……やっぱり、だめだ」


 レオンの言葉を聞いた瞬間、胸の奥がずきりと小さく疼いた。


 同じ言葉を以前も聞いた。その時、俺はお前への気持ちを認めることができなくて。
 気づいていながら気づかないふりをして、まだ目をそらしていた。

 お前は、自分の気持ちを何度も伝えてくれていたのに。
 とっくにお前のことしか見えていなかったのに。

 くしゃっとレオンの髪を撫で、そのまま引き寄せ、胸に抱きしめる。

「お前だけだ……レオン」

 素直に抱かれてくれた。あずけられた肌の温もりと確かな重さに安堵する。
 絹みたいにさらさらしたライトブラウンの髪をかきわけ、額に口付けた。

「こうして触れたいのも。触れられたいのも。お前だけだ、レオン……愛してる……」
「愛してるよ」

 唇が重なる。
 どちらからともなく。もう誰も止めない。止める必要もない。

 キスだけで体が疼く。今がその時だ。


 ※  ※  ※  ※


「ん…ぅ…っ……んんっ」

 最初のうち、ディフは目を細めて嬉しそうにキスを受けていた。今はもう違う。
 四週間の入院生活の間に本来の白さを取り戻した肌に、うっすらと紅が入っている。

 赤毛の彼はブルネットの自分に比べて色素が薄いのだ。
 ほんの、少しだけ。
 こうして重ねてみるとよくわかる。

 喉の奥から漏れる艶めいた吐息に誘われるようにして服に手をかけ、はだけてゆく。露になった肌に唇を這わせると、焦れたような悲鳴があがった。

 体をよじる。
 布がこすれる。
 また、声が上がる。どんどん追いつめられて行くようだ。

 まいったな、別に苛めている訳じゃないのに。

 ああ、すっかり乳首が固く尖っている。まだ全然触っていないんだけどなあ。

「どこ……見て……る」

 小さく笑って顔を寄せ、舌先で突いた。

「ぁんっ」

 妙に可愛い声が聞こえた。歯を食いしばって声を殺す、その余裕すら無くなっているらしい。

「い……いきなり何しやがるっ」

 それはもしかして睨んでいるのか。それとも誘っているのかな?
 乱れた髪の合間にのぞく左の首筋に、薔薇の花びらほどの大きさの火傷の痕が、ほんのり赤く浮び上がっている。

(今は、怒っているせいじゃない)
(知っているのは……俺だけだ)

「いきなりじゃなきゃいいのかな。……これから、ほら。この尖ってきてるところに触るよ?」
「ぃっ」

 言われてる間に直視できなくなってしまったのだろう。ぷい、と横を向いてしまった。
 けれどすぐに横目でちらっと見上げきて、それから小さくうなずく。

「可愛いな。君は」

 耳元に囁きながら予告した通りに指先でつまむ。

「あっ」

 背中が反り返り、片手がつかまる場所を探してシーツの上をさまよっている。
 何を迷っている? 俺にすがりつけばいいのに。

「か……可愛いとか………言う……な…」
「それじゃあ……なんて言ってほしい?」

 耳たぶを口に含み、そっと歯を当てる。

「うぁっ……あっぁっ……」

 びくびくと陸に挙げられた魚みたいに震えてから、ディフはレオンの肩に手をかけ、目を見あげ……言った。
 すっかり乱れた呼吸にともすれば途切れそうになる声を懸命に繋げて。

「言わせろ。お前は……最高に……可愛い」

 ふっと、涼しげな目元が細められる。

(笑った?)

「すぐに喋ることもできなくなるから……今のうちに言っておくといい」
「なっ………」

(俺は何をされてしまうんだろう?)

 ぞくっと背筋に震えが走る。

(何をされてもいい。レオンになら)

 既にシャツのボタンは全て外され、下のTシャツもまくり上げられ、ジーンズのジッパーも降ろされていた。
 ゆるめられ、もはやほとんど体を覆う役目をはたしていなかった服を自分の手で取り去る。
 身につけたものを一枚残らず脱ぎ捨て、ともすれば体を隠そうとする両手を広げて全てをさらけだした。

 レオンの目の前に。

「お前が欲しい。今、すぐに」
「それは君だけじゃない……」

 彼の体が離れて行く。シャツに手をかけて、脱ぎ始めた。その時になって初めてレオンがまだきちんと服を着ていたことに気づき、今更ながら恥ずかしくなってきた。

 が……正直なもので、目が離せない。
 既に半分ほど起ちあがっていた足の間の"息子"にはどんどん熱い血流が集まって行く。

「きれいだな……」

 ほとんどため息のような声が漏れた。
 服を着てるとわかりづらいがレオンは意外に筋肉質だ。高校の頃は俺よりずっと細かったが今は違う。
 鹿狩りの猟犬にも似たしなやかな体躯はいつまで見ていても飽きない。もちろん、触れても。

 そんなことを考えていたら、すっかり脱ぎ終わったレオンがのしかかって、キスしてきた。
 唇と唇が触れあうだけの軽いキス。だが互いの体が直に触れあう。
 ざわりと肌が泡立ち、皮膚の内側に炭酸のはじけるような刺激が染み込んで行く。たまらず、もじもじと身をよじっていた。
 手が下に滑り降りて行く。

(あ、ちょっと待てお前、どこに触ってるんだ!)


後編に続く
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