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ローゼンベルク家の食卓

【ex6-3】遅めのクリスマスプレゼント

2008/08/10 19:01 番外十海
 
 年が明けるとすぐさまディフはサンフランシスコに戻り、マッキロイ牧場で住み込みのバイトを始めた。
 仕事はいくらでもあったし、彼にとっては全て伯父の牧場の手伝いで慣れた作業だった。
 馬の世話、厩舎の掃除、牧場を運営する上でのありとあらゆる面倒で力の要る仕事。全ての作業は最終的には楽しみに通じ、彼の若い体を鍛えるのに役立った。
 毎日が楽しい。ただ、小さなランスだけは不満そうだった。

『もうシスコにいっちゃうの? 休みのあいだ、ずーっと遊べると思ったのに!』
『ごめんな、ランス……夏にまた来るから』
 
 ふくれっつらをした甥っ子の、クセのある赤毛を撫でてテキサスを後にした直後は少しばかり胸が痛んだものだった。

 バイトの合間にシスコ市内のホテルにレオンを訪ねた。
 行ってみたら、これがまた……ガイドブックのカラーページに載っていそうな一流ホテルで、思わずポケットからメモを取り出し、確認した。
 ホテルの名前。
 番地。

「………………………………………まちがってないよな?」

 中に入り、スニーカーを包み込むふかふかとした絨毯の感触にびびりつつ、ぴかぴかに磨き上げられたフロントに近づき、おっかなびっくりレオンの名を告げると……。

「こちらでございます」

 何てこったい。てっきり部屋番号を聞いて上がって行けばOKだと思っていたのに、制服をぴしっと着たホテルマンが先に立って案内してくれる!

「あ……ありがとうございます…………………」

 壁と柱は落ちついたアイボリーに統一され、値段の想像できないような陶器や絵、彫像が廊下の要所要所にひっそり置かれていた。
 何もかも重厚で厚みがある。美術品の真偽などまるでわからないが、よくインテリアショップで見かける複製品とは核が違うと肌身で感じる。

 別世界だ。

 ジーンズにセーターにダッフルコートなんて、ラフな格好で歩いていいんだろうか?
 
 案内されるまま乗り込んだエレベーターは、ぐいぐいと景気よく上昇して行く。ほとんど震動は感じないが一向に止まる気配がない。

(いったいどこまで上がるんだーっ!)

 長い廊下を通り抜け、やがて大きな……他の部屋と比べて、明らかに格の違う、どっしりした造りのドアの前にたどり着いた。
 ホテルマンが呼び鈴を押すと、きちんとスーツを着た男性が迎えに出た。髪の毛は銀色、目は空色。

(誰だ? レオンの親父さん……にしちゃ、ちと若いよな?)

 頭の中がぐるぐるしてきた。顔がかっかと火照っている。このフロア、暖房ききすぎじゃないか? あ、いい加減コート脱いだ方がいいのかな。
 悩んでいると、空色の瞳の男性が話しかけてきた。

「マクラウド様ですね、お待ちしておりました。こちらにどうぞ」

 言葉の詳細はわからないが、とにかく自分が呼ばれたのはわかった。こくこくとうなずき、ギクシャクと油の切れたブリキの木こりみたいに歩いて行く。
 視界の隅にちらりと、空色の瞳の男性が自分を案内してきたホテルマンにチップを渡しているのが見えた。

(こんなにふかふかのじゅうたんを、すにーかーでふんでもいいのだろうか)
(どうしよう、やっぱり、くつぬいだほうがいいのか?)

 うずまきができている。
 頭の中にも、外にも。足元にも。もう、自分の見聞きしたものが上手く脳みその中で形にならない。言葉にならない。ただ色と光と音が通過して行くだけ。

 くらくらと目眩にも似た感覚にとらわれながら広いリビングに入っていくと、椅子に座って本を広げていた少年が顔を挙げた。
 その瞬間、うずを巻いていた世界がすーっと一点に定まった。

「やぁ」
「レオン!」

 見た事のない別世界で、やっと出会えた見慣れた顔。すらりとした手足、明るいかっ色の瞳と髪、陶器の人形にも似た貴族的な顔立ち。
 しばらくの間、自分の生活から欠けていたもの。ずっと、会いたいと願っていた。

 たーっとボールを追いかける子犬のように駆け寄ると、ディフは思いっきり両腕でレオンを抱きしめた。

「……っと」

 驚いて目をぱちくりさせているレオンの髪の毛をくしゃくしゃとかき回した。

「元気にしてたかー。あいっかわらず本読んでばっかだなお前」

 レオンは小さく笑うと目を細め、改めて友人の様子を観察した。

「君こそ、冬なのにまた日焼けしてる」
「うん。伯父さんの牧場に入り浸ってたし……こっちでも牧場のバイトしてっからな。表にいる時間のが長い」
「そうか、楽しそうで良かった。何か食べるかい」

 カチャ、と陶器の触れあう音がした。振り向くと、さっき自分を部屋の中に案内してくれた男性がお茶の仕度を整えていた。

「うん! むっちゃくちゃ緊張したよ……お前、すげえとこに泊まってるんだな」
「ああ、祖父の知り合いのホテルなんだ。使ってくれって言われててね」
「そうか……」

(じーちゃんの知り合いなのか、そうなのか。すげー知り合いがいるんだな……知り合いだからやっぱり宿泊料は割引が利くんだろうか?)

「靴脱いだ方がいいのかどうか真剣に悩んだ」
「大丈夫だよ」
「安心した……」

 リビングのテーブルの上に、フルーツとサンドイッチ、ケーキの入ったトレイが運ばれてきた。横に並べるのではなく、上に重なっている。
 面白い形だなと思った。

「どうぞ、お召し上がりください」
「あ、ども」

 サンドイッチはディフの基準からすれば小振りなものばかりだったが、パンも、中にはさまったキュウリもすばらしく美味かった。
 わしづかみにして頬張り、あぐあぐと噛んで飲み込み、お茶を流し込む。

「わあ、これ美味い! キュウリのサンドイッチなんて食いごたえないんじゃないかって思ったけど……シャキシャキしてすごく美味い!」

 レオンはカップを片手にディフの食べる姿をながめていた。

(こう言うのも久しぶりだな……)

 お世辞にもマナーが良いとは言いがたいが、彼は実に美味しそうに、楽しそうに食べる。

 時折フルーツをつまむ程度のレオンを見ながら、ディフは思っていた。

(相変わらず小食だな……きっと休みの間も本読んでばかりだったんだろうな。こいつ、もーちょっとしっかり食って動いた方がいいぞ)

 旺盛な食欲で出されたものを平らげてから、ディフはちょい、ちょい、とシャツの端で手をぬぐい、コートのポケットから小さな平べったい箱を取り出した。
 手のひらに収まるほどの大きさで、柊の葉をかたどった模様の捺された緑色の包装紙につつまれ、赤いリボンが結んである。

「だいぶ遅れたけど……これ、クリスマスプレゼント」
「え……俺に?」

 あーあ、言っちまった。照れくさいが、出した以上はもう引っ込める訳には行かない。
 しとろもどろになりながら、言い訳めいた台詞を口にする。

「な、何贈ったらいいのか、わかんなくって、その、自分の気に入ったものなんだけどな」

 今更ながら心配になってきた。見つけた瞬間はこれしかない! って思ったのだが、今、ホテルの重厚な調度品の中に座ってるレオンを見ると……。
 果たして、あんな安物をこいつに贈っていいものかどうか。気に入る入らない以前に、受けとってくれるのかどうかすら危うく思えてきた。

「ありがとう。………すまない、俺は何も用意してないんだ」
「いいんだよ、俺がしたくてしてるんだし!」

 にかっと笑うと、ディフはぐいっとシャツの袖口で口元のパンくずをぬぐった。

「なんかお前の顔見ただけで十分な気がするし」
「……開けてもいいかな」

 わずかに頬をそめて、こくっとうなずいた。
 しなやかな指がリボンをほどき、包装紙を開いてゆく。中からは藍色の箱。ふたを開けると、銀色のバックルが静かに光っていた。
 ころんとしたシンプルな楕円形。縁をぐるりと取り囲む額縁状のレリーフ以外装飾はない。
 その額縁の左右の端に、小指の先ほどのライオンの横顔があしらわれていた。

「ああ、綺麗だね」

 わずかな頬の赤みが、さーっとディフの顔全体に広がる。やや遅れて口元がむずむずと持ち上がり……笑顔全開。

「うん……きれいだから、お前にぴったりだと思ったんだ」
「使わせてもらうよ。大事にする」
「ほんとかっ? そうか、使ってくれるか!」

 もしも彼が犬ならば。四つ足をフル稼働させて部屋の中で八の字を切って全力疾走していることだろう。ちぎれんばかりに尻尾を振って。
 レオンが傍らに控えるスーツ姿の男性の方を振り返り、何気ない調子で言った。

「これがつけられるようなベルトを見繕ってみてくれ」
「かしこまりました」
「これ、こんな感じの」

 ディフがセーターをまくりあげて自分のベルトを見せた。星のレリーフをほどこした、レオンに贈ったのよりすこし大きめのバックルが光っている。
 あまり勢い良くまくったものだからセーターの下に着ていたシャツがめくれて、ちらりと割れた腹筋がのぞいている。

(また、そんな事して……)

 レオンはわずかに眉をしかめた。しかし声はあくまでおだやかに。

「いつまでもお腹を出してると、冷えるよ?」
「おっと」

 ごそごそとディフが服を直している間に、アレックスがシンプルな皮のベルトを持って戻って来た。

「こちらでいかがでしょう」
「あ、いいな、これぴったりだ」
「これは簡単につけかえられるのかい?」
「ああ、簡単だよ。ちょっと貸してもらえますか、それ」

 ディフはアレックスからベルトを受け取り、しばらく調べてから、改めてレオンに向かって手をさしだした。

「それもだ、レオン」

 素直にレオンはバックルを手渡した。
 二人の見守る中、ディフはジーンズのポケットからスイスアーミーを取り出し、手際よくぱきぱきとバックルを付け替える。
 いつもやってるから慣れたものだ。

「……ほら、できた」
「ありがとう」

 できあがったベルトを受けとると、レオンは身につけていたベルトをしゅるりと腰から抜き取った。

(うわあ……こいつって、ほんっとに……腰細ぇんだなあ)

 何となく見てはいけないものを見ているようで、ディフはそろりと視線をそらした。
 真新しいライオンのバックルを着けたベルトをズボンに通して、くいっと引っぱって留めて。位置を整えてからレオンは首をかしげて問いかけた。

「どうかな」

 アレックスがうなずき答える。

「良くお似合いです」

 ディフはにやっと笑うとぐっと右の拳を握って突き出し、親指を立てた。

「……最高」
「ありがとう」

 レオンはかすかに……それでも確かに嬉しそうに笑ってくれた。
 ディフは嬉しかった。喜んでくれた。目の前で身につけてくれた。そのことが、ひたすら嬉しかった。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 そして、2006年現在。
 寝室で着替えるレオンの姿をじっとディフは見守っていた。
 タイを緩めて外し、腰からベルトを抜き取るその動作の何と艶っぽいことか。
 
「ん?」
 
 ふと、外されたベルトのバックルに目が引き寄せられた。
 10年近い年月を経て、少しばかりすり減ってはいたが……シンプルな楕円形、両端にあしらわれたライオンの横顔。

「あ」

 小さな声が漏れた。さすがにベルトはあの時と同じものではないが、バックルは見忘れようがない。初めて贈ったクリスマスプレゼントだ。

「ん……ああ。今でも時々使っているよ」
「そっか………ずっと……使っててくれたのか………うん…………そっか……」

 レオンは黙ってうなずいた。
 実を言うとこのバックル、結婚式の時もひっそりと身につけていたのである。いささか花婿のタキシードには不釣り合いな代物だが、上着を着てしまえばわからない。

「あの時気づかなかったけど……お前、クリスマス生まれだったから、誕生日プレゼントを贈ってたんだな、俺。」
「そうだね。俺にとってはクリスマスも誕生日もあまり意味のないものだったけど。君が贈り物をくれたから特別になった」
「俺は……久しぶりにお前に会えて嬉しくて。喜んでくれたのが嬉しくて。有頂天になってたんだな………」

 目を細める。あの時、自分はまだ15歳。ほんの子どもだった……レオンに対する想いにすら気づかぬまま、ただ彼と共にいられることが嬉しかった。

「まさか、その場で着けてくれるとは思わなかったし」
「だって君がつけてくれたからね。ベルトに」
「いや、だって俺、慣れてたし、しょっちゅう自分でやってたから」
「うん」
「正直言うと……な……ベルト引き抜いて付け替えてるお前の姿に……………」

 今ならわかる。あの時、己の胸を内側から焦がしたもどかしさの正体が。

「み……見蕩れた」

 消え入りそうな声で告白すると、レオンはふさふさとカールしたまつ毛をに縁取られた両目をぱちぱちさせて。それから、ぷっとふき出した。

「わ……笑うな……よ……」

 言うんじゃなかった。ああ、もう、この後どうすりゃいいんだ。ぷい、と横を向いてから、そろそろと目線だけレオンに戻す。

「ごめんごめん。気にすることはないよ、俺も君が裸でうろうろするから目のやり場に困ってたし」
「そんな事、俺、やったか?」
「風呂上がりにね」
「う…………………」

 記憶をたぐりよせる。
 ……確かにやっていた

 うっかり夏場に下着もつけずに風呂から出て、何度か説教を食らった。
 その後はさすがにパンツは履くようになったが、それでもレオンはあまりいい顔をしなかった……ような気がする。
 と、言うか本に没頭していて絶対にこっちを見ようとしなかった。あれは、目のやり場に困っていたからなのか!

「ごめん」
 
 背後から抱きつき、腕をレオンの胸に回して耳元に囁く。

「ベルト引き抜いてるとこが色っぽいって思うのは、今も同じだからな?」

 頬にキスをした。
 前に回した手を握られる。引き寄せられるまま体を預け、そのままとさりとベッドに仰向けに転がる。
 抱きしめられ、目を閉じるより早く柔らかな口づけが降ってきた。

「俺はもう目のやり場に困ったりしてないよ」
「……好きなだけ見てろ」

 レオンの背に腕を回して抱き返し、応えた。


(初めての贈物/了)

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