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ローゼンベルク家の食卓

【ex5-3】巻き込まれて追跡

2008/08/04 14:18 番外十海
 
 カルヴィン・ランドールJr.はとまどっていた。
 詳細は忘れたが何やら幸せな夢を見て目覚めた日曜日の朝。幸せな気持ちを抱えたまま、ふらりと一人で買い物に出た。
 たまたま空いたパーキングスペースに停めようとした瞬間、名前を呼ばれた。まるで学校の先生みたいな、迷いのないクリアな声で。

 言われるままについ、走り出してしまったが、何だって自分はこんな女学生みたいな子に言い負かされて知らない車を追跡してるんだ?

 と、言うかそもそもこの子は誰だ?

 上手い具合に丁度その時、追いかけている車が信号で停止した。2台ほど間を開けて停まり、助手席に目を向けると、彼女が控えめな笑みを浮かべた。

「ごめんなさいね、Mr.ランドール。一刻を争う事態なの」
「君は誰だ? 何故、私の名前を知っているんだ」
「一度お会いしてるんですよ。極めて最近……そう、昨日!」

 昨日。
 土曜日。
 顧問弁護士の結婚式に招かれた。海を見下ろすレストランで。かちり、と記憶の中の一片が目の前の女性に重なった。

「ああ……昨日の……キモノガール」
「Yes.」

 基本的に女性は興味の対象外なのだが、着ていた着物が珍しくて職業柄目を引かれた。星を散らしたような藍色の布に、刺繍で桜の花をあしらった美しい生地だった。
 新品ではない。アンティークと言うほどではないがそれなりの年月を経ていて、それがまたいい風合いを醸し出していた。材質はおそらく絹だろう。
 しかし、何と言う違いだろう。昨日と比べて8歳は若返ったように見えるぞ?
 いや、それどころか下手すればティーンエイジャーと言っても通じそうだ。

「改めて自己紹介しますね。あたしはユウキ・ヨーコ、ディフォレスト・マクラウドとは高校時代の同級生なんです」

 彼女が口にしたのは顧問弁護士の結婚相手の名前だった。なるほど、新婦側の友人だったのだな。同級生と言うことは……えっ?
 頭の中で年齢を計算して思わず目が丸くなる。
 同級生? 後輩じゃなくて?

「東洋人ってのは、こっちでは若く見えるみたいですね」
「あ、ああ、うん、そうだね。それで、何故、君はあの車を追えと?」
「後で説明します。ほら、信号青ですよ?」
「……そ、そうか」

 言われるまま、車をスタートさせる。追いかけている理由は結局、聞けなかった。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 

(まあ何が言いたいかはおおよそ見当つくよ、うん)

 物問いたげなランドールの顔を見ながら、ヨーコは秘かにうなずいた。
 きっと自分とマックスが同級だと聞いて驚いているのだろう。昨日の和装用のしっかりした化粧に比べて今日はナチュラル淡めのメイク。しかも髪型はポニーテールなんだから。
 おそらく20歳そこそこと思ったに違いない。さすがにティーンエイジャーには見られなかったと信じたい。

 信号が変わり、車が走り出す。目当ての車は左へと曲がり、急な坂道を登って行く。店やオフィスビルの立ち並ぶ一角を外れ、住宅街へとさしかかった。
 
「あ」

 何だろう。この景色、見覚えがある。目眩にも似た感触に襲われる。もちろんサンフランシスコに住んでいたことがあるのだから見覚えのある場所はそこら中にある。
 だが、あきらかにその感覚とは違っていた。

 これは、自分の記憶ではない!
 
 肩が触れあった際に流れ込んできたヴィジョンがぐうっとせり上がる。あの中に、合致する記憶が埋もれているのだ。
 その事実に気をとられ、追っていた車から一瞬意識が逸れた。

 グ、グォオン!

 低く轟くエンジン音にはっと顔を上げる。自分の乗っている車は停まっていた。だがその一方で追っている車は……。

「えっ?

 猛スピードで角を曲がり、遠ざかって行くではないか!

「ちょ、ちょっと、何で停まってるの!」
「いや、だって信号が赤だし」
「あちゃ………」

 そう、あくまで一般車両なのだ。パトカーではない。サイレン鳴らしてライトを回し、赤信号を無視してぶっちぎる訳には行かないのである。
 増してこんな高級車が派手な道交法違反なんかやらからしたら……目立つだろうな。一発で本物のパトカーが飛んで来る。
 さすがに社会的地位のある、しかも善意で協力してくれているランドールに違反チケットを切らせたくはない。

 緑のパーカーの男を乗せた車はあっと言う間に遠ざかり、視界から消えた。
 軽く指先で額を抑え、左右に首を振った。

「そもそも最初から無理があったか……」
「すまん、逃げられた」

 申し訳なさそうな顔をしている。心からすまないと思っているのだろう。
 何て誠実な人だろう! ほとんど見ず知らずの女が車に乗り込んできたのに放り出しもせず、素直に言うことに従ってここまで来てくれた。

「問題ありません。既に必要なだけの手がかりは手に入れたから……」
「そうか……あー、その、Missヨーコ。いくつか聞きたいことがあるんだが」
「いいですよ。とりあえず車、そのへんに停めましょうか」

 言われるまま、ランドールは車を路肩に寄せて停めた。
 最初の質問は既に決まっていた。

「君は、もしかして………」

 馬鹿げたことを口にしようとしている。だが、彼女の行動を説明するのに一番しっくりくる言葉を探したらここに行き着いた。おそらくヨーコは真面目に答えてくれるだろう。

「サイキックなのか?」
「だったらどうします?」

 質問に質問で返されてしまった。
 ちょこん、と小さく首をかしげてこっちを見ている。濃いかっ色の瞳は日陰になって黒く、ほとんど瞳孔と虹彩の区別がつかない。
 あどけない。だがその反面、底深い井戸をのぞきこむような錯覚にとらわれる。

「いささか興味があるね。君には、私は……どう見える?」
「そう……ね」

 くい、と眼鏡に手をかけるとヨーコはフレームを軽く押し下げ、直に自分の目でこっちを見上げてきた。黒目がちの瞳の奥でゆるりと……何かがうねる。
 深い水の底で、姿の見えない魚が身をくねらせるように。

「お母様は東欧……ルーマニアの方ですね。あなたに良く似て、とてもお美しい方。ああ、その魅惑的な黒髪とサファイアブルーの瞳はお母様から受け継いだのね。ポケットの奥のヒマワリの種も」
「えっ? 何故、それを?」
「カリカリに炒ったのを、小さめのジップロックに入れて持ち歩いてるでしょ? 小学生の子がおやつを入れてるような、模様付きのやつ」

 無意識に上衣のポケットを押さえた。

「今日の袋は………水玉ね」

 その通り。母親の容姿のことは多少の知識があればわかることだ。しかしヒマワリの種は。袋の模様は!
 すっとヨーコは目を細める。ふさふさと豊かなまつ毛が瞳に被さり、何とも優しげな表情を醸し出す。まるで子どもを見守る母親か、保育士のようだ。

「……恋をしてらっしゃいますね? 秘めたる想い。片想い。とてもピュアで、切ない」

 こめかみの内側で、独立記念日の花火と中華街の爆竹がいっぺんに炸裂した。
 まちがいない。彼女は……本物だ!

「驚いた、本当にサイキックなのか?」

 ぱちぱちとまばたきすると、ヨーコはすっと手をのばし、ちょん、と頬を突いてきた。右手の人さし指で。
 ほぼ初対面の相手だと言うのに、不思議といやな感じはしなかった。学校の先生か、友だちに触れられたような、そんな感覚。
 自分はゲイだ。女性には惹かれない。まるでその事を心得ているかのようなごく自然な触れ方だった。

「そう簡単に信じちゃだめよ、Mr.ランドール? この程度のこと、あなたのプロフィールをちょっと調べればすぐにわかる」
「でも……私が片想いしてるって」
「ああ、それはもっと簡単」

 くいっと彼女は赤いフレームに手を触れ、眼鏡の位置を整えた。

「観ればわかりますもの。観れば、ね」
「そ、そうか……」
「すぐに片付くと思ったのだけれど、どうやら長期戦になりそう。もう少しだけおつきあい願えるかしら……Mr.ランドール」

 つやつやした唇の合間に白い歯が閃く。半ば夢見るような心持ちでランドールは彼女の言葉に耳を傾けていた。

「私、何としてもあの子を助けたいの」
「……ああ」

 うなずいていた。
 彼女の言う『あの子』が誰なのか。さっきまで追いかけていた車とどんな繋がりがあるのかわからぬまま。
 それでも感じたのだ。彼女の言葉は真実なのだと……。

「ありがとう、Mr.ランドール。あなたの勇気に感謝します」

 ヨーコは満面の笑みを浮かべてうなずいた。
 自信家故に彼は猜疑心を持たない。育ちの良さ故に『学校の先生』の言うことは、素直に聞いてしまう。
 そして、彼は紳士だった。か弱き者を見捨てるなんて事は、最初から選択肢に入ってはいないのだ。
 
 この人を捕まえられた幸運に感謝しよう。追跡のパートナーとして、これ以上に頼もしい相手はいない。
 
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