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ローゼンベルク家の食卓

【4-19-5】★家族会議

2010/06/25 23:13 四話十海
 
 2月14日にドクターがやって来た。
 挨拶を交わしてからディフとレオンの先導で子ども部屋まで案内され、ドアをノックするとまず、オティアが出てきた。

「やあオティア」
「こんにちは、ドクター」
「シエンと話したいんだ。いいかな?」
「……」

 ちらっと部屋の中を振り返る。
 毛布を被ったまま、シエンがすがりつくようなまなざしを向けてきた。
 一緒に居てもいいですか? 喉元まで込み上げた言葉を、こくっとディフは飲み込んだ。

「……隣の部屋にいるから」

 穏やかな声でドクターが続ける。

「ドアも少し開けておこう。どうかな?」

 もぞっとシエンの胸元で白い毛玉が動く。

「にー……」
「……猫、一緒でもいいか?」
「ああ、かまわないよ」

 意を決してオティアは部屋から進み出た。入れ替わりにドクターが入る。約束通りドアを少し開けたまま、レオンとディフとオティアは隣の客用寝室へと移った。

「さて、と」

 レオンはおもむろにポケットからトランプをとり出し、慣れた手つきでシャッフルした。

「黙ったまま待っているのも退屈だからね。ポーカーのルールはわかるかい?」
「………大体は」
「ファイブカード・ドローで黒のクイーンがワイルドカードだ」

 レオンの後を次いでディフが説明した。自分たちが普段、遊戯室で遊ぶ時のルールだ。

「ジャックじゃないのか?」
「ありきたりはつまらないだろ?」
「了解」
「ハンデは……ヒウェルがいないから今回は関係ない、か」
「そうだね」
「ハンデ?」
「一回目のベットが済むまで、最初に配られた手札を見ない」
「それは、かなり不利なんじゃないか?」
「それぐらいで丁度いいんだよ」
「あいつは大学の学費の半分はポーカーで稼いでるからな」
「残りの半分は?」

 ディフとレオンは顔を見合わせ、ほぼ同時に答えた。

「ビリヤード」

 鮮やかに手札を配るレオンの手元を、オティアは思わずしみじみと観察してしまった。

「どうしたんだい?」
「いや、何でもない」

(……皿は落とすけど、カードは切れるんだな)

 ベッドサイドのテーブルで、3人は黙々とカードを繰った。
 こう言う時はうってつけの娯楽だ。何も考えずにひたすらカードを引いて、また捨てる。交わすのは必要最小限の言葉だけ。スコアはつけるが、掛け金は無し。
 オティアが五回目のフルハウスを揃えた所で、廊下に人の出てくる気配がした。

「……!」

 カードをその場で放り出し、オティアは部屋を出て行った。途中でドクターに目礼し、子ども部屋へと入って行く。
 やや遅れてディフとレオンも廊下に出た。

「……先生、あの子は」
 
 ディフの肩にそ、と手を置くと、レオンはリビングへと目線を送った。

「詳しいお話は、あちらで伺いましょう」
「そうですね、その方が良いでしょう」
  
 居間のソファに腰を落ち着けると、ドクターは二人の保護者にカウンセリングで得たことを伝えた。淡々と要領良く的確に。

 無理に引きずり出してはいけない。あくまでシエンが自分で外に出ようとした時に、彼をサポートしてやること。
 最初から外出を目指さない。段階を踏んで、少しずつ馴らしながら行動範囲を広げて行くように。

「彼は、今、一緒に暮らしている人達を。あなた方を頼っています。依存していると言ってもいい。あなた方と彼らの関係は、法に義務づけられた関係や、血の絆に根ざした愛情と全く同じではない。だが、『家族』としての一つの形である事は確かなのです」

 ディフが息を呑む気配が伝わってきた。手がわずかに震えている。レオンはごく自然に愛しい人の手をとり、握りしめた。
 すぐに、くっと握り返してくる。

「俺は……俺たちは、どうすればいいんでしょう」
「離れていても繋がりが途切れることはないのだと、伝えてやってください。言葉や行動で。彼を守りたい、気にかけている、と」
「それは」

 迷いながら言葉をつづる。十一月の最初の日、メリーゴーランドの前で交わした苦いやり取りを思い出しながら。

「それは、あの子にとって、負担になるのではありませんか?」
「マクラウドさん」
「はい」
「あなたが受け止めてくれると知っているから、シエンは真っ先にあなたに助けを求めた。少なくとも私はそう思いますね」
「あ……」
「多少嫌われても、あきらめないで。あの年ごろの子どもには、親はうっとおしがられるもんです」
「………はい!」
「軽い安定剤を処方しておきましょう。不安を訴えたら飲ませてやってください。それでは、お大事に」
「ありがとうございました」
 
 ドクターの帰宅後、しばらくしてオティアがリビングに出てきた。

「シエンは?」
「眠った」
「そう……か」
「会いたいって」
「何?」
「エリックに。謝りたいって、言ってる」
  
 オティアは小さくため息をつき、肩をすくめた。

「はっきり言葉に出した。先生と話して、決心したらしい」
「ふむ」

 レオンはわずかに首をかしげた。

 珍しいこともあったものだ。滅多に強く自分の意見を主張しないシエンが……いや、一度だけあったな。
 去年の五月に。

『俺も、行く』
『ディフは俺を助けに来てくれた。工場の時も。撮影所の時も。だから、俺も、行く』

 あの時と同じレベルの『決心』なら、覆すのは困難を極めるだろう。
 それにさっきドクターも言っていたではないか。外に出ようとする彼の意志をサポートするように、と。 
 薄々こうなる予感はしていた。だからこそ、スヴェンソンに完全な拒絶を言い渡すことなく、門を細く開けておいたのだ。

「どうする? 今の状態では、彼に来てもらうしかなさそうだが」

 むっとした顔でディフが腕を組み、唸った。

「直接会わせるのは、気が進まん」
「俺も同じ意見だ」
「……だろうね。ドア越しではどうかな?」
「む……」
「もちろん、一対一ではない。それぞれに介添人を付ける。シエンにはオティアが。スヴェンソンくんには君が付きそうんだ」
「………」
「………」

 大きい赤毛と小さな金髪。サイズも骨格もまるで違う二人は同じ表情で腕を組み、口をヘの字にしてしばらく考え込んでいた。
 やがて、オティアが渋々口を開いた。

「………ドア越しなら」
「良かろう。ドア越しなら、な」
「OK」

 レオンはゆっくりとうなずき、ほほ笑んだ。

「いつにする?」
「土曜。俺が家に居られる」
「では、スヴェンソンくんには君から伝えておいてくれ」
「わかった」

 これでいい。
 ディフが気乗りしないことは、敢えて率先して自分で仕切るに限る。主導権を握ることで、結果的にリスクを最小限に抑えることができるのだから。
 
「っと、薬、とってこなきゃな」

 立ち上がりかけたディフの手から、レオンはすっと処方せんを受け取った。

「これは、俺が」
「でも」
「ついでだよ。事務所にも顔を出して来たいしね。君は、あの子たちに付いてやっててくれ」
「……わかった」

 
 ※ ※ ※ ※
 

「ただいま」
「お帰り……え?」 

 戻ってきたレオンの手には、シエンの薬のみならず、なぜかマーガレットの花束とリボンのかかった平たい箱が一つ、抱えられていた。

「プレゼントだよ」
「え? え? あ………」
「今日は何の日だったか覚えてるかな?」

 ディフは目をぱちくりさせて壁のカレンダーを見て、腕時計を見て、目を丸くして。仕上げに、ぱかーんと口を開けた。

「そっか……今日は、2月14日………あー……」
「そう言うこと」

 にこにこしながらレオンは花束をがっしりした手のひらに滑り込ませ、素早く唇を重ねた。
 幸いオティアの姿はなく、ヒウェルの気配もない。だから心置きなく濃厚なキスを堪能することができた。

 もっとも、彼らのどちらか、あるいは両方が居たところで遠慮するつもりはさらさらない。やることも、いささかも変わりはしない。
 強いて違いをあげるとしたら、ディフが恥じらう事ぐらいだろうか……それもまた、悪くない。

「ふ……はぁ………」

 ようやく解放され、息をはずませ、頬も首筋も目の縁もいい具合に赤く染めながらもディフがほほ笑んだ。

「ありがとう。すげえ、うれしいよ……でも、いいのかな、こんな時に」
「こんな時だから、だよ。君まで悲しい顔をしていたら、あの子たちも悲しくなってしまう」
「あ……そうかっ」
「君はこの家の太陽だからね」

 どう働き掛ければディフが前向きになるか。素直に喜ぶか。レオンハルト・ローゼンベルクは全て心得ていた。
 そしてディフもまた、レオンの言うことは全て受け入れるのだった。まるで乾いた土が水を吸うように素直に、自然に。

「こっちの箱は?」
「開けてごらん」
「よし、じゃあ遠慮なく開けるぞ」

 リボンをほどきつつ、ディフはちらっと上目遣いに夫の顔を見上げた。

「ごめん。俺、何も準備してなくて」

 あどけない笑みが答える。

「夕食は、ミートパイがいいな」
「まかせろ! お前のために、気合い入れて作る!」

(ああ、それでいい)

『お前のために』

(その言葉こそが。君が俺だけを見て、俺のことだけを考えてくれる瞬間こそが、最高のプレゼントだ)

 はらりとリボンがほどけ、箱のフタが開く。
 中には、一見してスキューバダイビング用のスーツに似たウェアが入っていた。半袖、ハイネック、上は首筋から下はひざまでぴっちり覆う構造になっている。

「これ……」
「水着だよ。これなら、君も人目を気にせず泳げるだろう?」
「あ……」

 目を潤ませ、ふーっ、ふーっと髪が舞い上がるほどの勢いで息を吐いている。嬉しいのと、恥ずかしいのが一緒になって言葉が出ないらしい。ヘーゼルブラウンの瞳の縁にちらちらと、若葉の緑が揺らぎ始めていた。
 手をのばして、くしゃくしゃと柔らかな赤い髪をかき回してやった。犬の子でもなで回すように、無造作に。

「よせよ、くすぐったい」

 顔をしかめる。だが手は払いのけず、逃げる気配もない。

「また、一緒に泳ぎに行こう」
「……ああ、いつでも行ってやる」
「嬉しいね。ああ、だけど」

 耳元に顔をよせ、ささやいた。

「着衣水泳は勘弁してほしいな」

 青い光に満たされた、深夜のプール。水の中で抱き合い、交わした濃密な口付け。
 甘い記憶そのままにどちらからともなく腕を絡め合う。二度目のキスが始まろうとしていた。

次へ→【4-19-6】ドアの向こうに
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