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ローゼンベルク家の食卓

【4-19-6】ドアの向こうに

2010/06/25 23:18 四話十海
 
 「それじゃ」

 軽い感じで別れの挨拶をして電話を切った。

 バイキングが家に来てから、一週間が経過した。
 引き出しにしまったハンカチは、まだ取り出された気配はない。
 あれから何度か『トモダチ』から電話がかかってきたが、シエンが手にとることはなかった。
 相変わらず俺が代わりに話す。

『遊びすぎて外出禁止になった』と伝えたら、簡単に納得して引き下がる。その程度の軽い付き合いでしかない仲間だ。気付かれる心配はない。

 長時間一人でいると警察や店員に目をつけられやすい。
 利害の一致と、わずかな仲間意識でゆるく結ばれただけの、目的のない集団。そういう付き合いは気楽だけれど、シエンには向いていない。
 何だってそんな仲間に加わったのか、疑問だった。だが、遊び仲間の一人が、中学で少しの間同じクラスだったビリーだと知り、納得がいった。おそらくあいつも俺達と同じ境遇だったんだろう。

 実際、ほとんどの『トモダチ』からは一度か、せいぜい二度、電話が来ただけだったけれど、ビリーからはメールも含めて4回。

『病気治ったか』
『叱られてないか。俺も兄貴にとっつかまった。しばらく出られない』

 最後の電話では、ドッグ・シッターのバイトを始めたと言っていた。あいつも真っ当な里親の家で暮らしてるらしい。少なくとも、今は。
 電話を閉じて、机の上に乗せる。

 アレックスがこの携帯を用意してくれた時、中に入っていた情報は俺もシエンも同じだった。
 だけど今は違う。俺の携帯には動物病院やアニマルポリス、そしてエドワーズ古書店の番号が登録されている。シエンの携帯には、俺の知らない『トモダチ』と、そして……

 ハンス・エリック・スヴェンソン。金髪眼鏡の、海色の眼をしたバイキング野郎。ふわふわととらえ所が無く、何を考えているのか今一つかみづらい。
 一緒にいると、イライラする。何だってシエンはあんな、クラゲみたいな奴のことを気にかけてるんだ?

 小さい頃から二人きり、どこに行くのも一緒だった。
 俺達を取り巻く環境は悪化する一方でも、一人じゃなかったからふんばれた。お互いに相手を唯一のものとして守ってきた。

 二人だけでいるなら、特に会話は必要なかった。一言も発しなくても、何がしたいのか、どこに居るのかわかっていた。
 まるで自分の一部分であるかのように。
 それが……1年もたたないうちに、何を考えてるのかもわからなくなるなんてな。
 今、俺は何か言おうとして、結局何も言えずにいる。変わらないのは、シエンを守りたいという願い、ただそれだけだ。それすらも、今は俺だけのものではなくなったけれど。

 今の俺たちは、過去の暮らしからは考えられないような生活をしている。
 食事は毎日きちんと食べているし、服も新しくて清潔で、もちろん家は文句のつけようもない高級マンションだ。

 それに不満があるわけじゃないが、俺はいつまでたっても慣れない。
 ふとした瞬間にあるどうしようもない違和感と、恐れ。

 以前それをぽつりとこぼしたら、シエンは「しょうがないね」っていつもの顔で笑っていたけど。
 本当は。
 馴染んでいたように見えたこいつのほうが……ずっと違和感は強かったのかもしれない。

(本当に、俺たちはここに居ていいんだろうか?)
(いつか、何の前触れもなく急に放り出されるんじゃないか?)

 ぼんやり考えていたら、小さくノックの音がした。一瞬、シエンがびくっと肩を震わせるが、聞こえてきた声にほっと表情を和らげる。

「飯、できたぞ」
「今、行く」

 わずか一週間の間にシエンの行動範囲は広がっていた。部屋から廊下、そして食堂へと。まだキッチンで食事の仕度を手伝うまでは行かないけれど、それでも大した進歩だ。
 一時期は部屋から出ることもできず、食事もここまで俺が運んでいたんだから。

『会いたい』
『顔が見たい』
『会えるようになりたい』

 その気持ちがシエンを前に動かしている。相手があのバイキング野郎だってのが、唯一気にくわないけれど。

 食堂にはトウモロコシの焼ける香りが漂っていた。どっしりとした食卓には料理が並べられ、床の上にはオーレ用のカリカリと水が用意されている。
 頑丈なクルミ材の椅子に座り、焼き立てのコーンブレッドを口に運ぶ。
 強弱の波はあるものの、相変わらず違和感は消えない。これからも決してゼロにはならないだろう。
 だけど少なくともここは……安全な場所(セーフゾーン)。
 

 ※ ※ ※ ※

 
 夕食の後、シエンを部屋に送り届けてから、改めて居間に引き返した。
 キッチンでディフとヒウェルが皿を洗っていた。腕まくりをして、シンクの前で並んでカチャカチャと。

「よう、どうした?」

 声をかける前にヒウェルが振り向いて、手を振った。洗剤の泡がびしゃり、とディフの顔に飛ぶ。

「……貴様」
「悪ぃ! わざとじゃないんだ」
「たりめーだ、わざとならタダじゃおかん」

 へこへこと謝りつつ、キッチンタオルをさしだしてる。ディフは黙って受け取り、ぐいぐいと顔を拭った。
 そろそろ話していいかな。

「ディフ」
「何だ?」
「……仕事………」
「ああ」
「俺が仕事休んでから、そろそろ二週間だ。事務所の仕事、溜まってるんじゃないか?」
「ん……そうだな、事務処理が溜まってる」

 気にするな、とは言わない。仕事に関してはいつもそうだ。若干のクッションを挟む事はあるけれど、決して気休めやごまかしを打たない。

「やっぱり、そうか……」
「なあ」

 ヒウェルがすちゃっと手をあげた。今度はちゃんと洗剤の泡は落としてある。

「オティアの仕事って、パソコン使ってるだろ?」
「ああ」
「だったら、ネット経由で在宅勤務すりゃいいじゃん。こっちにパソ一台用意してさ?」
「なるほど、その手があったか」
「この家、無線LAN環境、設置してあるし? って言うか俺が繋いだ訳ですが……」
「そうだったな」
「セキュリティも、アレックスがパーフェクトに手配してくれたから心配ないし!」

 目を輝かせて、ものすごく活き活きしてる。ちょっと薄気味が悪いくらいだ。

「さすがに子ども部屋から繋ぐの難しいかも知れないけど、中継器一台増やせば問題ないだろ!」
「確かにそうだが、パソコンがな。ノートパソコンは俺が使ってるし、事務所のを持ってくるにしてもかさばるし」
「あー心配ない、心配ないノーパソなら、俺んとこに一台使ってないのがあるんだ」

 うきうきした口調で言いながら、ヒウェルは手をもみしだいた。

「明日、中継器買ってきてつけてやるよ! 大船に乗ったつもりで任せとけ!」

 次の日、本当にヒウェルはノートパソコンと中継器(無線ルーターとか言っていた)を抱えてやって来た。
 
「ルーターはリビングにつけとくよ。これなら子ども部屋でも、お前の部屋でも使えるだろ?」
「ん」
「パソそのものは一昨年のなんだけどな。OSは最新のを入れといた」
「……ああ」
「どうした?」
「リンゴじゃない」
「ああ。こっちはWindowsだ。仕事柄、こっちじゃないと使えないソフトが必要になる場合もあるんでたまに使ってたんだが……Macの上でも、Windows用のソフトを走らせる事ができるようになってさ」

 なるほど、それで『使わなくなった』のか。
 ノートパソコンを立ち上げて、しばらくヒウェルはかちかちとやっていたが、やがてぽん、と手を打ち合わせてこっちに向けた。

「……よし、これで無線LANにつながった。電波状態も極めて良好!」
「………」
「使い方、わかるよな?」

 当然。

 まっさらで手の入ってない状態のマシンを触るのは始めてだ。一通りビジネス用のソフトは入っているらしい。
 事務所で自分が使ってるのと同じ環境に整えるまでに、少し時間がかかりそうだ。
 必要なデータは、あとでディフにメールして送ってもらうとして……。
 
「あー、その、オティア」
「何だ、まだ居たのか?」

 ほへっとため息一つつくと、ヒウェルはごそごそとビニール袋から四角い箱をとりだした。
 てっきりパソコン用の何かだと思っていたが、違ったらしい。
 袋のロゴはトイザラス……おもちゃ屋か。

「あー、その、これ……」
「何だ、これ」
「プレゼント」
「もらう理由がない」
「そ、そりゃ、まあ、うん、そろそろ3月だし、バレンタインにしちゃいい加減遅いけどっ、そのっ」
「……」

 バレンタイン。
 2月14日……ドクターが往診に来た日だ。確か、あの日は食卓にマーガレットが飾ってあった。おそらくレオンがディフに贈ったんだろう。

「そう言うことか」
「う、うん、そう言うことっ」

 外したリボンはオーレが大喜びでくわえて行った。床の上で爪で引っかけて放り投げたり、くわえて走り回ったり。
 包み紙をほどくと、中から出てきたのは『探偵セット』。

「何で探偵セット?」
「探偵だろ? おまえ」
「それはディフだ。俺は助手」
「いちいち細けぇな! 助手だろーがアシスタントだろーが、探偵事務所でお仕事してることに変わりはないだろ!」

 一理ある。けれどこいつが言うと、そこはかとなくうさんくさいのは何故だろう?

 セットの内容は指紋採取キットや繊維分析キット、水に溶けるメモ、血液判定薬、紫外線ペンライト、簡易顕微鏡まで入っていた。
 ざっと箱の説明書きを見ただけでも、色々な実験ができそうだ。ずっと家にこもりっきりで時間をもてあましている事だし、丁度いい。

「……ありがとう」

 ヒウェルは目の周りをぽやーっと赤くして、口元をむずむずと引きつらせた。と、思ったらあっと言う間にぽぽぽぽっと、顔中に赤いのが広がってく。
 汗まで噴きだしてる。
 大丈夫か、こいつ。熱でもあるんじゃないか?

「あー……」
「ヒウェル?」
 
 ぱちぱちとまばたきしながら、ヒウェルはしとろもどろにつぶやいた。

「どう……いたし……まし……てっ!」

 ソファの上からジャンプしたオーレが、よれたシャツに爪を立ててぶら下がっていた。

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