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ローゼンベルク家の食卓

【4-15-2】ケンネルにて

2010/01/24 23:26 四話十海
 
 通路を進み、分厚い頑丈そうなドアを開ける。もわっと獣のにおいが強くなった。同時に、わん、きゃん! くーん、がり、がりがり……
 吠える声、鼻を鳴らす声、床をひっかく音、その他声になる前の息遣い。
 生きている犬の気配がどっと押し寄せてくる。
 
「ここがケンネル(犬小屋)だよ」

 防音の効いたドアの奥には、さらにフェンス状の扉があった。外側の扉を閉めてから、改めて奥の二枚目を開ける。
 犬が逃げ出さないよう、二重構造になっているのだ。

 扉の向こうには細い通路が続き、左右には細長い小部屋が並んでいる。部屋の入り口は素通しの金網。中には1頭ずつ犬が入っている。

 なるほど、ケンネル(犬小屋)だ。

 そこは清潔で明るく、空気の管理も室温も行き届いていた。
 それでも、部屋の中にひしめく四つ足の生き物のにおいを完全に消し去ることはできない。

「こっちの犬と、こっちの犬では首輪(カラー)の色が違うね」
「ああ。オスは青いのを、メスはピンクのを着けることになってるんだ」

 テリーはそっと扉に貼り付けられたカードに手を触れた。犬を驚かさないように、ゆったりした動きで。

「ここに名前と年齢、健康状態が書いてある」
「全部名前がついてるの?」
「そうだよ。ストリートで保護された犬は、本名がわからないから新しい名前をつけるんだ」
「そうでない犬は……」
「…………」

 双子は黙って、うつむいてしまった。
 そんな二人を見ながら、テリーは低い声で淡々と続けた。まるで教科書を読み上げるように落ち着いた口調で。

「世話のできなくなった飼い主に、連れて来られるペットもいる。残念なことに」
「……知ってる、さっき聞いた」
「そうだったな。引っ越し先では動物が飼えない。世話にかけるお金がない。暴れたり、家具を壊したり、吠えたり騒いだりする。だいたい、原因はこんな所だ……」
「…………」
「シェルターに連れてこられた動物は、5日間の保護期間内に譲渡する決まりになっている」

 珍しくオティアが口を開いた。

「5日を過ぎたら?」
「民間のシェルターに移す。ボランティアに一時的に預ける事もある……」
「民間でやってるとこもあるのか」
「ああ。民間のシェルターでは、保護期間が定めらていないからな。設備のキャパシティが許す限り、受け入れてくれる」

 オティアはじっとテリーの顔を見上げた。紫の瞳がまばたきもせずに問いかける。

 その先があるはずだ、と。

 テリーは小さく息を吐き出し、言葉を続けた。

「安楽死させるのは、最後の手段だ。だけど、収容するにも限度がある……1頭でも多くの動物に新しい飼い主が見つかるように。second-chanceが訪れるように。最大限の努力をしてる」

「だれも、元気な犬に安楽死の注射なんか打ちたく無いからね」

 サリーの声はいつもと同じように静かで、澄んでいた。けれどほんの少し震えているようだった。

「個々の家庭に色々事情はあるし。何よりも今、目の前でしっぽを振ってる犬の命を自分の手で断ちたくない。恐ろしいし、可哀想だ。その気持ちは、とても自然なことだよ」

 サリーはきゅっと拳を握ると左胸に当て、しばらく深い呼吸を繰り返していた。

「だけどね。本当にその子を愛しているのなら……どんなにつらくても。最後の息を吐き出す瞬間まで、飼い主にそばに着いていてほしい。見捨てないでやってほしい。見知らぬ人たちの中で、その子の一生を終わらせちゃいけない」

 言葉が途切れるその刹那、ひゅーっとのどを鳴らして、吸い込んでいた。双子も。ディフも。テリーも、サリーも。生きている犬の生み出す体温と、湿り気、においの溶け込んだ空気を。
 そして、聞いていた。
 感じていた。自分たち以外の小さな心臓の奏でる、テンポの速いリズムを。

 ぶるっと身震いすると、サリーは食いしばった歯を内側からこじあけた。強靭な意志の力を振り絞って。

「犬は命の消える瞬間まで、その人を待っているから。心臓が止まり、瞳に何も映らなくなる最後の一秒まで、ずっと……」
「きゅーうるううん」

 不意に、甲高い声が響き渡る。サリーの立っているすぐそばのケンネルの主が。黒と白の、ふかふかした毛皮の犬がきちっと座り、扉に顔をくっつけていた。

 うるんだ黒い瞳でじっとサリーを見上げて、わっさわっさとしっぽをふる。まるでモップだ。

「うん……ありがとう、ゴドー………」
「くぅうん」

 金網の隙間から手を伸ばすと、サリーは黒いふかふかの毛皮を撫でた。ゴドーと呼ばれた犬は精いっぱい舌をのばしてサリーの手をぺろぺろと舐める。

「えっ」

 はっとサリーが目を見開き、それからまじまじと犬の顔を見た。

「きゅうう」

 引き結ばれていた口がゆるみ、ほわっとやわらかなほほ笑みが広がる。

「そっか……良かったね」
「お」

 テリーが入り口のカードを確認し、うなずいた。

「こいつ、アダプションが決まったのか」
「うん……」

 にっぱーっと顔全体で笑うと、テリーはばしばしと友人の背中を叩いた。

「よかったなー。何てったって、ゴドーって名前はサリーがつけたんだものな!」
「そうなの?」
「おお、こいつは名前つける天才だよ。サリーが名前つけた犬とか猫は、すぐ反応するんだ。まるでずーっとそう呼ばれてたみたいにな!」

 シエンとオティアは、合図でもしたようにそろってディフの顔を見た。
 ディフは熱心に扉に貼り付けられた犬の情報をメモしていたが、気配に気付いて振り返った。

「……どうした?」
「………別に」
「ん、大したことじゃないよ」
「そうか」

 オティアはのびあがり、所長の手元をのぞきこんだ。犬の名前、種類、外見的特徴、保護された場所がびっしりと書留められている。

「何で、わざわざメモを?」
「ここ来る時の習慣なんだ。ひょっとしたら、こいつらを探してくれって依頼が来るかもしれないだろ?」
「………」

 オティアが首をかしげる。そのわずかな仕草の意味することを読み取り、ディフはゆったりとうなずいた。

「そうだな、確かにネットにも情報は出る。だけど、リアルタイムとは限らない。収容される犬の数は膨大だが、打ち込みは全部手作業だ」

 そう言って、ボールペンで手帳の表面をツコツと叩いた。

「それに。犬の特徴が一部なりとも記憶にあれば、0の状態から検索するより早い」

 なるほど。
 筋は通っている。

「こう、手を動かして書いた方が頭に入るし!」

 こう言うところは、アナログだ。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 

「ちょっと待て、そっちじゃない」

 双子がケンネルから出て、ロビーに向かおうとするとテリーに呼び止められた。

「今度はこっちからだ」

 廊下を左に曲り、行き当たった先のドアを開く。
 ひゅうっと冷たい空気が押し寄せてきた。

 ……外だ。
 頬の皮膚がぴりぴりと引きつれ、思わず首をすくめていた。

「あ」

 そこは、細長い庭だった。来る時にフェンスの合間からちらりと見えた、あの庭だ。
 木に囲まれた、こんもりとした芝生の絨毯。蔦の絡まる小さな張り出し屋根は今は枯れているけれど、夏には生い茂って気持ちの良い日陰になってくれるだろう。

 庭の中央には白い消火栓のようなものが立っていて、いくつもの蛇口が突き出していた。

「犬の水飲み場だよ」
 
 そこには、大小合わせて5匹の犬がいた。犬1頭に対して一人ずつ、紺色の袖無しスモックを着たボランティアが着いている。
 背中には、白いラインで犬と猫のシルエットと文字が印刷されていた。

『San Francisco Animal care&control』

 建物の入り口に書かれていたのと同じロゴだ。テリーとサリー、ディフは彼らと顔見知りらしい。親しげに手を振って挨拶を交わしている。

「ハロー、先生。ひょっとして休日出勤?」
「あら、探偵さんまで。また迷子さがし?」
「いや、今日は見学の付き添い」

 話す合間に、ボランティアスタッフは慣れた手つきで犬のリードを外してしまった。
 自由になった犬たちは、追いかけっこをしながらぐるぐると細長い庭を走り回る。

「散歩の前と後は、ここでリード外して自由に走らせるんだ」
「そ、そうなんだ」

 シエンは正直、びくびくしていた。
 さっきの部屋の犬は、ケージに入っていた。外に出る時は、リードでつながれるから大丈夫だと思っていた。
 だけど、こんなのは予想外!

 しかも、よりによって5頭のうち3頭が大型犬だった。

(一般的には中型犬の部類に入るのかも知れない。でも、シエンの基準から見れば、十分大きな犬だった)

 ちっちゃい2頭もやたらと元気が良く、ぴょーん、ぴょーん、と信じられない高さまで飛び上がっている。

 シエンはぴたっとオティアに寄り添った。オティアも手を伸ばし、二人はしっかりと手を繋いだ。

 ひとしきり駆け回ると、犬たちはとっとっとっとリズミカルに近づいてきた。
 しっぽを振ってテリーとサリーのにおいをかぎ、軽くディフを点検し……

 熱心にオティアのにおいをかいでいる。鼻をコートに押し付けて、そりゃあもう鼻息で髪の毛が舞い上がるくらいの勢いで。
 オティアはほんの少し困った顔をしながらも、嫌がってはいなかった。元々、動物は好きなのだ。

(それにしてもこいつら、何でこんなにテンション高いんだ?)
 
「オーレだよ」

 首をひねっていると、サリーが答えてくれた。

「猫のにおい。気になるんだって」
「あ……」

 必然的に、シエンも同じ理由でにおいを嗅がれていた。
 オーレには慣れたけど、この犬たちは、全然体の仕組みが違う。
 ごつごつしていて、勢いがあって、別の生き物だ!(いや、確かに別の生き物なんだけど)

 シエンは硬直し、ぎくしゃくした動きでオティアの後ろに隠れてしまった。

「ああ……やっぱりああなっちまったか」

 少し離れた位置で見守っていた大人三人は、顔を見合わせた。

「勢いのある連中が、そろってるからなあ」
「オティアは平気みたいだよ?」
「ほんとだ。穏やかな目、してる……」

 
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