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ローゼンベルク家の食卓

【4-15-3】ばったり!

2010/01/24 23:27 四話十海
 
 犬たちの遊び時間の終了とともに、双子と保護者たちは部屋の中に戻った。
 最後の頃はシエンも最大限の勇気を振り絞り、一番小さくて、一番おとなしい犬の頭をなでることができた。

「人なつっこい連中だったな」
「ああ、聞き分けのいい奴らで助かった」
「……そうだね」

 言葉少なに目を伏せるサリーの背を、どんっとテリーが叩く。

「大丈夫だって。適応訓練も上手く行ってるし、もう何処に出しても恥ずかしくないぜ、あいつらは!」
「……うん」
「適応?」
「ああ、中には人間に接するのを怖がるようになってる犬もいるから、な」
「あ、それで……」

『犬たちに会ってやって。 アダブションまでに、できるだけ多くの人間に慣れさせたいから』

 シエンの頭の中で、マージの言葉と今聞いた事実がカチリと噛み合った。

「うん、そう言うことだ」

 ロビーまで戻ってくると、見覚えのある人物に出くわした。
 そう、特にシエンは毎日会ってる相手だ。でも、何でここにいるんだろう?
 アイラインのくっきりしたラテン系の顔立ち、張りのある声。彼がいるだけで、お世辞にも暖房が効いてるとは言いがたい真冬の部屋が、真夏に変わるこの不思議。

「あ」
「やあ、シエン! こんにちは、オティア。ディフも、サリー先生も、おそろいで!」

 デイビットはぱちくりとまばたきして、双子を交互に見つめた。

「さすが双子だ、こうしているとそっくりだね。一瞬、どっちがどっちかわからなかったよ!」
「デイビット……どうして、ここに?」

 ぱちっと陽気なラテンガイはウィンクをして答えた。

「ちょっと、仕事の打ち合わせに」
「……」

 ディフはしばらく顎に手を当てて考えていた。

「いつの間にペット弁護士も始めたんだ?」
「いや。いや、冗談だよ。もっともレイは、本当はペット弁護士になりたかったんだそうだけどね」
「いいんじゃないか。彼、向いてると思うぞ」
「でも依頼人に怖がられるから、あきらめたって」
「あー……」
「うん……」

 ペット弁護士。動物の権利問題を専門に扱う弁護士のことだ。必然的に飼い主や動物との接触が多くなる訳だが……
 顔を合わせるたびに、クライアントがソファの下に隠れて「ふしゃーっ!」なんてことになったら、困る。

「ところで、そちらの青い目の紳士は初めて見る顔だね?」
「ああ、彼はサリーの大学の友人で、テリーだ。テリー、こちらはデイビット・A・ジーノ。レオンの事務所のシニアパートナーだ」
「やあ、テリー」
「ども、よろしく」
「サリー先生のご学友ってことは、君も獣医さんなのかな?」
「はい、まだ学生ですけど……」

「ンまあ、デビーじゃないの!」

 負けずおとらずうるさい……いや、にぎやかな人がやってきた。

「やあマージ」

 思わず目を丸くするシエンの前で、マージとデイビットはがっつりと熱い抱擁を交わした。

(でっ、デビーってっ。今、デイビットのことをデビーって!)

 マージおばさんにかかれば、デイビットもboy扱いらしい。
 サリーは行儀良く微笑を浮かべ、テリーはくすっと笑い、ディフはぴくっと眉をはね上げたが、口元がかすかに緩んでいる。
 オティアは表面上は微動だにせず。
 それぞれ程度の差はあれ、呆気にとられる五人の前ではマージがわしわしとデビー坊やの頭をなで回していた。

「来てくれて、うれしいわ、ハンサム・ボーイ」
「君こそ、あいかわらずキュートだね!」
「ありがと、お世辞でも嬉しいわ」
「とんでもない、本心だよ!」

 そう、彼はいつだって本気だ。人種、年齢、職種を問わず、すべからく女性を褒め称える時はいつでも本気で、心の底から全力で。

「今日はうちのLittle-princessを連れてきたんだ。ママ・マージに久しぶりに会いたいって言うからね」
「まあああ、嬉しいわ……彼女、元気?」
「ああ。車の中でお待ちかねだよ!」

(Little-princess……ああ、あの子か)

 デイビットは犬を飼っている。これまで何度か事務所で話題に出たことがあった。
 どうやら、彼の愛犬も元はこのシェルターに収容されていたらしい。
 
(ちっちゃなお姫さま、かあ。きっと、小さくて可愛い犬なんだろうな。オーレみたいな感じの……)

 そのまま、連れ立って駐車場に出る。塀の外は容赦なく風が吹きつけ、庭よりずっと寒かった。双子はどちらからともなく手袋を取り出し、はめた。

「あれ?」

 デイビットが迷わず一直線に歩いて行く先は、見慣れたシルバーの高級車ではなく、ごっつい四輪駆動車だった。
 それこそディフが運転してきたような、海岸でも山道でもばんばん走れるようなワイルドな作りの車だ。

「ん? どうしたんだい、シエン」
「車が……ちがうような」
「ああ、こっちはプライベート用だよ!」
「そうなんだ」
「荷物もたくさん積めるし、何と言っても丈夫だからね!」

 確かに、犬を連れ歩くのならこっちの方が向いているだろう。
 人の気配を察したのか、車の中で何かが動いた。ぐらっと四角い頑丈な車体が揺らぐ。

(あれ、思ったよりちょっと、大きいかも?)

 シエンは秘かに頭の中で犬の予想サイズを変更した。

「まあ、相変わらずパワフルね、彼女」
「ドッグパーク(屋外型の広いドッグラン)に行く途中で、ここの近くを通りかかると大騒ぎするんだ。ちゃんと覚えてるんだね」

 デイビットは勢い良く後部のドアを開け、中に一声、朗々たる美声で呼びかけた。

「出ておいで、ベアトリス!」

 ぐらぁり。
 車体が傾き、中から白地に黒い斑点の散ったしなやかな獣が降りてきた。

「わ」
「うわぁ」
「おお」

 がっちりした骨格、広い胸板、ピンと立った両耳。大人が四つんばいになったほどの大きさの巨大な犬。

(うそうそうそうそうそ、こんなサイズの犬、いるのっ? って言うかこれ本当に犬?)
(何か別の大動物じゃないのっ?)

 テリーが軽く口笛を吹き、感嘆交じりにつぶやいた。

「グレートデンか。美人さんだなぁ」
「うん、美人さんだ」

 のんびりした口調でディフが相づちを打つ。

「思ったより小柄だな。やっぱり女の子だからか?」

(これでちっちゃいってっ! そりゃあ、ディフから見たらそうかも知れないけどーっ)

「でしょうねー。骨格からしてほっそりしてるし」

(え、え、サリーまで何言ってるの?)

「何って言うか、華奢だよな」
「うんうん、確かにLittle-princessだ」
 
(どこがっ)

『ちっちゃなプリンセス』は優雅に身をくねらせて主人の傍らに足をたたんで座った。
 いくぶん動きは大人しくなったものの、ぱたぱたと短い尻尾が左右に揺れている。

「紹介しよう、ベアトリス。私の友人たちだ……それと、この子はシエン。前に話したことがあったね。うちの事務所の有能なアシスタントだ!」
「うぅ?」

 ベアトリスはちょこんと小首をかしげると、ぬうっと鼻面を寄せてきた。むふうっと生暖かい息が顔をなでる。
 その瞬間、ぴきーんっとシエンの中でメーターが振り切れてしまった。
 ディフが何か言おうとしたが、それより早くオティアが進み出て、シエンと巨大な犬との間に割って入る。

「うふぅっ」

 ベアトリスは耳を伏せると、今度は熱心にオティアのにおいを嗅ぎ始めた。庭で出会った犬たちと比べると、上品に、適度な距離を保ちつつ。
 その様子を見守りながら、マージは目を細めてにこにこと顔中で笑っていた。
 
「ほんと、この子の引取先を探すのは苦労したわ。気立ての優しい、賢い子なんだけどサイズがね」

 グレートデンを飼うとなると、広い家でなければ難しい。
 さらに、飼い主にも犬のパワーに負けないだけの体力と気力が求められる。

「譲渡会にやってきたデビーをひと目見て思ったの。この人ならぴったりだって! だからね、一直線に突進して、言ったのよ。『あなたにぜひ、会って欲しい犬がいるんです』って」

「あー……」
「うん……」

 目に浮かぶようだ。きっとためらいもせずデイビットに近づき、有無を言わせず引っ張って行ったに違いない……。
 この、巨大なお姫さまのご寝所まで。

「おお、マージ。私も、イザベラもどれほど君に感謝してるかわからない。ベアトリスに引き合わせてくれたんだからね!」

 本当に、ベアトリスは気性の優しい、穏やかな犬だった。
 全身に喜びを表しながらも、決して乱暴にぶつかったりしない。マージが撫でてくれるまできちっと座って待っている。

「ハロー、ベアトリス。元気そうね……キスしてくれる?」

 途端にベアトリスは後足で立ち上がり、強靭な前足をマージの肩にかけて顔を舐めた。ぞーりぞーりと、それこそ目鼻を削り取られそうな勢いで。しかしマージは一向にひるむ気配もなく巨大な犬を抱きしめ、なで回している。

「んー、あいかわらず情熱的なキスだこと!」

 がっつりと再会のハグ&キスを堪能してから、巨大なお姫さまは再び双子に視線を向けてきた。

 オティアはまばたきもせずに、じっと見ている。

 何て大きな犬だろう。まるで小馬だ!(まだ実物を見たことはないけど、きっとこれぐらいの大きさだろう)
 でも、穏やかで優しい目をしている。

「君も、彼女に挨拶してくれるかい?」

 こっくりとうなずくと、オティアはベアトリスに歩み寄り、手をさしのべた。
 静かに、静かに、そっと。上からではなく、下から。

 ビロードのような鼻先が手のひらを掠める。
 ベアトリスは上品ににおいをかぐと、尻尾を振って顔をすりよせた。

「うわ」

 仕草はオーレと同じ、だけど何て力だろう。ぐらっとよろけて、急いで足を踏ん張った。

「お、持ちこたえた」
「がんばってるね、オティア」

 大きさとパワーに慣れてさえしまえば、ベアトリスはとてもつき合いやすく、愛らしい生き物だった。
 オティアは慎重な手つきでがっしりした首を撫で、頭を撫でた。
 温かい。
 今まで接してきた、どんな犬よりおおらかで、余裕がある。
 シエンはオティアの背後に隠れ、そっとベアトリスの様子を伺っている。さすがに今度は、触る勇気はなかった。

 しばらくベアトリスは目を細めてされるがままになっていたが、不意にぴくっと耳を立てた。

 ほどなくゆっくりと駐車場に車が入ってきた。家庭用のワゴン車だ。
 駐車スペースに停まり、ドアが開く。
 家族連れが降りてきた。父親と母親、小学生ぐらいの息子ともっと小さな娘。四人とも晴れやかな笑顔で、特に男の子は弾むような足取りで歩いている。
 嬉しくてたまらないのだろう。

「あら、お客様だわ……行かなきゃ。それじゃ、元気でね、Boys」

 マージがいそいそと出迎えた。

「電話したアンダーソンです。犬を迎えに来ました」
「はい、お待ちしてましたわ、アンダーソンさん! 準備はできています、どうぞお入りください」

 オレンジ色の入り口の向こうに消える家族連れを、一同は厳かな気持ちで見送った。

「……ゴドーを迎えに来たのかな」
「そうだよ。きっと」
 
 
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