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ローゼンベルク家の食卓

【4-12-1】イブの夜でも勤務中

2009/07/24 0:05 四話十海
  
『ひいらぎ飾ろう ファララララーララララ』

 表の通りから、子どもたちの歌うクリスマス・キャロルが聞こえてくる。仕事のBGMとしてはいささか風変わりだが、今日はクリスマス・イブ。場所は教会、とあってはむしろ自分たちの方が場違いと言うべきだろう。

 しかしながら犯罪ってやつはとにかくTPOを選ばない。クリスマスだろうと、新年だろうと、結婚式あるいはデートの直前だろうと、起きる時は起きる。
 
「エリック、そっちあとどれぐらいで終わる?」
「そーっすね……」

 ハンス・エリック・スヴェンソンは、ジャックナイフみたいに折り畳んでいた背中をんーっと伸ばして足元を見回した。

「そろそろ終わるかな……あ」

 視点が切り替わった瞬間、また新しい血痕らしきものを見つけてしまった。自分のめざとさに苦笑しつつ綿棒を取り出し、表面をぬぐい、試薬を吹き付ける。
 綿棒の先端が淡い赤紫に変色した。

 BINGO。
 血痕だ。

「まったく、クリスマス前に教会に押し入るなんて、罰当たりにも程が有るよな」
「基本的に犯罪者は罰当たりと相場が決まっているもんですよ」
「……ちがいない」

 綿棒の先端をプラスチックのカバーに収めて封印し、再びかがみ込む。
 幸いにして今回は殺人事件ではない。
 23日の深夜、信者の一人が教会に侵入しようとする怪しい人影を発見、入り口付近で格闘。双方ともに負傷し、侵入者は逃亡。

 目撃者は元警察官だった。DNAはデータベースに保存されていたし、事情徴収への受け答えもしっかりしていて万事てきぱきと進んだ。
 現場の証拠採取も比較的楽……かと言えばそうでもなく。
 教会の扉は万人に開かれている。特に時期が時期だけに訪れる人間は多い。現場に残された毛髪や皮膚片、足跡の数はそれこそ膨大な量にのぼり、分析には多大な時間を要すると思われた。

 加えて、今回は時間制限があった。
 深夜のミサが行われるまでに全ての証拠を採取し、現場の封鎖を解除しなければいけない!

 かくして捜査官たちは黙々と手を動かし、ピンセットや綿棒、ブラシを操り、浮き出た指紋、掌紋、足跡を透明シートに写し取った。集めた証拠を片っ端から小さなジップロックに封印し、ラベルを着ける。

 その一方で黄色いテープの外側では着々とミサの準備が進行しているのだった。
 ある意味、クリスマスの雰囲気はこれ以上ないと言うぐらいに味わっている、かもしれない。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 藍色の夜空に銀の星がまたたき、家々の軒先のイルミネーションがまばゆく輝く頃。
 どうにか制限時間内に作業を終え、SFPDの捜査官たちは神父の祝福とともに現場を解放し、清々しい疲労とともに撤収することができた。

(やれやれ)

 エリックはほっと胸を撫で下ろした。
 こんなに穏やかな空気の中で、プレッシャーを感じながら仕事をしたのは初めてだった。
 できればこれからもあまり経験したくはないな。

 捜査キット一式を収めた四角いプラスチックのコンテナをぶら下げて車に戻ると。

「あれ?」

 背の高い金髪の男が待っていた。お決まりの紺色の上着は着ていないし、刑事でもなさそうだ。しかし、しゃんと背筋を伸ばした彼のシルエットにはとても見覚えがある。
 ひと目見て感じた違和感は、ここが署内ではなく現場であることが原因だ。

「エリック」
「あ、EEE」

 頬や腕に残る絆創膏が痛々しい。今、ここに彼がいると言うことは事情徴収はもう終ったのだろう。手に何やら大きな紙袋を抱えている。

「怪我の具合はもういいんですか?」
「ああ、現職時代を思い出したよ」

 ここで言う現職、とは内勤に転属する前のことなんだろうな。自分が警察に入る前はマクダネル警部補の指揮下でばりばり現場に出てたのだ、この人は。
 強面揃いの爆発物処理班の一員だったなんて、穏やかな笑顔やもの静かな立ち居振る舞いからは到底想像もできないけれど。

「リズの毛のサンプルを持ってきたんだ。あった方が楽だろう?」
「ええ、助かります!」

 ジップロックに封印された白いふかふかの毛を受け取る。現場で採取された毛と照合して一致すれば、それだけ分析の手間が省けると言うものだ。

「それと、これ。食べる暇もなかったんじゃないかと思ってね」
「やあ、ジンジャークッキーですね。美味そうだ」

 さし出された紙袋から濃い茶色の大振りなクッキーを取り出し、ばくっと頬張った。

「食い物のにおいがする……」

 よれよれと同僚たちがゾンビのような風体で近づいて来る。

「どうぞ」

 袋ごとさし出すと、紺色の上着の捜査官も。制服警官も。私服刑事も、みんな仲良くわらわらと群がってきた。
 飲まず食わずで作業をしていたのはみんな同じ。ひとえに善男善女の集う、年に一度のクリスマス・イブのミサのために。

「うまい」
「ああ、染みるなあ」
「これ、ホームメイドだろ? お前が焼いたのか、EEE?」
「いや、マックスからもらったんだ。私一人では食べ切れそうにないんでね」
「あ……」
「とうとうクッキー焼くようになっちゃったんだ」
「すっかりお料理パパだな、あいつも」
「新婚だけど子持ちだしな」

 プレッシャーから開放されたからか、みんなして言いたい放題言いながらクッキーをかじっている。
 エリックは改めて、手の中のクッキーを見つめた。

(そうか、これセンパイが焼いたんだ)

 ぽりっと口の中の欠片を噛みしめる。ショウガの香りが強く、甘みが少ない。アメリカでは家庭の数だけクッキーのレシピがあると言われている。同じジンジャークッキーでも、家族の好みに合わせて少しずつ配合や味付けが違うのだ。
 
(これが、あの人の家庭の味なんだなあ……シエン、こう言うのが好きなんだ)

「エリック? 大丈夫か」

 ぽん、と肩に手を置かれた。ライムグリーンの瞳がじっと心配そうに見つめている。

「あ、いや、大丈夫です。ずーっと集中してたから、反動が」
「そう……か」
「ごちそうさまでした。それじゃ、よいクリスマスを、EEE」
「ああ。よいクリスマスを」
「リズによろしく」
「伝えておくよ」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 署に戻ったらキャンベルが頭を抱えていた。今回、彼は周辺住民の聞き込みを担当したのだがみんなして口をそろえて同じことを言ったのだとか何とか。

『教会から、まばゆい光が……』
『あれは奇跡です!』

「奇跡、かあ……」
「いっそ報告書に一言書いてすませたいよ。『奇跡』って」
「わかるわかる。でもそーゆー訳にも行かないんだよね……」
「俺たち、科学者だものな……」

 さらにラボでDNAを分析していたら、これまた妙な結果が出てしまった。
 現場から発見された血痕のDNAは2種類。一つは退職警官エドワード・エヴェン・エドワーズのものと一致。これは署内のデータベースとの照合ですぐにわかった。

 あと一つが問題。まず、人間のものではなかった。

「山羊の血だあ?」
「うん、牝山羊。毛色は黒」
「黒い牝山羊の血、ねえ……生け贄でも捧げようとしてたのか?」
「不謹慎の極みだよね」
「ああ、クリスマスだってぇのにな」

 ため息つきつつどうにか分析を終えてアパートに向かう頃には日付が変わり、クリスマス当日になっていた。
 結局、今年も実家には帰りそびれてしまった。
 
 エリックの実家はサクラメントにある。州都とは言え、むしろサンフランシスコよりのどかな街だ。

 かろうじて年越しシフトは免れたことだし、明日一日だけでも顔出しして来ようか。デンマークから二番目の姉一家も来ているし……久しぶりにタイガーの顔も見たい。

 北欧産の巨大な飼い猫を思い出し、くすくす笑う。甥っ子や姪っ子どもに追いかけられて、全身の毛をもわもわに逆立てているだろう。それでも子ども相手には決して爪も牙も立てないんだから感心する。

(その分、オレには容赦ないけど。頑丈だってわかってるんだろうな……)

 この前、噛まれたのはいつだったろう。手の甲に散らばる針でひっかいたような猫傷は、もうほとんど消えかけている。

 コートの襟を立てて街を歩く。クリスマスのイルミネーションがまばゆく辺りを照らし、行き交う人の数は一向に減る気配もない。遠くからは、クリスマスキャロルを『がなる』ごきげんな声も聞こえてくる。
 風に乗ってかすかにダンスの音楽も。

 やれやれ。にぎやかすぎて、かえってさみしくなってきたぞ。
 これから、寒くて暗い一人暮らしの部屋に帰るのかと思うと……回れ右して署に引き返したくなってきた。

 いけない、いけない。たまにはちゃんとベッドで眠らないと。
 それでも何だかまっすぐに帰るのにしのびなくて、途中下車してユニオン・スクエアのコーヒースタンドに入ってしまった。

「ドライラテ、トールサイズでキャラメルシロップ追加で」
「はい、かしこまりました」

 トールサイズのラテを一杯、泡を大目にしてもらってキャラメルシロップを追加した。
 店内に流れるマライアの歌声を聞くともなしに聞きながらカップに口をつける。濃密な泡を通り抜け、わずかに甘みを帯びたコーヒーをゆっくりすすった。

 無意識のうちに探している。少しくすんだ金髪を。伏し目がちの紫の瞳。クリーム色のダッフルコートに覆われた細い肩を。
 まさかこんな時間に会えると期待はしていない。
 むしろここで会ってしまたら、その方が心配だ。

 底に残ったふわふわの泡を、スプーンですくって口に入れる。さあ、ラテはおしまい。もう帰る時間だ。
 席を立ってから、ふと思い返して上唇を紙ナプキンで拭った。
 あぶないあぶない。もう少しでヒゲをつけたまま外に出るところだった。

 一抹のさみしさを抱えて店を出る。冷たい空気が目に見えない壁となって吹き付ける。首をすくめてマフラーを巻き直した。

 ケーブルカーに乗り込む直前、ノブヒルのマンションの方角を振り向いて、そっと胸の奥でつぶやいていた。

(メリー・クリスマス……シエン)

 エリックはまだ気づいていなかった。その方角を見て、はじめてDで始まるあの人以外の名前を呼んでいることに。
 その時、彼の心を占めていたのはただ一人。長めの金髪に優しく煙る紫の瞳の寂しげな少年の面影だけだったのだ。


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