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ローゼンベルク家の食卓

サリーちゃん狙われる

2009/02/03 19:14 番外十海
 その客はひっそりとドアの前に立っていた。

 赤い帽子を目深にかぶった、これまた赤いコートの女性。足音は聞こえなかった。どの方角から来ても、大抵店に来る客はまずウィンドウ越しに姿が見える。それなのに気づかなかったとは。いつからそこに居たのだろう? 

「エドワーズさん。本屋さん。両手が荷物で塞がっているの。開けてくださらない?」
「少々お待ちを……どうぞ」

 ドアを開けて招き入れる。おやおや、柊のリースがすっかりしおれてしまっている……寒さのせいだろうか。後で取り替えておこう。

 赤いコートの婦人はうっすらと微笑み、入ってきた。カツコツと足音を響かせて。けっこう背が高いな。ヒールのせいだろうか。
 なるほど、両手に大きな布の手提げ袋を下げている。エコバッグだろうか。近頃は買い物袋を持参するお客も増えた。
 
「助かったわ……」
「何かおさがしですか?」
「ええ、探しておりますの……子どもを」
「子ども?」
「息子がね、この近くで迷子になってしまったの。あなたご存知ない?」
「さて……参考までにお聞きしますが、いなくなった時の息子さんの服装は?」

 確かに迷子なら一人、奥で眠っている。だがそう簡単に信用するのは性急だ。まずは確認をとらなければ。

「白いセーターに茶色のチェックのズボン、薄い茶色のコート。黒髪で肌は象牙色、目は濃い茶色よ。女の子とまちがえそうなくらい可愛い子なの……ねえ、本屋さん、あなたご存知なんでしょう?」

 にいっと薄い唇を引きつらせて女がほほ笑む。乱杭になった歯がのぞいた。嫌な笑顔だ。それによく見ると爪も長く、尖っている。小さな子どもと日常的に触れ合う人間にしては、いささか不自然ではないか?
 百歩ゆずって付け爪だとしても、子どものことを第一に考える母親があんな物を身に着けるとは思えない。アクセサリーにしろ、ネイルアートにしろ、我が子に怪我をさせる可能性のあるものは……極力、避けるはずだ。

 エドワーズの胸の奥で密かに警報が鳴り始めた。

「あの子、ここにいるのよね? そうでしょう? ね、エドワーズさん」
「Ma'am、まだ肝心なことをうかがっていません」

 油断なく距離を取りつつ身構える。さりげなく店の奥に通じる扉と女の間を遮るようにして

「息子さんの名前は、何と言うのですか?」
「名前?」

 女は立ち止まり、ぎくしゃくと首をかしげる。

「そうです。息子さんの名前です」
「息子は……私の息子は……」
「答えてください。あなたの息子さんは、何と言う名前なのですか」
「な……ま……え……は……」

 女はぐいっと頭をのけぞらせる。ばさりと被っていた帽子が床に落ち、乱れた長い後ろ髪が広がった。そして額のあたりには2本、堅く結い上げた髪がそそり立っている。

「Ma'am?」

 その瞬間、店内の電気が全て消えた。

「っ!」

 停電か? だが向かいの店の灯りは着いたままだ。この家の電源だけが意図的に落とされたのだ!

「あの子を渡せぇええっ」

 びょっくん、と女が身を起こし、爪の長い腕を伸ばしてつかみかかってくる。とっさに身を沈め、逆に手首をとってひねり上げた。ありがたいことに警察仕込みの体術はまだ残っていてくれた。

「しゃぎゃああああっ」

 歯をむき出し、至近距離から睨みつけてくる。横に割れ裂けた金色の瞳……これは、人間の目ではない!
 気をとられた一瞬、思い切り向こうずねを蹴り着けられる。堅いかかとで強烈な一撃。たまらず吹っ飛ばされてカウンターに倒れ込む。
 ばさばさと本棚の本が落ちた。

「エドワーズさん……危ないっ」
「サクラ? いけない、下がって!」

 ばっちん!

 闇に閉ざされた店の中に、青白い光が弾けた。

「ぎゃあっ」

 赤いコートの女は両目を押さえて悶絶し、ぎゅるぎゅるぐるりとのたうち回り……消えた。一迅のつむじ風とともに。

 今のは、一体?
 閃光の中、ひるがえるコートの裾の奥に見えたあの足は、ハイヒールなんかじゃなかった。二つに割れた山羊の蹄だった。
 それにあの瞳。
 帽子の下から現れたあれは、高く結い上げた髪の毛だったのだろうか。それとも……。
 手のひらに一筋、傷ができていた。まるで尖ったもので引っ掻いたような。もみ合った際にやられたのだろう。

「まさか……角?」
「にゃーっ」

 リズの声にはっとしてカウンターの後ろに走る。小さな体がうずくまっていた。

「サクヤ! 大丈夫ですか?」
「だい……じょうぶ……」

 意識がもうろうとしているらしい。一瞬でエドワーズは腹をくくった。ソファの上からコートをとってきて着せて、自分もコートを羽織る。

 この子は狙われている。
 さっきの女がいつ、また襲って来るかもしれない。これ以上、ここに置いておくのは危険だ。一刻も早く保護してくれる場所に連れて行かないと……ただし、警察ではない。
 エドワード・エヴェン・エドワーズは英国で育った。そして本の好きな少年だった。子どもを攫いに来る魔物の存在は、幼い頃から知識として身近にあった。それに対抗する手段もまた、彼の中に自然に息づいていたのである。

「おいで、リズ」
「みゅ」

 愛猫とサクラをもろとも抱き上げる。
 
「少し走ります。ゆれるから、しっかりつかまっていてください」
「どこ……へ?」
「教会です。近くの」

 聖域にいたる道は狭く、車を出すより走った方が早い。外は既に暗いが、幸い今はクリスマスシーズンだ。家々の窓にも門口にも聖なる印が飾られ、賛美歌が流れている。
 守ってくれるはずだ。

「行きますよ」

 こくっとうなずき、しがみついてくる。
 小さな体を抱えてエドワーズは走った。
 教会へ。
 聖域目指して。

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