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ローゼンベルク家の食卓

ちび狼奮戦す

2009/02/03 19:16 番外十海
「さあ着いたぞ。ここが俺の家だ。つっても兄貴んとこに居候してんだけどな」

 サンフランシスコの西側、サンセット地区で路面電車を降りて数ブロック歩く。太平洋から吹く湿った風が山地に遮られるこの地区は年間を通じて曇りの日が多く、同じ海沿いでも心無しかマリーナ地区より肌寒い。サンセット……文字通り陽の沈む海に面した街。
 半地下のガレージと二階建て、えんぴつさながらに縦に細長い家が横に連結する一角にテリーの家があった。
 玄関を入ると幅の狭い廊下が奥へと続き、二階に通じる階段、リビングに通じるドアがある。

 拾ったもこもこの小さな客を、まずテリーは台所へと案内した。

「のど乾いたろ。ほれ、水だ」

 ぴしゃぴしゃと水を飲みながら様子をうかがう。
 見た所(そして嗅いだ所)この家に動物は飼われていない。それなのにすっと犬用の皿が出てくるのがちょっと不思議。もしかしてしょっちゅう犬を拾ってるのだろうか?

 それにしても……困ったことになった。
 変身したきり、人間に戻れない。いつもは意識しなくても時間が経過すれば自然と元の姿に戻ることができた。かえって変身が解けないように集中が必要だったくらいだ。
 あのとき、魔女はコウイチを動物に変えようとしていた。そのせいだろう。このまま元に戻れなくなったらどうしよう。

「どうしたー。元気ないな……そうか、腹減ってるんだな?」

 テリーは冷蔵庫を開けると紙パックの牛乳を取り出し、パックから直に飲んだ。
 くいっと口元をぬぐい、やかんに水を入れてお湯をわかしはじめる。

「待ってろ。すぐ飯にしてやるからな………」

 お湯でふやかしたドッグフードに、犬用の粉ミルクをたっぷり混ぜたご飯はとてもおいしかった。
 ぽんぽんにふくらんだお腹がちょっぴり重たい。食事が終わると、テリーに抱き上げられて二階に上がった。階段を挟んで二つある寝室のうち、一つが彼の部屋だった。

「こっちは兄貴の部屋だから入っちゃだめだぞ。お前はこっち」

 床に降ろされ、ちょこまかとテリーの後をついてまわる。興味もあったが別に目的があった。そう、彼のジーンズのポケットに入っている携帯だ。
 テリーはサリーの友達だ。きっと、携帯の番号も登録されている。リストから選んでかけるのなら、今の自分にもできるかもしれない。
 電話したからって話せるわけじゃないけれど、コウイチとロイに自分がここにいると伝えることはできる。
 
 ぴょん、と飛びつく。
 ……おしい、鼻先をかすめた。もう一回! 床に伏せて身構えていると、またひょいっと抱き上げられた。

「ここがお前の寝床だぞ」

 段ボール箱の中に使い古した毛布が敷かれている。先客が残したらしいかみ傷があちこちにあってぼろぼろだけど、清潔であったかい。
 つい、我を忘れてもふもふ潜り込む。その間に箱の外でカシャカシャと金属音がした。

(何だろう?)

 しまった! ペット用のサークルで周りを囲まれてしまった。床の一角にはトイレシートをセットした犬用のトイレも置かれている。

「トイレはそこな。庭でしたくなったら教えろよ?」

 慣れてる。やっぱりしょっちゅう犬を拾ってるんだ。優しい青年だな。しかもきちんと適切な世話をしている。
 この場合はそれでかえって困ったことになってるんだけど!

「くぅうんん…………」
「いい子にしてろよ」

 ぱたぱたと頭を撫でるとテリーはクローゼットから着替えをひっぱりだし、部屋を出ていった。ぴん、と耳を立てる。
 せっけんのにおいとシャワーの音……風呂か。

 携帯はジャケットと一緒に無造作にベッドの上に放り出されたまま。
 これはチャンスだ。
 低く体を伏せる。全身の筋肉に力を込めて……ジャンプ!

 狼の脚力は同じサイズの犬より格段に強い。ほとんど後足の力だけでサークルの上端まで達することができた。軽く前足をひっかけて体を前に送り出す。

 成功!

 チリリン、チリン。二つの鈴がクロスと触れ合い堅い、透き通った音色を奏で、晴れてカルは自由の身となった。
 さあ、次は携帯だ。やすやすとベッドに飛び上がり、携帯をくわえたが。

 つるりん。牙の間をすり抜けて床に落ちてしまった。

(あ)

 慌てて床に降りて、注意深く(自分ではそのつもりだった)前足で開こうとするが……がりがりとむなしく引っ掻くばかり。
 しかたがないのでストラップを前足で押さえて固定して、口でくわえてそろそろと持ち上げる。よし、隙間ができぞ。素早くもう片方の前足を突っ込む。
 うう、やっぱり滑るなあ………あっ。

 また滑った。あきらめずにくわえる。じりじり上にひっぱって……あっ、また。
 夢中になってがしがしやっていると、頭の上から声が降って来た。

「こら!」
「きゅっ!」
 
 999091422_238.jpg ※月梨さん画「わるいパピー」
 

(ち、ちがうんだ、テリーくん、これはイタズラしてるんじゃなくてちょっと借りようとしただけでっ)

 必死になって上目遣いに訴えるが、どう見ても『携帯をいたずらしているわるいパピー』にしか見えない。問答無用でとりあげられてしまった。

「あーあ、傷だらけじゃねぇか」

 舌打ちするとテリーは携帯をデスクの引き出しに入れてしまった。

(あああ、さすがにそれは出せないーっ)

「お前、サークル飛び越えたのか! すごい脚力だな。さすがウルフドッグだ」

 ひょい、とだきあげられ、全身なでまわされる。その時になってようやく、相手がトランクス一丁に首にタオルをかけただけと言う誠に魅惑的な姿をしていることに気づいた。

「うーん、やっぱ筋肉の着き方が普通の犬と全然ちがうなー。全身バネだな……」
「くぅうん」
「この牙でがしがしやったのか? んん? 俺の携帯美味かったか?」

 めりっと唇をめくりあげられる。

(ちがうんだ、食べようとしたんじゃなくて、連絡したかったんだよ!)

 目で訴えたところで通じるはずもない。

「待てよ、携帯……あ、そーか、お前のそのアクセサリー、サクヤの携帯のストラップと同じなんだ。ひょっとして飼い主、知り合いか?」

 よくぞ気づいてくれた! 尻尾をばたばた振って喜びをアピールしてみる。

「わう!」
「お、いっちょまえに返事するか。かしこいなあ……サクヤに電話してみるか……」

 チャンス到来。きっとコウイチかロイが出るはずだ。後ろで吠えれば気づいてくれる!
 
 テリーは立ち上がり、デスクに向かって歩いて行く。とことこと足下をついて行く。引き出しに手をかけた、その瞬間。

「……う」

 窓の外にあの女が立っていた。ここは二階なのに。
 赤い色が閃いたと思ったら、壁も窓ガラスもすり抜けていきなり部屋の中に入ってきたではないか!
 魔女には人間の壁など関係ないのか?

「見つけたよ。こんな所にいたんだね……」
「うわっ、お前、何だ? どっから入ってきた?」
「……邪魔だよ。おどき」

 くわっと金色の目が見開かれる。テリーの体が宙に飛び、床に叩き付けられた。

「ぐっ、う……くっそぉ!」

(彼に手を出すな!)

 倒れたテリーの前に踏ん張り、牙を剥く。魔女は甲高い声で笑うと軽く手を一振り。
 ちいさな狼は勢い良く飛ばされ、壁に激突した。

「きゃんっ」
「ちび! くっそぉおお、女だからって容赦しねえぞっ」

 テリーはがむしゃらに飛びかかった。こいつがどこのだれで、何をしにこの家に侵入したかはわからない。ただ、無力な動物を楽しんでいたぶる姿に体中の血が煮えくり返った。

「うっ、こ、このっ、お放しっ!」

 痩せた肩をつかんで床に押し倒す。女はきぃきぃわめいて引っ掻いてきた。無我夢中で押さえ込む。

「ええい……まずお前から片付けてやる!」

 びきっと女の額の皮膚が裂け、尖ったものが生えてきた。まさか、これは……角?
 ぎょっとした瞬間、虚をつかれて逆に押し倒される。女はのしかかり、見せつけるように鋭い切っ先を目の前に突きつけてきた。

「さあてどこから引き裂いてやろうか。目か? 鼻か? それとも……生意気なこの口から?」
「ぐっう、ううっ」
「ゆっくりねじこんで、内側からびきびき裂いてやろうね。痛みが全身に行き渡るよう、じっくりと………」
「や……め……ろ……」

 尖った角の先端が口の端に押し当てられる。得体の知れぬ恐怖が境目を越え、現実のものとなろうとしていた。

「ぐわおう!」

 地の底から轟く低い声。地獄の番犬もかくやと言ううなりを上げて、ちっぽけな体が宙を飛ぶ。
 閃く白い牙ががっつりと、痩せた肩に突き立った。

「ぎゃああああああああっ」

 顎の力も牙のサイズも、大人の時に比べれば微々たるものだった。けれどカルが魔女にかぶりついた瞬間、首にかかった魔除けの十字架が痩せ細った肩に押し付けられたのだ。
 純粋な鉄で作られた、聖なる印が魔女を焼く。直接触れただけに効果は絶大だった。

「ひぎぃいっ」

 よろめきながら魔女は壁に突進し、自らの影にとけ込むようにして姿を消した。

「くぅうん」

 テリーに近づき、引っ掻かれた腕や顔の傷を舐める。

「あ……ありがとな………」
「わうう?」

 テリーは目をうるませてちび犬を抱き上げた。
 こいつが俺を助けてくれた。命の恩人だ! 何て勇敢な奴なんだ。

「ちび。すごいぞ、お前。ガッツがあるな……」

 パピー特有の丸みのある鼻面に顔をよせると、キスをした。限りない感謝と純粋な賞賛の意をこめて。
 その瞬間。
 ぽうん、とふくらませた紙袋の割れるような間の抜けた音がした。と思ったらいきなり床に押し倒される。

「え? え? ええっ?」

 だれかが上にのしかかっていた。ちょっぴり困ったような顔をして。癖のある黒い髪、ネイビーブルーの瞳。眉の印象的な東欧系のハンサムな男。

「………やあ、テリーくん」
「おおおおおおおおおおおおお、お前はーっっっっっ!」

 しかもそいつは裸だった。
 全裸だった。
 何も着ていなかった。
 至近距離に、ふさふさの胸毛に覆われたたくましい胸板が。その下は……ああ考えたくない!

「ランドール……なんで……ここに……」
「助けてくれて、ありがとう」

 顔をよせられ、ちゅうっと頬のあたりで不吉な音が。しかも何だか妙にあったかいしめった感触が……。

(俺、キスされた)
(全裸の男に)
(はだかのほもに)

(  は  だ  か  の  ほ  も  に  )

 ぐるぐると目に映る全てのものが渦を巻き、テリーの意識は暗闇に飲み込まれた。

「テリーくん?」

 ひたひたと軽く頬をたたいてみたが、無反応。やれやれ、よほど驚いたらしい。無理もないな……。
 自分でも信じられないくらいだ。こんなに急に元の姿に戻れるなんて。詳しい理由はわからないが、きっかけが彼のキスだったことはまちがいない。

 恩人をいつまでもこんな格好で床に寝かせておく訳にも行くまい。抱き上げてベッドに寝かせ、毛布をかけた。
 さて、今度こそ連絡するとしよう。ああ、五本の指が自由に動かせるのがこれほどありがたいとは。
 デスクの引き出しから携帯を取り出し、サリーの番号を選んでかけた。

「ハロー?」
「やあ、コウイチ」
「ランドールさん! 元に戻れたんですね!」
「ああ。テリーくんのおかげでね」
「テリーさん……そこに居るんですか?」
「うん。彼は今、その……お休み中だ。ヨーコとサリーはそこにいるのかい?」
「先生と、サクヤさんは…………」

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