▼ 【side15-4】W眼鏡参上
鎮火を見届けてから、オティアはリビングへと歩いて行った。
オーレの姿が見えない。
注意深く破片を避けつつ境目のドアを抜けて、隣の部屋へ移動すると……果たして、キャットタワーの猫ハウスからにゅるっと白い毛皮が出てきた。
「オーレ」
ぴょん、と床に飛び降り、足の間を8の字を描いてすり抜ける。
「うにゃおん、ぐるるるる、にゃおん、うにゃん」
膨らんでいた毛皮はもう、元に戻っている。ついさっき、出くわした騒動のことなんか欠片ほども気にしていないみたいだ。
なめらかな体をすりよせ、ピンと立てた尻尾を震わせ、咽の奥から甘えた声を出す。
(おうじさま、おうじさま! 何かたいへんだったんだけどもうだいじょうぶよ!)
今はもう、プリンセスはおうじさまに撫でられてご機嫌なのだった。
オーレを頭に載せて居間に引き返す。ちょうどシエンが下から戻ってきた所だった。
「掃除機とってくるね」
「ん」
イギリス製のサイクロン式強力掃除機を見るなり、オーレは尻尾を膨らませてキャットウォークに駆け上がった。
破片を拾い、念入りに掃除機をかける。ナイフのように鋭いマイセンの残骸を完全に取り除くと、双子は互いに頷き合い、キッチンに戻った。
『まま』はようやく、落ち着きを取り戻していた。
「……すまん」
「ん」
焦げたフライパンは横に取りのけられ、予備のフライパンがセットされる。コンロに火が灯り、夕食の仕度が再開された。
やがて……
黒髪と金髪、W眼鏡がやってきた。申し合わせたように二人一緒に。
illustrated by Kasuri
「こんばんわ」
「腹減ったー。今日の飯、何?」
「サーモンだ」
テーブルの上には、既にパン(ご丁寧に魚の形)とスープ、蒸した餃子にサラダが並んでいる。ただメインの皿だけは空っぽで、付け合わせのブロッコリーと、マッシュポテトだけが乗っていた。
「あれ、珍しいね、まだ調理中?」
「ああ。ちょっとアクシデントがあってな。そこに座ってろ、今焼くから」
ヒウェルはぴくりと片方の眉をはね上げた。
(いつもは準備万端、整ってるタイミングなんだがなぁ。メインディッシュがこれからって。一人増えたからか?)
一方、一人増えた分=エリックはカウンターを越えてキッチンに回り込み……
「はい、これジャスミンティー。来る途中で見つけた。新製品っぽいから」
スーパーのビニール袋から取り出した、薄い緑の紙箱をシエンに渡すのだった。
「あ……」
シエンは正直、驚いていた。袋を持っていたから、たぶんお土産だろうなとは思ってた。てっきりディフに渡すのかと思ったら、こっちに来るなんて。
びっくりした。
でも……うれしい。
「ありがと」
その時、シエンはほほ笑んでいた。自分でも意識しないうちに、ごく自然に。エリックのほお骨の周りがほわっと赤く染まる。
「ごちそうになるのに、手ぶらで来るのも気恥ずかしいから、ね。あとこれも」
袋から出てきたのは、小エビ入り猫缶。
「猫、好きだから、つい……。実家でも飼ってるんだけど、めったに会えないし」
「オーレ喜ぶよ、これ好きだから」
ね、とシエンが振り返る。オティアはしぶしぶ頷いた。
(手土産持参か、くらげ眼鏡め)
スーパーの袋に直につっこんだまま、カードはおろかリボンもラッピングも何もなし。おそらく値札もはがしてない。けれどシエンは一向に気にしない。むしろうれしそうだ。
二人して、顔を見合わせ、にこにこしてる。しかめっ面でにらみつけても、周囲に張り巡らされた見えないバリアーの表面をつるんと滑って弾かれる。
「じゃあ、座っててね」
「うん!」
下手に自分が手伝ったらどうなるかは、さすがに学習したらしい。
エリックはおとなしく食卓に着き、にこにこしながらサーモンが焼き上がるのを待った。
レオンはほほ笑みながら、シエンとバイキングを見守っていた。石のように冷ややかで、およそ人間らしい温もりの片鱗も無い、明るい茶色の瞳で。
(うひぃいい、レオン、目! 目が笑ってねぇえええっ)
気付いているのは、ヒウェルのみ。エレベーターで顔を合わせた瞬間から予測していた嵐が今、刻一刻と現実のものとなりつつある。
一見、和やかな光景の中、彼は秘かにテーブルの下で手を組み、父祖の地ウェールズの守護聖女に祈りを捧げていた。
(ああ、聖女さま。ウィニフレッドさま。何とぞこの食卓の平和を守りたまえ……)
※
「できたぞ。冷めないうちに、食え」
こんがり焼き上がったサーモンが皿に載せられる。一、二、三、全部で六切れ。これまでもエリックが夕食に招かれた時はあった。だが、いつも誰かしらが欠けていた。一回目の時はレオン、二回目の時はディフもいなかった。
今日は全員、そろっている。
「にゃぐぐぐぐ、ぐるにゃうん」
オーレはテーブルの下、小エビの缶詰めと新鮮なベニザケをもらってご満悦。
(おいしい、おいしい、サーモンおいしい。エビもおいしい。うれしい!)
こんがり焼いたサーモンは、塩とコショウ、レモン汁でシンプルに味付けされていた。皮はぱりっと焼き上げられ、よく締まった身はきれいな紅色。この種の魚につきものの、嫌な生臭さはほとんどない。
「お、美味い」
「さすが新鮮だね」
「本当はソースも作りたかったんだけどな、時間なくて」
「そう、それだよ。何で時間足りなくなった。アクシデントっつってたけど」
「あー……それは……だな」
(ったく、遠慮なく突っ込んできやがる、この男は)
だが今に始まったことじゃない。つき合いは長いのだ。慣れている。
こほん、と咳払いをすると、ディフは簡潔、かつ要領よく、何が起きたかを報告した。
聞いているうちに、眼鏡どもの目が点になり、口がかぱっと開き、顎が落ちた。
「信じらんねぇ……」
「嘘みたいだ、眉も動かさず黙々と爆弾解体してた人が。カップが割れてフライパンが燃えただけで、パニックになるなんて!」
「そうなの?」
「うん。黙々と配線切ってた。防護服着てたけどね」
ディフは精一杯平静を装った。だが白い肌の内側からわき出す赤みはどんどん広がり、首筋にくっきりと『薔薇の花びら』そっくりの傷痕を浮かび上がらせる。
「なっちまったんだから、しょうがねぇだろ」
「はいはい」
「まあ……自宅と現場では意識もちがいますしね」
それとなく話題を切り上げつつエリックはエビ餃子を口に運び、ぱあっと顔を輝かせた。
「うわあ、ぷりぷりしてる。焼いたのもおいしいけど、餃子って蒸すとこんな食感になるんだね!」
「うん。この間は、時間無くて焼いたけど、今日は蒸してみたんだ」
「おいしいよ。すごく」
「よかった」
にこにこしながら語らう二人を見つつめつつ、レオンはただ、ほほ笑んでいた。大理石の彫像そっくりの、完ぺきな笑顔で。
(やっぱ目が笑ってねぇええっ)
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