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ローゼンベルク家の食卓

【side15-4】W眼鏡参上

2011/02/21 22:39 番外十海
 
 鎮火を見届けてから、オティアはリビングへと歩いて行った。
 オーレの姿が見えない。
 注意深く破片を避けつつ境目のドアを抜けて、隣の部屋へ移動すると……果たして、キャットタワーの猫ハウスからにゅるっと白い毛皮が出てきた。

「オーレ」

 ぴょん、と床に飛び降り、足の間を8の字を描いてすり抜ける。

「うにゃおん、ぐるるるる、にゃおん、うにゃん」

 膨らんでいた毛皮はもう、元に戻っている。ついさっき、出くわした騒動のことなんか欠片ほども気にしていないみたいだ。
 なめらかな体をすりよせ、ピンと立てた尻尾を震わせ、咽の奥から甘えた声を出す。

(おうじさま、おうじさま! 何かたいへんだったんだけどもうだいじょうぶよ!)

 今はもう、プリンセスはおうじさまに撫でられてご機嫌なのだった。
 オーレを頭に載せて居間に引き返す。ちょうどシエンが下から戻ってきた所だった。

「掃除機とってくるね」
「ん」

 イギリス製のサイクロン式強力掃除機を見るなり、オーレは尻尾を膨らませてキャットウォークに駆け上がった。
 破片を拾い、念入りに掃除機をかける。ナイフのように鋭いマイセンの残骸を完全に取り除くと、双子は互いに頷き合い、キッチンに戻った。
『まま』はようやく、落ち着きを取り戻していた。

「……すまん」
「ん」
 
 焦げたフライパンは横に取りのけられ、予備のフライパンがセットされる。コンロに火が灯り、夕食の仕度が再開された。
 やがて……
 黒髪と金髪、W眼鏡がやってきた。申し合わせたように二人一緒に。
 
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 illustrated by Kasuri

「こんばんわ」
「腹減ったー。今日の飯、何?」
「サーモンだ」

 テーブルの上には、既にパン(ご丁寧に魚の形)とスープ、蒸した餃子にサラダが並んでいる。ただメインの皿だけは空っぽで、付け合わせのブロッコリーと、マッシュポテトだけが乗っていた。

「あれ、珍しいね、まだ調理中?」
「ああ。ちょっとアクシデントがあってな。そこに座ってろ、今焼くから」

 ヒウェルはぴくりと片方の眉をはね上げた。

(いつもは準備万端、整ってるタイミングなんだがなぁ。メインディッシュがこれからって。一人増えたからか?)

 一方、一人増えた分=エリックはカウンターを越えてキッチンに回り込み……

「はい、これジャスミンティー。来る途中で見つけた。新製品っぽいから」

 スーパーのビニール袋から取り出した、薄い緑の紙箱をシエンに渡すのだった。

「あ……」

 シエンは正直、驚いていた。袋を持っていたから、たぶんお土産だろうなとは思ってた。てっきりディフに渡すのかと思ったら、こっちに来るなんて。
 びっくりした。
 でも……うれしい。

「ありがと」

 その時、シエンはほほ笑んでいた。自分でも意識しないうちに、ごく自然に。エリックのほお骨の周りがほわっと赤く染まる。

「ごちそうになるのに、手ぶらで来るのも気恥ずかしいから、ね。あとこれも」

 袋から出てきたのは、小エビ入り猫缶。

「猫、好きだから、つい……。実家でも飼ってるんだけど、めったに会えないし」
「オーレ喜ぶよ、これ好きだから」

 ね、とシエンが振り返る。オティアはしぶしぶ頷いた。

(手土産持参か、くらげ眼鏡め)

 スーパーの袋に直につっこんだまま、カードはおろかリボンもラッピングも何もなし。おそらく値札もはがしてない。けれどシエンは一向に気にしない。むしろうれしそうだ。
 二人して、顔を見合わせ、にこにこしてる。しかめっ面でにらみつけても、周囲に張り巡らされた見えないバリアーの表面をつるんと滑って弾かれる。

「じゃあ、座っててね」
「うん!」

 下手に自分が手伝ったらどうなるかは、さすがに学習したらしい。
 エリックはおとなしく食卓に着き、にこにこしながらサーモンが焼き上がるのを待った。

 レオンはほほ笑みながら、シエンとバイキングを見守っていた。石のように冷ややかで、およそ人間らしい温もりの片鱗も無い、明るい茶色の瞳で。

(うひぃいい、レオン、目! 目が笑ってねぇえええっ)

 気付いているのは、ヒウェルのみ。エレベーターで顔を合わせた瞬間から予測していた嵐が今、刻一刻と現実のものとなりつつある。
 一見、和やかな光景の中、彼は秘かにテーブルの下で手を組み、父祖の地ウェールズの守護聖女に祈りを捧げていた。

(ああ、聖女さま。ウィニフレッドさま。何とぞこの食卓の平和を守りたまえ……)
 
   ※ 

「できたぞ。冷めないうちに、食え」

 こんがり焼き上がったサーモンが皿に載せられる。一、二、三、全部で六切れ。これまでもエリックが夕食に招かれた時はあった。だが、いつも誰かしらが欠けていた。一回目の時はレオン、二回目の時はディフもいなかった。
 今日は全員、そろっている。

「にゃぐぐぐぐ、ぐるにゃうん」

 オーレはテーブルの下、小エビの缶詰めと新鮮なベニザケをもらってご満悦。

(おいしい、おいしい、サーモンおいしい。エビもおいしい。うれしい!)

 こんがり焼いたサーモンは、塩とコショウ、レモン汁でシンプルに味付けされていた。皮はぱりっと焼き上げられ、よく締まった身はきれいな紅色。この種の魚につきものの、嫌な生臭さはほとんどない。

「お、美味い」
「さすが新鮮だね」
「本当はソースも作りたかったんだけどな、時間なくて」
「そう、それだよ。何で時間足りなくなった。アクシデントっつってたけど」
「あー……それは……だな」

(ったく、遠慮なく突っ込んできやがる、この男は)

 だが今に始まったことじゃない。つき合いは長いのだ。慣れている。
 こほん、と咳払いをすると、ディフは簡潔、かつ要領よく、何が起きたかを報告した。
 聞いているうちに、眼鏡どもの目が点になり、口がかぱっと開き、顎が落ちた。

「信じらんねぇ……」
「嘘みたいだ、眉も動かさず黙々と爆弾解体してた人が。カップが割れてフライパンが燃えただけで、パニックになるなんて!」
「そうなの?」
「うん。黙々と配線切ってた。防護服着てたけどね」

 ディフは精一杯平静を装った。だが白い肌の内側からわき出す赤みはどんどん広がり、首筋にくっきりと『薔薇の花びら』そっくりの傷痕を浮かび上がらせる。

「なっちまったんだから、しょうがねぇだろ」
「はいはい」
「まあ……自宅と現場では意識もちがいますしね」

 それとなく話題を切り上げつつエリックはエビ餃子を口に運び、ぱあっと顔を輝かせた。

「うわあ、ぷりぷりしてる。焼いたのもおいしいけど、餃子って蒸すとこんな食感になるんだね!」
「うん。この間は、時間無くて焼いたけど、今日は蒸してみたんだ」
「おいしいよ。すごく」
「よかった」

 にこにこしながら語らう二人を見つつめつつ、レオンはただ、ほほ笑んでいた。大理石の彫像そっくりの、完ぺきな笑顔で。

(やっぱ目が笑ってねぇええっ)
 
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