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ローゼンベルク家の食卓

【side15-3】キッチン炎上

2011/02/21 22:38 番外十海
  
 がっしゃーん!

 リビングから響く物騒な破壊音。聞きつけるやいなや、ディフがダッシュで飛んで行った。心配になって後を追いかけて、リビングの様子をうかがう。
 カップが割れていた。黄色い薔薇の模様の破片が飛び散り、鋭い切っ先を上に向けている。
 幸い、ポットはオティアが持って退避してたし、レオンとディーンも無事、破片のない場所に避難している。オーレは丸めていた背中を伸ばすと、ささっとキャットウォークに上ってうずくまった。
 よかった、もう大丈夫。
 ほっとしてキッチンに引き返すと………

「わ」

  フライパンが炎上していた。
 
    ※
 
「フライパンが燃えてるよー」
「何っ」

 シエンの声を聞いた瞬間、リラックスしかけた心臓が、ぎゅーっと極限まで縮み上がる。

「消せーっ!」

 きびすを返して猛然とダッシュ。アドレナリンが吹き出し、加速された思考がびゅんびゅん回る。
 フライパン。
 うっかり、油とバターを載せて加熱したまま放置していた。空焚きが原因だ。つまり、燃えているのは油。

 油だ!

 消せと言われて、とっさに水をかけたりしたら……えらいことになる!
 キッチンまでの距離がやけに遠く感じられる。もつれそうになる足を必死で前に繰り出した。食堂を突っ切り、カウンターの脇を抜ける。

「水は使うな、フタを!」

 キッチンに駆け込んだ瞬間。
 目にしたのは、オレンジの火柱をあげるフライパン。脇に立つ、双子。オティアがシエンの前に立ちふさがり、盾みたいに鍋の蓋を構えていた。

「っ!」

 下がれ。
 叫ぶより早く、オティアが動く。
 かぽっと、蓋をした。

「あ……」

 火柱はぺしゃんこにつぶれ、一瞬だけすき間からちろりとのぞいた。だが所詮は最後のあがき。すぐに縮んで、引っ込んでしまった。
 すかさずシエンがコンロを消す。

「火災報知器、鳴らなかったね」
「煙あまり出てないしな」
「レンジフードがちょっと焦げたね」

 双子は落ち着き払って話してる。パニックのパの字もない。

 Clear.

 炎の置き土産、プラスチックの焦げた臭いと、バターの香りが漂っている。
 終った、と認識したその瞬間、耳の奥で何かが切れた。
 膝から力が抜けて、へなへなと床にへたり込む。
 オティアはちゃんと手にキッチンミトンをはめていた。しかも防火性の高い奴を選んで。何てこった、俺よりこの子たちの方がよっぽど落ち着いてる!

「ディフ」

 不意に横合いから手をとられた。レオンだ。いつ、来てたんだろう?
 食堂の椅子には、ちょこんとディーンが座ってる。そこで待つように言われたのだろう。のびあがって、心配そうにこっちを見てる。

「………怪我ないか? 大丈夫か?」
「ああ」
「そっか……よかった……………」

 レオンに手を引かれるまま立ち上る。情けないことに、足に力が入らない。腹にも力が入らず、すきま風みたいにかすれた声しか出てこない。
 いつも通り、立てると思った。だが唐突に膝がかくっと折れて、バランスが崩れる。

「おっと」

 あったかい胸に、しっかりと抱き留められていた。自然に背中に手を回し、しがみつく。レオンの体温が。心臓の鼓動が伝わってくる。
 その時になってようやく、びゅんびゅん回っていた世界が元に戻った。

「情けないなぁ……爆弾解体してたくせに……」
 
 レオンはほほ笑み、黙って撫でてくれた。頭を。髪を。背中を。しなやかな手のひらが、まとわりつく心の闇をぬぐい去ってくれる。
 カップの粉砕と、フライパンの炎上。たかだかそれだけの事で、パニックに陥るなんて。まったく信じられない!
 背中に回された腕に力がこもる。ほーっと息を吐き、胸に顔をうずめた。

(あー、あったかい)

 目を閉じて、レオンの鼓動を聞いた。息遣いに耳をすました。
 次第に心臓の鼓動が穏やかさを取り戻し、四方八方に乱れ飛んでいた思考が集まってくる。

 ……いや。たかだか、じゃないな。家庭が現場で、家族が危険に晒されたんだ。

 レオンが危ない、ディーンが危ない。
 オティアが。
 シエンが。

 認識した瞬間、訓練された職業意識がきれいにすっ飛んでいた。

「座って。少し休んだ方がいい」
「あ、ああ」

 導かれるまま、食堂の椅子に座る。レオンがすぐ隣に腰を降ろす。
 マグカップにティーポットに残っていた紅茶を注いで、渡してくれた。

「飲んで。落ち着くよ」
「うん」
「だいぶ冷めてしまったけれどね」
「ありがとう」

 ぬるい紅茶が、からからに乾いた口の中を滑り降りる。飲んでる間、レオンはずっと背中を撫でてくれた。

「ディーン」

 シエンが声をかける。

「家まで送るよ」
「うん」

 ばいばい、と手を振り、シエンと手をとりあって帰って行く。手を振り返すのが精一杯だった。
 
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