▼ 【side15-2】マイセン粉砕!
リビングで紅茶を飲んだ。一人がけのソファにそれぞれシエンとオティアが座り、膝の上にごきげんのオーレ。
ローテーブルを挟んで反対側の長椅子にはレオンとディフが並んで腰かける。
ディフは深々とアッサムの香りを吸い込み、薔薇模様のカップに満たされた、透き通った茶を口に含んだ。
「ああ、いいな……紅茶もコーヒーも、お前が入れてくれるのが一番美味い」
「ありがとう」
もはやお約束のやり取り。双子は静かにカップに口をつけ、おのおののペースでお茶を楽しんだ。
あらかた紅茶が飲み干された頃、呼び鈴が鳴った。ヒウェルやエリックが来るにはまだ早い。と、言うことは。
ディフが立ち上がり、大股で玄関へと歩いて行く。ドアを開けると、予想通り。
「はろー」
「よう、ディーン」
「サーモンいっぱいありがとう! これ、ママから」
ほかほかの焼き立てパン。しかも、形が凝っている。
「これ、魚か」
「Yes!」
「ディーンが作ったのか?」
「うん!」
「すごいな!」
ざっかざっかと居間に引き返すディフの後を、ちょこまかとディーンが歩く。バターたっぷりのパンのにおいを嗅ぎつけ、つぴーんっとオーレがヒゲを前に倒した。青い瞳がきらきら輝く。
「みゃっ」
「キティ!」
「……シエン!」
「はいっ」
ディーンからパンの入ったバスケットを受け取り、シエンは足早にキッチンに向かう。その間にディフはキャンディポットのふたを開け、透き通った黄色の、まぁるいキャンディを取り出した。
「ごくろうさん。ごほうびだ」
「サンクス!」
ぽっこりとディーンの頬が丸く膨らむ。ころころとキャンディを口の中で転がしながら、ディーンはちらっ、ちらっと白い小猫を目で追いかける。服にしみついたにおいが気になるのだろう。手が届くかどうかの微妙な距離を保ちながら、じっとディーンの様子をうかがっている。
「あのね、あのね、ディフ」
「何だ?」
「オーレと遊んでも、いい?」
ディフはオティアを見た。
……うなずいてる。
「ああ。いいよ」
「サンクス!」
腕時計で時間を確かめる。そろそろサーモンを焼き始めてもいい頃合いだ。直にヒウェルとエリックも来るだろう。
四歳児とやる気満々の猫を残して行くのはいささか不安だが、レオンがいるし、オティアもついてるなら心配はない。
くっと飲みかけのカップを干すと、ディフはレオンに声をかけた。
「……ここ、頼んでいいか?」
「ああ、かまわないよ」
明るい茶色の髪をかき上げ、なめらかな額にキスすると、ディフはキッチンに戻って行った。
※
長いしっぽをくゆらせて、オーレはしゃなり、しゃなりとソファの背を渡り歩く。
はっきり言って、ちっちゃな男の子は苦手。うるさいし、突進してくるし、しつこいし。でも今日は平気。王子様が一緒だから、ちょっとぐらい相手してあげてもいいわ。
「キティ、キティ、キティ!」
ディーンは目をきらきらさせてオーレの後を追いかける。ちっちゃな手を伸ばすが、触れるか触れないかのタイミングでするりと逃げられる。そのたびにがっかりした顔をするが、あきらめずに再度チャレンジ。
ちょこまかとオーレの後をついて回る。どこまでも。どこまでも。
やれやれ。
紅茶を飲みつつ、レオンはさりげなく目をそらしていた。
どこが面白いんだろう? とりあえず、彼の飽くなきチャレンジ精神は認めよう。だが、この間みたいにいきなりばたっと寝られたら、困るな……。
まあ、今回は自分一人ではない。オティアも居るから、大丈夫だろう。
四歳児と猫の攻防戦は、いよいよ白熱していた。
オーレはもはや完全に当初の余裕を忘れていた。ぐるんぐるんと咽を鳴らしながら縦横無尽に駆け巡る。
後れを取るまいとディーンも必死で飛ぶ。跳ねる。
追いつ追われつぐるぐる回る一人と一匹を見守りつつ、オティアがぼそりとつぶやいた。
「危ないぞ」
控えめな警告は、ヒートアップしたディーンに聞こえるはずもなく。一方、レオンは聞いてはいたものの、自分のことだとは夢にも思わない。
そして、事件は起こった。
オーレがたーっとキャットウォークに駆け上がる。負けじとディーンはソファによじ登り、さらに驚くべき俊敏さと根性で背もたれの登頂に成功。
ソファの背に足をかけ、よれよれと立ち上がり、キャットウォークの猫に手を伸ばし……バランスを崩した。
「あ」
ぐらり、とディーンの体が傾く。むっちりした手が支えを求めて空しく宙を掻き、そのままころりとひっくり返る。
驚いたのはレオンだ。見ないふりをしつつ紅茶を飲んでいたら、横から四歳児が降って来た! 咄嗟に受け止めたものの、カップが手からすっ飛び、テーブルの縁に激突。
ガシャーン。
高らかに破壊の音色が鳴り響き、マイセンが粉砕された。
幸い、カップに紅茶はほとんど残っていなかった。熱湯が飛び散る最悪の事態は回避したが、薄く、鋭い磁器の破片が飛び散った。
どうする?
刃物のように鋭い破片に囲まれ、レオンは戸惑った。ソファの上も、絨毯の上にも、マイセンの欠片が飛び散っている。なまじ丈夫なだけに、小さな粒でも厄介だ。
ディーンを降ろすか。破片を拾うか、どっちを優先するべきか?
※
一方、キッチンでは着々とサーモンを焼く準備が整いつつあった。
「シエン、そっち任せていいか?」
「うん」
副菜(蒸し餃子とサラダ)とスープをシエンに任せ、フライパンをコンロに載せる。
大振りのサーモンを六切れともなると、一度に焼くのは難しい。三、三で二回に分けるか。
熱くなったフライパンにオリーブオイルをたらし、バターを一かけら投入。溶けるのを待っていると……
がっしゃん、と食器の割れる音が聞こえた。プラス猫の悲鳴、そして子供の叫び声。一瞬で血の気が引き、髪の毛が逆立った。
リビングにすっ飛んで行くと、恐ろしい光景が繰り広げられていた。
まず目に入ったのは、ディーンを荷物みたいに抱えたレオン。ぶわぶわに膨らみ、パニックを起こす直前のオーレ。そして床に散らばる、カップの破片。薄く硬い陶磁器の欠片は、一つ一つが刃物のように鋭い。
コード・レッド! 爆発寸前の爆弾並の危険な状況。
「動くなレオン! 俺が行くまで動くな!」
「あ、ああ」
鋭い破片に包囲されたレオンをディーンもろとも抱き上げる。慎重にバランスをとりながら、安全なエリアに退避させた。
「よし……もう降ろしていいぞ」
「わかった」
床にレオンを立たせ、肩を抱き頭を撫でる。レオンはふうっと息を吐くと、ぎこちない動きでディーンを床に降ろした。
「ディーン、動くな、レオンと一緒にいろ」
「う、うん」
かくかくと頷いている。子供心に動くのは危ない! と悟ったのだろう。
「よし、いい子だ」
オーレはいち早く離脱、キャットウォークの上でうずくまっていた。猫の危険回避能力は高い。さあ、一刻も早くこの危険物を除去してしまおう。
ディフは新聞を広げ、床に散らばる剣呑な破片を回収しようと身をかがめた。
その時。
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