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ローゼンベルク家の食卓

【side15-1】ベニザケが来た

2011/02/21 22:36 番外十海
 
 六月の昼下がり。さんさんと金色の陽射しが降り注ぎ、ともすればまどろみに誘われそうなここちよい静寂が、唐突に破られた。
 マクラウド探偵事務所に、何の前触れもなく風変わりな荷物が届いたのだ。
 長さにしておよそ27インチ(70センチ)。厳重梱包、要冷蔵、放置厳禁。

 白い毛並みに青い瞳、優雅に弧を描くしなやかなしっぽ。事務所の美人秘書は並々ならぬ関心を示し、らんらんと目を光らせてにおいを嗅いだ。

「んにゃーう、にゅぐるるるる、きゅるるうん」

 箱の周囲を踊るような足取りで歩き回り、合間にぐしぐしと顔をすり寄せる。
 金髪に紫の瞳の少年助手は小さくため息をつき、所長に報告のメールを打った。念のため、箱の写真も貼付して。

『荷物が届いた。中味はサーモン。冷蔵庫には入らない。どうする?』

 速攻で所長から指示が飛ぶ。

『上に置かせてもらえ』

 賢明な判断だ。
 確かに法律事務所のキッチンは、ここの簡易キッチンより広い。冷蔵庫もけっこうな大きさがある。

「んびゃっ、んびゃびゃっ」

 何より、猫の手が届かない。

「こら」

 今しも箱に爪を立てようとしていた。危ない、危ない……。

「あとでな」
「みーう」

 一方、赤毛の所長ははいそいそとメールを打っていた。
 まずは一通、忠実な執事アレックスの妻にして『ママ友』のソフィアに当てて。

『サーモン好きか?』

 続いてもう一通、友人にして双子のベビーシッター、サリーへ。

『大量にサーモンをもらった。夕食、食べに来られるか?』

 間もなく返信。

『サーモン、大好きよ』
『ごめん、今夜は友だちと約束があるんだ』

「……ふむ」

 素早く計算する。
 27インチクラスのサーモンが丸ごと一匹。魚は新鮮なうちに食うに限る。一部はソフィアんとこに持ってくとして……もう一人、食う余裕がある。サリーが来られないとなると(友だちと一緒ってことは多分、テリーも塞がってる)、あと家に呼べるような奴は。

「やっぱりあいつ、だろうな」
 
  ※
 
 三時間後。
 件の荷物はローゼンベルク家のキッチンカウンターに載せられていた。へしゃげた口に、真っ赤な体の巨大なサケ……最高級のベニザケが丸ごと一匹。塩漬けでも薫製でもなく、フレッシュな状態で箱詰めにされていた。

「すごいね」
「ああ。丸ごと一匹だ」

 双子の片割れ、シエンは目を丸くして、文字通り「真っ赤」な魚を見つめた。まるで巨大な金魚だ。頭から尻尾まで全部そろってる。今までサーモンと言ったら、切り身になった状態で売ってるのしか買ったことがない。
 
「どうしたの、これ」
「探偵事務所の依頼人から、もらったんだ。覚えてるだろ、オティア? カーン夫妻だ」

 オティアはうなずいた。
 犬の名前はアビー。
 黒と白の、利発なボーダーコリーの血を引く雑種犬。金銭的価値はそれほどではないが、夫妻にとっては掛け替えのないただ一匹の犬だった。
 アジリティ(犬の障害物競技)の会場で盗まれた犬を取り戻すため、ディフはそれこそ猟犬のような熱心さと粘り強さで犯人グループを追いつめた。
 一味が拠点にしていた倉庫を突き止め、売り払われる直前にアビーを救出。同じように盗まれた他の犬たちも、無事に飼い主の元に送り返すことができたのだった。

「これ、どうする?」
「このままじゃ、料理できんからな」

 ディフは腕まくりをしてエプロンを着け、髪の毛をきゅっと後ろでくくった。

「さばく」
「できるのっ?」
「うん。子供の時に親父から一通り教わった。スズキとかマスとか」
「それ、もしかして釣りの時に?」
「ああ。サイズはちがうが、要は魚だ。構造は同じだろ?」

 その言葉に偽りはなかった。基本を知っている上に、ディフは力が強い。そして意外にも彼の指先は器用に動き、真っ赤なシャケは速やかに分解された。
 頭を取り除き、尻尾を切り落とし、背骨に沿って半身に。内臓は既に抜かれていた。
 ここまで来れば後は楽勝。大きな骨を取り除き、スライスして行く。
 丸ごと一匹の魚がさくさくと、切り身の山に変換されて行く。

「すごいね」
「まあな。爆弾解体するのに比べりゃ、楽なもんだぜ」
「そう言う問題?」
「多少切り間違えても、ベニザケは爆発しないだろ?」

 脂の乗った身をちょい、と取り分け、オティアに渡す。

「そら、これはオーレの分だ」
「ああ」

 オティアの足下で、白い猫がピンクの口をかぱっと開け、ぴーんと尻尾を立てて震わせた。

「んみーっ」

 続いて大振りな切り身を4切れほど取り分け、皿に載せてラップに包む。

「シエン。これ、ソフィアのとこに届けてきてくれるか?」
「わかった」

 さて、これで分別は完了。今、手元にあるのは今夜家で食う分だ。
 タッパーにオリーブオイルを入れて、乾燥させたローリエとローズマリーを漬ける。ここにサーモンの切り身を浸し、まんべんなくオイルをまぶして15分ほど置く。
 ディフが下ごしらえをしている間、オティアは猫用のサーモンを調理していた。ラップで包んでレンジでチン。さまして、ほぐして、小さめのタッパーに詰める。素材のうま味と香りを最大限に生かす。塩もコショウもオリーブオイルも無し。
 
「ただいま」
「お帰り。ご苦労さん」
 
 シエンが戻ってきた。
 
「あのね、ソフィアから伝言。サーモンありがとう、後でパンを届けるね、って」
「わかった」
 
 まな板の上には、赤い鱗が何枚も貼り付いている。念入りに洗い落とし、手と包丁を洗っているとレオンが帰ってきた。
 手を拭って迎えに出る。

「お帰り」
「ただ今」

 抱き合って、いつものように念入りにキスを交わしてから、問いかける。 

「レオン」
「何だい?」
「客呼んでいいか?」
「ああ、届いた魚がたくさんあるからかい?」
「うん。新鮮なうちに食った方が美味いから」

 ほんの少しの間、レオンは考えた。
 事後承諾ではなく、事前にこうして確認をとってくれたか。進歩だ。喜ぶべき事態だ。問題は誰を呼ぶか、だが。
 夕食を共にできる人間と言ったら自ずと限られてくる。

「それで誰を呼びたいのかな。サリー?」
「いや、エリック」

(あいつか!)

 ツンツンに尖った金髪に青緑の瞳、ひょろ長でふよふよしたバイキングの末裔。人畜無害の顔をして意外と計算高く、ヒウェルとは別の意味で抜け目がない。
 一秒ほど却下しようかと思った。
 正直、もろ手を挙げて歓迎したい相手、とは言いがたいし、何より現職の捜査官が家に出入りするのは好ましくない。
 もちろん公私混同はしないが、余計な疑いを持たれる可能性のある要素は、最初から持っていたくない

 だが。

 彼とシエンはちょくちょく、昼休みにスターバックスで会っている。今のところコーヒーを飲んで話す程度だが……
 今後もつき合いが続くようなら、一度自分の見ている前に呼びつけるのも一つの手だろう。
 二人がどの程度のつき合いなのか、確認できる。
 いい機会だ。誰が監督しているのか、しっかりと教えておくべきだろう。ついでに釘の一本二本も刺しておこうか。

「彼か……そうだな。いいよ」
「さんきゅ!」

 弾けるような笑顔だ。ディフなりに気を使ってくれたのだろう。携帯を出そうとする手を押さえて、もう一度じっくりとキスを交わした。

「……やばいな」
「何がだい?」
「魚焼く前に、ベッドに飛び込みたくなる」

 ゆるく波打つ髪を撫でると、くすぐったそうに身じろぎした。

「嬉しいけれど、それはちょっと困るね」
「ん……わかってる」

 それで、いい。続きは今夜、じっくりと。
 ようやく解放されるとディフは呼吸を整え、今度こそ電話をかけた。

「ハロー、エリック? 今夜、飯はまだだろ。食いに来ないか。ベニザケのいいのをもらったんだ」

 返事を聞いてからキッチンに戻り、ちょこまかと立ち働く双子に報告する。

「一人分追加だ。客が来ることになった」
「……誰?」
「エリックだ」
「……わかった!」

 シエンは冷蔵庫を開けて、作り置きしておいたエビ餃子を取り出した。
 いそいそと蒸し器の準備をするシエンを横目で見ながら、レオンはさりげなくキッチンに入った。

「お茶を淹れるよ」
「わかった」

 ディフがすかさずヤカンに水を入れてコンロにかける。その間、レオンは食器棚の前で考えていた。
 さて、今日は何を使おうか。
 ……よし、これにしよう。

 薄く堅く焼かれた白い磁器に描かれた、黄色い薔薇の花。使い慣れたマイセンの茶器を選ぶ。紅茶は……アッサムがいいかな。カップを温め、ポットに茶葉を入れて、沸騰したお湯を注ぐ。
 作業が一段落した所を見計らって声をかけた。

「お茶が入ったよ」
「お、サンキュ」
「居間で飲もうか」
「……そうだな」

 トレイに載せた紅茶を居間に運ぶ。
 食卓には、今し方さばいたばかりのサーモンの生臭いにおいが強く残っていて、紅茶を楽しむにはいささか不向きな状態だったのだ。

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