▼ 【ex9-2】おまえが嫁か?
しなやかに鍛え上げられた肉体。身にまとった虎の毛皮、仕留めた獲物の牙を連ねた魔よけの首飾り。携える剣と手槍は使い込まれ、丹念に研ぎ澄まされ……旅の戦士は、ひと目で歴戦の勇者であると知れました。
illustrated by Kasuri
一夜の宿を求めようと村に立ち寄った戦士の前に、老いも若きも、男も女も、村中全ての人々がひれ伏して口々に言いました。
お願いしました。
拝みました。
「お願いです、どうか嫁になってください!」
「え?」
「女神様のお告げなのです!」
「何とぞ、何とぞ、暴れん坊の虎神をお静めください」
「わたくしどもをお救いください!」
何のことやらわからず、旅の戦士は目を点にしてぽかーんとあっけにとられてしまいました。
が、詳しい事情を聞くと、おもむろにうなずいてひと言。
「……なるほど、つまり、その虎神を懲らしめれば良いんですね。わかりました」
何やら違った方向で納得してしまいました。
「ありがとうございます、これで村は救われます!」
「ささ、こちらでお支度を」
そして、夕暮れの東の空に丸い月がぽっかりと浮かぶ頃。
illustrated by Kasuri
戦士は髪ににおいの良い花輪を飾り、美しい顔を念入りに化粧で彩り、神殿で一人、虎を待ちました。
色鮮やかな花嫁衣装の下に、秘かに愛用の剣と手槍を携えて。
やがて太陽は山の向こうに姿を消し、辺りは藍色の夜に包まれて行きました。
月の光の落とす木々の陰が次第に濃くなり、見える物全てが青く霞んでゆく間、戦士はじっと待ちました。
かがり火の放つ橙色の明かりがいやおうにも輝きを増し、祭壇の周囲が丸く浮かびあがるようになってから、ほどなく。
音も無く空気が揺れ、何か猛々しい気配が降り立つのを感じました。
(……来たな)
炎の色の髪をゆらめかせ、虎が現れました。
並べられた供物にも、丹精込めて織り上げられた絹の織物にも、かぐわしい酒にすら見向きもせずに。のそり、のそり、と花嫁めざして歩み寄る。
胸から上はたくましい男の顔。前足はどことなく人めいた形を残し、金色に漆黒の縞模様の混じる毛皮が全身を覆う。
獣の瞳でじっくりと、頭のてっぺんからつまさきまで花嫁をねめ回し、ちろりと舌なめずりすると、虎は満足げにのどを鳴らしました。
「おお、美人の嫁だ。今までで一番、美人の嫁だ」
上機嫌で尻尾をひゅんっと一振り。高々と掲げ、顔を寄せてくんかくんかと匂いを嗅ぐなり、くわっと目を見開きます。
「お前、男か!」
「そうだ」
虎はしぱしぱとまばたきして、きょとんと首をかしげました。
「……男なのに、嫁になりにきたのか?」
「そういう神託があったらしい。だが、タダではくれてやらない」
戦士が剣を構えれば、虎も負けじと牙を剥く。
「面白い! 気に入ったぞ。めそめそ泣いてるだけのヨメよりよほど歯ごたえがありそうだ」
そして戦士と虎は激しく争いました。
槍を繰り出し、剣で切りかかり。爪で受け流し、牙で噛む。
どちらも傷だらけになりながら争いましたが、いかに強くとも、人と神。
とうとう戦士はたくましい前足に組み敷かれてしまったのです。
「こうも高ぶったは久しぶり。だが、ここまでだな」
「くっ」
押さえ込まれながらもにらみ返す戦士を見て、虎はくくっと楽しげにのどを鳴らしました。
「つくづく気の強い奴だ……可愛いな」
獣の舌にぬるりと首筋を舐められ、戦士は顔を背けて固く目を閉じ、身を震わせました。
「や、やめろ……」
「やめるものか。お前は、俺の嫁になるんだ」
「よせっ」
歯を食いしばり、なおも顔を背ける戦士を見下ろして、ふと虎は切なげな目をしてため息をもらしました。
「醜い虎の嫁はいやか?」
「醜いなんて言ってない」
「俺を見た女は大抵そう言う。醜くて恐ろしい、化け物だと言う」
「……そんなことは問題じゃない。俺は男で……嫁になれるわけがない」
「お前はきれいだ。お前が望むのなら女の姿にもなろう。だが、俺はお前が欲しい」
「俺は負けた。俺の命はお前のものだ。嬲るなり殺すなり好きにしたらいい」
「殺しはしない。嬲りもしない……愛でるだけだ」
高々と藍色の天に輝く満月の下、戦士は虎の嫁になりました。
しかしながら荒ぶる神との交わりはあまりに激しく、事が終わる頃には嫁は全身傷だらけですっかり息も絶え絶えに。
「たいへんだ、嫁が死んでしまう!」
虎は大慌て。嫁を抱えて巣穴に飛び帰り、必死になって看病しました。ぺろぺろと体中の傷を丁寧になめて。ふかふかの毛皮で傷ついた体を包み込み、ぴったりと寄り添いました。
食べることも、飲むことも忘れ、生まれて初めて、自分以外の誰かのために持てる力の全てを振り絞り、祈ったのです。
「死なないでくれ、お願いだ」
今まで一度だって、誰かを癒したいと思ったことはない。救いたいと願ったことはない。
それでも一生懸命祈りました。
つたないながらも癒しの力が流れたのでしょうか。あるいは祈りが通じたのでしょうか。
一夜過ぎ、二夜が明け、三日目の朝日の中。狩人のまぶたが震え、ぱっちりと、明るい茶色の瞳が現れました。
「何てきれいな瞳だろう。どんな星よりも、花よりも美しい」
その瞬間、虎の心臓は目に見えない矢で射ぬかれていたのです。
こうして、虎と嫁は一緒に暮らし始めました。
泉のほとりから甘い果実をとってきて。
「食え」
神殿に捧げられていた敷物を持ってきて。
ある時は鹿をまるごと獲ってきて。
「これを使え」
戦士が器用に鹿の皮をなめし、肉を料理する姿を虎はちょこんと座って眺めました。
夜ともなれば、敷き詰められた柔かな織物、鹿皮の上で仲むつまじく戯れる。
「可愛い嫁だ。美人の嫁だ。世界一の嫁だ」
「……あまり嫁、嫁と連呼するな」
「何で?」
「俺にはレオンと言う名前がある」
「……そうか」
耳を伏せて、尻尾をぱたぱたしてしばらく考えてから、虎は嫁にすりより、ごろんと仰向けに。
「レオンは可愛い。レオンは美人だ。世界一の嫁だ」
「…………まあいいか。」
嫁はちいさくため息をつくと、ふかふかの毛皮をなでるのでした。
(こいつは確かに我が侭だけど、悪意はないのだ)
それから、虎は変わりました。
「やたらと暴れるな。物を壊すな。畑を荒らすな」
「むー」
「家畜を盗むなんて言語道断。欲しければ自分で獲物を獲れるだろう」
「むーむむむ」
何しろ嫁にべた惚れですから、説教されるとちょっと不満そうな顔をしますが、決して逆らいません。逆らえません。
こうして、母なる女神のお告げ通り、嫁をもらった虎は次第によい神様になって行きました。
やがて月満ちて、二人の間に玉のような子トラがころころと……。
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※ ※ ※ ※
「うわあ」
暗闇の中、あたふたと手さぐりする。
物の見事にベッドからずり落ちていた。ごそごそとはい上がり、明かりをつけてタバコを一本くわえる。
赤いグリフォン(グリフォンなんだったらグリフォンだ!)のライターで火をつけて、深々と吸い込み、ゆっくり吐き出した。
「ふう…………」
新年早々、どえらい夢を見たもんだ。
俺があの二人の子どもって。レオンの見てる前でディフにじゃれるとか。あまつさえ尻尾にじゃれつくとか、どんな自爆行為だーっ!
って言うかどっちが産んだんだろう?
今夜は一月二日。
今日見た夢を、日本では初夢と言うらしい。
つまり、何だ。アレが俺の初夢ってことですか。うーわー。絶対、人に言えねえ。(特にレオン)
ああ、でも金髪の子トラは……ものすごく、可愛かったなあ。
(初夢劇場「虎嫁」/了)
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