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ローゼンベルク家の食卓

【ex5-5】熱い閉ざされた箱

2008/08/04 14:20 番外十海
 
 探しているのは今じゃない。
 過去だ。

 まだ手探りなことに変わりはないが、それでも広大な湖に闇雲に釣り糸を投げ込むより、はるかに答えに近い。

「もう一度、あの公園に戻っていただけます?」
「ああ……わかった」

 公園に戻るとヨーコは車から降り、とことこと子ども用の遊具の集まる一角に歩いていった。
 
 大丈夫だろうか。また、倒れたりしないだろうか………やっぱり心配だ。

 ランドールは車を降りることにした。ドアを閉める間ほんの少しだけ、彼女から視線がそれる。
 その瞬間、やわらかな羽ばたきを聞いた。はっとして顔を上げると……信じられない光景が広がっていた。

 ヨーコの手のひらから小鳥が飛び立っている。それも一羽や二羽ではない。
 次から次へと飛び立って、上空で円を描いてから四方八方に散って行く。いったい何羽いるのだろう?

 スズメほどの大きさ、白い腹、青みがかった灰色の頭から茶色がかったグレイへと柔らかなグラデーションを描く背中、そして赤橙色の顔と胸。

 この国では滅多に自然の中で目にすることはない。しかし、母とともに開いた絵本ではそれこそ飽きるほど目にしてきた……。

「ロビン! 信じられん……どこから、こんなにたくさん?」

 最後の一羽を送り出すと、ヨーコはこちらを振り返り、ぱちくりとまばたきをした。

「まさか、今の……見えた?」

 こくん、とうなずく。

「ヨーロッパコマドリが……何故、カリフォルニアに?」

 にまっとヨーコは口角を上げて笑った。まるで絵本の魔女か、仙女、妖精……呼び名はいろいろあるが、とにかく謎めいた魔力を秘めた女そっくりの顔で。

「……バカンス、かな?」

 一見余裕たっぷりの表情でほほ笑みながら、内心ヨーコは秘かに焦っていた。

 うっかりしてた。彼の母親はヨーロッパ出身だった。
 万が一見られてもちょっと変わった鳥がいるなあ、ぐらいに思われる程度だろうと踏んだのだけれど、甘かった。しっかりばれてる。

 そう、少しばかりカンの鋭い人間なら自分の放つ『影』を目にすることは十分に考えられる。だからあまり不自然にならないよう、小鳥を選んだのだが。

「バカンスって……あんなに沢山?」
「団体旅行、かも」
 
 いっそセキセイインコにしとけば良かったか。

(こんな時、風見がいたら一発なんだけどな……)

 無い物ねだりをしてもせんない事。
 今は自分にできる最善を尽くそう。とにもかくにも『目』は放った。あとは目的のものを見つけるまで。

 じりじりと時間が過ぎて行く。1秒がやけに長く感じられる。
 ヨーコはじっと待った。
 もうじき、時間切れだ。幻の小鳥たちが、呼び出された場所に……彼女自身の無意識の奥底に還る瞬間が近づいている。
 既にかなりの気力を消耗していた。この捜索が空振りに終わっても、果たして第二陣を呼び出す余力があるかどうか……。

 わずかな焦りを覚えたその瞬間。
 ちかっと目蓋の奥に求めていた光景が閃いた。

「……あった」

 幻のコマドリの一羽が、探し物を見つけてくれたのだ。

「Mr.ランドール、車を出して。次の行き先が、わかった」
 
  
 ※ ※ ※ ※
 
 
 たどり着いた古い一軒家は、やはり公園からはいくらも離れていなかった。さほど際立った作りではない。縦に細長い構造の木造住宅。窓枠は白く、壁は薄いクリーム色。
 窓には分厚いカーテンが引かれ、扉には『売り家』の文字と不動産屋の連絡先を記した看板がかかっている。
 人の気配は、ない。

「本当に、ここでいいのか?」
「ええ。ここよ」

 門は開いていたが、裏庭に続く木戸は閉まっていた。車を降りるとヨーコはひょい、と手をかけて塀を乗りこえ、裏庭に歩いて行く。

「Missヨーコ!」

 あわててランドールは後を追いかけた。

「Missヨーコ。レディ、君は少し慎みという物を持ちたまえッ!!」
「え?」
「不用意に、あんなダイナミックな動きをして……スカートでなければ、何をしてもいい、と言うものではないのだよ?」
「あ? え? 何?」

 そう言う自分はどうなの。思ったけれど口には出さないことにした。
 あんまりに真面目で誠実そのもののランドールの態度に、ああこれは茶化してはいけない相手なのだと悟ったのだ。
 わずかにスミレ色を含んだ濃いブルーの瞳がじっと見下ろしている。主に自分の上着の裾や胸元のあたりにを。

「そのジャケットの下、キャミソール一枚なのだろう? 気をつけた方がいい」

 さすが紡績企業の御曹司、衣類については詳しいようだ。
 かなり際どいことを言ってるような気もするが、下心は微塵も感じられない。もとよりゲイなのだから女性の体に性的な興味を引かれるはずがない。
 純粋に心配してくれているのだ。下手すると自分の上着を脱いで着せかけてきそうな勢いだ。
 素直に目を伏せ、謝罪の言葉を口にすることにした。

「ごめんなさい、これからは気をつけるわ……」
「ああ。そうしてくれ」

 錆びてぼろぼろになった金属の箱が転がっていた。裏庭の、伸び放題の雑草混じりの芝生の上に。
 大きさはやっと子ども一人が身をかがめて入れる程度。箱の一面は狭い格子状になっていた。おそらく、本来は犬小屋として作られたものだろう。
 
 さほど広くはない庭だが、日当りは抜群だった。わずかに西に傾いた午後の陽射しがぎらぎらと照りつけえいる。
 箱の周りに、強烈な太陽の光をさえぎる物は一切無い。近づいただけで金属の帯びる熱がむわっと立ちのぼり、皮膚を。毛穴をつたって染み込んで来る。

「ここに……彼は入っていたんだ。夏の陽射しが容赦無く照りつける昼に。凍えるような冬の夜に」

 ランドールが眉をしかめて首を横に振る。それは出会ってから初めて目にした、心底不快そうな表情だった。 

「とんでもない話だ」

 お茶の記憶は、ひもじさと渇きの中でおそらくあの子が飲みたいと願ったもの。こんな所に好き好んで入る訳がない。何より鍵は外側についている。

「いったい、誰がそんなマネを」
「さあて……実の親か、あるいは里親か……いずれにせよ、酷い親であることに変わりはない」

 確かなのは、あの憎悪と殺意の対象が自分をここに閉じ込めた相手だと言うこと。
 この箱が放置されていると言うことは、おそらく警察の捜査は行われていない。だれも通報する者はいなかったのだ。事件は巧みにもみ消され、箱の用途は明らかにされぬまま、月日が流れた。

 そして、今に至る。

 ヨーコの口の中に苦いツバがわき起こる。ぎりっと奥歯を噛みしめ、飲み込んだ。

 子どもを虐待するようなクズがどうなろうと知ったことじゃない。けれど、彼が加害者になるのは見過ごせない。
 あの憎悪と殺意は行動にシフトする寸前だった。

 どうする?
 既に公園で一度攻撃されている。向こうは自分の存在に気づいている。
 危険は高い。けれど今やらないと……朝、接触してから既に数時間が経過している。今この瞬間にも、彼は『親』を殺そうとしているかもしれない。
 急がなければ。

(あの子を犯罪者にさせちゃいけない。それ以上に悪いモノに堕ちるのを放っておけない!)

 ヨーコは一瞬で腹をくくった。

「Mr.ランドール。もし私が倒れたら、マックスかレオンに連絡してください。『ヨーコが倒れた』って言えばわかるはずだから」

 息を飲むと彼は一歩、近づいてきた。

「また、倒れるような事をするのか? さっきみたいに」
「万が一の用心にね。慎重なんです」
 
 芝生に膝をついた。

「あ、そうだもう一つ大事なことが……何があっても、決して私に触れちゃだめですよ?」
「君に失礼なマネはしない。誓うよ」

(あー、もー、どこまで紳士なんだろ、この人は!)

「そーゆー意味じゃないんだけどなあ……ま、いっか」

 思わず日本語で呟いていた。幸い、彼には意味が通じなかったらしく、きょとんとして首をかしげている。

 屈み込むとヨーコは手を伸ばし、熱い金属の表面に触れた。意識を開くまでもなかった。
 箱の中に、子どもがうずくまっている。よほど強い思念が焼き付いているのだろう。そのまま彼の意識につながったようだ。
 子どもが顔を上げる。骨の輪郭が透けて見えるほど痩せ細り、鳶色の瞳ばかりがぎょろりと目立つ。
 胸が締めつけられた。

 ぎくしゃくと少年が手を伸ばして来た。
 やはりつながっている。向こうもこっちを見てる!

「そこから……出よう。ね? ほら、こっちにおいで」

 ヨーコは手を伸ばした。
 少年はさらにおずおずと手を伸ばし、すがるように握りしめてきた。

「……おいで」

 ほほ笑みかける。
 すると、少年はわずかに口の端をつり上げ…………………にまあっと笑った。

(やられた?)

 あっと思った時は既に遅かった。がっと口が耳まで裂け、鳶色の瞳がくるりと白目を剥く。か細い腕にはぞろりと棘のような剛毛が生えそろい、爪は鋭く、ナイフさながらに尖り……ヨーコの腕をがっちりと捕まえた。

「くっ……離せっ」

 必死でもがいたが、すさまじい力で引きずり込まれる。鋭い爪が腕に食い込む。皮膚を切り裂き、血が流れた。

(いけない、このままでは取り込まれる!)

 足元をささえる地面の感触が消えた。腹の底を冷たい恐怖が満たす。

(常に奈落の底から自分を付け狙い、隙あらば引きずり込もうと待ち構える影がいる)
(そいつとまっこうから向き合おうと決意したのは十六の時だった。以来、ずっと闘い続けてきた……霧の中で答えを探し、必死になってもがきながら)

 捕まった。
 逃げられない。
 落ちる。
 底知れぬ闇の中に……
 
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