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ローゼンベルク家の食卓

【ex12-1】進路指導 (生徒編)

2010/12/04 21:16 番外十海
 
 戸有高校の第二校舎の西の片隅に、小さな部屋がある。窓は大きく、壁には品の良い油絵が飾られ、ふかふかのソファとテーブルが向かい合うように設置されている。場所が場所なだけに西日が差し込むとまぶしいが、それ以外はいたって快適な部屋だ。窓の外は芝生の生い茂る中庭で、春には満開の桜を間近に見上げることができる。

 この小さな部屋の入り口には、こんな札がかかっていた。

『進路指導室』

 時は三月、桜のつぼみはまだ堅く、学年ごとに差はあれど、生徒は皆、誰しも己の将来に思い巡らせる季節。
 折しも進路指導室では、結城羊子がちょこんとソフアに浅く腰かけ、生徒の一人と神妙に向き合っていた。 
 ここの椅子は柔らか過ぎて、うっかり深く座ろうものならずぼっと奥に沈み込んでしまうのだ。

「えーと……改めて確認するが、遠藤始」
「はいっ」
「お前さんの第一志望は……」
「正義の味方です」

 さらっと言いやがった。何の気負いも、力みもなく、ごく普通にさらりと。それ故にわかるのだ……こいつは本気だ、と。

「前々から言おうと思ったんだが、それは、その、何と言うか……行動が結果的に示す生き様であって、職業じゃないぞ?」
「じゃあ、スーパーヒーロー」
「同じだ、同じ! って言うかお前、第二志望も第三志望も、全部『正義の味方』だろう!」
「他に選択肢はありませんから!」
「…………」

 羊子は額に手を当ててうつむいた。
 落ち着け、落ち着け。こいつはふざけてる訳じゃない。大まじめに考えた結果がこれなのだ。だとしたら、自分の務めは遠藤の希望に沿った進路に導いてやることだ。

「なあ、遠藤。お前はさ。変身すれば今だって十分ヒーローだろ? 今話し合ってるのは変身前のことなんだ」
「そ、そうだったーっ!」

 がく然とした表情で遠藤は拳をにぎり、ふるふると震え、天井をあおいで吠えた。

「何と言う不覚っ! 自分の未熟さが恥ずかしいです、先生っ」
「うんうん、そのための進路指導だからね……それで。高校を卒業してからは、どうしたい? その、変身前の『世を忍ぶ仮の姿』は」

 その言葉で遠藤は瞬時に復活。しゃきっと背筋を伸ばし、目をきらきらさせて言い切った。

「世の中の為になる仕事をしたいです」
「ってーと、あれか。警察官とか、レスキュー隊員とか……」
「ですねっ!」
「だったら、もーちょっと社会の仕組みとか法律を学んでおいた方がいいと思うな」
「おおっ! その通りです! 俺はまだまだ学びたい! ヒーローとして、一皮剥ける為に!」
「うんうん。その心意気やよし……」
「ってことで、進学を希望します」
「了解。じゃ次、風見を呼んで来てくれ」
「フラッシュ!」

 サムズアップを決める遠藤の口もとで、きらっと白い歯が光る。これはすなわち、『OK』と言う意味なのだった。
 

 ※ ※ ※ ※
 

「それで……この間の調査票では、進学ってことだった訳だが……今もその意志に代わりはないか?」
「はい、先生」

 風見光一は赤い眼鏡の奥の瞳をしっかりと見返し、うなずいた。

「文系かな。理系かな? ってか、大学で何を勉強したいか、もう決めてあるのか?」
「はい」

 すう、と息を吸い込むと、風見ははっきりと告げた。

「俺、民俗学をもっと詳しく勉強したいんです。だから、大学は社会系の学部がしっかりした所に進みたい」
「なるほど、そう来たか」
「ハンターとして、自分の立ち向かう相手のこと……夢魔や妖しのことをしっかり学びたいし、神社のこととか、ご祭神の十六夜姫のことも知りたいんです」
「確かに、民俗学だな、うん」
「それから……学校の先生の資格を取りたいなって、思って」
「え?」

 羊子先生はぱちぱちとまばたきをして、小さく首をかしげた。

「ってことは、その、将来は……社会科の先生になりたいと」
「……できれば」
「民俗学で、社会の教師って……」

 メモを取る手を休めると、かすかに頬を染めて、ペンをくるっとバトンみたいに回している。さらに、くすぐったそうに肩をすくめた。すごく、照れ臭いんだ。

「それ、私と同じじゃないか!」
「あー………」

 言われて、改めて気付く。確かにその通りだ。

「そう言えば、そうですね……」

 別に意識してた訳じゃなかったんだけど、何だか急にこっちまで照れ臭くなってきた。

「あーその、べ、別に先生のマネしてる訳じゃないですから!」
「う、うん、それは、わかる。そう言うことなら、相談に乗りやすいかなー、こっちとしても! 私の頃とはいろいろ変わってるかもしれないけど」
「そ、そーですねっ、はは、はははっ」

 差し込む西日が部屋の中を赤々と染め上げている。かっかと熱い頬の赤みも、きっと今なら目立たない。
 ……って思いたい。

「OK、それじゃ風見は文系、進学っと……」

 カリカリと手元のノートに書き込み、きゅっと眼鏡の位置を整えた。

「じゃ、次。藤島を呼んで来てくれ」
「はい!」
 
 ※ ※ ※ ※

「藤島は音楽科希望、か」
「はい。もっと声楽を続けたいし……あと音楽の先生もいーかなーって……」
「……だから第二希望に教育学部、と」
「はい! よーこ先生見てたら、若い子を教えるのもやりがいありそうって思って」
「こらこら、高校生が若い子って……」
「んー、小学生とか?」
「ま、確かに小学校の教員試験は音楽もあるしな……OK、藤島も進学、と……じゃ、次はロイ呼んできてくれ。多分、部室にいるから」
「はーい」  
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 開口一番、ロイはきっぱりと言い切った。

「コウイチと一緒です」
「………まだ何も聞いてないぞ?」
「他に選択肢はアリマセン」
「いや、こっちとしても、そーゆー訳にも行かんから」

 にゅっとのびあがると羊子はぱたぱたと教え子の肩を叩いた。

「まずは落ち着け、な?」
「……はい」
「さて、と」

 きゅっと足を組み、羊子はほんの少し体を前に乗り出した。

「お前さんの場合、まずは卒業後にアメリカに戻るか、このまま日本にいるかってチョイスがある訳だが、それはもう決めたのかな?」
「ハイ! おじい様も、納得するまで修業して来いと言ってマシタ」
「なるほど……ちなみに風見はな、大学で民俗学を勉強したいそうだ」
「民俗学!」

 ぱあっとロイの顔が輝く。

「Fantastic! 日本の神秘。歴史。素晴らしいデス! ボクも、もっと詳しく勉強シタイ!」
「うーむ、さすが日本大好き少年……」
「はい、日本、ダイスキです!」
「じゃ、ロイも文系、大学進学っと……」

 かりかりと書き込みつつ、羊子先生は『にま』っと口角を上げてほほ笑んだ。

「ってことは多分、来年も君らの担任だな」
「Oh! 嬉しいですっ! よろしくお願いしマス!」
「うん、うん。三年は忙しいぞー。何てったって六月には修学旅行がある」
「修学旅行!」
「今じゃ大抵の学校は、二年の秋に行くけどな。うちの学校は古式にのっとって三年の六月に行くんだ」
「行き先は? 沖縄ですか? それとも北海道?」
「うんにゃ。京都と奈良」
「おおおおおおおおっ!」

 その瞬間、ロイの背後には東本願寺の鐘の音がおごそかに鳴り響き、清水の舞台から白いキジの群れが飛び立っていた。

「キョウト! ナラ! フジヤマ! ゲイシャ!」
「混ざっとる混ざっとる」
「金閣寺! 銀閣寺! 興福寺の阿修羅像! 薬師寺! 広隆寺の弥勒菩薩! 三十三間堂! 正倉院! 法隆寺! 奈良の大仏!」
「うん、うん、順番ワヤになってるけどその通り」
「太秦の映画村!」
「……そうだね、それがあったね……」
「素晴らしいです。修学旅行バンザイ!」
「うんうん、よかったよかった」

 んしょっと立ち上がり、羊子先生は感動に打ち震える金髪頭をなでた。

「でも春休み中に一回ぐらい帰国しとけ? おじい様もご両親も、きっと寂しがってるから」
「あ……」
「お前、結局クリスマス休暇も新年も、家族に会ってないだろ」
「そのことならご心配無く。おじい様が日本に来る予定になっています」
「え、そうなの?」
「映画のキャンペーンで来日するそうデス。コウイチのおじい様にも会いたいと」
「マジか!」
「ぜひ、先生にも、神社の皆さんにもご挨拶したいと言ってマシタ!」
「おーおーおー、そいつは楽しみだ……うん、喜ぶよ、母さんたちが」
「光栄デス」
 
 ロイの祖父ウィリアム・アーバンシュタインは、ハリウッドの映画スター。うかつに地方都市なんぞを訪問したら大騒ぎは必至。もちろん、本人もその事を心得ているから変装するつもりなのだろうが……
 元が元なだけに、どうしても人目を引いてしまう。

「現地に溶け込むよう、和装で来ると申してオリマシタ」
「……いや、それ、余計に目立つから」

 それ以前の問題でした。
 
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