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ローゼンベルク家の食卓

【ex12-2】進路指導(よーこ先生編)

2010/12/04 21:17 番外十海
 
 今日で受け持ちのクラスの進路指導が全て終った。
 三年のクラス分けは進路希望に沿って行われる。生徒の中には、来年からは羊子の担任から外れる者も何人かいたし、逆に他のクラスから新しく入ってくる者もいる。そして、結果として三年間、担任することになる生徒も。
 
 初めて自分の将来とリアルな形で向き合い、悩み、あるいは目標に向かって手探りで進む。そんな彼らが愛おしくもあり、また頼もしくもあった。

(一年生の頃は、それこそでっかい水槽に落とされた金魚みたいに右往左往してたってのにな……)

 間もなく高校の第二学年が終わり、彼らは最上級生になる。それだけ別れも近づくのかと思うと、清々しい寂しさがじわっと胸の奥からにじみ出すのを感じた。
 しかしながら、一方で小さな手はてきぱきと自らの帰り支度を進めていた。ノートや手帖、筆記用具を愛用の鞄に詰め込み、よいしょっと肩にかける。コートはとっくにお役御免、薄いハイネックのカットソーの上にキャラメル色のジャケットを羽織るだけで十分に温かい。
 じきにハイネックがVネックになり、ジャケットも薄く軽くなって行くことだろう。

「お疲れさまでしたー!」

 同僚の先生たちに挨拶して教員室を出る。廊下を通り抜け、玄関を出て、校門を潜る所で携帯が鳴った。賛美歌103番 「牧人 羊を」……彼だ。

「こちら羊子。何かあった?」
「ああ、そんな怖い声出す必要ありませんよ、別に事件じゃありませんから」

 相変わらず、のほほんとした……と言うか、飄々とした、と言うか。教会で静かに聖書を朗読するときのような口調だ。もっとも、仮に夢魔の襲来を告げる時でも三上蓮は同じ口調、同じ声で喋るだろう。
 そう言う人だ。

「近くまで出てきたものですから、久しぶりに外で食事をしようと思いましてね……夕飯、まだでしょう?」
「うん、まだだけど」
「『トゥリパーノ』と言う店をご存知ですか? 一人では、いささか味気ないものですから。それでは、お待ちしています」

 切れた。
 まだ返事もしていないのに。しかも、件のイタリア料理店には歩けばほんの15分ほどで着いてしまう……自宅より、近い。

「参ったな……」

 こんな誘い方されたんじゃ、すっぽかす訳にも行かないじゃないか。
 しばし考える。そこそこの値段でしっかりと美味いピッツァとパスタの食べられる店だ。今日は金曜日だから、確かグラスワインのサービスがついてくる。そして、大仕事を終えた直後で羊子の胃袋はいい感じに空っぽだった。

 
 ※ ※ ※ ※
 

 緑色の木枠にガラスのはまったドアを潜ると、ほわっと温かな蒸気と、焼ける小麦、とろけるチーズとトマトの香りが押し寄せてきた。空っぽの胃袋がきゅうっと跳ねる。

「いらっしゃいませ、お一人様ですか?」
「いえ、人と待ち合わせしていて……」

 禁煙席の方へと視線を走らせるが、神父服姿の糸目の男の姿はない。
 ……あれ? と思った瞬間、グレイの上着を着た背の高い青年がこっちを見て軽く手を振った。

「……あ」

 椅子に座るなり、羊子は切りだした。

「何で私服着てるの?」
「いやだなあ、いくら私でも、年がら年中神父服で出歩いている訳ではありませんよ?」
 
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 illustrated by Kasuri
 

 内側のシャツは、濃紺の地に上着と同じ明るめのグレイの細いストライプ模様。ネクタイは締めず、ボタンを上一つ外している。さらに良く見ると、シャツのストライプにはわずかに、水色のラインが混じっていた。
 悪くないセンスだ。野暮でもないし、かと言って華美にもならず、過度に贅沢にもならず……堅苦しさもない。

「………意外」
「まさか、寝る時も神父服、とか思ってましたか?」
「ちょっとね」
「やれやれ……神社にご厄介になってた時は、神官服も着てたでしょうに……あ、どうぞ」
「さんきゅ」

 さし出されたメニューにさっと目を通す。

「いきなりドルチェから始めますか」
「一番大事だよ?」
「……はいはい」

 即断即決、注文を決めると羊子はやってきたカメリエーレーにすらすらと自らの食べたいものを詠唱した。

「えーっと……エビのパイ皮包みスープにシーザーサラダにシェフのお勧めパスタ、ラビオリとラザーニャとピザ・マルゲリータにホットのカプチーノ、ドルチェは洋梨のジェラートとティラミスの盛り合わせで」
「あ、私はパスタとスープとコーヒーをお願いします」

 カメリエーレは顔色一つ変えずに注文を全て記録し、最後にさらりと付け加えた。

「取り皿は二つお持ちしますか?」
「あー……一応、お願いします」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 本日のお勧めパスタはイカ墨だった。真っ黒なパスタをくるくるとフォークで巻き取る。

「これ、最初に食べようとした人は偉大よね」
「まあ、確かに真っ黒な食べ物は西洋ではあまり、馴染みがありませんからねえ」
「海苔なんかもそうだよね……あ、あと黒豆も?」
「羊子さん」
「はい?」

 結城さん、じゃない。羊子さんって呼んだ、今。

「先日のお見合い、断ったそうですね」
「あー、うん、あれはねー。お見合いってほどのものじゃないよ? お父さんの知り合いの宮司さんの息子、紹介されて、ちょっとお食事でも一緒にどうですかって言われてー」
「今の調子で食べまくった、と」
「うん、普通に」

 羊子の食べているパスタは既に二皿め、ピザに至っては三皿めだった。(一部三上とシェアしたからだ)
 
「なんか先方もあまり乗り気じゃなかったっぽくて。断りの電話したらほっとしてたみたいだよ?」
「そうなるように、あなたが自分で仕向けたのでしょう?」
「やーねー、人聞き悪い!」

 イカ墨のパスタをくいっと白ワインで流し込むと、羊子はにゅーっと眉を寄せた。

「だってこれが私の『普通』なんだよ? 下手にとりつくろった所で、結婚したらどーしたってバレるじゃない。この程度でビビるような相手と、どうして添い遂げることができますかってんだ」
「一理ありますね。ですが何も初手から飛ばさずとも……」
「最初が肝心」
「執行猶予って言葉ご存知ですか? あるいはお試し期間とか」
「まどろっこしい」
「しかしですね」

 開きかけた三上の口に、ずぼっと折り畳まれたピザが押し込まれる。けっこうな量があったのだが彼は顔色一つ変えずに咀嚼し、平然と飲み込んだ。

(かっわいくない! あぢーっとか、何するんですか、とか、ちょっとは慌てればいいのに……)

 だが、言わんとすることは伝わったらしい。以後は静かに口と手を動かし、合間に交わされる会話は料理の感想と当たり障りのない話題へと移って行った。
 
「遠藤は世の中の役に立つ仕事をやりたいって言ってた」
「おや、彼のことだからてっきりヒーローを目指すものと」
「……うん。だから、変身前の話」
「ああ、そう言う意味ですか」
「風見は大学で民俗学をやりたいんだって」
「なるほど、彼らしいですね」
「ロイは風見と一緒」
「そうでしょうね……ああ、そう言えば風見くんの幼なじみの彼女、藤島さんは?」
「音楽科」
「ふむ。では、来年も風見くんやロイくんと一緒のクラス、と」
「そゆことになるかな?」
 
 デザートのジェラートの最後の一口まできれいに平らげ、食後のコーヒーが出たところでこほん、と三上が咳払いをした。

「ところで、羊子さん」

 まただ。
 また、名前で呼んできた。

「何?」
「私、今年の9月29日で三十才になるんです」
「そうなんだ。おめでとう」
「ええ、ですからね」

 くい、と丁寧にナプキンで口を拭うと、三上蓮はまっすぐに羊子の目を見つめ、厳かに告げたのだった。

「そろそろ結婚しませんか?」

 ごぼっと飲みかけのカプチーノが逆流しそうになった。

「だ、だ、だ……誰が?」
「もちろん、私と貴女です」
「無茶言うな! あなた、神父でしょうがっ!」
「問題ありません。うちの宗派は妻帯も許可されていますし……何でしたら私が婿養子に入ると言う方法もあります。いや、むしろそうするべきなのでしょう」

 糸のように細い目が開かれる。瞼の合間から注がれる鋭い眼光に、羊子は氷柱を飲み込んだような冷たさを覚えた。

「結城の血筋を受け継ぎ、夢守り神社を守るために……ね」
「あ……」
「それが、あなたの為すべき務めだ。よもやお忘れではないでしょう?」
「忘れてなんか……忘れる訳なんか………」

 でも。でも、三上さん。私の気持ち、知ってるはずなのに、どうして?
 時が止まる。
 普通の人間には感知できない夢と現の狭間、すうっと三上が顔を寄せてきた。
 ……近い。だが逃げられない。強い意志の光を宿した瞳に射すくめられ、指一本動かせない。
 耳元でささやかれる。

「私なら、知っていますからね。貴女がかつて誰を愛し、今、誰を想っているか……」
「あ……」
「滅多にいるものではありませんよ? 何もかも全て知った上で、受け入れることのできる男なんて」

 時間が再び動き出す。
 
「ひどいよ、三上さん」
「……そうですね……少なくとも、イカ墨パスタを食べた直後にする話ではありませんでした」
「っ!」

 もわもわと髪の毛を逆立たせ、羊子はごっしごっしとナプキンで口を拭った。
 
「ぎゃーっ、ナプキンが黒いーっ」

 
 ※ ※ ※ ※
 

 アパートに帰るなり、速攻で歯を磨いた。吐き出す泡が、まだちょっぴり黒かった。

「ふー……」

 洗面所の鏡をにらむ。
 別れ際、三上に言われた言葉がまだ、耳の奥から抜けない。

『お忘れなく。最初にプロポーズしたのは、あなただ。私はただ、あの時の返事をしただけ』

 無意識のうちに、きゅっと胸元の勾玉を握りしめていた。白桃色に一筋混じる、サファイアの青を。
 
『9月までにはまだ時間がある。考えておいてください』
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 一方、その頃教会では……

「ただ今戻りました」
「お帰りなさい……あら?」

 見習いシスター高原小夜はちょこん、と首をかしげた。かすかにワインの香りがする。しかも教会の入り口の階段を上がる足取りが妙に軽やかだった。

「兄さん、何かいいことでもありました?」
「おや、どうしてです」

 三上がライトグレイのジャケットから袖を抜くと、小夜はすかさず慣れた手つきで受け取った。ミサの準備をする時とまったく同じ手順と動きで軽くブラシをかけてハンガーにかけ、クローゼットにしまう。

「……楽しそうな顔をしてます」
「いえ、ちょっと迷える子羊の背中を押してきたので」

 あたふたしながらナプキンで顔をごっしごっし拭っていた。よほど慌てたのだろう。滅多に見られるものではない。

「今後が楽しみだなーと」
「兄さんの事ですから、どうせ橦木(しゅもく/お寺の鐘を突く木の棒)でどつくくらいのことをやったんですよね」
「……また、酷い言いようですね」
「でも、そう外してる訳でもないでしょう?」

『ひどいよ、三上さん』

 確かに。去年の十二月にかました豆鉄砲の比でなかったことは確かだが……

「まぁ、否定はしませんよ」

 きっちり勘定は割り勘だった。
 うん、大丈夫。メリィちゃんは、確実にタフになっている。
 
 ※ ※ ※ ※
 
 そして四月。
 
「諸君、進学おめでとう。私が今日から君たちの担任になる結城羊子だ!」

 眼鏡をかけたちっちゃなよーこ先生が教壇に立ち、んっしょっと伸び上がって見渡す教室には、ロイ・アーバンシュタインと風見光一、遠藤始、そして……藤島千秋の姿があったのだった。


(進路指導/了)

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