▼ 【ex11-9】夢のあと2
「やったな、ロイ!」
風見光一は全力で相棒に飛びつき、ぐいっと肩に腕を巻き付けた。
無論、女装のまま。
緋縮緬の長襦袢姿のまま。
「やややややや、やったでゴザルなっ!」
ロイはどぎまぎしながらしがみつく風見から目をそらした。しかしながらその程度ではこの衝撃は到底収まらず、頭の回りをコッココッコとニワトリが飛び回る。
「……何だ、これ」
「いや、うれしくて、ツイ!」
「そっか、可愛いな」
(可愛い………コウイチが可愛いって言った!)
鐘の音が鳴り響き、ばさばさとニワトリの大群が乱れ飛ぶ。
白い羽の舞い散る中、ひらりとぽちの背から飛び降り、ヨーコは教え子二人に駆け寄った。
「よくやったな、風見。見事だったぞ、ロイ!」
ねぎらいと称賛、限りない愛情をこめてばしばし肩を叩く。
それから足下にきちっと座ってしっぽを振る漆黒の狼の首に腕を巻き付け、耳元に囁いた。
「……カル。おつかれ。かっこよかった」
「わふっ」
ランドールは艶やかな黒髪に顔をうずめ、深々と息を吸い込んだ。
(次に会うときまで、覚えていたい)
ふと首筋の毛が逆立つ。
何てことだ、ヨーコのにおいに混じって見知らぬ犬のにおいがする。
ふん、ふん、と熱心に嗅ぐ。念入りに嗅ぐ。
まちがいない。しかも、こいつは……雄だ!
これは由々しき一大事。
ぐしぐしとほっそりした首筋に、胸に、腕にまんべんなく顔をすり寄せた。
「くすぐったいよ、カル」
「きゅっ」
改めて嗅いでみる。自分のにおいが細い糸のように、彼女のにおいにからみついていた。
うん、まずはこれでひと安心だ。
(どこの馬の骨ともわからない犬っころなんかに、負けるものか!)
その間、少年二人はぽちをもしゃもしゃなで回した。
「ぽち、ご苦労さま」
「見事でゴザった、ぽち殿」
とくに風見は念入りに、熱心に。
(今のうち、今のうち)
現実世界に戻ったら、また、ぷいっとそっぽを向かれてしまうから。
がっしりした首の周囲に渦巻くたてがみは、見た目よりずっとふかふかで。まるで子猫の毛並みのように心地よく、思わず顔をうずめてしまった。
「ぐきゅっ」
ぽちは目をとじてうっとりご満悦。
そのうち、うずくまったまますやすやと寝息を立て始めた。
と……
徐々に体が薄くなり、消えて行く。
「あ」
「仕上げだよ。ぽちが眠れば、一緒に夢を見ている人間もぐっすり眠れる。すこやかに目覚めることができるんだ」
サクヤは愛おしげにたてがみをなで、ぽちの耳元にささやいた。
「ありがとう。またね……ぽち」
耳をぱたぱたさせ、ごろごろと咽を鳴らしながら、幸せそうにぽちは帰って行った。
「っしゃ、これにて一件コンプリートでゴザルっ!」
途端に張りつめていた気が抜けて、少年たちは一気にぼわんっといつもの姿に戻った。
これにて女装終了。コスプレ終了。
「ふう、緊張したー」
「ああ、男とばれた時はどうしようかと思ったよ。プランBを考えておいて正解だったね」
「そうね……」
人間に戻ったランドールをちらりと横目で見ると、ヨーコはそっと顔をそらした。
「あ………………その………」
もじもじして、言いよどんでいる。どうしたのだろう?
ランドールは身を屈めてのぞきこんだ。
「どうしたんだい、ヨーコ?」
「………………着なさい」
ほんのり桜色に頬を染める彼女の指さす先には………脱ぎ捨てられた吸血鬼の衣装が一そろい、ばさっと地面に散らばっていた。
「おっと」
コウイチとロイ、そしてサリーはいつものように行儀良くさり気なく視線をそらせていた。
そしてヨーコは、完全に袖で顔を覆っている。いつになくたおやかな仕草を見て、急に強烈な恥ずかしさが込み上げてきた。
いそいそとランドールが服を身に着けている間に、周囲の景色が少しずつ変わり始めていた。
影が消えて行く。
夢魔の呪縛から解き放たれ、夢の中の風景が変わって行く。
薄っぺらな紙細工の町がぽろぽろとはがれ落ち、壁が。天井が現れる。
ベッドも、机も、何もかも二つずつ整えられた部屋。
「ここは……」
「シエンの部屋だよ。今、現実の彼はここからほとんど出て来ない」
部屋の天井も壁も家具も何もかも、すべすべした細い糸に覆われているように見えた。
クモの巣かとも思ったが、違う。これは捕らえるための糸ではない。これは繭だ。傷つきやすい柔らかな体を守るために織られた糸の防壁。
ベッドの上にぽつんと、男の子が一人座っている。膝をかかえてうつむいて。
ややくすんだ金髪に紫の瞳、やわらかなクリーム色のセーターを着た、優しげな顔立ちの子だ。窓の外からは、しとしと、ぽつぽつと雨の音。途切れずいつまでも続くのではないか。もう二度と晴れることはないのではないか。
雨の音に封印されていた繭に、ふと。
光が差し込む。
ベランダに通じる窓から、最初は細く、糸のように。
少年が顔を上げた。
手のひらに細い光の糸が落ちる。
金色の糸をたどり、ベッドを降りた。床に立って、歩き出した。
壁を覆う繭が開き、窓が現れた。
少年はほんの少しためらってから窓を開けて、外に出た。
途端に部屋は消え去り、日当たりのよいベランダに変わる。並べられたプランターに、わさわさと香りのよい草が繁っている。
パセリにタイムにローズマリー、オレガノ、ミント、カモミール、バジルは特にたっぷりと。
雲間から降り注ぐ柔らかな日の光を浴びて、少年は目を細めてハーブを積んでいた。やがて手のひらいっぱいに、小さな香りの良いブーケができあがる。
少年はうっとりと香りをすいこみ、小さくうなずいた。
室内に通じる扉の向こうから声がする。
彼の名を呼んでいる。
「……エン……」
「シ………エ……ン」
一つではない。大声ではない。だが、決して途切れることはない。
「シエン!」
シエンは迷いのない足取りで扉を開け、入って行った。
「病巣はとりのぞいた。あとは、あの子次第ね」
後ろ姿を見送りながら、ヨーコは愛おしげに目を細めた。
「閉ざされた扉は、内側からしか開かない。鍵を持っているのは、シエン自身なのだから」
どっしりした木の食卓の置かれた食堂。キッチンカウンターの奥では、背の高い赤毛の男性と、金髪の少年が忙しく動き回っている。
あたたかな湯気が漂ってくる。
シエンはカウンターの脇を抜け、キッチンへと歩いて行く。いつの間にかエプロンを身に付けていた。パステルグリーンに白のストライプ。キッチンで立ち働く二人と色違いのおそろいで。
「家族にできるのは、踏み出した彼を支えて、前に導くことだもの。ね?」
おいしそうなにおいが漂ってきた。オーブンから。コトコト煮える鍋から。
「あ、パスタかな?」
「ピザかも……」
ドアが開き、ひょろりとした黒髪と、すらりとした明るい茶色の髪の男性が入って来る。もうじき、食事の時間だ。
食器の触れ合う心地よい音を聞きながら、狩人たちは夢から抜け出した。
※ ※ ※ ※
「あーっ、お腹減ったー」
ぱちっと目を開いて羊子はむくっと起き上がった。
「ピザたべたーい、ピザー」
携帯を取り出してぴこぴことやっている。と思ったら。
「もしもし? こちら結城神社ですけど、ピザのデリバリーお願いします。マルガリータのLLサイズ1枚とLサイズ2枚、大至急!」
「先生……」
「せめて社殿を出てから……」
「だーってお腹空いたんだもーん」
ぎぎぃ、と扉を開けて外に出る。
時刻は16時。おやつと言うには少々遅く、夕飯にはまだ早い。
「今、そんなにたっぷり食べちゃったら、夕飯入らないんじゃあ」
「だいじょーぶ、余裕だから!」
笑顔全開で答える先生を見守りつつ風見光一ははぁっと小さくため息をついた。
まあ、いいや。食べ切れない分は、全部先生が片づけてくれるだろうし。
よーこ先生は、狩りの直後はものすごく食べる。お腹いっぱい食べて、消耗した分を取り戻すのだ。
「はぁ……」
「どうした、ロイ」
「いや、その、アノ」
あれ、ロイまでため息ついてる。しかも、真っ赤になって顔を伏せてるじゃないか。
そうか!
女装したのが、今になって恥ずかしくなってきたんだな!
シャイな奴め。
にかっと笑うと、風見はぱしぱしとロイの背を叩いた。
「心配するな、ロイ! お前のメイドさん姿、最高に可愛かったぞ」
「そそそ、そうかな!」
「ああ」
うなずき、目を見据えてサムズアップ。
「自信持て!」
「う、ウン!」
(可愛いって言った……コウイチが……可愛いって。可愛いって!)
その瞬間、ロイの心の中には祝福の鐘が高らかに鳴り響き、白いニワトリがぱたぱたと群れ飛んだのだった。
※ ※ ※ ※
数日後。
「先生!」
ばたばたと藤島千秋が『伝研』の部室に駆け込んできた。
「お、どーした藤島」
「聞きました? あの噂!」
「あの?」
お茶を入れていた風見の肩が、ぴくっと震えた。
「出るんですよ……」
「何が?」
「何がって……のんきだなあ。もう、学校中でもちきりですよ! 夕暮れの校舎に水音が響き、不審に思って水飲み場に行くと!」
「ふむふむ」
「白いゴスロリドレスを着た美少女が、白い水差しに水を汲んでいたんです!」
「へー……そう、水差しねぇ」
にやにやする羊子の視線の先には、つるっと丸い電気ケトルがあった。色は白。流線的なフォルムは遠目には水差しに見えなくもない。
「で。情報(ネタ)の発信源は?」
「新聞部です。夕方遅くまで編集会議してたそうで」
「あーなるほどねえ。そりゃあ信憑性高いわな」
「あれからずっと張り込んでるんですけど、まだ見つからないそうですよ!」
「らしいな。風見?」
「そ、そうですね!」
風見は精一杯平静を装った。
さっき水を汲みに行った時、見てしまったのだ。階段の陰に陣取り、カメラかかえて待ちかまえる新聞部員の姿を。
一方で千秋は目を輝かせ、ヨーコに熱心に話しかけている。
「伝研ではやらないんですか?」
「何を?」
「調査ですよ! 夕闇の校舎に現れる白いドレスの水くみ美少女! 神秘的で、何だか、すごく『伝説』って感じがしませんか?」
「そーだなあ……調べてみるか。なあ、風見」
「よーこ先生……さっきから、何で俺にばっかりネタ振るんですか!」
「だって、部長だし?」
「う」
民俗伝承研究部部長、風見光一は、がくっと肩を落とすのだった。
「あー……その………千秋」
「どうしたの、光一?」
「……はい、お茶」
「さんきゅ、のど乾いてたんだ!」
風見の入れた茶をおいしそうに飲み干すと、藤島千秋はにこやかに帰って行った。
「どーしよう……」
扉が閉まるなり、風見は頭を抱えた。
「コウイチ! 大丈夫だよ、人の噂も75日」
「そ、そうか!」
「春休みに入れば、きっとみんな忘れるよ!」
「そうだな!」
ずぞーっとひとくちお茶をすすってから、羊子がぽつりとつぶやいた。
「春休みを越え、年度を越えて、そして噂は伝説になるのだった、と」
「先生っ」
にやにやしながら羊子は椅子にふんぞりかえり、教え子の顔を見上げた。
「お前さんらしくないよな、風見ぃ。見られてたのに、気付かなかったなんてさ」
「そ、それはっ」
千秋に女装を見られた直後で、慌てていたのだ。ドレス姿のまま飛び出していたことに、部室に戻ってからようやく気付いたのだが後の祭りだった。
「まっ、藤島も相当ショックだったんだろうなあ。『白いドレスの水くみ美少女』と、お前さんの女装の関連に気付かないなんてさ? 幸か不幸か」
「幸い、と思うことにします」
へばーっと風見光一は盛大にため息をつき、肩を落とした。
「いつの間にか、美少女にされてるし……」
「ほんとは男の娘なのにねぇ」
「よーこ先生っ」
こうして、戸有高校の七不思議に新たな伝説が追加されたのだった。
既にトータル七つどころではなくなっているのだが、そこはそれ、よくある話。気にしてはいけない。
「気にするよっ」
おたおたする風見を見ながらロイは……
(ああ、コウイチ。そんな君も、むちゃくちゃキュートだ!)
胸をときめかせていた。
(君の秘密は、ボクが全力で守る!)
握りこぶしで誓うロイの後ろでは、羊子が秘かに試着写真を三上にあててメールで送っていたりするのだが。
神ならぬ身には知る由もなかった。
次へ→【ex11-10】そしてメールが届いた