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ローゼンベルク家の食卓

【ex11-6】ハロウィンの怪人

2010/07/26 0:58 番外十海
 
『そいつ』はもう、ずっと長い間、恐怖に怯える子どもを餌食にしてきた。
 じめじめした湿地のほとり、霧に閉ざされた、どんより曇った鉛色の空の下。あるいは昼の光すら届かぬうっそうと繁った森の枝の間に間に。

『早く寝ない子は………に連れてかれるぞ!』

 電灯の普及とともに一時期、『そいつ』はなりを潜めていた。だが、まばゆい光が照らすほど、影は一層深まり闇を為す。
 そして運命の1978年。
 件の存在は新たな、とてつもなく強力なイメージが注ぎ込まれるのを感じた。一本の映画が、そいつに暗闇に潜む『人さらい』に加えて、不死身の殺人鬼としての姿と特性を与えたのだ。

 何百回となく繰り返される躾の言葉とともに『そいつ』の存在は子どもたちの心に深く根を下ろし、何度祓われても決して消えることはない。適度な養分を得た瞬間から増殖が始まる。恐怖を苗床にじくじくと広がり、膨れ上り……
 ぶくぶく泡立つただれた繭の表面を破り、血と脂を滴らせて『そいつ』は吠える。

『ひゃっほぉおお! 悪い子は、このブギーマンが連れてくぜぇ!』

 今度の獲物は、金髪の双子だ。
 この上もなく美味そうな恐怖の臭いに引かれて最初の一人に取り憑いたら、極上の獲物だった。
 閉ざされた記憶をこじ開け、蓄積された恐怖をえぐり出し、たっぷり水を含ませて。じくじく腐らせ、種を蒔く。一人を捕まえれば、あとは思ったより簡単だった。もう一人の兄弟も、赤毛の『まま』も、あっけなく手の内に転がり込んできた。
 まったく、こいつの周りは傷やら闇やらを抱えた奴らばっかりだ。
 香ばしい『病み』に魅かれるまま触手を伸ばし、種をばらまく。

 一見して冷静に見えた『ぱぱ』でさえ、落ち着き払った顔の内側では、愛する者を奪われる事を恐れていた。かつて奪った男への、凄まじい憎悪と、どす黒い嫉妬をくすぶらせていた。
 こ狡い眼鏡野郎は、すれた言動とにやけた笑いの奥底に、愛する者を失うのではないか、ある朝目が覚めたら、自分一人がとり残されているのではないかと気も狂わんばかりの孤独を抱え込んでいる。

 いっぺんに食べ尽くす、なんてもったいないこと誰がするものか。エサはたっぷりあるんだ。
 ちょっとずつかじって、食い散らかしてやろう。じりじりと引き裂き、吸い取ってやろう。この家に住む『家族』が一人残らず干からびて、絶望のどん底でくたばるまで……。

 歪められたサンフランシスコの街角に、一ヶ所闇の凝った場所がある。ブギーマンは体を平たくしてひっそりとそこに潜んでいた。
 影の一部になり切って。そうして獲物が眠りに着くまで、じっと待っていた。
 夜更けとともにぴくり、と動き、流れ出す。ゴミ箱の隙間からあふれ、路面にしたたり、ぬうっとせり上がる。
 黒い服に、のっぺりした白い顔。手にはぞろりと巨大な布袋。

 空ろな目がすがめられる。
 ぱたぱたと軽い足音が聞こえた。一つ、二つ。ぎくしゃくと首をめぐらせ音を追う。すぐそばの路地を、小さな人影が二つ駆けて行く。しっかりと手を握り、ややくすんだ金色の髪をなびかせて。一人はフード付きの紺色のコートを。もう一人は同じ形のクリーム色。
 じゃぎじゃぎと鍵爪の伸びた不釣り合いに長い指を開閉し、にたりと笑う。

「獲物だぜぇ、べいべぇ!」

 にゅうっと不自然に伸びた足を交互に動かし、走り出す。ラッキーなことに、あの忌々しいちびの白猫の姿はない。必死で走る獲物から、わざと一歩遅れて追いかける。
 手が届くか届かないかの微妙な距離を保ったまま、延々と追い回してやった。
 双子は必死だ。息を切らせて、よろよろと、前へ前へと進む。今にも倒れそうだ。

「そうだそうだ、もっと走れ、もっと逃げろ!」

 霧が深く立ちこめる。あたりは夜の暗がりに閉ざされ、ぽわん、ぽわんとゆらめくオレンジ色の、カボチャのランタンが唯一の明かり。一つ残らず腐ってる。口からだらりと溶けた舌を吐き出し、うつろな声でけたけた笑う。
 立ち木の枝からぶら下がる、首つり人形の腹がぱちんと弾け、どろりと緑色のヘドロが滴り落ちる。
 あっちからこっちから、調子のはずれた甲高い声が、繰り返し叫ぶ。
 
『Trick or Treat? Trick or Treat!』

 どれ、そろそろ今夜の分(Treat)をいただくとするか。
 ざんっと一足飛びに双子を飛び越え、行く手を塞ぐ。両手を広げて立ちはだかり、ぬうっとのしかかった。

「悪い子だ、悪い子だあああ。こーんな遅くまで出歩いてぇえ……」

 双子は互いにぎゅうっと抱きあい、縮こまっている。ぶるぶる震えて、まるで追いつめられた小ウサギだ。これ見よがしに右手をひろげてわしゃわしゃとうごめかせ、左手に構えた布袋を振りかざす。

「夜遅くまで出歩いてる悪い子はぁああ、ブギーマンが連れてくぞお!」

 くっと、髪の短い方が口角を釣り上げ、笑った。

「おあいにくさま……こう見えて一応、二十歳は過ぎてるんだ」
「れっきとした大人だよ?」

 くすっと笑うなり、二人は勢い良く顔を挙げた。

「残念でした!」

 しゅわわっと髪が。瞳が。顔だちそのものが、変わって行く。
 ややくすんだ金色が、つややかな黒へ。やさしく煙る夜明けの紫が、きりっと濃い茶色へ。ついさっきまで白人に見えていたが、今はどこから見ても東洋人だ。

「お、お、おまえら……だれだぁっ?」

 体格がふしゅっと細く華奢に変わり、それぞれの胸元がもそもそっと動いてちっぽけな生き物が飛び出した。

 ちりん!

 一匹は白と赤のキモノを着た東洋系の女の子。

「ぐぎゃう!」

 もう一匹は、ずんぐりした鹿の子色の動物。鼻が半端に長くて口の端から牙がのぞき、しっぽはモップみたいにわっさわさだ。

「何だあ、お前らっ」
「夢を守るは我らの使命」
「悪夢在るところ、必ず……」

 二人はばっとコートを脱ぎ捨てた。
 白い袖が。赤い裾が翻る。

「ナイトメアハンター、見参!」
「げえっ!」

 今まで何度も出くわし、痛い目を見せられた相手だ。せっかくここまで蓄えた栄養を、みすみす吹っ飛ばされてはたまらない!
 ブギーマンはくるっと片足を軸にして180度方向転換、逃げ出そうと試みる。
 だが。

 タン。
 タン。タタタタタ、タン!

 激しく板を打ち鳴らす音とともに、つすーっと行く手に進み出た者がいる。黒と赤に金糸の縫い取りをしたキモノをだらりと着流した少女? が一人。
 前に構えた奇妙なパラソルで顔は見えない。

「人の世の悲しみを、すすり蔓延(はびこ)る悪夢を吹き払う……」
「ま、まさかお前も………」
「ナイトメアハンター見参!!」

 丸い傘をばっとぶん回すや、抜き身の日本刀に早変わり。さらに頭上から、白いエプロンなびかせて、すたんっと降り立った者がいる。

「ここは通さないでゴザルよ!」

 スカートの裾からのぞくふりふりレースをなびかせて、金髪の少女? がシュリケンを構える。
 一人目といい、こいつといい、どこか変だ。妙にいかつい体格、女にしては低い声、そしてのど仏……。
 がっくん、とブギーマンの顎が落ちる。

 こいつら、男だ。

「お前ら……仮装パーティーじゃねえぞーっ!」
「ぐわおう!」

 のっそりと二人の間から真っ黒な巨大な犬が一匹進み出て、突っ込み無用、とばかりに白い牙をむき出した。

「動物園でもねぇしっ」

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