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ローゼンベルク家の食卓

【ex11-5】鏡よ鏡

2010/07/26 0:57 番外十海
 
「よし、それじゃさっそく始めようか。準備はいい?」
「御意!」
「了解」
「Yes,Ma'am」

 ヨーコの号令一下、男性陣は集中した。空中からもやもやとおぼろな色が湧き出し、彼らの手足を包み込む。
 浅葱色の陣羽織、青いニンジャスーツ、裏地の赤い黒のマント……いずれも彼らの夢の中の姿の一部だ。脱いだり、着替えたりすることはできない。だから、見た目を変えるためには上から新たな衣装を形成し、被せなければいけない。

「プランA、発動!」

 現実世界で着た時の記憶を。感触を呼び覚まし、ドレスのイメージを実体化させる。
 柔らかな布が広がり、がっちりした体をふんわりと包む。

「……よし」

 風見光一は目を開き、己の姿を見回した。上手く行ったようだ。

「おい、風見……それ……」

 先生が目をぱちくりしている。意外だったらしい。そうだろうな、教室で試着したのとはだいぶ違ってるし。だけど着物の上に着るなら、こっちの方が自然だと思ったんだ。
 二重三重に重ねた黒と赤。襟ぐりを大きく開き、帯を前で結び、裾を長く引いた絹の打ちかけは金糸銀糸に彩られ、ほんのわずかでも動くたびに、鮮やかな色彩がこぼれ落ちる。幾重にも重ねた絹の表面には、翼を広げて舞う鳳凰の姿が縫い取りされていた。

「何で、花魁?」
「これなら、陣羽織の上から重ね着できますから!」

 確かに襟の合わせ目から本来の若武者の着物がちらりとのぞき、うまい具合に重なっている。
 しかし、だったらお姫さまや奥女中でも良かったんじゃないか? 十二単って選択もあるだろうに……思ったが、羊子は敢えて口には出さなかった。
 この際、その手の突っ込みは野暮と言うものだろう。

「賢い選択だな、風見!」
「ありがとうございます!」

 胸を張る風見の背後では、ひそかにロイがくらくらとしていた。油断すると倒れそうになるのを、気力と理性と根性をふりしぼって必死で耐えていた。

「さすがに花魁下駄は自粛しました」
「だろーな、あんな跳び箱みたいなもん履いてたら動けないものなあ。しかし重くないのか、そのカツラ」

 風見光一は、やる時は徹底的にやる男だった。
 衣装のみならず、太夫さながらに横兵庫に結い上げた髪までも再現していた……クジャクの尾羽さながらに広がる簪も込みで。
 これも実際に髪形を変化させたのではなく、本来の髪形の上に新たに形成した、要するに、カツラである。簪や櫛を含めると、かなりの重量があるはずだ。

「大丈夫です、鍛えてますから!」

 胸を張って、風見光一はとんっと己の胸を叩いた。
 教え子のたくましさに羊子は満足してうなずき、ぐっとサムズアップで答えた。

「そうだな! どうせなら、徹底してやらないと! ……で……こっちは……」

 羊子は腰に手をあてて、ちょこんと首をかしげた。その隣ではロイが何やらノスタルジーあふれる温かな表情を浮かべている。

「なんだか、懐かしいコスチュームでゴザルよ」
「ああ、そうだろね」

 カルヴィン・ランドールJrが選んだ衣装は、アメリカの子どもなら大抵、目にしているものだった。
 そう、おそらくは日本の子どもも。絵本で、ビデオで、DVDで、あるいはハロウィンの仮装で。映画俳優の祖父を持つロイにとっては、ことさらになじみ深いものだった。
 黄色いスカート、青いブラウス、ぽんっと膨らんだ提灯状の袖は青と赤。 
 裏地の赤も鮮やかなマントはいささかオリジナルに比べれば長過ぎるが、吸血鬼の衣装をそのまま使っているのだから無理もない。
 そして、いつもは波打つ黒髪を後ろで束ねている赤いリボンは、今はカチューシャ状に結ばれ、ふんわりと頭部の中央で蝶結びにされている。
 ロイはほう……とため息まじりに呟いた。

「SnowWhite!」
「わかってくれて嬉しいよ」

 何やら通じ合うアメリカン二人を、日本人三人はほんの少し、遠巻きにして眺めていた。

「なんで、白雪姫?」
「大学生の時、着たことがあるんだって」
「あるんだ……」
「もしかして、ランドールさん、お化粧してる?」

 然り。ランドールのくっきりとした目鼻立ちは、さらにそれを上回るメイクできっちりばっちり彩られていた。

「何か、アレを思い出すね」
「うん、アレね」
「アレですね」

 三人の頭の中には、とある歌劇団で有名なすみれの花の歌が、エンドレスで流れていた。

「ロイは問題ないな。パーフェクトだ」
「お褒めに預かり恐悦至極でゴザル」

 ロイの衣装はキモノドレス。しかも現実世界での試着からさらにグレードアップしていた。
 襟元と袖口にあしらわれたレースは五割増しふりふりに。スカートがロング丈なのはニンジャスーツの裾をカバーするためだろう。
 さらに、試着の段階では「あったらいいね」と言われていた白いエプロンドレスが加わり、ポニーテールの金髪はレースのカチューシャできちっとまとめられている。

「これは………メイドさん?」
「Yes! 和風メイドさんでゴザル!」
「なぜ、メイド」
「巫女さんとメイドさんのタッグは、最強なのデス!」

 ぴしっとロイは腰に手を当て、右手を挙げて指先で額をポイント。少女向けアニメの変身ヒロインさながらにポーズを決めた。

「これでいつでも、ぽち殿召喚おっけーでゴザルよっ!」
「あー……うん……そうだね……」

 サリーは敢えてコメントを避け、そっと目をそらした。

「はじめよっか、よーこちゃん」
「OK!」

 二人の巫女さんはきゅっと手を握り合い、空いた片手でしゃりん、と鈴を振った。

「ぽちやー」
「ぽちー」
「おいでー、ぽちー」
「ぽーちー」

 澄んだ声が溶け合い、幻の空へと吸い込まれて行く。
 
「ぽちやー」
「ぽちー」
「ぽーちー」

 シャリン!
 鈴の音がもう一つ。はるか上空から聞こえてくる。

「Oh!」
「来たか!」

 ぶわっと空が裂ける。
 巻き起こる一陣の風とともに、一匹の獣が舞い降りてきた。鋭い爪の生えた、ずんぐりした四つ足で宙を蹴り、軽々と。まるで重さなどないように駆けてくる。牛ほどもあるその巨体からは信じられないくらいの身軽さで……まっしぐらに降りてくる。

「ぽちーっ!」

 ずしん!
 強靭な手足で地面を踏み、やぶにらみの目でぎろりと見渡すや、長い鼻を高々と掲げて吠える。

「ぐぎゃおう!」

 ぷふーっ!
 吹き出される吐息で、髪の毛や裳裾が舞い上がった。
 サリーは満面の笑みを浮かべて両手を広げた。

「ぽち!」
(さくやー、さくやー!)

 獏は。いや、ぽちは途端に目をほそめ、しっぽをわっさわっさと振ってすり寄った。

「元気そうだね」
(あいたかったのーっ)

 なおもぐいぐいと胸元に顔をすり寄せる。

「あ、こら、くすぐったいじゃないか」

 サリーはぎゅうっとぽちの頭を抱きしめ、耳の後ろをかいてやった。それは風見とロイにとって、とても見慣れた表情であり、動作だった。

「……あ、やっぱりぽちなんだ」
「中味は変わってナイでゴザルね」

(ん?)

 気配を感じたのだろう。ちら、とやぶにらみに戻った視線が女装軍団に向けられる。
 ここが今回の正念場だ! ぴしっと、ぽちと少年たちの間に緊張が走る。

 用心しつつぽちはぽてぽてと歩み寄り、長い鼻をもちあげて熱心ににおいをかいだ。
 頭のてっぺんからつまさきまでじーっくりと見回した。

「おいで、ぽち!」

 にっこり笑って手招きするロイ子さん。

(あ! このひとしってる!)

 あっさりひっかかる守護獣。しっぽをわっさわっさ振ってすりより、甘えている。

(コウイチ。今でござる!)

 相棒に目配せされ、風見光一は思い切って手をのばし、撫でた。

(あ、あったかい)

 がっちりした骨組み。あったかくて、少ししっとりした手触りが伝わってくる。ぽちはほんの少しの間、耳を伏せてにおいをかいでいた。が。

(おんなのこ?)

 納得したらしい。目をほそめて、自分から耳を。こめかみを押し付けてきた。

「よしよし、ここが痒いんだね……」

 第一関門のロイ、第二関門の風見はクリアした。残るは第三関門。ある意味最大の難関だ。

「Hello.ぽち!」

 ランドールは持てる力の全てを振り絞り、柔らかな声を出した。少なくとも本人はそのつもりだった。
 落ち着け。自分の容姿は母譲りだ。似ているはずなんだ。その事実を思い出し、記憶の中の母のしぐさを真似た。

「………んふぅ」

 ぶわっと鼻息で髪の毛が舞い上がる。ぽちはうっすらと口をあけて舌を出し、目を細めている。開いた口元にぞろりと白い牙がのぞいている。この表情は見覚えがあるぞ。サンダーがとても嬉しい時に見せる、あの顔だ。
 どうやらほほ笑んでいるらしい。

「よしよし、いい子だ」

 手を伸ばして目元を掻いてやった。

(あー、そこ、そこ、そこっ)

 後足がぱたぱた動いている。気持ちいいのだろう。

「よしよし、ここだね……」
(んんーごくらくー)

 ぽちはくいくいとランドールに体をすりよせ、押し付けて。母鹿に甘えるしぐさそのままに、鼻をつっこんだ。
 あったかくて、ふわふわしている場所に。赤ん坊の頃、お乳を吸う時の記憶の導くままに。

「ははっ、くすぐったいな。意外に甘えん坊さんなんだな、君は」
(うふ、うふ、うふーっ)

 もふもふしていると、ふと。
 耳の後ろに、ぐりぐりと何かが当たる。スカートの内側でぽっこりと盛り上がっている『何か』が。さらに鼻の先に、もしゃっと奇妙な感触が触れる。

(あり?)

 それは、女性なら決して存在しないもの。
 分厚い胸板を覆う、ふっさふっさの、胸毛と、そして……

「!!!!!」

 一瞬硬直したポチの背中の毛が、びーっと一列に逆立って行く。同時にしっぽの毛がぶわっと爆発した。まるで巨大なモップだ。

「あ」
「やばい、かも」

(おとこのひとーっ)

 耳をぺたっと伏せて牙を剥き、ずざざざーっと倍速ダッシュで後ずさり。

「しまった!」
「ばれたっ!」
(おとこのひと、いやーっっ)
「落ち着いて、ぽち!」

 サリーは呼びかけ、さっと片手掲げた。手のひらにぽぅんっと丸い、赤い果実が出現する。涼やかな香りは、まさにもぎたてそのもの。

「ほーら、リンゴだよー」
(あ、りんご)

 好物に引かれて、ぽちの注意がそれる。

「ランドールさん、今のうちに!」
「プランB発動デス!」
「わかった!」

 さくさくとリンゴを食べ終り、ぺろりと口の周りを舐める。改めてぽちが振り返ると、そこには……
 真っ黒な毛皮に覆われた、四つ足の生き物しかいなかった。がっしりした鼻面、太いしっぽ、ぴんと立った三角形の耳に青い瞳。
 これなら、しょっちゅう見てる。珍しくもない生き物だ。

「………」

 じろりと一べつすると、ぽちは文字通り、ふっと『鼻で』笑った。

(何だ、犬か)

 動物同士、何やら通じるものがあったらしい。いや、たとえそうでなくても、ぽちの思ったことはその場にいる全員に伝わった。

(狼だーっ)

 野生のプライドを踏みにじられ、暴れるランドールの首に素早く羊子は腕を巻き付けた。抑えた。

「どーどーどー、カル、落ち着いて、落ち着いて……」
(ええい、離せ、ヨーコ! 今すぐあいつに、どっちがボスか思い知らせてやるーっ)
「草食動物とまともに張りあってどうするの?」
(はっ)
「狼の誇りはどうした」
(そ、そうだった)

 姿は変わっているが、あれは所詮、鹿なのだ。

 その鹿とまともに張りあってる時点で、既に人間としてかなり情けないのだが……突っ込む者は、だれもいないのだった。

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