▼ 【ex11-4】いざ出陣
フクロウが一羽、サンフランシスコの夜空を飛んでいる。白い翼をはためかせ、凍てつく空気をかいくぐり。
もしもこの時間に活動する熱心なバードウォッチャーがいたなら、我が目を疑ったろう。小柄な体躯のその鳥は、本来ならカリフォルニアには存在しないはずの種類なのだから。
小さなフクロウは、一軒の家に狙いを定めて徐々に高度を下げて行く。広い庭のある窓の大きな切妻屋根の木造家。海沿いに並ぶ別荘の一軒だ。
ふわりと白い翼が空気を含み、広がる。翼は空中でコートに変わり、かすかな足音とともに、すらりとした小柄な人影が玄関に降り立った。
「……ふぅ」
風に吹き乱された髪をちょい、ちょいと手で整えると、サリーは呼び鈴を押した。
ほどなく扉が開いて家の主が現れる。
「やあ、サリー。待っていたよ」
「こんばんわ、ランドールさん」
やや遅れてにゅうっと真っ黒い、もこもこした生き物が顔を出す。
「Hi,サンダー。元気そうだね」
「きゅううん」
わっさわっさと太いしっぽが左右に揺れる。テディベアによく似た顔立ちは、まだ丸みを帯びてあどけない。しかし、大きさは既にレトリバーの成犬に追いつきそうだ。
「入ってくれ」
「お邪魔します」
先に立って歩くランドールの顔を見上げながら、サンダーはちょこまかと歩いて行く。黒い瞳に信頼と、混じりっ気のない純粋な愛情をみなぎらせて。高々と上がったしっぽがまるで旗のようだ。
(良かった……)
アニマルシェルターに保護された時、サンダーはガリガリに痩せ衰え、毛並もぼろぼろ。ノミにたかられ、目はめやにで半ばふさがり、傷だらけで怯え切っていた。あらゆる生き物を敵視し、白い牙をむいてケージのすみっこで震えていた。
あれから三週間。飼い主の愛情と二人の獣医師の努力の結果、見違えるほど元気になった。
出会ったその瞬間から、黒い子犬はランドールを群のボスと認めた。そして、新しい名前をもらったのだった。
廊下を通り、庭に面した、窓の大きな部屋へ。食堂、リビング、キッチンが全て一つの広々とした空間に配置されている。
毎日の暮らしにはいささか不便だが、週末を過ごすには丁度良い。
実際、ランドールはここを愛犬と過ごすためのセカンドハウスとして借りていた。
「ここで、いのかな」
「はい。この部屋が一番、結界を張るのに適しているんです」
「確かに気持ちいいね。サンダーもここがお気に入りだ」
「動物は、そう言うのに敏感ですから……マンションのリフォームは順調ですか?」
「ああ。テリーくんのアドバイスのお陰だよ。サンダーと過ごすのに最適な環境を準備することができそうだ」
ランドールのマンションは目下のところ、愛犬との同居仕様に改装中なのだった。
「それじゃ、準備するから……サンダー、いたずらしないでね?」
「わうん」
「そら、お前のお気に入りだよ」
「きゅっ」
黒い子犬は素直にゴムのワニをくわえて寝床へと歩いてゆき、ころん、と寝転がった。
サリーは持参した鞄から塩をとり出し、東西南北に合わせて四角く盛り塩を置いた。
「ずいぶん簡単な結界だね」
「ここは、エナジーの流れが澄んでいますから。軽く整えるだけで十分なんです」
「なるほど」
二人は塩の結界の中に立ち、サリーが携帯を開く。
「準備できたよ、よーこちゃん」
※ ※ ※ ※
鈴の音と祝詞とともに、昼と夜とが一つに重なり、境目が揺らぐ。
枕元に付きそう白い猫に導かれ、狩人たちは少年の夢に『ダイブ』した。
「っと……ここは?」
「サンフランシスコ……かな、一応」
坂の多い海辺の町。建物、道、道路標識、カタカタ走るケーブルカー。見慣れた景色をそっくり色あせたペーパークラフトに置き換えたような、薄っぺらな光景が広がっている。そのくせ手で触れると、ちゃんとしっかりした実体があり、重みと厚みがあるのだ。
黄色がかった砂色の空から、雨が降っていた。延々と降り注ぐ雫が肌に触れる感触は極めて希薄で、音すらもどこか空ろで……。
紙細工の町の中、五人の狩人たちだけが確かな色と形を備えている。
巫女装束をまとった二人と、浅葱色の陣羽織の若侍、忍び装束の青もまぶしい金髪忍者、そして黒いマントに身を包んだ長身の吸血紳士。
「元気そうだね、ヨーコ」
ランドールは身をかがめ、なめらかな額に口づけた。
「あなたもね、カル……」
彼女は目を細めてほほ笑むと、頬にキスを返してくれた。ほっそりした指先が髪をなでる。小鳥が頬ずりするようなくすぐったい感触に思わず首をすくめた。
「むぅ……」
そこはかとなく不穏な気配を感じて顔を上げる。コウイチがじとーっと目を半開きにしてこっちをにらんでいた。
何やら拗ねているような気配がした。仲間外れにされた、とでも思ったのだろうか。静かにヨーコを離し、若武者姿の少年に向き直った。
「やあ、コウイチ!」
両腕を広げて歩み寄ると、彼はするっと体を捌いて前に踏み出してきた。自然と差し出された右手を握る形になる。
(この手が。この腕が、さっきまで先生を……)
むっ、とした。自分はこれまで、ずっと先生の背中を任せられてきた。口に出さずとも互いに何を思い、何を託されるか通じた。
それなのに。
その瞬間、胸の奥でくすぶっていた小さな苛立ちが泡立ち、年長者への礼儀を上回った。ランドールの手のひらを握りしめ……ぎちっと力を込める。
(負けるもんかっ)
すぐに握り返してきた。同じくらいの力と、親しみを込めて。
ちらりとも不審に思っていない。不愉快とも思っていないのだ。大人の余裕を感じた。自分一人がムキになって、ジタバタしているような……。
「元気そうだね」
「ランドールさんも」
挨拶が終るか終らないかのうちに、ひゅっと青い風が吹き抜け……気がつくと。
「お久しぶりデス!」
「やあ、ロイ」
ランドールはがっちりと、金髪ニンジャと固い握手を交わしていたのだった。
(何っ? いつ入れ替わったんだ、ロイ!)
風見光一は秘かに友の早業に驚愕し、同時に心の底から称賛せずにはいられなかった
(さすがだな……俺もまだまだ修業が足りない)
そんな三人を見守りながら、サリーはほこほこと花のほころぶような笑みをうかべていたのだった。
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