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ローゼンベルク家の食卓

【ex11-1】獏を呼べ

2010/07/26 0:52 番外十海
 
 ベッドで眠る金髪の少年が二人。骨格も肌の色合いも、顔も体つきも瓜二つ、違いと言えば髪の毛の長さと着ている寝巻きの色ぐらいだ。浮かべる苦悶の表情さえもそっくりな双子は目を閉じて固く抱きあい、がたがたと震えていた。

(互いの存在こそがこの世で唯一の支え。この手を離せば荒れ狂ううねりに飲み込まれ、ばらばらに引き裂かれてしまう)

 黒い『もや』のようなものが、二人にまとわりついている。
 汗ばむ首に巻き付き、顔に貼り付き、手足をからめとろうとするその動きには、明らかに意志が。それも、良からぬ意志が宿っている。双子がもがき苦しむにつれ、うっすらと空気の中に有るか無しかの密度でしかなかったものが、次第に濃さを増していた。
 
 ……と。
 細く開いたドアから一直線に、たーっと白い生き物が飛び込んできた。

「んにゃおうーっ、うにゃーっ!」

 猫が吠える。全身の毛をもわもに逆立たせて。
 首輪につけた鈴が鳴り響き、ぱっと黒い『もや』は散った。

「ふーっ、ふーっ!」
「どうした、オーレ」

 どっしりとした足音が猫に続いて入ってきた。うなされる双子を見るなり、枕元に駆け寄る。
 
「シエン……オティア!」

 ぱちり、と二人は目を開けた。
 怯えた紫の瞳が室内をさまよい、一人は白い小猫を抱きしめて。もう一人は、温かな広い胸板にしがみついた。

「ディフ……ディフっ!」
「大丈夫だよ……大丈夫だから」

『まま』は静かな声で少年に語りかけ、大きな手でゆっくりと背中を撫でる。

 首筋から肩を伝い、背を覆うゆるく波打つ赤い髪に向けて、じわり、と……うす黒い『もや』が忍び寄っていた。
 散ったかに見えた闇は、ベッドの下に。天井の隅に。散り散りになって隠れていただけなのだ。
 
 
 ※ ※ ※ ※

 
 長い長い石段を上った先の、こんもり茂った緑の森の懐奥深く、その神社は在った。
 ひっそりと。
 森の空気に溶け込むようにして、ひっそりと。

 土地の神、龍の神、そして雷の神を御祭神にいただくその社は『夢守り神社』と呼ばれ、悪夢を祓い、すこやかな眠りをもたらすとして近在の人々に厚く信奉されている。

 普段は記憶の底に埋もれていても、必要とされる時には何故かふっと心に思い浮かぶ。
 その名を代々の祭祀の一族にちなみ、結城神社と云う。

「あの双子が狙われてるの」
「またですか?」
「そうよ。今度はシエンが夢魔に取り憑かれている」
 
 社務所に続く住居の居間。その炬燵でぬくぬくと温まりながら、結城羊子は物騒な言葉をあっさり口にした。

「シエン……えーっと、髪の毛が長くて、穏やかな感じのする方の子でしたよね」
「そうよ」
「クリスマスに、先生とディーンと粘土で遊んでた」
「そうよ」

 風見光一とロイ・アーバンシュタインはサンフランシスコでの記憶をたぐった。

 三人の目の前には、椀に満たされた自家製の甘酒がほこほこと湯気を立てている。白いとろりとした甘い飲みものの中には、めいめいこんがり焼いた餅が一切れずつ浮いている。甘酒が染みて、いい感じにとろとろになるのを待っている所なのだ。
 炬燵の中には神社で飼われている猫が三匹、もこもこと団子になっていて、ストーブの前にはゴールデンレトリバーの太一郎さんがのびのびと横になっている。

 これ以上ない、と言うくらいにのんびりほっこりした空気の中で、行われているのは夢魔の掃討作戦の打ち合わせなのだった。
 そう、彼らこそはナイトメア・ハンター……人の心の闇に巣くう悪夢と戦い、現実への侵食を食い止める使命を帯びた、夢の守り人。

「あの双子は、人にはない不思議な力を持っている。そして過去に恐ろしい体験をしている……二重の意味で、夢魔にとっては美味しいエサなんだ」

 羊子は目を細めて、ず……と甘酒をすすった。

「強い絆で結ばれている子たちだからね。一人を餌食にすれば、もう一人も網にかかったも同じ。さらに家族にもじわじわと手を伸ばして行って……」
「くそっ、これじゃクリスマスの二の舞いだ!」

 だん、と風見は拳で炬燵の天板を叩いた。
 
「にゃぐっ」
「みゃうっ」

 下から猫たちの抗議の声があがった。

「あ……ごめん」
「にゃうー」
「焦るな、風見。山羊角の魔女どもの時に比べれば、ずっと早く気付くことができたんだ。こっちもそれだけ『警戒』してたしな」
「はい……」
「どんな狩りも、無駄じゃないんだヨ、コウイチ!」
「そうだな、ロイ!」

 ん、いい顔だ。

 教え子二人を見守りつつ、羊子は満足げにうなずいた。
 悪夢狩りはいつだってギリギリだ。余裕なんてない。それでも夢魔との戦いをくぐり抜けるたびに、着実に二人とも強くなっている。いい漢に育ってる。
 この間のメリジューヌ事件では、この子たちに助けられてしまったくらいだ。
 今は二月。彼らの『先生』でいられるのも、あと一年と少しなのかと思うと……目覚ましい成長ぶりが寂しくもあり、誇らしくもある。

「先生?」
「ドウカしましたか?」
「あ、うん、何でもない……さて、と。風見の言うことも、もっともだ。この際だから、徹底的に大掃除しちゃおうと思うの」
「大掃除?」
「そうよ。あの子たちの心には、過去の壮絶な体験の残した傷が、真っ黒な泥沼みたいにとぐろを巻いている。隙あらば意識の殻を割って外に吹き出そうと、どろりどろりと蠢いている……だ、か、ら」

 ぱしっと羊子は両手を打ち合わせた。

「根こそぎ吸い出しちゃおう!」
「そんな事ができるんデスカ?」
「できるよ」
「あっさり言った!」
「まあ、実際には『夢魔』に成る前のじくじくじわじわを、ごっそりまとめて浄化しちゃうんだけどね」
「あ、なるほど。生える前に苗床を取り除こうってことですね」
「そゆこと」
「でも、どうやって?」

 羊子は巫女装束の懐から、するりと平べったい布の袋を取り出した。

「これ、なーんだ」
 
 baku_mono.png
 illustrated by Kasuri

 やわらかな布の袋の表面には、心地よさそうに眠る霊獣『獏』の姿がプリントされていた。

「これは……結城神社の『夢守り獏』ですね」
「枕の下に引くアレですね」
「そうよ。お好きな香りを入れて使える、枕サッシュタイプ」

 爾来、獏の絵姿を枕の下に敷いて眠れば、悪夢を防ぐ。見ても正夢にはならない、と言い伝えられている。
 夢守り神社の別名を持つ結城神社では、昔ながらの絵姿に加えて、獏をプリントした枕サッシュも販売しているのだ。中にポプリやアロマオイルを染み込ませた紙を入れて、香りを楽しむことができる安眠グッズとして。
 単に絵姿を敷くより気軽に使えると、若い女性を中心に人気がある。袋のみならず、不安を取り除き、安眠をもたらす効果のあるポプリをセットしたものもある。

「答えは、ここにあるの。いや、居ると言うべきかな」

 羊子は、ちょん、と袋に描かれた『獏』をつついてにまっと笑った。

「え?」
「獏?」
「そうよ。結城神社に代々伝わってきた強力な守護獣……悪夢を吸い取り、浄化する霊獣『獏』を出動させます」
「そ、そんなグレートなガーディアンが、いるんですかっ」
「さすが先生、ハンパないっすね! そんなすごい式神を呼べるなんてっ」

 色めき立つ少年二人に向かって、羊子はぱたぱたと手を振った。

「……あ、こらこら、慌てるな。別に私の式じゃないから」
「へ?」
「結城神社(うち)の『獏』はね……代々、神社の神獣を依り代としているの」
「あー、なるほど。人じゃなくて動物に憑いてるんですネ」
「そゆこと」

 ん?
 風見とロイは首をひねり、しかる後に顔を見合わせた。
 神社のご神獣。多くの場合は馬が『神馬』としてその役割に在るが、ここの神社は鹿島神宮と同じく『鹿』だ。

「ひょっとして……」
「今の『獏』は……」
「うん、ぽちだよ」
「やっぱりーっ!」

 風見は頭を抱えた。

「あいつ、俺の言うことぜんっぜん聞いてくれないんだよなあ」
「それなのよ」

 へばーっと羊子は盛大にため息をついた。

「強力なんだけどさー、動物なだけに、飽きっぽいって言うか、気まぐれって言うか……興味無くすと、勝手に自主的にドリームアウトしちゃうんだよね」
「そ、ソレハ困りマスね」
「しかもあの子、男の人が嫌いでしょ?」
「あー、確かに……」

 風見の言うことはてんで聞かなかった。そのくせ、巫女姿のロイがにっこりほほ笑むと、自分からとことこと近づき、大人しく手入れされていた。

「夢の中に誘い込むのは、割と簡単なのよ。私とサクヤちゃんが呼べば、大喜びで飛んでくるからね。でも問題は、その後だ。シエンは男の子だし……」
「うーん」
「困った」

 どうにかして、作戦終了まで、ぽちのご機嫌を損ねないようにしないといけない。
 単純に夢魔とどつき合うより、難易度が高そうだ。

「犬なら楽なのにな……」
「そうね、犬ならね……」
「わふ?」

 三人は顔を見合わせ、ずぞー……っと甘酒をすすった。

「あ、いいなこれ。お餅の焦げたとこがふやけてとろとろに溶けてる」
「お汁粉風だネ」
「おかわりあるよ?」

 羊子先生のお椀は、既に空っぽだった。

(ああ、今、ものすごーく悩んでるんだな……)
(悩んでるネ……)

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