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ローゼンベルク家の食卓

【5-3-5】ディフ買い物に行く

2011/11/13 0:06 五話十海
  
 些細な出来事ではあったけれど、紅茶の一件は確実に一つの区切りとなった。
 何故ならそれ以降、レオンがマイケル・フレイザー寮長に苦情を言う回数は劇的に減ったからだ。(マイクにとって、そしてディフにとっても幸運なことに!)

 それからと言うもの、ディフは時間さえ合えばレオンと同じテーブルで食事をとるようになった。夕食のみならず、時には朝食までも。
 レオンは若干、迷惑そうな素振りを見せたものの、強固に拒絶することもなく。
 寮生たちが冷や冷やしながら見守る中、氷の『姫』と赤毛の野生児が一緒に食事をする風景は、徐々に日々の暮らしに馴染んで行った。

 食事の後は(別々にではあったけれど)部屋に戻る。
 大抵、レオンの方が先になる。
 ディフが戻ると、レオンが紅茶を入れている。そのまま何となく一緒に飲む。
 レオンにしてみればあくまで「ついで」だ。もともと二杯分入れて、自分で全部飲んでいたところを半分、ディフに飲ませているのに過ぎない。
 赤毛のルームメイトは飽きもせずにレオンが紅茶を入れる手際を見守り、しきりに感心する。

「まるで化学の実験みたいだな!」

 微妙な表現だ。正確で手際がいい、とでも言いたいのだろうか?

 体育会系の学生にしては珍しく、マクラウドは勉強は真面目にやっている。ただ、得意不得意は目に見えてはっきりしていた。
 数学はそれなりにできるようだが国語は苦手、歴史は時々欠伸をする。
 だが、化学に関しては別格だった。これが同じ人間かと思うほど目覚ましい集中力を発揮し、明らかに授業より先まで読み進めている。科学雑誌も愛読しているようだ。

 以上の事実を鑑みて、どうやら褒め言葉らしい、と判断することにした。
 紅茶を飲む時は、厚手のマグカップを両手で抱えてしみじみ味わっている。茶葉の違いや入れ方の変化にもちゃんと気付き、反応してくる。
 悪い気はしない。
 レオンハルト・ローゼンベルクとて人間である。
 いかに他人に無関心と言えども、自分のした事が他人に評価される実感を得るのは、やはり嬉しいことなのだ。

 一方、ディフにとってもこの食後のティータイムは楽しい時間だった。
 友人たちとの他愛のないおしゃべりや、談話室でのひと時より優先するだけの価値は充分にあった。
 飲み終わってまだ時間があったら、もう一度談話室まで足を運べばいいのだから。
 
 寮の食堂や、学食とは比べ物にならないくらい、クリアな味と香りの美味い紅茶が飲める。
 それに、紅茶を入れる時のレオンの仕草は見ていて気持ちいい。飲む時は目に見えて険しさが薄らぎ、とても穏やかな顔をしている。

(こいつ、別に飲み食いするのが嫌いな訳じゃないんだな)
(ちゃんと、飲む楽しみを。味わう楽しみを知ってるんだ……口に合うものさえ手に入れば)
 
     ※
 
 2人の少年宛にそれぞれ荷物が届いたのは、そんなある日のことだった。
 レオンには市内に住む執事のアレックスから。ディフには、テキサスの実家から。
 それぞれ受けとった箱をベッドの上に載せて、開封する。

「お」

 ディフ宛の箱には、冬物の厚手の靴下やネルのシャツにセーター、手袋が詰まっていた。
 みっちり分厚いセーターを広げ、首を傾げる。

「シスコでこんなの使うかなぁ……」
「冷え込む日もある。あっても困るものではないだろう」
「そっか」

 さらりと答えるレオンの箱からは、四角い缶に入った紅茶と、布に包まれたティースプーンにフォークが一そろい。

「……それ、いつも紅茶入れる時に使ってる奴だろ?」
「ああ、これは」

 レオンは簡易キッチンの食器棚から、全く同じ銀のカトラリーを1セット取り出し、入れ替えていた。

「スペアだ」
「スペア?」
「銀器は、使うと曇るから」
「そーなんだ」

 寮生の中には、まったく自分で洗濯もせず、実家から着替えが届くたびに汚れ物を送り返す『強者』もいる。だが、それとは明らかにレベルが違うような気がした。

(うん、さすがに銀のスプーンと汚れた靴下を一緒にしちゃいけないよな)

 冬物の衣類をクローゼットに収めていると、荷物の底から、小さなタッパーが出てきた。

「あれ?」

 どうやら、冬物衣類を衝撃吸収材(shockabsorber)代わりに使ったらしい。
 ぴっちり密封されたタッパーの中には、小麦粉を焼いて作った平べったい丸や四角。
 見慣れた手作りのクッキーが入っていた。添えられたカードには母の字が並んでいる。

『無事に着いたらおめでとう! お友だちと一緒に食べてね』

 奇跡的にクッキーは無事だった。
 ディフォレスト・マクラウドは素直な息子だった。食後のお茶の時間に、母から届いたクッキーを皿に載せて出してみた。

「これは?」
「家から送ってきたんだ。お袋の手作りだ。余計なもんは入ってないから美味いぞ?」
「……」

 レオンは迷った。
 勧められたものを断るのは、礼儀に反する。また、今日の夕食は揚物がメインだったのでいつもに増して食が進まず、少しばかり空腹だった。

「もらおう」

 一つつまんで口に入れる。

「あ……」

 それは、ほんとうに久しぶりにレオンが口にしたお手製(ホームメイド)の味だった。小麦粉と、砂糖と、牛乳、バター、少量のナッツ。余計なものは入っていない。過度に甘くない。ちくちくと口を刺す妙な刺激もない。家で焼いたクッキーならではの、素直な味。
 万事につけて完ぺきなアレックスには遠く及ばなかったけど……
 だからこそ、ほうっと肩の力が抜けるような、やわらかな味。

     ※

 翌日。
 タッパーに詰まったマクラウド母お手製のクッキーは、聖アーシェラ高校の一年生の教室でふるまわれていた。

「んー、んまい!」
「ホームメイドのクッキーってさ、絶対、家で焼かないとこの味にならないんだよねー」
「何当たり前のこと言ってんの」
「あ、でもそれ何となくわかる。ウチの味とはちょっと違うんだけどさ。やっぱ『家で焼いた』クッキーなんだよな」
「そーそー、お店で売ってるのとは、違うのな。 舌の上にチクチクするものがない!」
「うれしいな、これヘーゼルナッツじゃん! 日本じゃなかなか手に入らないんだ!」
「うっそ、信じらんない!」
「チョコチップ入ってないよ、チョコチップ……」
「お前はどんだけチョコ食う気だ!」

 クッキー談義の最中、何気なくヒウェルは尋ねてみた。

「で、どーよ。新しいルームメイトとはその後、上手く行ってる訳?」
「うん。出てけ、とか言われてないし」
「そーゆーレベルかよ……」
「夕食の後、俺の分も紅茶いれてくれるようになった」
「ふーん?」

 ぴくり、と眉をはね上げるとヒウェルは眼鏡の位置を整えた。

(こいつは、ひょっとしてひょっとすると。進歩なんじゃないか?)

 ディフの根無し草的な住宅事情を、彼は大いに心配していたのだ。いざとなったら、いつでも里親に頼み込めるように。『しばらく友だち泊めてもいい?』と。

「良かったじゃないか!」
「でもさー、あいつの使ってるお茶っ葉って多分すげー高いと思うんだ。昨日、ちらっと届いた缶見たんだけど。クリスマスのギフトなんかで、たまにもらうようなレベルの奴だった!」
「どーゆー基準だ」
「でも何となくわかる」

 ヨーコがまじめ腐った顔でうなずいた。

「自分の家じゃ、まず買わないようなレベルの高級品ってことね?」
「そう、そうなんだよ! だから俺、なんかでお返ししたいなって思って」

 友人一同、無言で顔を見合わせる。

『何て律義な奴なんだ』
『ってか、遠慮するって選択肢は、ないんだ』

 わざわざ言葉に出さずとも、何となく通じ合っていたのは皆、それだけディフのことをよく理解しているからだ。

「……いいんじゃない?」
「うん。でも金出すのはやめとけ?」
「えー。一番楽なのに……お茶代半分出すぜ、とかさ」
「落ち着け。そもそも、とんでもない高級品なんだろ? お前、半分も出せるのか?」
「……無理」

 がっくり肩を落とすディフの背中を、ぽん、とヨーコの小さな手が叩く。

「こう言う時は、消え物の方が、お互い気負わずにすむよ、マックス」
「消え物?」

 ディフは目をまんまるにして首をかしげた。

「透明遮蔽装置(クローキングデバイス)でもつけろってか!」
「……………いや、そーゆー意味じゃなくてね」

 ヨーコは眼鏡を外して眉の間をもみほぐし、掛け直した。
 ああ、そうか。この子には難しい言い回しは不向きなんだ。思考が直球過ぎて、日本人的な遠回しな表現は、素通りしてしまうのだ……多分。

「よーするに飲み食いするもの、ってこと」
「あー」

 ぽん、と手を叩いてる。今度は通じたらしい。
 
     ※
     
 その日の放課後、ディフは買い物に出かけた。いつも牛乳を買うスーパーマーケットで、パンと卵と、ベーコンを買った。

「……あ」

 慌てて塩とコショウ、マーガリンをカゴに入れる。さらにトマトケチャップと砂糖も追加。家の台所と違って、寮のキッチンには何もないんだ。

(えーっと、後何があったっけ……)

 首をひねっても出てこない。もうちょっと手伝いをしとけばよかったか、と後悔する。

(いいや、足りないのがあったら、食堂から借りてこよう)

「っと、道具も要るな!」
 
 幸い、皿やフォークは部屋に備え付けのがあった。
 いつも前を素通りするキッチン用品の売り場の前で、今日は腕組みして仁王立ち。
 ためつすがめつ品定め。

「フライパンと、フライ返し……は絶対に必要だな!」

 そして忘れちゃいけない、木のフォーク。(これが一番肝心だ!)

「うーん、結構な出費になるぞ……厳しいなあ」

 でも、ここで買っておけば、ずっと使える。

「……よしっ!」

 8インチサイズのフッ素加工フライパン、12ドル(およそ950円)でお買い上げ。
 
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