▼ 【5-3-5】ディフ買い物に行く
些細な出来事ではあったけれど、紅茶の一件は確実に一つの区切りとなった。
何故ならそれ以降、レオンがマイケル・フレイザー寮長に苦情を言う回数は劇的に減ったからだ。(マイクにとって、そしてディフにとっても幸運なことに!)
それからと言うもの、ディフは時間さえ合えばレオンと同じテーブルで食事をとるようになった。夕食のみならず、時には朝食までも。
レオンは若干、迷惑そうな素振りを見せたものの、強固に拒絶することもなく。
寮生たちが冷や冷やしながら見守る中、氷の『姫』と赤毛の野生児が一緒に食事をする風景は、徐々に日々の暮らしに馴染んで行った。
食事の後は(別々にではあったけれど)部屋に戻る。
大抵、レオンの方が先になる。
ディフが戻ると、レオンが紅茶を入れている。そのまま何となく一緒に飲む。
レオンにしてみればあくまで「ついで」だ。もともと二杯分入れて、自分で全部飲んでいたところを半分、ディフに飲ませているのに過ぎない。
赤毛のルームメイトは飽きもせずにレオンが紅茶を入れる手際を見守り、しきりに感心する。
「まるで化学の実験みたいだな!」
微妙な表現だ。正確で手際がいい、とでも言いたいのだろうか?
体育会系の学生にしては珍しく、マクラウドは勉強は真面目にやっている。ただ、得意不得意は目に見えてはっきりしていた。
数学はそれなりにできるようだが国語は苦手、歴史は時々欠伸をする。
だが、化学に関しては別格だった。これが同じ人間かと思うほど目覚ましい集中力を発揮し、明らかに授業より先まで読み進めている。科学雑誌も愛読しているようだ。
以上の事実を鑑みて、どうやら褒め言葉らしい、と判断することにした。
紅茶を飲む時は、厚手のマグカップを両手で抱えてしみじみ味わっている。茶葉の違いや入れ方の変化にもちゃんと気付き、反応してくる。
悪い気はしない。
レオンハルト・ローゼンベルクとて人間である。
いかに他人に無関心と言えども、自分のした事が他人に評価される実感を得るのは、やはり嬉しいことなのだ。
一方、ディフにとってもこの食後のティータイムは楽しい時間だった。
友人たちとの他愛のないおしゃべりや、談話室でのひと時より優先するだけの価値は充分にあった。
飲み終わってまだ時間があったら、もう一度談話室まで足を運べばいいのだから。
寮の食堂や、学食とは比べ物にならないくらい、クリアな味と香りの美味い紅茶が飲める。
それに、紅茶を入れる時のレオンの仕草は見ていて気持ちいい。飲む時は目に見えて険しさが薄らぎ、とても穏やかな顔をしている。
(こいつ、別に飲み食いするのが嫌いな訳じゃないんだな)
(ちゃんと、飲む楽しみを。味わう楽しみを知ってるんだ……口に合うものさえ手に入れば)
※
2人の少年宛にそれぞれ荷物が届いたのは、そんなある日のことだった。
レオンには市内に住む執事のアレックスから。ディフには、テキサスの実家から。
それぞれ受けとった箱をベッドの上に載せて、開封する。
「お」
ディフ宛の箱には、冬物の厚手の靴下やネルのシャツにセーター、手袋が詰まっていた。
みっちり分厚いセーターを広げ、首を傾げる。
「シスコでこんなの使うかなぁ……」
「冷え込む日もある。あっても困るものではないだろう」
「そっか」
さらりと答えるレオンの箱からは、四角い缶に入った紅茶と、布に包まれたティースプーンにフォークが一そろい。
「……それ、いつも紅茶入れる時に使ってる奴だろ?」
「ああ、これは」
レオンは簡易キッチンの食器棚から、全く同じ銀のカトラリーを1セット取り出し、入れ替えていた。
「スペアだ」
「スペア?」
「銀器は、使うと曇るから」
「そーなんだ」
寮生の中には、まったく自分で洗濯もせず、実家から着替えが届くたびに汚れ物を送り返す『強者』もいる。だが、それとは明らかにレベルが違うような気がした。
(うん、さすがに銀のスプーンと汚れた靴下を一緒にしちゃいけないよな)
冬物の衣類をクローゼットに収めていると、荷物の底から、小さなタッパーが出てきた。
「あれ?」
どうやら、冬物衣類を衝撃吸収材(shockabsorber)代わりに使ったらしい。
ぴっちり密封されたタッパーの中には、小麦粉を焼いて作った平べったい丸や四角。
見慣れた手作りのクッキーが入っていた。添えられたカードには母の字が並んでいる。
『無事に着いたらおめでとう! お友だちと一緒に食べてね』
奇跡的にクッキーは無事だった。
ディフォレスト・マクラウドは素直な息子だった。食後のお茶の時間に、母から届いたクッキーを皿に載せて出してみた。
「これは?」
「家から送ってきたんだ。お袋の手作りだ。余計なもんは入ってないから美味いぞ?」
「……」
レオンは迷った。
勧められたものを断るのは、礼儀に反する。また、今日の夕食は揚物がメインだったのでいつもに増して食が進まず、少しばかり空腹だった。
「もらおう」
一つつまんで口に入れる。
「あ……」
それは、ほんとうに久しぶりにレオンが口にしたお手製(ホームメイド)の味だった。小麦粉と、砂糖と、牛乳、バター、少量のナッツ。余計なものは入っていない。過度に甘くない。ちくちくと口を刺す妙な刺激もない。家で焼いたクッキーならではの、素直な味。
万事につけて完ぺきなアレックスには遠く及ばなかったけど……
だからこそ、ほうっと肩の力が抜けるような、やわらかな味。
※
翌日。
タッパーに詰まったマクラウド母お手製のクッキーは、聖アーシェラ高校の一年生の教室でふるまわれていた。
「んー、んまい!」
「ホームメイドのクッキーってさ、絶対、家で焼かないとこの味にならないんだよねー」
「何当たり前のこと言ってんの」
「あ、でもそれ何となくわかる。ウチの味とはちょっと違うんだけどさ。やっぱ『家で焼いた』クッキーなんだよな」
「そーそー、お店で売ってるのとは、違うのな。 舌の上にチクチクするものがない!」
「うれしいな、これヘーゼルナッツじゃん! 日本じゃなかなか手に入らないんだ!」
「うっそ、信じらんない!」
「チョコチップ入ってないよ、チョコチップ……」
「お前はどんだけチョコ食う気だ!」
クッキー談義の最中、何気なくヒウェルは尋ねてみた。
「で、どーよ。新しいルームメイトとはその後、上手く行ってる訳?」
「うん。出てけ、とか言われてないし」
「そーゆーレベルかよ……」
「夕食の後、俺の分も紅茶いれてくれるようになった」
「ふーん?」
ぴくり、と眉をはね上げるとヒウェルは眼鏡の位置を整えた。
(こいつは、ひょっとしてひょっとすると。進歩なんじゃないか?)
ディフの根無し草的な住宅事情を、彼は大いに心配していたのだ。いざとなったら、いつでも里親に頼み込めるように。『しばらく友だち泊めてもいい?』と。
「良かったじゃないか!」
「でもさー、あいつの使ってるお茶っ葉って多分すげー高いと思うんだ。昨日、ちらっと届いた缶見たんだけど。クリスマスのギフトなんかで、たまにもらうようなレベルの奴だった!」
「どーゆー基準だ」
「でも何となくわかる」
ヨーコがまじめ腐った顔でうなずいた。
「自分の家じゃ、まず買わないようなレベルの高級品ってことね?」
「そう、そうなんだよ! だから俺、なんかでお返ししたいなって思って」
友人一同、無言で顔を見合わせる。
『何て律義な奴なんだ』
『ってか、遠慮するって選択肢は、ないんだ』
わざわざ言葉に出さずとも、何となく通じ合っていたのは皆、それだけディフのことをよく理解しているからだ。
「……いいんじゃない?」
「うん。でも金出すのはやめとけ?」
「えー。一番楽なのに……お茶代半分出すぜ、とかさ」
「落ち着け。そもそも、とんでもない高級品なんだろ? お前、半分も出せるのか?」
「……無理」
がっくり肩を落とすディフの背中を、ぽん、とヨーコの小さな手が叩く。
「こう言う時は、消え物の方が、お互い気負わずにすむよ、マックス」
「消え物?」
ディフは目をまんまるにして首をかしげた。
「透明遮蔽装置(クローキングデバイス)でもつけろってか!」
「……………いや、そーゆー意味じゃなくてね」
ヨーコは眼鏡を外して眉の間をもみほぐし、掛け直した。
ああ、そうか。この子には難しい言い回しは不向きなんだ。思考が直球過ぎて、日本人的な遠回しな表現は、素通りしてしまうのだ……多分。
「よーするに飲み食いするもの、ってこと」
「あー」
ぽん、と手を叩いてる。今度は通じたらしい。
※
その日の放課後、ディフは買い物に出かけた。いつも牛乳を買うスーパーマーケットで、パンと卵と、ベーコンを買った。
「……あ」
慌てて塩とコショウ、マーガリンをカゴに入れる。さらにトマトケチャップと砂糖も追加。家の台所と違って、寮のキッチンには何もないんだ。
(えーっと、後何があったっけ……)
首をひねっても出てこない。もうちょっと手伝いをしとけばよかったか、と後悔する。
(いいや、足りないのがあったら、食堂から借りてこよう)
「っと、道具も要るな!」
幸い、皿やフォークは部屋に備え付けのがあった。
いつも前を素通りするキッチン用品の売り場の前で、今日は腕組みして仁王立ち。
ためつすがめつ品定め。
「フライパンと、フライ返し……は絶対に必要だな!」
そして忘れちゃいけない、木のフォーク。(これが一番肝心だ!)
「うーん、結構な出費になるぞ……厳しいなあ」
でも、ここで買っておけば、ずっと使える。
「……よしっ!」
8インチサイズのフッ素加工フライパン、12ドル(およそ950円)でお買い上げ。
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