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ローゼンベルク家の食卓

【5-3-6】食卓のはじまり

2011/11/13 0:07 五話十海
 
 その日、レオンハルト・ローゼンベルクは肉の焼ける香ばしいにおいで目を覚ました。
 眠りから覚醒に至る直前の、あたたかな乳白色の海を漂いながら意識の片隅で考えた。

(何が焼けているんだろう?)

 ほわほわと記憶の泡が浮かんでくる。屋敷の食堂で、銀の器から白磁の皿に、うやうやしくアレックスがとりわけてくれたベーコンと卵。薄切りを2切れ、半熟のオムレツをきっちり卵一つ分。こんがりと焼いたトーストに紅茶を添えて……。

 がいん!
 
 金属と金属のぶつかるやかましい音に、いきなり意識が引き上げられる。過去から今へ、眠りの海から覚醒の岸辺へ。
 ぱちりと目を開ける。
 キッチンで大動物の動く気配がした。ベッドの上に身を起こし、寝起きの目を細めて凝視すると……

(何をやってるんだ、あいつ)

 マクラウドだ。首をすくめて今、まさに、おそるおそるこちらを振り返った所。皴の寄った眉根を起点に、眉毛が顔の外側に向かってきゅうっと下りのラインを描いている。

「ごめん、起こしちゃったか?」

 見ればわかるだろうに。何故、わざわざ聞く。憮然として言い返す。

「……何してる」
「ベーコン焼いてる」

 手に持ったフライパンには長いベーコンが四枚乗っかっている。表面は赤く焼け、じゅうじゅうと油のはぜる音が聞こえてきた。なるほど、においの出所はあそこか。

「何枚食う?」
「何故、聞く」

 ぱちくりとまばたきした。ヘーゼルブラウンの瞳が瞼に隠れ、また表れる。

「一人分作るのも、二人分作るのも同じだから」

 なるほど。
 ついぞ使った事のない、部屋に備え付けのオーブントースターが赤く光っていた。余熱しているらしい。シンクの台には、明るいベージュ色の殻の卵が二個、転がっている。
 卵とベーコン、そしてトースト。見た所、食堂の食事よりずっとシンプルだ。だがベーコンはアレックスが焼いてくれたものより、長い。

「一枚でいい」
「OK!」

 ぼんやりした頭でバスルームに入り、歯を磨く。ミントの香りに刺激され、徐々に思考がはっきりして来た。

(あいつ、何だっていきなり朝食なんか作り始めたんだろう?)

 顔を洗い、着替えを終える頃には、キッチンテーブルの上の皿にはスクランブルエッグが載っていた。正直、ちょっと意外だった。ゆで卵か、せいぜい目玉焼きだろうと思っていたのに。しかもぷるっとしていて鮮やかな黄色をしてる。
 目の前で得意げな顔をしているこのガサツな野生児が作ったとは、にわかには信じられなかった。

「トースト何枚食う?」

 見せられた食パンは、レオンの基準からすればかなり分厚かった。

「半分でいい」
「OK! お前小食だなー」
「君に比べればね……場所を空けてもらえるか?」
「うん」

 狭い台所ですれ違うと、鍋のヤカンに水を汲んでコンロにかけた。
 パンを食べるには、飲み物が必要だ。マクラウドは牛乳で充分だと考えているようだが、自分はそれでは物足りない。

「トーストにマーガリン塗るか?」
「いや、そのままでいい」

      ※

「できたぞ! さめないうちに食え!」

 小さなキッチンテーブルに、机の椅子を持ってきて向かい合って座った。
 こんな風に正面から向かい合うのは始めてだった。今まで食後の紅茶を飲む時は、それぞれの机に座って飲んでいたからだ。(ディフはたまにベッドの上)
 だけど今日は紅茶だけじゃない。

 白い丸い皿の上には、カリカリに焼いたベーコンと、黄色いスクランブルエッグ。
 レオンの分はベーコン一枚、厚切りトースト半分、スクランブルエッグの味付けは塩とコショウのみ。
 ディフの分はベーコン二枚に、マーガリンを塗った厚切りトースト一枚と半、スクランブルエッグにはケチャップが追加されている。

「あ」

 スクランブルエッグを口に入れると、レオンはほわっと顔をほころばせた。
 卵と、牛乳、塩とコショウ。余計なものが入っていない。過度に油ぎってもいない。意外なほど柔らかく、ふんわりしていた。

「……どうした?」

 どぎまぎしながらディフがたずねる。
 最初は目玉焼きにする予定だった。だけど、どうひっくり返していいのかわからなくて、結局こうなった。
 でもスクランブルエッグは得意なんだ。何てったって8才の時から作ってるんだから。
 初めのうちこそ失敗して、パサパサのパリパリにしてしまったが今はそんな事は滅多にない。
 目を大きく開いて、すはー、すはーっと鼻息で自分の前髪を吹き上げながら首を傾げる。
 期待と不安でアドレナリンをぶいぶい分泌する赤毛のルームメイトの目の前で、レオンは……

「君は、料理が上手いんだな」

 明るい褐色の目を細め、頬の緊張を解いた。唇がゆるやかに、優しい上向きの曲線を描く。

(笑った!)
(レオンが笑った! 初めて笑ったー!)

 不安から一転、ディフの頭の中にぱあっと花が咲き乱れた。白い花びらに囲まれた黄色い花糸。マーガレットの花が一面に。

(うわー、うわー、うわー、レオン、さいっこーに、可愛い! さいっこーにきれいだ!)
(どうしよう。すっげえ嬉しい。全力で走り回りたい気分だ!)

 目鼻の周りに散ったそばかすをくっきりと浮かび上がらせ、ディフは顔いっぱいに笑っていた。
 頬を赤くして、目尻を下げ、白い歯を見せて、文字通りパワー全開で。
 生えていたら絶対、しっぽも振っているだろう。目にも止まらぬ早さでぶんぶんと。

 それは、レオンハルト・ローゼンベルクが生まれて初めて返された、純粋で無垢な『喜び』だった。
 自らの言葉が。表情の変化が呼び起こしたとは、露ほども知らぬままに。

「また、作るよ!」
 
      ※
 
 こうして『食卓』が始まった。
 最初はたった二人きり。聖ガブリエル寮の三階、突き当たりの角の部屋で。
 トーストと、スクランブルエッグとベーコン、ストレートの紅茶を添えて……。
 後に『家族の食卓』に至る道のりの、小さな、最初の一歩。

(Tea for two/了)

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