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ローゼンベルク家の食卓

【5-3-3】ここ座っていいか?

2011/11/13 0:04 五話十海
 
 アイスホッケーの練習はけっこう汗をかく。
 競技をやるのは氷の上だけど、トレーニングの大半は土の上でやってるし。氷の上で練習する時は、土の上より動きが激しいから、やっぱり汗ぐっしょりになる。
 部屋に戻る前にシャワーを浴びて、汗まみれのトレーニングウェアから乾いた服に着替えた。レオンは汗臭いのが苦手みたいだし、俺が風呂上がりにいろちょろしてるのを見てもやっぱり不機嫌そうな顔をする。

 で、妥協案として部屋に戻る前に汗を流すことにしてみた。クラブの先輩も、その方がいいだろうって言ってくれたし、湯上がりにマッサージもしてくれた。
 でも運動したあと、熱いお湯あびて体がゆるむと、余計に腹が減るんだよなー。
 帰ったらすぐ食堂。帰ったらすぐ食堂って、呪文みたいに頭の中で唱えながら部屋に戻ってきた。

「ただいまーっ!」

 レオンはいなかった。いつもの事なんだけど、ちょっぴり寂しい。
 部屋の窓の外に見える夕暮れの空は、半分が濃い灰色で、半分は鈍いオレンジ色。
 明かりのついていない部屋の暗さが余計にくっきり際立って、寂しさを塗り重ねる。
 たまには、明かりの着いてる部屋に帰ってみたいなって思うけど、それはわがままってもんだろう。ホッケーの道具をクローゼットに放り込み、自分で明かりを着けてカーテンを閉める。
 もうちょっとだけ、待ってみよう。
 明かりのついてる部屋に帰ってきた方が、きっとレオンだって寂しくない。

 ベッドにころんとひっくり返って、雑誌を開く。いつもは買わない雑誌だけど、カリフォルニアのポリスの特集記事が載ってたんだ。

「うーん、やっぱりCHiPs(カリフォルニア・ハイウェイ・パトロール)ってかっこいいよなあ。メットとブーツでびしっと決めて、ハーレーに乗って……でも、この制服の色がなあ」

 明るめのベージュ。これ自体は、いい色だ。だけど赤毛との組み合わせは、ぽやっとして、いま一つしまらない。

「色がぴしっとするのは、やっぱこっちなんだよなあ」

 市警察のネイビーブルー。胸に輝く七芒星のバッジが眩しい。柄にもなく自分が着てる姿を想像してみたりする……。

(うん、悪くない)

 にまにましてたら、がちゃっとドアが開いて、軽やかな足音が入ってきた。
 レオンだ。
 のそっと起き上がる。

「お帰り!」
「……ああ」

 ちらっとこっちを見て、自分の机の方に歩いてった。抱えていた本を置いて、またすたすたとドアに向かう。

「どこ行くんだ?」
「食堂」

 ぱたん、とドアが閉まり、足音が遠ざかった。
 まるで、きれいないいにおいのする夢がふわーっと漂って来て、通り過ぎてったみたいだった。

「あ」

 我に返ると、きゅるるるきゅーっと腹が鳴る。そうだ、俺、腹ぺこだったんだ!
 
「よっと!」

 ベッドから飛び降りて部屋を出る。途中でレオンに会えるかな、と思ったけど追いつかなかった。あいつ、けっこう足早いんだな……。
 
     ※
 
 寮の食堂は、男子寮と女子寮の真ん中にある。昔は別々だったらしいけど、今は男女共通だ。
 飯時になると、学校の学食と同じようににぎやかになる。これ、男ばっかりだったらさぞかし暑苦しかっただろうなあ。聞こえる声も低いのばっかりで。
 改革万歳!
 今夜の献立はマカロニアンドチーズとフライドチキン、温野菜のサラダにベーコンとセロリのスープ。パンはおかわり自由。
 カウンターで一人分の食事が乗っかったトレイを受けとり、後はめいめい好きなテーブルに座って食べる。別にルームメイトだからって、飯時まで一緒とは限らない。
 同じ学年やクラブの奴と顔を合わせれば一緒に座るし、女子と相席することだって珍しくない。女の子は、ほとんどルームメイト2人で連れ立って来るけど。

「よう、ヨーコ!」
「あーマックス」
「これから飯か?」
「いえーっす!」

 ヨーコは、隣にいるアフリカ系の女の子にちらっと目配せした。ほらな、やっぱルームメイトと一緒に来てる。

「よかったら、一緒に食べない?」

 うーん、どうしよう。
 ヨーコと一緒だと、だいたい食べるペースが同じだから助かる。同じくらいどさっと盛ってるし、ばくばく食べる子だから、こっちが無理にゆっくり食べる必要がないんだ。

「あ」

 イエスと言いかけたその時、気付いてしまったんだ。
 食堂の片隅で、レオンが一人で座ってることに。
 6人掛けのテーブルに一人で、ぽつんと。他の寮生も近づこうとしない。何となくあいつの周りに、透明なバリアーができてるみたいに。大勢の中に居るのに、ひとりぼっちで食べている。
 いつもの風景だ。
 でも、俺は知っている。一人で食うご飯は美味しくないって。どんなにあったかくても。味が良くっても。口の中でぼそぼそわだかまる。

 レオンは二年生だ。
 あいつ、もう一年以上もああやって飯食ってるのか? たった一人で、誰とも話さずに……。

「あ、いや、俺、ルームメイトと食うから」
「そう」

 ヨーコのルームメイトが、ちょっぴり残念そうな顔をした。

「ごめん、今度、埋め合わせする!」
「OK! んじゃまたねー」

 ひらひらと振られるちっちゃな手と。褐色のすらりと長い手に見送られて歩き出す。

(あ)

 さささっと後じさりした。

「君、名前、何て言うの?」

 ヨーコのルームメイトは、きょとんとした顔でこっちを見た。けどすぐに目を細めて、口角をくっとあげて、すてきな笑顔になった。

「カミラよ。カムって呼んで?」
「OK、カム! んじゃ、またな!」

 そそくさと遠ざかるディフの背中を見送りつつ、2人の少女はきゃっきゃとほほ笑み、囁き合った。

「何、あの可愛い生き物!」
「でしょ?」
「いいかも。お尻もキュートだし」

 秘かに下された女子の判定など知る由も無く。ディフは山盛りのマカロニアンドチーズをこぼさないよう、用心しながら『姫の食卓』へと近づいた。

「よっ、レオン!」

 明るい褐色の瞳が見上げてきて、すうっと筆で刷いたような細い眉が、わずかにひそめられる。

「ここ、座ってもいいか?」

 レオンは何も言わなかった。ただ視線を落として、中断していた食事を再開しただけ。
 ダメとは言われなかった。つまり、OKってことだ。独自の判断を下すと、ディフは椅子を引いてどすんと座ったのだった。

 フォークでマカロニアンドチーズをぐにーっと引っ張り、ふーふー吹いて、あぐっと口いっぱいほお張る。

「んふーっ、んまいーっ」

 溶けたチーズとベーコンの油がじわあっとしみ込む。腹減った、腹減ったと叫んでいた体中の細胞が、ちゅーちゅーと吸い取ってるみたいな気がした。
 空っぽの腹に、あったかいものが落ちて行く。満ちて行く。そりゃ、お袋が作ってくれたのに比べれば、味は大ざっぱって言うか、ちょっと濃過ぎるけど。スープも油がぎとぎと浮いてるけど。
 運動したばっかりの体には、とにかくカロリー、カロリー、カロリーだ!

 ばくばく食っていたら、レオンがかすかにため息をついた。

「んあ?」

 ちょっとだけ食べるペースを落として、それとなく観察してみる。
 レオンは眉をしかめたまま。申し訳程度に盛りつけたマカロニアンドチーズをフォークの先でつついて、ほんの少し切り取って、口に運んだ。
 茹でたマカロニと溶けたチーズと、トマトソースの混合物が入った瞬間、ひくっと唇の端が引きつった。
 たとえば、うっかり苦い粉薬を舌の上に乗せた時。シロップだと信じて飲んだら、お酢だった。そんな時の顔だ。
 あるいは、味のない紙くずを無理やりフォークで押し込んでるような。

 ほんとに俺と同じもの、食べてるんだろうか? ちらっとテーブルの上に並んだ料理に視線を走らせる。マカロニアンドチーズと、ベーコンとセロリのスープ、茹でたブロッコリーとポテトとニンジン。そしてパンが1切れと、デザートのオレンジが半分。
 それと、水。
 紅茶でもない、コーヒーでもなければ、ミルクでもない。コップに入った、ただの水。

(味気ないなー)

 とにかく、料理は同じものだ。
 だけど明らかに美味しそうじゃない。楽しんでない。機械的にモノを口に入れている。まったく食欲がないって訳じゃないんだ。皿の上に盛られたものは、ちゃんと全部食べていたから。
 ずーっと眉はひそめられたまんまだったが、デザートのオレンジを食べる時にちょっとだけ、ゆるんだ。

 ふと、気がついた。
 ひょっとして、あいつ、食堂の飯が口に合わないのか? って。

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