▼ 【5-3-4】二人でお茶を
最後の一口を食べ終わるまで、レオンは一言も喋らなかった。
その間に、こっちはおかわりした2皿目を片づけていた。お互い、口が空になったとこで、思い切って聞いてみる。
「マカロニアンドチーズ、苦手か?」
「……いや」
「じゃあ、好き?」
「別に」
「チリビーンズは?」
「…………」
じとっとねめ付けてる彼の瞳は、あったかい褐色なのにまるで氷みたいに温度がなかった。好きもなければ、嫌いもない。何の感情もない。そもそも、質問すること自体がわからない。
そう言う目をしていた。
「別に」
でも喋る言葉は同じなんだな。
丁寧に口を拭うと、レオンは空っぽになった食器を持ってさっさとカウンターに行き、返却口に置いて。すたすたと食堂を出て行った。
騒がしい学食の片隅で起きた、ありふれた日常の一コマ。それなのに一連の動きは無駄が無くて、目が惹き付けられる。何て言うんだっけ、ああ言うの。
えーと……
そうだ、優雅(elegant)。
「マックス」
「ん、どーしたヨーコ」
「口。トマトソースついてる」
「おおっと」
手で拭こうとしたらティッシュを渡された。
「これ使いなさい」
「サンクス」
※
食事の後、いつもは談話室に行ってテレビ見ながらだらだらすごす。
チャンネルは別に何でも構わない。見ながら他の連中と喋るのが楽しい。学校であったこととか。CMとかショッピング番組に突っ込み入れたり、コメディアンのしょーもないジョークにあはあは笑ったり。
多分、あれだな。飯食っただけじゃ、満たされない何かを補給してるんだ。
今日も談話室はにぎやかだ。
親しい友だちも集まってて、声をかけられる。
「よーマックス、こっち来ないか?」
「……」
どうするかな。
ちょっと考えて、手だけ振って通り過ぎた。
「んー、やっぱ今日は部屋に戻る」
「そっか、またな」
本を読む、宿題やる、マンガを読む、音楽を聴く(イヤホンつきで)。
理由はいくらでもある。
でも一番大きな理由は、レオンと一緒にいたかったからだ。今日、教室でヒウェエルたちと話してて気がついたんだ。せっかく同じ部屋に暮らしてるのに、一緒にいる時間って寝てる時ぐらいしかない。
ちょっと、もったいないような。寂しいような気がしたんだ。
(あ、だからさっきも同じテーブルで飯食いたくなったのか?)
部屋に戻ったら、ほわっと湯気が漂っていた。お湯を沸かしていたんだ。誰がって、レオンが。
「何やってんだ?」
「………」
簡易キッチンのコンロの上には、ぴかぴかの銅のヤカンが乗っていた。注ぎ口と蓋のすき間からしゅんしゅんと湯気が上ってる。ちっちゃな備え付けのキッチンテーブルの上には、同じく銅のティーポット。
そして、皿に乗った白い陶器のティーカップ。金の縁取りで、薔薇の花が描いてある。
「もしかして、紅茶入れてるのか?」
「ああ」
「でもこれ……」
カップの中味は透き通ったただのお湯だった。
「ティーバッグ入ってないぞ?」
「温めてるんだ」
カップとポットからお湯を捨てて、レオンは改めて四角い缶から、妙に丸いスプーンでお茶っ葉をすくって、ぱさ、ぱさ、とポットに入れた。
「リーフから入れるのか!」
「ああ」
一杯、二杯、三杯。スプーンに刷り切り、慎重に。
まるで科学の実験みたいだ。
茶葉を入れて、ポットにお湯を注ぐ……慣れた手つきだ。いつもやってるのかな。
ここまではわかる。でも蓋をした後、さらに、キルトでできた帽子みたいなものをすぽっと被せるのは何でだろう?
「何で、ポットに帽子被せてるんだ?」
ひょい、と砂時計をひっくり返しながら。レオンはこともなげに言った。
「温度を下げないようにするため」
「そっか、紅茶って寒がりなんだな!」
「カップにいれてから温度が下がってくると、また味が変わるけどね」
「そうなのかっ!」
「少し下がったところで、まろやかになる。もっと下がるとだんだん渋みにかわる」
「ほえー……紅茶って生き物なんだな……あ、砂時計、もうすぐ終わるぞ?」
「え? ああ」
ちょっと首をかしげてる。何か予想外のことでも起きたんだろうか。
帽子をとると、レオンは鋭いオレンジの光を放つポットから、薔薇模様のカップに紅茶を注いだ。
「あー……いいにおいがする……」
本当に、部屋の中の空気の質が変わってたんだ。ふわっと膨らみ、やわらかい。森の緑の一部を切り取って、まろやかにしたみたいだ。落ち葉を踏んだ時のにおいにとか。牧場の干し草のにおいにも似てる。
どっちも大好きなにおいだ。
たった紅茶一杯注いだだけで。スプーンにたかだか三杯分のお茶の葉と、お湯だけで。
「ちょっとだけ味見してもいいか?」
「どうぞ」
うわあ、何ていい奴なんだろう!
「サンキュ!」
大急ぎで自分のマグを持ってきた。こぽこぽと紅茶が注がれる。透き通ったきれいな赤みがかった褐色。
まるで琥珀だ。ブラウンが強めで、透明度が高い。
(あれ? この色、どこかで見たぞ?)
「どうぞ」
「ありがとう!」
こく……と一口。飲んだ瞬間、口の中でちっちゃな星が弾けた。
辛かったとか、ショッキングな味がしたとかじゃなくて。いや、ある意味、確かにショッキングだったんだけど!
とにかく、目から鱗がどさーっと落ちた。これが紅茶の味だって信じてた舌の上の常識が、一気に吹っ飛んじまった。
「うわ……何だこれ。すっげクリアな味じゃん! これ、ほんとに紅茶か?」
「これが紅茶だよ」
「ってかお前が入れたから、こうなるんだよなこれ?」
「そうとは言えない」
「ふむ」
手を軽く握って口元に当てる。
大事に、大事に飲んだ。冷たいカップに注いだからだろうか。レオンの入れてくれたお茶は、確かに少しまろやかな味がした。
「……美味い」
うん、こんなに美味いお茶毎日飲んでるんだから、寮の食事が口に合わないのも無理ないよな。
あれ? あいつ、何でこっちをじっと見てるんだろう。
俺の顔に何かついてるのかな。
「ありがとな、美味かった」
レオンはそっと頷いてくれた。
ああ、そうか。
透き通った赤みがかった褐色。入れたばかりの紅茶の色は、レオンの瞳と同じなんだ。
※
レオンは正直驚いていた。
抽出時間の間、まさかマクラウド相手に紅茶談義をしてしまうなんて。本でも読もうとしていたのに、結局ページも開かず終わってしまった。
(いったい、何であんな事を?)
聖アーシェラ高校に入学し、寮で食事をした最初の夜も大概に驚いたが……。
まったくもって、あれは衝撃だった。
紅茶を飲もうとしたら、プラスチックのカップに入ったお湯と、ティーバッグが出てきたのだ。
手を着けずに部屋に戻り、即座にアレックスに電話を入れた。
食事が酷いのはもうあきらめた。だからせめて紅茶だけでも、自分で入れて、口に合うレベルのものを飲みたいと訴えた。切実に。
アレックスは万事に置いてパーフェクトだった。
落としても割れない銅のティーポットに、湯を沸かす銅のヤカン。比較的割れにくい丈夫なヘレンドのティーカップ。カトラリーは全てスターリングシルバー。
即座に茶葉と道具一式揃えて、翌日にはもう届けてくれた。
おかげで、紅茶だけは『口に合う』ものを飲むことができる。
むしろ『紅茶で』命を繋いでいると言っても過言ではない。
家を離れたいと言い出したのも。学校の寮に住むと言ったのも自分だ。食事が不味い。その程度の不便は享受して然るべきだろう。頭ではわかっていても、そこは思春期の少年だ。
『食べる事』そのものに興味がないとは言え、それも一定のレベルを保っていればこそ。
毎日続けば、ストレスは膨大に膨れ上る。食後のティータイムは、レオンにとって希少な癒しの時間だったのだ。
それにしても。
まさかテキサス生まれのガサツ者に紅茶の味がわかるなんて……夢にも思わなかった。
(ああ見えて、味覚と嗅覚は鋭いのかも知れない)
(野生動物なら、それも当然、か)
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