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ローゼンベルク家の食卓

【4-9-5】ぱぱ帰る

2009/01/05 1:04 四話十海
 長い長い吊り橋を東から西へ。来たときとは逆に渡る。西日がきついので帰りはサングラスをかけた。
 色の濃いレンズを通して目に見えるもの全てがうっすらと影をまとう。

 刻一刻と傾きつつある太陽の光を反射して海が濃いオレンジ色に染まっていた……何だかやけに物悲しい色に見える。散る直前のカエデの葉っぱ。あるいは、冷たい風にさらされて凍えてかじかんだ指の先。
 鮮やかであればあるほど、どこか痛々しい朱の色。

 シエンはあれから一言もしゃべらず、窓の外を流れる風景を眺めている。全身を強ばらせ、堅く引き結んだ唇の奥で歯を食いしばって……。
 車内の空気は重く、道のりは長い。話しかけることもできず、さりとて音楽をかけることもためらわれ、ただひたすら車を走らせる。

 ほんの48時間前までは、キッチンでこの子と笑いながらしゃべっていた。

『まいったな、買ってきたばかりなのにもらっちまうなんて……これじゃ、カボチャが余っちまう』
『いいよ、カボチャ美味しいし、いろいろ使えるし』
『そうだな、ハロウィンらしくていいか』
『うん。俺、ハロウィンのお祝いするの初めて!』

 眉間に皺を寄せて目をすがめる。幸い濃いサングラスのレンズに隠れて俺の表情が外に漏れることはない。
 ヘマをやらかしたのは痛いほどわかっている。親切面してシエンを傷つけた。一番、痛い傷口をえぐり出し、逃げ道をふさいで追い詰めてしまった。だけど、ここで俺が沈みこんだら……。

 レオン。オティア。シエン……そしてヒウェル。どっしりした木の食卓を囲む顔ぶれを順繰りに思い浮かべる。

(ここで俺が落ち込んだら、だれも、どこにも帰る場所を無くしてしまう。寄るべき場所を失ってしまう)

 車のエンジン音の響きが変わる。長い長い吊り橋を渡り、サンフランシスコへ戻ってきた。
 するとシエンが小さく息を吐き、表情をやわらげた……ほんの少しだけ。
 その瞬間、腹を決めた。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 

「やあ、お帰り!」
 
 事務所に戻ると、オティアと意外なことにデイビットが待っていた。

「なんで……ここに?」
「うん、アレックスに頼まれてね。空港に行く間、オティアと一緒に居てくれってね」
「空港に? 何でまた」
「レオンを迎えに」
「あ………そうか……そうだよな……」

 ばしばしと背中を叩かれた。

「どうした、ディフ。しっかりしたまえ。君らしくないなあ……」

 くっきりしたラテン系の顔いっぱいに親しみと共感をにじませながらデイビットは俺の目をじっと見て、それから何やら納得したようにうなずいた。

「今日はもう、子どもたちを連れて帰った方がいいね。君のスイートハニーがお待ちかねだよ?」
「うん……そうする」

 オティアがのろのろと帰り支度を始める。その隣ではシエンがペットキャリーを準備していた。いつものように言葉もかわさず、目配せもなく、淡々と。

「あれ、そう言えばレイモンドは? レオンと一緒じゃなかったのか?」
「うん、彼は、まだ仕事が残ってるそうだから」
「じゃ、今、事務所は空っぽなのか」
「大丈夫、大丈夫! 戸締まりはきちんとしてきたよ。留守番電話と言う便利なものもあるし、客の来る予定もない。アポ無しで来るような相手なら、多少待たせてもそれほど心は痛まないしね!」

 豪気と言うべきか、大雑把と言うべきか。

「幸い、ランドール紡績の二代目も最近はやっと電話とFAXの利便性に気づいたようだし……問題ないよ、うん」

 戸締まりをすませ、帰り支度を整えた双子を連れて廊下に出る。
 エレベーターを待ってる間にデイビットがぽつりと言った。

「無事でよかったよ、シエン」
「ごめんなさい、心配かけて」
「うん、心配したね! でも帰ってきたから安心したよ。それじゃ!」

 ちょうど上がってきたエレベーターに乗り込み、デイビットは上へと。ジーノ&ローゼンベルク法律事務所へと戻って行った。
 その時になってはじめてオーレがちっちゃな声で「んにゃっ」と鳴いた。
  
 
 ※ ※ ※ ※

 
 オティアとシエンを車に乗せて駐車場を出る。
 定時であがって帰りに買い物をして、それからクリーニングを出しにゆく。水曜日のいつもの習慣だが、今日は予定を変更して直接家に帰ることにした。
 二人ともものすごく疲れてる。一秒でも早く、部屋に戻してやりたかった。
 食料は……幸い、カボチャが大量にある。ストックしてある野菜とベーコンとでシチューにするか……それともポトフのがいいかな。
 やわらかくて、あったかくて、水気があるから食べやすい。

 車の後部座席で双子は一言もしゃべらず、視線も合わせない。キャリーの中で時折オーレが身動きし、チリンと鈴が鳴るのが聞こえた。
 
「ただいま」
「お帰り」

 玄関をくぐり、愛しい人の名前を呼ぶより先にキスで口を塞がれた。子どもたちが見ている。だけど……。
 テニスラケットのガットみたいに張りつめていた神経が、ぷつん、と弾ける。目を閉じてレオンの背に腕を回し、すがりついていた。
 髪をなでる優しい指先に身を委ねていた。

(レオン)
(レオン)
(レオン……)

 唇が離れてから目を開けると、オティアもシエンも姿が見えなかった。
 行き先は……わかってる。キスの間、ひそやかな足音が二つ、通り過ぎて行った。一つは境目のドアを抜けて隣の部屋へ。もう一つはリビングを横切り逆方向に。

「確かに別々の部屋に住むつもりのようだね、二人とも」
「……ああ」
「アレックスから聞いたよ。大変だったね」

 そんな事ないさ、と笑っても、きっとお前にはわかってしまう。大切な人だからこそ、あえて弱さは隠さずいよう。
 
「ん…………そうだな……ちとしんどかった」

 さすがに朗らかさ全開、とはいかなかったが、それでも自然と微笑むことができた。
 くしゃっと髪の毛をかきあげられ、そのまま頭をなでられた。
 まだ、することが残ってる。夕飯の支度とか、洗濯とか、その他細々した用事がいろいろと……でも今はもう少しだけ、彼の腕の中に居たい。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 

 いつものように6Fに上がり、晩飯を食いに行ったら部屋の空気がえらく重かった。

「……よう」

 食卓を拭いてるオティアに声をかけると、俺の顔を見て何か言おうとした。が、シエンが入ってくると口をつぐんでしまった。
 そのまま二人して黙々と夕飯の皿を並べ始める。いつものようにぴったり息の合ったコンビネーションで、目配せすらせずに。
 
 だが、何かがちがう。まるで互いに目をあわせることを避けてるようじゃないか! レオンはレオンで俺の顔見てにこやかに笑ってるし……何か、そこはかとなく(いや、露骨に)、怖い。

 唯一の救いはディフの奴がいつもと変わりなく大雑把で、ぶっきらぼうで、そのくせ世話だけはちゃんと焼いてることだった。双子も、レオンも俺のことも。
 そのはずなんだが。

(……どうしたんだよ)

 一日でげっそりやつれてる。ままも。オティアも。シエンも。別に頬がこけたとかやせ衰えたとか、そう言った肉体的な変化ではなく、何と言うか……精神的にえっらく消耗してるような。毛並みがパサパサ、しっぽはくたんと垂れ下がり、鼻も乾いてるって感じだ。
 いったい何があったってんだ?
 ってなことを考えてたら、食ってる最中にポテトがスプーンからごろりと転げ落ちてポトフの皿に落下。あっつあつのスープが盛大に跳ね上がり、眼鏡のレンズにべっとり栄養満点のシミをこしらえてくれた。
 見えないのと熱いのとで硬直していると、ずい、とティッシュが数枚、手の中に押し付けられる。

 かすかに指先をかすめる小さな手、細い指。これは、多分、ディフじゃない。レオンじゃないことも確かだ。眼鏡を外してレンズを軽く拭い顔を上げる。
 オティアと目が合った。

「……さんきゅ」

 やわらかく煮込んだ野菜とベーコン、ふわふわの焼きたてのコーンブレッド。小さな器に少しだけ盛りつけられた夕食を、オティアとシエンは少しずつ時間をかけて食べて……片付けが終わると、ひっそりと部屋に戻っていった。
 一人は白い猫を連れて境目のドアを抜けて隣の部屋へ。もう一人は5月まで双子の過ごしていた部屋へ。

「おやすみ」

 声をかけるとオティアだけが振り返り、小さくうなずいた。
 子どもたちが部屋に引き上げてしまうと、入れ違いにレオンが酒の瓶を片手にやってきた。

「おみやげだよ」
「……ああ、スコッチか。いいね」

 まただ。
 ディフの奴、微笑んでるけど、表情が今ひとつ冴えない。どうしたってんだ、お前がレオンの前でそんな冷たい水かぶった犬みたいな不景気なツラするなんて!

「君も飲んでいくだろう?」
「あ、いや、お邪魔しちゃ申し訳ないと……」

 あ、あ、何かな、その無駄に爽やかな笑顔は。勘弁してくれ、あなたはそう言う顔してるときが一番怖ぇえんだよっ。

「飲んで行きたまえ、せっかくだから」

 どうやら俺に拒否権は無いらしい。

「……………つまみ作ってきます」

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