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ローゼンベルク家の食卓

【4-9-6】反抗期は必要だよ

2009/01/05 1:05 四話十海
 そそくさとキッチンに退避し、冷蔵庫をのぞくとここにも異変があった。えらく買い置きが少ないじゃないか。っかしいな、今日は水曜日、買い出しの日のはずじゃなかったのか?
 とりあえず、卵があるからこいつでデビルズエッグにして……。
 久しぶりに無茶な飲み方になりそうな予感がする。一応、飯食った後ではあるが、タンパク質多めにとらせて、胃袋に防護膜を張っておこう。

 ボイルして横1/2に切った卵から黄身を取り除き、マスタードとマヨネーズであえてからまた白身に詰めて、仕上げにパプリカを散らす。
 これだけじゃ足りなさそうなんでついでに薄切りにしたチーズとキュウリをクラッカーにのっけた。

 できあがったつまみを大皿に盛りつけ、冷蔵庫から氷をざらっとアイスペールに取り分けて、グラスを三つ用意して。準備万端整えてリビングに引き返すと……既にいい感じにできあがってるやつがいたりするわけで。
 そーいやグラスは居間のバーカウンターにもあったんだよなあ、うん。
 ああ、まーた自分たちより年季の入った酒をストレートで惜しげもなくがぶ飲みしてるよこの人たちは!

「ったく、相変わらず雑な飲み方しやがって……」
「だまれ、諸悪の根源」
「俺のことか!」
「ああ、お前のことだ」

 とろん、としたヘーゼルの瞳の奥にちらちらと緑の炎がゆれている。いったい俺が卵ゆでてる間にこいつはどれだけ飲んだのか。

(ってかレオン、あんたが飲ませたな?)

 じとっとねめつけるが当人、嫁にぴったり寄り添って片手で肩なぞ抱きながら涼しい顔でくいくいと琥珀色の液を流し込んでいらっしゃる。せっかく持ってきたアイスペールにゃ見向きもしない。割るつもりはないってことですかい。
 ため息をついてると、いきなりぐい、とタイをひっつかまれた。

「おいこら! 人の話を聞けい!」 
「ぐええっ、苦しいっ、息がつまるっ!」

 問答無用に引き寄せられ、至近距離で睨みつけられる。瞳の中に揺らめく緑の炎が一段と強くなっていた。

「俺がいったい何をした?」
「シエンが落ち込んでオティアとお前の空気が明らかに変わってんだよ。何があったか一目瞭然だろーがよ」
「っ」

 一瞬、言葉に詰まったが目はそらさなかった。臑に抱えた傷は片手の指では足りない俺だが、この件に関してはこいつに対して恥じ入るようなことはしていない。それだけは自負してる。

「伝えたんだよ。お前が好きだって……今度こそ逃げずに、真剣にな」
「そうかよ」

 ディフはすねたような顔でそっぽを向いた。その結果、どうなったかは言わずとも知れている。確認のためにあえて言葉にする必要もない。

「おめでとう、と言うべきなんだろうね。でもね、ヒウェル」

 レオンがさらりと言った。

「未成年者に手を出したら犯罪だよ。たとえ同意の上でも」
「………わかってます、よーっく」

 うーわー、すっげえ爽やかな笑顔。背筋がぞわわっと総毛立つ。
 何度も言うが、この手の顔してる時がいちばん怖いんだよこの男は!

「たとえここがフロリダでも、君の場合は年齢差があるからね」

 わざわざフロリダの州法まで引き合いに出しやがって念入りなこった!(※未成年でも十六歳以上の場合は相手が二十四歳以下でなおかつ合意の上なら合法と見なされる)微妙に腹が立つもののさりとてこちらも後ろ暗いところがある。

 そうとも、シエンが『ああなった』のは俺のせいだよ。だけど俺が恋してるのはオティアであって他のだれも代わりにはなれないんだよ。たとえ同じ顔、同じ遺伝子の持ち主でも。
 言い訳する気は毛頭ないし、これから待ち受ける試練からも逃げるつもりはない。

 こうなったら、とことん飲んでやらぁ。
 自腹じゃ到底、買えないレベルの高い酒なんだ。こいつらに雑な飲み方される前に一滴でも俺が飲むのが功徳ってもんだ!

「氷、使わないのか。冷蔵庫にソーダもあるぞ?」
「いい酒はストレートで飲めってだれかさんそう言いませんでしたっけか?」
「……ふん」

 結局、準備した氷はひとかけらも使われないまま、ただ酒だけが減って行った。
 瓶が半分ほど空になったところでやっと、ディフがぽつりぽつりと吐き出してくれた。今日、何があったのか。

「シエンが家出したってっ! どうしうて知らせてくれなかったんだよ!」
「すまん、それどころじゃなかった……」
「ったく。しっかりしてくれよ、まま……」
「ヒウェル」
「何すか」
「知らせたところでどうにかなったかい? そもそもの原因は君なんだから」
「だからって!」
「知らせなくて正解だったんだ。君もわかってるだろう」
「うー………」

 がばっとグラスの中身を一気にあおる。ああ、こんな上等な酒をもったいない。
 濃密な木の樽の香りと、数多の歳月を溶かし込んだ芳醇なアルコールがのどを焼き、むせ返る。だが、それでも腹の底からわき起こるやるせなさをまぎらわせるには到底足りなかった。

 黙って杯を重ねていると、ディフがぼそりと言った。

「お前は、最初っからオティアしか眼中になかったもんなあ。救いようのない馬鹿もやらかしたが、どんなに冷たくされようが無視されようが、徹頭徹尾絶対、心変わりしなかった。少なくともその点だけは立派だよ」
「そりゃどーも」
「シエンも……わかってた……わかってるつもりでいたんだ……だけど、まだやっと十七になったばかりの子どもだぞ? 感情が、理屈にはいそうですかっておとなしく従うかよ。それなのに、俺は………」

 くしゃっと顔を歪めるディフをレオンが抱き寄せ、額に口づけた。キスされた方は目を細めてレオンのなすがまま、されるがまま。こいつら、もう俺が居ようが居まいがおかまい無しだ。

「反抗期は必要だよ。ただあの子は極端な方向に走りかねないから、そこは注意しないとね」
「ああ。それが心配なんだ。特にシエンは思いつめる子だからな」
「……反抗できるのはさ。どんなに逆らっても絶対見捨てない、離れてかない相手だと思ってるからだろ。そーゆー意味では、何つーか、お前に甘えてんだよ」

 しぱしぱとまばたきすると、ディフはうつむいてしまった。

「……それで、関係の切れる相手ならそれでもいいって、見限られてるだけかも」
「だーっ、辛気くせぇ方に考えんなっ! 超絶ポジティブ野郎が珍しく弱気だなおい……ほら、飲め」
「うん……飲む」

 あーあー、こいつは、もう、両手でグラスかかえてちびちび飲んでるし……それ、スコッチだよ? ミルクじゃないんだぞ?

「子どもが居心地のよい安全な場所に居たいと思うのは生き延びるための本能だ。あいつらがこの家がそうだと思ってくれてるのなら……」
「思ってるって」
「そうかな……そうだと……いいな……」

 ……ソファの上で膝抱えてるし。

「だったら、俺は、それだけでいい」

 レオンが黙ってスコッチを注ぐ。ディフはグラスをかかげ、琥珀色の液体をひといきに流し込んだ。左の首筋の、薔薇の花びらみたいな火傷の痕が一段と赤く浮かび上がる……白い肌の下にたかまる熱を透かして。

「ここでやめてしまったらまたゼロに戻る。欠けていたものを、欠いたままで終わってしまう。だから……俺はバカになり切ることにするよ」
「それ以上バカになってどうするよ」
「言ってろ」

 にやっと、微かな笑みが口元に浮かぶ。それは俺がこの日初めて見る、奴のにごりのない笑顔で……見ていてほっとした。

「『俺はここにいる』って。『お前を見ている。守りたい。決して見捨てたりしない』って……想い、行動し、伝える。そのことだけはやめない」
「ふーん? それで、具体的にはどうするつもりだよ」
「飯作って、声かける。朝はおはよう、夜はおやすみ。送り出す時はいってらっしゃいってな。帰ってきたら……おかえりって、迎える。待ってる。いつか、あの子が俺を迎えてくれたときみたいに」

 ああ。今さらだけど、こいつ、本物のバカだ。

「俺の、自己満足なのかもしれないけど……」
「阿呆。少なくとも食生活は一定のレベル維持できてるだろーがよ。それってかなり大事なことだよ?」
「そうかな」
「そうだよ」

 これからもこいつはほほ笑んで食卓を整え、翼を広げて子どもらを迎え入れるのだろう。
 時にぶっきらぼうに見える朴訥さで、何があっても変わらずに……胸を食む鈍い痛みも、空しささえも飲み込んで。

(そうして時々、レオンの前でだけ弱音を吐くのかもしれない)

 まったく、どんなお人好しだ。そう言う意味では『信じらんねぇ』よ、ディフ。

「飲め」

 酒瓶をとって、とくとくと大ぶりのグラスに注ぐ。

「……うん」

 こくん、とうなずき、両手でかかえてちびちび飲んでる。

 嫌な事、悲しい事があったからって酒に逃げるってのはベストの選択肢とは言いがたい。
 わかっちゃいるが、今だけは。酔っぱらってる間だけでもいいから、こいつを解放してやりたいと思った。
 法による義務も、血縁による強制もない。本当に自由に、自分の意志で親として愛情を注ぐことが許される……こいつにとって双子はそんな存在なのだ。そうすることが彼の願いであり、喜びなのだろう。

 ああ、まったくお前って奴は。

「つまみも食えよ」
「うん。美味いな、これ」

 そうして俺たちはぐだぐだと飲み続けた。双子と出会う前によくしていたように、居間に座り込んで延々と。やがてディフがぱたりとソファにつっぷしてすやすやと寝息を立て始め、しばらくしてムクっと起き上がる。

「俺のクマどこ?」

 久々に出たな。やっぱ心細いんだな、こいつ。

「ほら、ここだよ」

 レオンが差し出したクマを彼の腕ごと抱え込むと、ディフは安心したようにもふもふと顔を埋めてまたすやっと眠っちまった。その隣では嫁を抱きかかえたままレオンがすーすーと行儀よく眠ってたりするわけで。
 はたと気づくとテーブルの上には明らかに土産にしては多すぎる数の酒瓶が転がり、まるでボーリング場みたいな有様になっていた。
 
「……ダメな飲み方してるなあ……」

 グラスの底に残った酒をひとすすり。床にばったんとひっくり返り、目をとじる前にかろうじて眼鏡を外して高いところに置いて。
 後は一気にブラックアウト。

(ああ、まったくこれ以上ないってくらいにダメな飲み方だ) 
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 翌朝。
 少し早めに目を覚ましたシエンがリビングに入って行くと、カオスが広がっていた。

 ローテーブルの上にはグラスと空っぽになった酒瓶と大皿が散乱し、床の上にだれかが落ちている。

「……ヒウェル?」

 一瞬、ぎょっとしたが体の具合が悪い訳ではなさそうだ。ある意味、とてつもなくバッドコンディションではあるのだろうけれど。
 気配を察したのか、ひょろ長い手がローテーブルの上をまさぐり、眼鏡を取り上げて顔に乗せた。

「あー……もう朝かぁ?」

 ソファの上ではレオンとディフがぴったりと身を寄せ合って眠っていた。よく見るとディフはクマのぬいぐるみを抱えていて、レオンはクマもろともディフをしっかりと抱いていた。すっぽりと自分の胸の中に包み込むようにして。二人とも目をさます気配はない。

 シエンは静かにリビングを通り過ぎ、キッチンへと入って行った。

 今日は木曜日。みんな仕事のある日だ。
 ディフがこんな状態じゃ、朝ご飯は自分で作るしかない。パンを焼いて、買い置きのキュウリとトマトでサラダにして。
 卵は……スクランブルでいいや。

 その間にリビングでは、だめな大人3人がようやく状況を把握しつつあった。

「レオン……ディフ……朝……」
「あー……」
「うん……」

 目をこすりながら起き上がり、テーブルに手をのばすレオンをヒウェルが押しとどめる。

「いや、あなたは手伝わなくいいですから……顔洗ってきてください」
「ああ……すまないね」
「お前もシャワー浴びてこい。ここは俺がやっとくから……今日、外に出る予定ないし」
「うん……」

 支え合って寝室に歩いて行く二人を見送り、のそのそと宴の後を片付けているところにオティアが入ってきた。
 一目見て、怪訝そうな顔をして首をかしげる。

 どうしてこいつがここにいるんだろう? よれよれの服(昨日と同じ)で、珍しく髪の毛をほどいた状態。朝食をたかりにきた訳ではなさそうだ。まさか、あのまま泊まっていったんだろうか?

 ぼさぼさに乱れまくった髪の毛を手ぐしでかきあげ、輪ゴムで結い直しているヒウェルと目が合う。ぼーっとしていた顔に生気がもどり、口が動いた。 

「おはよう」 
「………」

 おはよう、って言った。
 今は朝だ。挨拶を返しておこう。わずかに口を開きかけると、琥珀色の瞳が見開かれた。
 思わずのどが震え、舌先に用意した言葉が止まる。

 するとヒウェルが目を細め、笑った。いつもの口角を引っ張り上げる皮肉めいた薄笑いとは明らかに質が違う。
 それはさらさらした細かい砂の間からわき出す、温かい澄んだ水のような微笑みだった。
 手を浸していつまでも、指先をなでる優しい砂と水の動きに触れていたいような……。

 ほんの少し勇気を出して、一度止まった声を送り出そうとした、その時だ。

「つくっといたから、好きに食べて」

 抑揚のない声が呼びかける。
 戸口に立つシエンからは、笑顔も潤いも消え失せていた。

「何?」
「朝食」

 それだけ言うと、シエンはくるりと背を向けて部屋に戻って行く。自分の分はもうすませたらしい。オティアは口をつぐむとのろのろと食堂へと歩いてゆく。

 おはようって言ったら、返事をかえそうとしてくれた。いつものあいつなら、絶対、渋い顔してにらみそうな状況なのにな。
『朝まで酒盛りかよ』って。
 寝起きだからまだ頭が回ってないのかもしれないが、さすがに一緒に飯食ってたら気づかれるだろうな……酒くさいって。

 どうしたものか。
 くんくんとシャツのにおいをかぎつつ一人残されて立ち尽くしていると、身支度を整えたレオンとディフが入ってきた。

「何ぼーっとしてる」
「え、いや……別に」
「ついでだ、朝飯食ってくか?」
「それは……シエンが用意してくれたから」
「……そう……か」

 だめな大人3人は顔を見合わせ、食堂へと歩いて行く。微妙な静寂を共有したまま。

 そして、後にはクマが一匹残された。
 真っ黒なボタンの目に刺繍の口、ソファの上にころりと転がる、明るい茶色のテディベア。


(たとえそれが痛みでも/了)

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