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ローゼンベルク家の食卓

【4-9-4】すれちがい

2009/01/05 1:01 四話十海
 事務所のあるユニオン・スクエアから280号線を北東に走り、80号線に乗り換えてベイ・ブリッジを渡る。車なら早い、直通だし途中でバス停や駅に止まることもない。
 信号は守らなくちゃいけないが。

『すげえ、橋で海渡るのか!』

 高校の頃、はじめてこの橋を渡ったときの事を思い出す。どうしても自分の足で渡りたくて、バスを降りる! と騒いでたらヨーコにぴしゃりと言われた。

『この橋は車専用よ。何だったらトランスフォームでもする?』

 あきらめてバスの窓から足下の海を眺めるにとどまった。

『あきれたねー、テキサスにだって橋ぐらいあるだろーがよ』
『こんなでっかい橋はない!』
『そうかよ』

 こばかにしたような口を叩きつつなぜかヒウェルはとくいげで、日本の瀬戸大橋ができるまでは世界一の吊り橋だったのだと講釈をたれた。
 あの時はクラスの連中が一緒だったな……。一年の留学期間が終わり、ヨーコが帰国するからってんで、その前に観光地めぐりをしようってことになって。

 あの日俺が友だちと一緒に目を輝かせて渡ったこの橋を、シエンは今日、どんな気持ちでを渡ったのだろう。

 橋を渡り、サンフランシスコ市からオークランド市に入ったところで580号線に乗り換え、南東に走る。Golf Links Rd/98th Av……よし、ここだ。高速を降りて98th Avを横切るようにして左折し、Golf Links Rdに入る。すぐに右側に目的地が見えてきた。

 The Oakland Zoo(オークランド動物園)。
 園内に入ると道幅は急に狭くなり、両脇の街路樹がこんもりと密度を増す。
 駐車場に車をとめて、まっすぐに昔の知り合いの待つ事務所へと向かった。自然と早足になる。
 平日なので人は少ないが、それでもさほど広くはない園内はそれなりににぎわっていた。手をつないでポップコーンや綿菓子、風船を片手に歩く親子連れやカップルの間をざかざかとすり抜ける。

「よう、来たな、マックス……元気そうだな」
「おかげさんでな。シエンはどこに?」
「遊園地だよ。こっちだ」

 カランカラン、ぶぅーん……ボロロローン、ヒュウン、プワン、パフン。
 年期の入った遊具の奏でる、どこか間の抜けた音が聞こえてくる。

 ここには動物園だけではなく小さな遊園地もある。全体的にのんびりとした空気で絶叫系のドカーンとかバキーン!とか言うアミューズメントはあまり縁がない。
 それだけに小さな子どもをつれた家族が多い。

「ランチタイムを終えて園内を巡回してる警備員が見つけたんだ。」
「そっか……」
「運が良かった。しかし、いつの間にそこに居たのかさっぱりわからない。一人歩きの子供には係員が注意を払うようにしてるんだ。もっと手前で見つかりそうなものなのにな?」

 確かにあの年頃の子はほとんどいない。ハイティーンの子どもらはもっと派手な遊びのできる場所に行くだろうしな。そう言えば俺たちも結構浮いていた。

『やだ。あたし、ぜったいそっち行かない』
『どうしたんだヨーコ。顔ひきつってるぜ? あー……はあ、もしかしては虫類は苦手ですかぁ?』
『ヒーウェールー……?』

 は虫類舎の前を通りすぎながらくすっと笑いがこみあげる。笑顔でヒウェルのこめかみに握った拳の第二関節をぐりぐりねじ込むちっちゃな女の子を思い出して。

「今もやってんのか? ニシキヘビを首に巻いて写真撮る、あれ」
「いや。動物愛護の観点に基づき自粛中だ。何だったら特別に飼育係に交渉してもいいが」
「……遠慮しとく」

 園内には所々に芝生に覆われたなだらかな丸い斜面が広がり、家族連れが弁当を広げている。11月とは言え、まだまだ日差しが照っているとあたたかい。風もほとんどないし、絶好のピクニック日和だ。

「居たぞ。あそこだ」

 小さなメリーゴーランドと、ボール当ての屋台の間にぽつんと金髪の少年が立っている。柵に寄りかかってぼんやりと、目の前を通り過ぎるつくりものの馬や馬車を眺めて。
 沈んだ表情だ。あまり、楽しそうじゃない。にぎやかな音楽と色彩の中に、そこだけ取り残されたように色あせた『つぎ』が当たってる。
 そんな感じがした。

「まちがいない。シエンだ……」
「そうか。こっちも安心したよ」
「世話んなった。そのうち改めてお礼させてくれ」
「気にすんな」

 ばしっと大きな手のひらで背中を叩かれる。

「それが仕事だ」

 旧い友人は物陰からそれとなくシエンを見守っていた警備員に声をかけ、戻って行く。手を振って見送り、深呼吸。
 駆け出したい気持ちを押さえてまず、捜査協力を頼んだ友人たち……サリーに、エリック、そしてアレックスらに宛てて一括送信でメールを送る。『迷子は無事、保護した。協力感謝する』、と。
 送信ボタンを押して、携帯の画面の中でくるくる点滅するアイコンを見ながら次の一手を考える。

 さて、こんな時何て言って迎えに行けばいいんだろう。

 探したぞ? どこ行ってたんだ? どうしてこんなことを?

 違うな。心配したのは事実、だがそれで迷子になった子どもを責めるのはお門違いってもんだろう。
 一番心細いのは、一人でこんな遠くまで来たシエン自身なのだから。

 近づいて行くと、シエンは顔を上げてこっちを見た。紫の瞳が一瞬、ゆらぐ。涙だろうか。それとも……。

「シエン」
「ごめん……なさい……」

  どれほど心配したか、なんて言う必要もない。この子はちゃんと知ってる。わかってる。だからこんな顔して『ごめんなさい』って言うんだ。

「………無事で………よかった」

 張りつめた想いを深い息と一緒に吐き出した。こわばっていた肩がすーっと降りて、元の位置に戻るのがわかった。
 シエンと並んで、前屈みに柵に寄りかかる。ひと呼吸置いて、話しかけた。

「どうして、ここに?」
「ずっと、入ってみたかったんだ、遊園地」
「そうか。もっと早く連れてきてやればよかったな」

 首を横に振った。
 遊園地ならサンフランシスコにもいくつかある。ここまで来たのは、やっぱり遠くに行きたいって気持ちもあったんだろうか。

「せっかくだから何か遊んでくか?」
「ん……でも……」

 うつむいた。細い肩が震え、紫の瞳のふちに透明な雫がにじみ出す。手を伸ばし、そっと、そっと……距離をつめて行き、柵を握る小さな手に触れる。

「ごめん……なさい………」
「そうだな……確かに、心配した。あまり治安の良くない場所もあるし……そっちに行ってたらどうしようって」

 シエンは柵から手を離し、何かを探すように指をわずかに動かした。ためらいながら手のひらを重ねる。
 冷たいなあ……子どもの方が体温ってのは高いものなのに。ほんの少し間があって、おずおずと指に力が入れられる。
 俺もちょっとずつ力を入れた。急がぬように。強くしすぎないように。

 そしてやんわりと手を握り合った。

 ああ。
 お前は確かにそこにいるんだな。
 これは夢でも幻でもない。
 やっと、見つけた。
 
「すぐ戻るって言い残して、お前ぐらいの子どもがすーっと町ん中に消えちまうのを……何度も見てきたから」
「ひとりで……何かできたら。ちゃんと笑えるかなって………思ったんだ」
「それでこんな所まで来たのか」
「うん」
「海を渡って隣の市まで? 十分すごいよお前。で………どうだった?」
「………だめだった」

 ため息ついてやがる。何の達成感も得られなかったってことか。
 楽しげにピクニックを楽しむ家族連れやのんびりとデート中のカップルに混じって一人だけ。どれほどの時間を何もせずさまよっていたのだろう。

 この世のありとあらゆる楽しみが自分を置いてきぼりにして流れて行く。
 分厚い磨りガラスの向こう側に居る人たちはみんなにこにこと笑っている、だけど何がそんなに面白いのかちっとも聞こえてこない。
 どんなにでっかいパイが焼けても一口も口には入らない。ただ美味そうなにおいが流れてくるだけで……。

「………俺、だめだな………」
「そうかな? 何でも最初っから完ぺきに一人でやってのけられる人間なんてそうそういやしないさ、シエン。ビギナーズラックなんてそうそうあるもんじゃない」
「……でも」

 すがるようなまなざしが向けられる。
 涙をたたえた紫の瞳が必死で訴えてきた。

『ほかのみんなは、そうやってるよ?』  

 俺は何でもできます、完璧です、だめなとこなんかひとっつもありません。
 自信過剰な野郎は大嫌いだ。面と向かって自慢されたら、俺のリアクションは笑い飛ばすか殴り飛ばすの二択しかない。
 人間、多少は謙虚な方がいい。身の程を知るのは大切だ。だが今のシエンは……自分を嫌って、否定して、それでもどうにか前に進もうと必死になってもがいてる。

「実際、俺だってお前やレオンやオティアや………すんげえしゃくにさわるがヒウェルがいてどーにかやってるんだし」

 本当はまだ迷っている。自分の今していることが正しいのか。余計傷つけることになってはいまいか。
 ここで一言でもミスしたら……まちがったボタンを押しちまったら。その瞬間、俺は彼の信頼を裏切ってしまう。不安を抱えながら、表面はあくまで穏やかな表情、穏やかな声で話し続けた。

「お前が笑えるまで、疲れたら休めるように。胸貸す用意ぐらいは………いつでもある」
「……うん」

 何だ、この感じ?

「お前がいるから……あの時、自分を無くさずにいられた」
「………うん………帰る……よ……ほんとごめん……」

 違う。
 違うぞ、シエン。
 つるつるした金属の曲面の上をころころと、水銀の玉が滑って行く。
 もう、いいんだ。しかたがないんだ。ここで終わり、家に帰ればそれでおしまい。地面の下に埋めた悲しみも痛みも全てなかったことにするつもりか。

 それじゃだめだ!

「シエン。こっち見ろ」

 顔をあげた。泣いてはいない。けれど沈んだ表情のままだ。

「なんで一人で『何か』しようとしたのか……笑おうとしたのか、聞いてない」

 返事はない。
 まだ間に合う。俺も何事もなかったフリして一緒に帰ればそれでいい。
 そうすりゃ明日からは穏やかな日々が続いて行く……真冬の寒さの中、色あせることもしおれることもないプランターに刺さったぺなぺなの、ビニールの造花みたいな空々しい『しあわせ』が。

 いいわきゃないだろ。

「赤いグリフォンのカップ、しまいこんだのと関係、あるのかな?」

 決死の覚悟でざくりと掘り下げた。ぴくっと手の中でシエンが震えた。

「だって……俺が、諦めればいいんだから。そしたら……うまくいく……から」
「シエン。人を好きだって気持ちは電気のスイッチみたいに簡単にオフにはできないぞ」
「だからって……どうしようもないじゃないか!」
「そうだな。つらいよな……苦しくて。胸ん中がきりきり締め付けられて。痛いよな」
「どうしようも……ないのに……」

 メリーゴーランドが止まり、客が入れ替わる。次の回が始まるまでの間、しばらく口をつぐんだ。
 俺も。
 シエンも。

 やがてベルが鳴り響き、ぽわぽわした音楽に合わせてつくりものの馬がぴょこぴょこ跳ね出した。
 何回まわっても結局、どこにも行けずにまた元に戻る。そのくり返し。

「………………ひとつ聞いていいか。俺が言うのもアレなんだが。何でヒウェルの奴なんぞ好きになったんだ?」
「わかんないよ、そんなの」
「口は悪いわ、手ーは早いわ。性格は軽いし、脱いだ靴下は丸めたまんまで絶対、片付けない。酒は飲む、煙草も山ほど吸う、放っときゃ部屋を平気で魔界に沈めるし、ピーマンもセロリも食えないチョコバーが主食のガキみたいな奴だぞ?」
「そんなのレオンだって、一見優しそうだけど身内にだけだし、裏真っ黒だし、敵には容赦しないし。ヒウェルよりよっぽど怖いよ」
「………見事な観察力だ」

 反論できずに舌を巻く。きりっとシエンの指に力がこめられた。爪が刺さりそうほど強く握りしめてくる。

「わかってたのにな……最初から。俺に優しいのは……ただおんなじ顔してるからだって……」
「それは、ないと思うぞ。お前とオティアの見分け、一番はっきりつけてるのはヒウェルだし。優しいのは……お前のこと、弟みたいに思ってるからだ……」
「でもオティアと兄弟じゃなかったら、そんなふうにさえ思われなかったよ」
「いや、それはない」

 ああ、シエン。自分を否定するな。
 そんな風に自分の存在を厭わないでくれ……頼むから。

 口から吐き出す言葉全てが、透明な固い壁に阻まれて空しく滑り落ちて行く。痕跡さえも残さずに。だからってここであきらめたら、最初っから見捨てるのと同じだ。

「どっちでも同じだよ。別にどうなるわけでもないし」
「好きだって言わずにこのままいるつもりか?」

 すり抜けて行く。
 すがりつく指の間から、シエンの手が抜け出し、離れてゆく……止められない。

「意味がないし」

 柵からも手を離し、一人で立ったシエンの表情からは、潤いもあたたかさも全て消え失せていた。

「何したって、駄目なものは駄目なんだ」
「駄目ってのは何に対する駄目なんだ? 確かに言ったところでヒウェルが心変わりする訳じゃない。だけどな、黙ったままでもあいつはわかってる。オティアも」
「っ」

 ぎりっとシエンが歯を食いしばり、きつく拳を握った。
 やばいな……できるものならしっぽ巻いてとっとと逃げ出したい。背を向けて歩き出したい。だが、逃げるもんか。

「何も言わないで。靴下ん中に入ったトゲみたいな痛みを抱えて穏やかな日々を過ごしてくのは………きついよ、シエン」
「いいよそれで」
「決めたんだな?」
「とっくに決めてる」

 自分が我慢すればうまく行くとお前は言った。でもな、シエン。痛みを抱えるのはお前だけじゃないんだぞ?
 ……いや、違うな。
 お前も気づいてる。意識の奥では。

(そうしてますます自分を責めるのだろう。罰するのだろう。自分でもそれとは知らぬまま)

「俺の気持ちは俺だけのもんだろ……………それが、痛みでも」
「………OK。じゃ、もう何も言わない。でも………でもな。今度一人で何かしようって時は、一言相談してくれ」

 俺じゃなくてもいい。レオンやアレックス、サリーでもいい。

「アレックスからお前が事務所に来てないって知らされたときは心臓が止まりそうになった」
「ん……わかった」
「帰ろうか」
「ん」

 素直にうなずき、歩き出す。
 落ち着いた表情だ……怖いくらいに。それが、今のお前の『本当の顔』なんだな。無理して笑ってるよりはずっといい。

 だけど。

「何か腹に入れてくか?」
「いい。おなかすいてない」
「そう……か」

 大切な何かが指の間をすりぬけてゆく。どんなに手を伸ばしても届かない。
 遊園地のイルミネーションが。賑やかな音楽が。ぼうっと遠くにかすんで行く。
 
 mokba.jpg
 

 すぐ隣を歩いているはずのシエンが、急に遠くに行ってしまったような気がした。

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