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ローゼンベルク家の食卓

【4-9-3】橋を渡って

2009/01/05 1:00 四話十海
 警察署を出てから携帯を確かめる。
 ……新着メールも電話着信も無し。手がかりなし、か。

 いや、考えようによっちゃ悪い知らせがなかったとも言えるだろ。しっかりしろよディフォレスト。
 ちょっとでも気がゆるむとうつむきそうになる。奥歯を噛みしめ、無理矢理ぐいっと顔を上げた。
 通り一本渡った向かいの食堂に、ぼちぼち客が入り始めている。そろそろ昼飯時か……オティアのことも心配だし、一度事務所に戻ろう。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 

「戻ったぞ」

 オティアはぽつん、とデスクの前に座っていた。俺が部屋を出たときと変わらない姿勢で膝に白い猫をのせたまま、相変わらずぼんやりしている。こいつ、あれからぴくりとも動いてないんじゃないかってくらいに。
 俺が入って行くとのろのろとこっちを見て、それから応接用のテーブルに視線を向けた。

 ナプキンのかかった大皿と保温マグが二つ、銀のトレイに乗っかってる。

「アレックスか」
「……」

 こくっとうなずいた。ナプキンをめくると、ラップで包まれたサンドイッチときっちり切り分けられた果物が並んでいた。不覚にも食い物を見て初めて気づく。ランチタイムだってわかってたのに何も食うもん買ってこなかったことに。

(しっかりしろ! ヒウェルじゃあるまいし)

 人が料理をする理由は大きく別けて二つ。自分が食べたいか、だれかに食べてほしいか、だ。仕事だからとか必要に差し迫ってとかいろいろ細かな枝道はあるが、突き詰めればだいたいこのどちらかにたどり着く。
 この場合は……。
 ありがとな、アレックス。

「せっかくだからいただくか」

 声をかけると黙って立ち上がり、とことこと歩きだした。その足下を白い子猫がついてゆく。飼い主に寄り添い後になり先になり足の間をするすると、長いしっぽを巻き付けて。
 事務所の隅の簡易キッチンに行くと、オティアは蛇口をひねり、ヤカンに水を入れて火にかけた。それがすむとポットと茶葉用意して、カップを取り出し暖めて……機械みたいに手際よく紅茶を入れている。

 相も変わらずのポーカフェィス、だがとりあえずやるべきことができてほっとしているようにも見えた。
 その間にこっちはラップを外してアレックスからの差し入れを開封する。分厚く切ったライ麦入りのパンは彼の細君、ソフィアの実家のルーセントベーカリーの定番商品だ。中身は厚切りのハムにチーズ、スライスしたトマト、レタス、ゆで卵。
 こっちは俺用だな。

 薄切りの白パンに卵のペーストをはさんだ小振りのやつはオティアの分だろう。
 保温マグの中身は熱々のコーンスープ。ちゃんと栄養にも気を配っていてくれるんだ……アレックスの心づかいが疲弊した心と体に染みた。

「みゃう」

 オーレに呼ばれて顔をあげる。オティアが湯気のたつマグカップを二つ持って戻ってくるところだった。

「サンキュ」

 ことん、とテーブルにカップを置き、今度は猫用の皿にドライフードをさらさらと入れている。オーレは後足をたたんできちんと座り、行儀よく待っている。

 そして昼食を食べる。
 人間はソファに座ってテーブルの上、猫はその隣の床の上で。
 オティアも俺もしゃべらない。ただカリカリと規則正しく、オーレがドライフードをかじる音だけが響く。

 分厚いサンドイッチにかぶりつき、ほおばった。わしゃわしゃと噛んで、飲みくだす。
 …………美味い。

 不思議なもんだ。腹に物が入ってく、ただそれだけのことでなんとなく余裕らしきものができたような気がする。ついさっきまでは使い古したゴムみたいにのびきって、今にもぷちっといきそうだった。




 ちらっとオティアの方をうかがうと、小さなサンドイッチを少しずつ、もそもそと口に入れている。ほんの少しのパンと卵のペーストを長い長い時間をかけて噛んで、紅茶で無理矢理、のどの奥に流し込んでいる。
 苦い薬でも飲むみたいに。
 決して苦手なメニューじゃない。そもそもオティアはほとんど好き嫌いがない。出されたものは何でも食べる……甘すぎるものが苦手なくらいで。

 子供部屋の壁に刻まれた傷を思い出す。黄ばんだ歯、荒れた肌。

 こいつ、ストレスが消化系に出るからなあ。無理しやがって。食わないと俺が心配するから、か?

「オティア」

 だまったまま物問いたげな視線を向けてきた。

「水分、優先してとっとけ。無理に食っても消化しきれずかえって体がつらいぞ」

 こくっとうなずき、素直にお茶を口に含んだ。マグカップを両手で抱えるようにしてちびちびと。
 少しほっとしてこっちもサンドイッチの残りを頬張った。熱いスープをすすってから携帯を取り出し、開く。この時間なら、サリーに電話しても大丈夫かな……。

「ハロー、ディフ?」

 4コールで出てくれた。

「やあ、サリー。ちょっと今話してもいいかな」
「いいですよ?」
「シエン、君のとこに行ってないか?」

 阿呆か、俺は! 大学か動物病院か、どっちにいるのか確認とるのが先だろうがよ……。

「いいえ? どうかしましたか?」
「うん、実は、その……シエンがな。朝、家を出たっきりどこに居るかわからないんだ」
「え、今度はシエンですか」
「うん、今度はシエンが………って、何で知ってるんだ?」

 まるで昨夜のオティアの家出を知ってるみたいな口ぶりで、こっちも思わず知ってるものと決めてかかってするりと答えちまったが。よく考えるとサリーがあのことを知ってるはずはないじゃないか!

「昨夜、電話もらったんですよ、ヒウェルから。オティアが行ってないかって」
「……そうか」

 一応、サリーんとこにも確認入れてたのか、ヒウェルの奴。なら、納得だ。

「俺も、病院が終わったら探すの手伝いますよ」
「ああ……助かるよ。すまんな、サリー」
「どういたしまして」

 ちらりとオティアの方を見る。空っぽになったカップを抱えて、じっとこっちを見ていた。
 昨日の夜、同じようにうつろなまなざしでカップを抱えていたもう一人の姿が重なる。
 シエン。
 今頃どうしているだろう? 一人で寂しがってはいまいか。心細くて震えてはいないだろうか。一年前の今頃、心に決めた。この子たちのために自分にできることをするしかないって……。
 人を探すのには慣れている。必要以上に心を揺らさず、冷静に手がかりを追跡し、組み立てて結果にたどり着くのが俺の生業であり、心身に染み付いてるはずの習性だ。だが、今はそれさえも揺らぎそうになる。

「ディフ」
「うん?」
「大丈夫ですよ……大丈夫」

 電話の向こうから注がれるしっとりと落ち着いたやわらかな声が、乾涸びた心臓を包み込んでくれるような気がした。

「うん………ありがとう」
「それじゃ、また後で」

 携帯を閉じて顔を上げると、ちょうどお姫様はお食事を終えられて毛繕いをしていた。前足でくしくしと顔をなで回し、お次はピンク色の舌でその前足を丁寧になめる。ひげを整え、お口のまわりをぺろりとなめると、オーレは顔をあげて、とんっとオティアの膝に飛び乗った。
 首輪に下げた金色の鈴が、ちりん、と澄んだ音を立てる。まるでそれが何かの合図だったようにオティアが口を開き……ぽそりと言った。

「たぶん、橋を渡った」
「シエンが?」

 こくっとうなずく。
 橋。
 そうか、橋、か。
 サンフランシスコで『橋』と言ったら……

「ゴールデンゲイトブリッジか? それともベイブリッジ?」
「東」
「……ベイブリッジか」

 ってことは、海を渡ってオークランドまで行っちまったのか、シエン。何て遠出だ、思い切ったことを。
 だが、これで捜索範囲が絞り込めるぞ。
 慌ただしく携帯を開く。確か警備会社に転職したやつが一人、そっちに勤務していたはずだ。
 一人ぼっちの子供がふらふら歩いてもあまり気にかけられない所。
 適度ににぎやかで、人の多い場所。
 近くに来たら遊びに来いと言われたが、その頃は『チャンスがないよ、そっちから来やがれ』と笑って答えた。

「ハロー? うん、俺だ。ちょっと聞きたいんだが……」

 事の次第を話していったん電話を切り、皿とカップを洗ってデスクに戻る。

「み」
「どうした?」

 オーレがぴん、と耳を立ててこっちを見上げてた。
 次の瞬間、電話が鳴る。待ちかねた相手からだった。

「マックス。いたぞ。お前さんが言った通りの子が」
「すぐ、迎えに行く! 声はかけるな、そっと見てるだけにしてくれ……人見知りの激しい子だから!」
「おいおい、落ち着けって。そんな大声出さなくってもちゃんと聞こえるぞ? まだまだ耳は達者だからな」
「あ……すまん。ありがとう、恩に着る!」

 電話を切ってから、デスクにつっぷしたまましばらく動けなかった。情けないことに一気に力が抜けちまった。
 しっかりしろ、安心するのはまだ早い。
 
「……」

 気配を感じて顔をあげると、オティアがちらっとこっちを見ていた。

「一緒に来るか?」

 尋ねると、だまって首を横に振った。

「わかった。それじゃ、留守番頼んだぞ」


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