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ローゼンベルク家の食卓

【4-9-2】迷子

2009/01/05 0:59 四話十海
「家を出た時は一緒だったんだな?」

 うなずいた。

「どこで別れた」
「ケーブルカーの駅」
「お前は歩いて来たのか」

 また、うなずく。さっきから最小限の言葉しか話さない。元々無口な子だが今は言葉を発するのがつらくてたまらないらしい。それもシエンのこととなるとなおさらに。

「シエンは……ケーブルカーに乗ったのか」
「たぶん」
「乗る所を見た訳じゃないんだな。いつも出勤に使ってる路線か」
「ん」
「時間は?」
「いつもと同じ」
「そう……か」

 オティアはまた口を閉ざしてしまった。腕の中でオーレが小さく『みゃう』と鳴いた。

 降りずにそのまま乗って行ったか。あるいは手前で降りたのか。情報はわずかだが、もっと少ない手がかりで捜査を始めた事もある。

「いかがいたしましょう。警察には……」
「俺から知らせる」
「かしこまりました。それでは私は上に戻りますので、何かご用がありましたらお申し付けください」
「ありがとな、アレックス」

 きちっと一礼すると、アレックスは事務所を出て行った。

 ノートパソコンを立ち上げて今日のスケジュールを確認する。動かせない用事は朝一番の資料提出だけ、後は一日ずらしてもどうにかなりそうだ。
 一身上の都合により本日の予定は全てキャンセル。ただ一人を探すために。

 地図を引っぱり出し、ケーブルカーの路線をたどる。沿線の管轄署を調べ、名刺入れと記憶をたぐって少しでも知ってる奴がいないかツテを探した。
 そう言や、警察辞めて警備会社に再就職した奴もいたよな……あいつ、どの辺で仕事してるだろう?
 
 十代の少年がぷいと姿を消した。いなくなってからやっと2時間経ったところ。普通なら『そこらで遊んでるんだろう』ですまされるのがオチだ。

『家出だろう?』
『よくある気まぐれさ。そのうち帰ってくるって』

 だが、関わりの深い人間が知らせれば、気にかけてくれる。

 過保護な奴だと流すことなく、ほんの少しだけ関心を強く持ってくれる。ありふれた日常の出来事から、注意すべき事柄へとシフトする。この差は決して小さくはない。
 公私混同もいいとこだが構ってられるか。シエンを見つけるためなら、どんなコネも人脈もとことん利用するさ。

 あの子は誘拐の被害者だった。恐ろしい体験が心の闇に深く根を下ろし、シエンは未だに知らない人間との接触を極端に怖れている。
 5月に俺が犯罪組織に誘拐された時も、どんなにか不安だったろう。目の前で現在進行形で展開される恐怖と生々しい過去の記憶に苛まれ、さぞ怯えただろうに。想像しただけで胸が張り裂けそうだ。
 ……それなのに、あの子は来てくれた。退院した時も、笑って出迎えてくれた。
 
 俺は今までずっとシエンに無理をさせてきていたのかもしれない。
 少しずつ降り積もってきた物が臨界点に達し、まっさらなハートがぱきりと割れた。それが、昨日の夜。
 家出ぐらいしたくもなるよな。

 だがな、シエン。いくらお前が大丈夫だと思っていても、トラブルってのは予想外のタイミングで不意に襲いかかって来る。決してお前を見逃してはくれない。
 犯罪や事故に巻き込まれた被害者は、最初っからそうしよう、そうなるだろう、なんて欠片ほども思っちゃいない。

 だから心配なんだ。

 ダメもとでシエンの携帯にかけてみたが、つながらなかった。電源を落しているらしい。 
 昨夜のオティアとは微妙にパターンが違う。あの子は今、自分の意志で行方をくらましている。だとしたら、自分のテリトリーからできるだけ遠ざかろうとするだろう。
 土地勘のない、見知らぬ場所に行こうとする。だれも自分に関心を払わない場所、自分との繋がりの希薄な場所に。
 滅多に一人で出歩かない。後ろから肩に触れられただけで恐怖が蘇り、パニック状態に陥る子がそんな場所で人ごみの中を歩き回ってると思うと……背筋が凍りつき、居ても立ってもいられなくなる。

「ハロー、久しぶり」
「やあ、マックス。元気か?」
「ああ、おかげさんでね。実は、ちょっと頼みたいことがあるんだ……」

 思いつく限りの知り合いに電話し、シエンの特徴を伝えて探してくれるように頼んだ。正式な捜索願いではないが、『見つけたら知らせてくれ』と念を押して。
 念のためサリーにも知らせておくか、とも思ったがこの時間じゃ学校か病院だろう。ランチタイムにでもかけてみるか。

 電話している間、オティアは一言もしゃべらなかった。それどころかこそりとも音を立てなかった。何もせずに、ただ座っている。
 
「……大丈夫だから……シエンは……必ず探し出す」

 俺の言ってることを聞いてるのか、聞いていないのか。相変わらずのポーカーフェイス&ノーコメント、だが顔色が良くない。オーレがしきりに体を掏り寄せている。主人の異変を感じ取っているんだ。わずかに左手が動き、白いふかふかの毛皮をなでた。

「しばらく外に出てくる。飛び込みの仕事が入ったら、今日は引き受けられない旨伝えてくれ。急ぎの場合は俺の携帯に回すように……OK?」
「…………………………………わかった」
「ペット探しの依頼が来たらこの番号にかけるように伝えてくれ」

 同業者の番号をメモして渡す。こればっかりは動物が相手なだけに一秒を争う、後回しにはできない。だからこう言う場合は互いに協力できるよう、あらかじめ取り決めを交わしてあるのだ。まさか使う羽目になるとは思わなかったが。

「シエンから連絡入ったらすぐに知らせろ。迎えに行くから。それじゃ、後は頼んだぞ」
  
 
 ※ ※ ※ ※
 

 ……行ったか。

 所長を見送ってからオティアはため息をついた。

 確かにディフはプロの探偵だが、おそらく捜索は空振りに終わる。
 誰にも知られず一人になりたいと思っている時、自分たちは人の認識から己の存在を消してしまうようなのだ。
 物理的に見えていても意識には残らない。精神的な『忍び足』とでも言えばいいか。ほとんど無意識のうちにしていることで、自分自身がそんな風に人の目を眩ませているなんて気づかなかった。
 自分はたまたま最初に『撮影所』から逃げ出す時に気づいたけれど、おそらくシエンはまだ知らない。
 あの時は傷の痛みと疲労、そして空腹で体力が極端に落ちたのと、目的地に着いたことで気がゆるんで『魔法』か解けて。最悪のタイミングで追いかけきた連中に捕まってしまった。
 今のシエンは怪我もしていないし体力もある。目的地に着くまでは、だれも彼を見つけられないだろう……。

 家出と言っても、帰って来ないつもりじゃない。ただしばらくの間、一人になりたいだけなんだ。だから邪魔しちゃいけない。
 
 今シエンのために自分ができることは、それだけしかないのだから。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 念には念を入れて古巣に顔を出し、少年課の知り合いに直接、シエンのことを頼んだ。予想通り最初は軽く受けとられたが、彼が誘拐の被害者だったこと、数ヶ月前には家族(要するに俺だ)も誘拐事件に巻き込まれていて精神的に不安定なのだと説明すると、反応が変わってきた。

「OK。パトロールの連中にもそれとなく気をつけるよう伝えておこう」
「ありがとう……感謝するよ。それじゃ」

 休憩室の前を通りかかると、ひょろ長い金髪の眼鏡野郎が背中を丸めてもそもそとリンゴをかじっていた。

「よう、元気か、バイキング」
「センパイ! お久しぶりです」

 ひょこん、と跳ね上がりこっちを見て、にこにこと子どもみたいに笑いかけてきたが……ふと表情を引きしめた。

「どうしました? すんごい最低ラインの顔してますよ」
「そうか?」
「はい。さっき少年課から出てきましたよね……何か問題でも?」

 相変わらず観察眼が鋭い男だ。恐らく、実際には口にしたことよりもっと多くのことに気づいてる。ただ、言わないだけだ。

「うちの金髪の双子の一人がさ……行方不明なんだ」
「どっちの子が?」
「シエンだよ。レオンの事務所でアシスタントしてる方の子だ」
「ああ。あの大人しそうな子ですね」

 暗にオティアはそうじゃないと言わんばかりの口調だ。

「……あの子、確か誘拐されて麻薬工場で働かされてましたよね」
「ああ」
「その前に居た施設もあんまりいい所じゃなかったし………」
「誰かにかっさらわれたって訳じゃないんだ。自分の意志で姿を消してる。原因はわかってるんだ。昨日の夜にはもう一人の子が家、飛び出してるし……いや、そっちはもう戻って来てるんだけどな」

 情けないくらいに支離滅裂だがどうにかただ事じゃない! って雰囲気は伝わったらしい。エリックは眼鏡の向こうで青緑の瞳を見開き、ちょこんと首をかしげた。

「あれあれ。かなり深刻、かつ厄介な状況みたいですね」
「ああ。深刻だ……俺、そんなに酷い面してるか?」
「はい。54時間不眠不休で追いかけた手がかりが実はスカでした、はい、一からやり直し! みたいな」
「やけに具体的だな、おい……」

 ふーっと息を吐く。苦笑いする気力もありゃしない。

「あの……センパイ」
「何だ?」
「オレに何かお手伝いできること、ありますか」
「……ある。頼みたいことがあるんだ」
「どうぞ、言ってください」

 メモ用紙にシエンの携帯番号を書き付け、エリックに手渡した。

「この番号の携帯、探してる。電源入ったら位置特定してくれ。できるよな?」
「そりゃあ……できますけど……」

 微妙に目、そらしてやがる。お決まりの鼻にかかった北欧式の発音が、いつも以上に内に籠って響く。迷ってるんだな、すまん、無茶言って。

「わかってるんだ。公私混同もいいとこだって。だけど……エリック……………」

 一瞬、モルグの検死台の上に乗ってるシエンの姿が脳裏に浮かび、あわてて払い除ける。
 喉が震えた。

「…………頼む」
「はい」

 ひょろりと指の長い、北欧系特有の血管が透けて見えそうな白い手を握りしめた。

「ありがとう」

 
 ※ ※ ※ ※
 
 
(はあ……やばかった)

 ディフを見送ってから、ハンス・エリック・スヴェンソンは秘かに冷や汗を拭った。

 技術的にできるってわかってる人から頼まれるとごまかせない、断れない。
 それに、あのセンパイの心配そうな顔ときたら……まるで今にも泣き出しそうで、昔みたいに肩を抱いてぽんぽんと背中を撫でたい衝動に駆られた。

 が、左手の薬指に光る指輪が。銀色の表面に刻印されたライオンが理性を呼び覚ました。

 いけない、いけない。慎みを持て、ハンス・エリック!

 手の中のメモを見る。
 無味乾燥な一連の数字に、記憶の中の少年の姿をだぶらせる。
 白人、男性、くすんだ金髪に紫の瞳、やせ形、小柄。名前はシエン・セーブル。よし、覚えたぞ。
 外に出る時も、できるだけ気を配ってこの子を探そう。
 あの人のために。


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