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ローゼンベルク家の食卓

【4-8-1】兄弟喧嘩

2008/12/12 21:49 四話十海
 
 ハロウィンってのはもともとケルトの収穫祭で、大挙して押し寄せる魔物や幽霊を脅かしておっぱらうためにロウソクを灯していた……らしい。

 コラムに記事に売り出し用のチラシのキャッチコピー、果ては店頭にかかげる垂れ幕用の売り文句まで。毎度毎度8月になると、とにかくこの手の文章をやたらと依頼される。
 毎度毎度調べて、書いて、そのたびに細かいことを忘れる。
 何しろお後がつかえているのだ。いちいち前の仕事を引きずっていられない。ハロウィンが終わるやいなや、街中の飾り付けはカボチャから七面鳥へと速やかにバトンタッチ、その次にはサンタとトナカイが控えている。

 ともあれ、2006年のハロウィンは死者の霊魂や魔物の他にもう一つ、大挙して押し寄せたものがあった。

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 サンフランシスコ名物、霧だ。
 海の湿り気をたっぷり含んだミルクのように濃密なやつがすっぽりと街中を覆い尽くし、どっしり腰を据えて居座っている。
 真っ昼間から車はフォグランプを灯してのろのろ最徐行、市内の学校は午前中でおしまい、飛行機は軒並み欠航。

 それでもハロウィン。あくまでハロウィン。

 サンフランシスコの街は(早い所では)十月の半ばを過ぎた頃からちらほらとオレンジと黒に彩られ、イミテーションのカボチャが顔を出し、週末からはどっと一気に派手なイルミネーションが家々の庭先や戸口、門柱に絡み付く。

 老いも若きも猫も杓子も、準備万端整えて、お待ちかねのお祭り騒ぎ。今さらだれにも止められやしない。

 カボチャにコウモリ、魔女に吸血鬼にフランケンシュタインの怪物、矢印みたいな角と尻尾を生やした小悪魔、定番のシーツ被ったお化けに蛍光素材の骸骨……に混じって何故かシスのダース・モール卿もいたりして。
 年々、ケルトの収穫祭からは倍速ダッシュで遠ざかってるような気がしないでもないが、楽しけりゃいいじゃねえか、お祭りなんだし。

 業種を問わず店の中はハロウィン一色、場所によっちゃ職場にまでこの手の飾り物がぶら下がる。
 ご多分に漏れずジョーイの勤める雑誌社もそうだった。仕事の打ち合せに現れた当人は、作り物の斧を頭にぶっ刺して上機嫌。
 毎年のことながら、こんな状況下で真面目に仕事の話をしている自分がちょっぴりアホらしくなるが、『子どもじゃないけど特別に』とか言われてでっかいガラスのボウルに山盛りになったチョコバーをさし出されたのでありがたく、がばっとひとつかみいただいてきた。

「ちょっとは遠慮しようって気にならないの?」
「ならないね。ごちそーさん」

 遠慮のエの字もなく包み紙をぺりりりと剥いて、わしっと一口ほおばった。
 ピーナッツクリーム入りだ。うん、美味い。
 帰り支度をしながらもっしゃもっしゃ口を動かしてると、ぽんと肩を叩かれた。

「それじゃ、よろしく頼むね!」
「ぅおっけー、まかしとけ」

 依頼されたのはハロウィンのイルミネーションの取材。ハロウィン当日の街の中を実際に歩き回って写真を撮る訳だが、社内では当然ハロウィンパーティーなんてものが開かれる訳で。
 だれだって同僚が浮かれ騒いでる時に一人ぽつねんと取材したかないわな。ってな訳で外注ライターの出動となる訳だ。
 思い起こせばばフリーになって間もない頃、ロクな仕事もなくてバイトで食いつないでた俺に友だちのよしみでジョーイが紹介してくれたのもこの仕事だったっけ。

 建物を出る間際に二つ目のチョコバーを剥いてほおばった。今度のはキャラメルクリーム入り。とろりと焦がした砂糖とミルクの甘みが口いっぱいに広がる。

 こんな霧の濃い日に車で出歩くのは愚の骨頂。だから雑誌社までは歩きで出てきた。
 全天候対応防水加工の黒のナイロンパーカーの前をきっちり閉めて、ポケットに手をつっこみすたすた歩く。

 いつもなら夕方から灯すイルミネーション、だが今日は昼間っから薄暗いのを幸い、既にあちこちの家の庭先でチカチカとオレンジの光が点滅してる。
 磨りガラスみたいに霧のフィルターがかかってくっきりはっきりしたチープな色と形が微妙にぼかされて、まるでレトロな映画のセットみたいに見える。
『作り物のリアリティ』とでも言うか。

 こいつぁ面白い写真が撮れそうだ。プライベートでも何枚か写しとこう。

 ポケットから買ったばかりのトイデジを取り出し、かしゃかしゃ写す。手のひらにすっぽり収まる程度の簡単なつくりのデジカメ。
 高校生の時に手になじんだトイカメラと似た様な絵が撮れる。ちょいとチープで懐かしい、デジタルの割になぜか銀版カメラに近いアナログっぽさのある写真が。

「Trick or treat!」

 既に学校の終わったちっちゃい子らが、親に引率されてお菓子ねだりに回り始めていた。思い思いの扮装に身を包み、オレンジ色のビニールバックやカボチャの形のプラスチックのバケツを手に手にぶらさげて。
 テレビアニメのキャラクター、子猫に王女に妖精。近頃はずいぶん可愛い系の仮装が増えたもんだ。定番の吸血鬼や魔女、ミイラ男に小悪魔も健在だがどこかユーモラスで『怖さ』からはほど遠い。
 ゴムマスクを被った子が少ないのは、顔がまったく見えず防犯上好ましくないからだろう。

 飾り付けの派手……もとい、にぎやかな家はそれだけ配るお菓子のラインナップもゴージャスと相場が決まっている。
 透明なでっかいボウルに山盛りになったチョコバー、キャンディバー、マシュマロ、キャンディ、クッキー。玄関先にスタンバイして待っている。

 安全性を維持するために最近は手作りお菓子は配らないらしい。
 俺が子どもの頃、とびっきり美味いクッキーを焼く若奥さんがいたんだが。今じゃ彼女のとこでも配ってるのは袋詰めの既製品だけなんだろうな。
 ちとさみしいね。

 住宅街はこんな調子でハロウィン真っ盛りだったんだが、マンションの敷地内に入ると急に静かになった。
 ロビーに2、3個上品にカボチャのランタンが転がってる程度か……まあ、あんまし子どものいないとこだし、この手の住居にはそもそも近所の子どもは菓子をねだりには来ない。

 ハロウィンの気配はここからは遠い。

 ………なんてこと思ってたらその日の夕食の食卓に並んだのが、カボチャのパイ(当然甘さ控えめ)にカボチャのスープ、カボチャのサラダと見事にカボチャづくしだったりする訳で。

「ハロウィン限定メニューか?」
「いや、安かったんだ」
「なるほど……」
「でかいの一個丸ごと買ってきた所に、ランタン作ったら中味が余ったってんで、ソフィアから大量にお裾分けをもらってな……」
「そっか……がんばったな、アレックス」
「うん、ディーンが大喜びしてたらしい」

 あとで写真撮らせてもらおう。

「これ美味いな。ひき肉とカボチャの煮込み」
「それ、サリーが教えてくれたんだ」
「ああ、だからソイソース仕立てなんだ」
「うん!」

 シエンが嬉しそうに報告してくれた。
 お湯につけた海藻(コンブと言うらしい)と魚のダシでしっかり下味をつけるのがコツなのだと。

「でね、こっちはパイ皮で包んでみたんだ」
「甘くないパンプキンパイか。おもしろいな」
「これならオティアも食べられるから。ね?」
「……ん……」

 相変わらず食は細いが黙って口に運んでいる。今イチ反応が鈍いっつーか、とろいっつーか……眠たげだが。

 Trick or treat!
 Trick or treat!

 カボチャづくしの料理を食ってる間、頭の中で子どもたちの声が何度もくり返す。

 Trick or treat!
 Trick or treat!

 家に帰って親父とお袋に、袋を開けて報告するのが楽しみだった。
 俺は里子で二人は里親。血のつながった親子ではなかったけれど。親と言うより友だちみたいな人たちだったけど。
 家庭で育つ子どもが経験するであろう楽しみは、でき得る限り体験させてくれた。
 子どもが生まれていたらしたかったことをしているだけ、だからむしろ礼を言うのは自分たちなのだと言って。

(こいつら、ハロウィンの菓子ねだりに出たことってあるんだろうか?)
(多分、無いだろうな)

 夕食の後。
 なけなしの勇気を振り絞り、オティアに話しかけてみる。

「なあ、オティア。この後、何か用事……あるか?」

 頭の上でチリン、とかすかに鈴の音がした。
 壁にとりつけられた真新しいキャットウォークをしゃなりしゃなりと白い猫が歩いて来る。端っこまで来るとぴょん、と飛び降りた。
 カーテンレールの被害を最小限に食い止めるべく設置された猫専用の足場を、このお嬢さんは存分に活用していらっしゃる。
 足元にすりよってきたオーレを抱き上げると、オティアはぼそりと言った。

「別に」

 こっちを見ようともせずに。

「だったら……さ」

 写真は既に帰ってくる途中と夕食前にけっこうな枚数を写しておいた。こいつの目の前でシャッターを切る必要もない。

「ハロウィンのイルミネーションの取材、手伝ってくれないかな、バイト代出すから……」
「………」

 何も言わずにぷい、と部屋を出て行った。
 要するに、あれか。

 Noってことだ。

「………だよ……な。うん、すまなかった」

 曖昧な薄ら笑いを浮かべて未練たらしく見送っていると、入れ違いにシエンが居間に入ってきた。心配そうにこっちを見てる。

(もしかして?)

 その瞬間、一つの可能性が閃いた。
 オティアに無視された理由。
 腕の中に飛び込んできた小さな体。一人分の熱、震えていた細い肩。とくとくと脈打つ鼓動が隠し切れない想いを伝えた。

(シエンがいたから……か?)

 目尻が下がり、浮かべた笑みに苦さが混じる。
 こらえろ、こらえろ、ここで情けない阿呆面さらす訳にはいかんのだ。シエンを泣かせたくないのは俺にしたって同じなんだから……。
 ぐっと飲み込み、何てことないんだって顔に切り替える。ぱたぱたと手を振って平穏な挨拶の言葉を綴った。

「おやすみ」
「ん……おやすみ」

 シエンを気遣ったからなのか。それとも本気で俺の誘いなんざ聞く耳もたなかったのか。
 いずれにせよ……切ない。

 ローゼンベルク家の玄関を出て、エレベーターに向かいながらふと気づいた。
 双子に出会ってから、もうすぐ一年になる。
 新記録だ。一年もの間、理屈も損得も抜きにただ一人の相手に恋い焦がれ、あきらめずに追い続けてきたなんて……。

 断られるの、これで何度めだろう?
 いっそ素直に『お菓子ねだりに回ってみないか』とか、『イルミネーション見物に行かないか』とでも言えば良かったのか。
 ……いや、結局は無視されて終わったろうな。オチは見えてる。シエンの前なら尚更に。

 ああ、まったく何だってにらみつけられる度にどぎまぎしちまうのか。
 にじみ出る凍てつく敵意や怒り、嫌悪、あるいは侮蔑の光に凍える一方で、夜明け前の空みたいな瞳に見とれてしまうのだろう。
 その唇から吐き出されるのが拒絶の言葉とわかり切っているのに。

 それでもお前に向かって呼びかけずにはいられない。
 暗い水のほとりに立って、奥底でじっと身を潜めているお前にいつか、この声が届くんじゃないかと……はかない望みを託さずにはいられない。
 一度でいい。俺を見て、名前を呼んでくれたら。

 魂を売ってもいい。
 ……………………買ってくれる物好きが居ればの話。

 いかんな。どうにも思考が袋小路だ。早いとこ自分以外のだれかと話して、リフレッシュするとしよう。
 エレベーターを五階で降りて、目当ての部屋の呼び鈴を押した。

「やあ、ソフィア」
「あら、メイリールさん、こんばんわ」

 鹿の子色のくるくるした短い巻き毛に濃い茶色の瞳。子鹿のようなオーウェン夫人は目をぱちぱちさせて、ちょこんと首をかしげた。

「えーっと……もしかして、お菓子ねだりにいらっしゃいました?」
「いや、そうじゃないんだ。ちょっと頼みたいことがあるんだけど、いいかな?」
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 アポ無しで出向いたにも関わらずアレックスとソフィアは快く俺のリクエストに応じてくれた。
 オーウェン夫妻のお言葉に甘えて自室に戻って仕事用のデジカメと親父の古い一眼レフを持ち出し、心ゆくまで撮影した。
 アレックス渾身のジャック・オ・ランタン、ちびっこ吸血鬼に仮装してごきげんこの上ないディーン。
 そしてプライベート用にアレックスとソフィア、ディーンの3人を。

「ありがとう、おかげでいい絵が撮れた。こっちの家族写真は後でパネルにして届けるよ。ささやかなお礼の印だ」
「ありがとうございます、メイリールさま」
「ディーンはもうお菓子ねだりに回ったのか?」
「うん! 幼稚園のお友達と一緒に!」
「そっかそっか。良かったな」

 鳶色の髪の毛をわしゃわしゃなで回していると、ソフィアがクッキーを盛った皿を手に台所から出てきた。

「いかがですか、メイリールさん」
「……いただきます」

 オーウェン夫人のカボチャのクッキーは、記憶の中の手作りクッキーと同じくらい……いや、それ以上に美味かった。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 ヒウェルは知る由もなかった。
 まさにこの瞬間、双子の部屋で一つの大事件が勃発していたことを。

 それは生まれて初めての兄弟喧嘩。口火を切ったのは意外にもシエンだった。

 猫を抱いて自分たちの部屋に戻ったオティアは黙ってソファに腰かけ、オーレの背中を撫でていた。
 少し遅れて入ってきたシエンはつかつかと近寄り、正面からオティアと向かい合った。

 紫の瞳が怪訝そうに兄弟を見上げる。一年前の二人はそれこそそっくりだった。着ているものを変えてしまえば入れ替わっても分らないくらいに。
 今はシエンが髪を伸ばしているのと、着ているものにはっきり差異が現れてきたこともあり、見分けがつくようになっていた。
 仮に同じ服を着て、同じ髪型をしていたとしても……ディフはかなりの確率で自分とシエンを見分けるだろう。
 ヒウェルはほぼ確実に。

 何が言いたいのか。何を言おうとしているのか。お互いに言葉にする前に伝わる。小さい頃からずっとそうだった。

「どうしてオティアっていつもそうなの?」
「何が」
「ヒウェルだよ。わかってるでしょ」
「……」

 ぴしゃりと叩き付けるような口調だった。手のひらの下で、びくっとオーレの柔らかな体がすくみあがる。

「さっきだって、あんなふうに無視する必要なかっただろ」
「だったらお前が行けばいい」
「そうじゃないでしょ!」
「………何怒ってるんだよ………」

 何が言いたいのか。何を言おうとしているのか。言葉にする前に伝わる。小さい頃からずっとそうだった。
 そのはずだったのに。

 シエンの心がわからない。急に二人の間に分厚く堅い壁が立ちはだかったようだ。
 それは断じてあってはならない事だった。少なくとも、オティアにとってはそうだった。

「本当は行きたいクセに」
「俺は、別に」
「俺にまで嘘つく気?」
「……俺は……」
「人のせいにしない!」

 吐き出されたのは言葉だけ、だが横っ面をはり倒されたような衝撃が走る。

 お前がヒウェルをどんな風に思ってるか、見ているか、知っている。だから拒んだ。話を聞かずに部屋を出た。
 それなのに。

「まだ何も………」
「そんなことされても、俺がみじめになるだけなんだよ!」
「シエン」

 わからない。
 お前が泣くから、あいつに背を向けている。それなのに、何で、そんな顔するんだ。今にも泣き出しそうだ。

「……ホントは……好きなクセに……」
「……」

 わからない。
 今、この瞬間、シエンが何を思っているのか。ただ伝わってくるのは震える声と痛い言葉、そして涙をいっぱいにためた紫の瞳。

(好き?)
(だれが? だれを?)
(好き?)

 細かく震えながらオティアは首を左右に振った。
 体をくの字に折り曲げると、シエンは全身から声を振り絞り、叫んだ。

「出てってよ! 当分こっちには来ないで!」

 凍りつく。
 目に見える物全て。体を包む空気、手に触れるもの、耳に聞こえる音。ことごとく色あせ、沈黙し、遠ざかる。
 この世で何よりもだれよりも近しい相手から拒絶され、切り離されたその瞬間。
 オティアの胸は引裂きさかれ、乱され、一番奥に潜んでいた透明な結晶が………まっぷたつに折れた。声にならない悲鳴を挙げて。

(シエンが悲しんでる。苦しんでる。だれのせいだ?)
(考えたくない。知りたくない、わかりたくない)

 よろよろと立ち上がる。
 膝から白い猫がすべり降り、とすっと床に降り立った。首輪につけた鈴の音が空ろに響く。

 自分のしてきた努力が全て否定され、捧げてきた相手から拒まれた。
 その瞬間、オティアは存在する意味を見失い、これまで積み重ねてきた時間は全て無為なものと化した。
 
『出てって』

 居間を飛び出し、玄関に走った。いつも出入りする本宅の玄関ではなく、この部屋の本来のドアへ。

 ここに居たくない。居てはいけない。

 周囲の景色が凄まじい早さで後ろに流れてゆく。ドアの閉まる音すら聞こえなかった。

 できるだけ遠くへ。離れなければ。急いで、もっと急いで!
 自分がどこに向かっているのか。何をしているのか。それすらもわからぬまま、オティアは闇雲に走り続けた。
  
 あって当然のもの。
 かけがえの無い絆。
 見えるはずのものが今、見えない。
 
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