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ローゼンベルク家の食卓

【4-21-8】デリバリー

2010/12/04 20:02 四話十海
 
 コップが二つ入った紙袋。中味はアイスのソイラテ。揺らさぬように、こぼさぬように慎重に足を運ぶ。分析する証拠品を運ぶ時よりも慎重に、真剣に。自転車がすぐそばを追い越して行く。足を踏ん張って、とっさに立ち止まった。
 自分用のタンブラーは今回は使わない。シエンと一緒に、同じ持ち帰り用のコップで飲むことに意味がある。
 
 そう、一緒に、だ。
 
 マンションのロビーに乗り込んだ所ではたと気付く。
 その前に、越えなきゃいけない難関があるじゃないか! 燃え立つ赤毛、広い肩幅、分厚い胸板、ぶっとい腕。天下無敵のガーディアン。
 思い出したように左の頬がずくり、と疼く。冷凍グリーンピースで顔を冷やしながらケーブルカーに乗った、二月の夜。帰った頃にはすっかり溶けていて、再度凍結させる訳にも行かず、その日のうちにスパムミートと一緒に炒めて食べた。やたらとしょっぱかった。
 我ながら学習能力が無いよ……でも引き返すつもりはない。インターフォンで目当ての部屋を呼び出すと、聞き覚えのあるバリトンが答えた。

「Hello?」
「……エリックです」
「……どうした、バイキング」
「コーヒーの出前にうかがいました」
「頼んだ覚えはないぞ?」
「シエンに」

 沈黙が答える。一秒、二秒、三秒……測定している時間以上に長く感じられる。受話器の向こうでいったい、どんな顔をしているのだろう。

「上がってこい」
「了解」

 よし、最初の関門はクリアした。いざ進め。塔を登り、さらなる奥へ。
 6階でエレベーターを降りて、勢いに任せて歩き出す。
 一つ、二つ、ドアを通りすぎ、三つめで足を止め、呼び鈴を押した。
 ぎ、ぎ、ぎ……ドアが開く。腕組みした赤毛のガーディアンが待ちかまえていた。

「来たか、バイキング」

 ぎろり、とにらまれた。
 ああ、この顔には勝てる気がしない。
 大学をスキップして学位を取って、その後警察学校でも順調に訓練を終えてサンフランシスコ市警に入り、最初にぶつかったのがこの人の強面だった。噛みつかれるんじゃないかってくらいの勢いで睨まれて、思わず腰が退けた。初めて思った。警察って言うのは何て怖い所なんだろう、と。(今思えばどこかまちがってる)以来、頭があがらなかった。
 今こうしていてもつい、条件反射で謝罪の言葉が喉元までくみあげる。
 だけど引き下がるものか。これぐらいは予想の範囲内だ。ぐっと腹に力を溜めて見返した。

「……チャンス……ください。オレ、本気ですから。今度こそあきらめませんから」
「次は拳だぞ?」
「……わかってます」

 のっしのっしと歩く背中の後をついて行く。玄関からリビングを通り抜け、子供部屋のある方へ……行きかけて、どしんっとぶつかった。
 
「おっと」

 あわてて紙袋の中味を確かめる。
 良かった、こぼれてない。

「そっちじゃない」

 声をかけられて始めて気付く。自分が今し方ぶつかったのが、他ならぬセンパイの背中だってことに。

「あっ、す、すみません」
「謝るな。大したことじゃない」

 ぐいっと口をヘの字に曲げたまま、センパイはくいっと右手の親指でキッチンに通じるアーチを指さした。

「向こうにいる」
「あ……そ、そうですか」

 そう言えばそうだよな。夕食を作ってる時間だ。美味そうなにおいが漂ってくるし……うわ、もしかしてオレ、すごく不躾な時間に押しかけちゃったのか? ええい、ここまで来てひるむな。前に進め!

「じゃあ、ちょっと失礼して……行ってきます」

 早足でセンパイの隣をすり抜け、キッチンに向かう。
 ふんっと鼻を鳴らす気配がした。どうやら、リビングで待機しているつもりらしい。
 ここの家はリビングとキッチンの間は壁や家具で視線が通らないようになっているだけで、ドアで完全に隔てられてはいない。
 だから、待機なんだな。
 背中にびったり貼り付いてるんじゃなくて。

「あ」

 どぅんっと心臓が跳ね上がる。
 何てこったい、食堂に入った途端、探し求めていた相手とぱったり出会ってしまうなんて! てっきりキッチンに居るものとばかり思っていた。心の準備をするために、深呼吸する暇さえなかった!

 どっしりしたクルミ材の食卓の上には新聞紙が敷き詰められ、水を満たした小皿に、練り上げたひき肉と野菜の混合物の入ったボウル、白い薄い皮、そしてきちんと包まれた三日月形の食べ物が並んでいた。
 餃子だ。
 中華のテイクアウトでおなじみの。

 そしてシエンが。指先を粉だらけにして、包みかけの餃子を手にしたまま、固まっていた。
 夏服、着てる…出会った時は冬服だったのに。
 君と会えなくなってから、もう、それだけの時間が過ぎてしまったのか。

「や、やあ、シエン」
「……エリック……」

 紫の瞳がこっちを見た。美味そうなにおいに包まれて、オレも彼も動けず、話せない。『コーヒー一緒に飲まない?』何度も練習してきた言葉が、いくつもの細かい粒子にばらけてすぱーんっと四方に飛び散ってしまった。

 ざっしざっし。
 ざっし、ざっし。

 何だろう。どこかで、布を引っかくような音がする。

 ざっし、ざっし……

 首の後ろに、ぷにっとした柔らかい小さなものが、ぎゅーっと押し付けられる。と、思ったら、やわらかくて、あったかくて細長いものが、ふにゃっと頭に被さってきた。

「あ……」

 シエンの顔から強張りが抜ける。
 何?
 一体何があったんだ?

「ぅにゃう!」

 得意げな声が、頭の上で響いた。それこそすぐ近くで。しなやかなしっぽがにゅんっと耳のすぐそばをかすめる。ふかふかの毛皮が首筋に当たり、こしょこしょくすぐったい。近過ぎて姿は見えない。だけど正体はすぐにわかった。

「えっ? あれ、オーレ? いつの間にっ」
「気がつかなかったの?」
「うん……全然。あ、餃子作ってるの?」
「うん。夕食に」

 そっと紙袋を食卓の上に載せ、キッチンに向かう。蛇口を捻って丁寧に手を洗い、食卓へと取って返す。

「手伝うよ」
「あ……うん、ありがとう」
「包んだり、乗せたりするのは得意なんだ。でも作るのは始めてだから……お手本、見せてくれる?」
「……うん」

 シエンから椅子一つ分、空けて隣に座る。

「こうやって、スプーンで皮の上にタネを載せるんだ。大きさは、これぐらい」
「ふむふむ……」
「次に、皮の周りに水をつけて……乾かないうちに包んで、ギャザーを寄せて、くっつける」

 あっという間にタネがきちっと包まれ、餃子の形になった。

「なるほど。折り紙みたいだね」
「そうだね、似てるかも」

 仕組みと手順さえわかれば後は簡単だ。シエンの動きを思い出しながら、皮にギャザーを寄せてきゅっと包む。

「……できた」
「OK、その調子。タネの分量はもうちょっと減らした方がいいかも」
「そうなの?」
「焼くと膨らむから」
「なるほど、膨張を計算に入れるんだね……」

 二つ目は、一つ目に比べて少しほっそりと小さめに作った。

「こう?」
「そう、そんな感じ!」
「ずいぶん沢山作るんだね。これ、全部焼くの?」
「多めに作って、冷凍しておくんだ。焼いてもいいけど、今日は蒸す予定」
「ああ、だからキッチンに蒸篭が置いてあったんだね」
「うん……」

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