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ローゼンベルク家の食卓

【4-21-9】一緒にコーヒーを

2010/12/04 20:03 四話十海
 
 ほっそりした指が、白くて丸い皮を手のひらに乗せる。小さなスプーンで一杯、具をすくい取って真ん中にちょこんと盛って、濡らした指で皮の円周をくるりとなぞり、ぱたぱたとギャザーを寄せて折り畳む。あっと言う間に餃子が一つできあがり。
 君の動作を目で追いながら、自分の手で動きをなぞる。最初はぎこちなく、少しずつ滑らかに……スケートと同じだ。

「あ」

 うっかり力を入れ過ぎた。皮が破れてしまった。

「大丈夫だよ、ちょっと貸して」

 破れた餃子を手にとると、彼は指に水をつけて、ちょい、ちょいと塗って、破れた場所にもう一つギャザーを寄せた。

「わあ、直った」
「皮に水をつければ、けっこう伸びるんだ。自家製だから」
「えっ、皮から作ったの?」
「……うん」
「すごいなー。本格的だ!」

 ほんのりと頬の周りに紅が広がる。柔らかなパステルで軽く円を描いたように。嬉しいのかな。照れてるのかな? 見てると何だか自分まで咽の奥がくすぐったくなってくる。

(会いたいと願い続けた人が今、隣にいる)

 シエン。
 夢みたいだよ。君とこうして、また同じテーブルに着くことができるなんて。
 二月から三月、四月、そして五月。何を見ても何を聞いても、君を思い出さずにはいられなかった。
 三カ月の月日を経ても、君を求める気持ちは色あせない。磨かれ、余分なものが削ぎ落とされ、くっきりと輪郭が浮かび上がっている。さらに隔てられた時間とともに、痛いほどの激しさは徐々に鋭さを潜め……燃え盛る炎から、オレンジ色のロウソクの灯りへと変わっていた。
 穏やかな灯火。けれど内に秘めた熱さはいささかも変わることはない。
 どんなに隔てられていても、ずっと燃え続ける。決して消えることはない。

 好キダ。
 愛シテル。
 君ヲ離サナイ。

 今必要なのは、激しい求愛の言葉じゃない。君とオレの距離を繋ぐ、ゆるやかな空気。何でもない日、掛け替えのない日常の積み重ねなんだ……多分。
 きっと。

「これ、中味は何が入ってるの?」
「ひき肉と、白菜と、ニンニク。あとニラとネギと、ごま油」
「野菜が多いんだね」
「うん、その方がバランスとれるから」

 できあがった餃子をペーパーを敷いたトレイの上に、きちんと縦列横隊で並べて行く。
 作っている間、妙に髪の毛ががしがしと引っ張られるような感じがしたけど、今はそれどころじゃない。

(シエンと同じテーブルについて、同じことをして、同じものを見ている。一緒に、同じ作業をしている)
(これ以上に大事なことがあるか?)

「あ……これ、何となくラビオリ作るのに似てるな」
「ラビオリって?」
「パスタの一種だよ。小麦粉を練って作った皮に、スパイスと混ぜたひき肉を入れて……チーズをかけて焼いたり、ソースで煮たりするんだ」
「わあ、それじゃそっくりだね」
「うん、見た目もよく似てる?」
「じゃあ、これパスタソースかけても美味しいかな?」
「……材料も中味も同じなんだし、けっこうイケるかも? ラビオリは皮を二枚を張り合わせて作るんだ。一回茹でてから、オーブンで焼く事が多い」
「あ、じゃあちょっと違うかな。餃子は、フライパンだから」
「そうなんだ!」

 あれ、首をかしげてる。可愛いな。小鳥みたいだ。口元が自然にゆるむ。

「作ってるとこ見るのは始めてだよ……オレにとって、餃子ってでき上がってパックに入ってるか、お皿の上に乗ってる物だったから」
「そっか……」
「家に居る時もあまり、自分では料理しないしね。お粥煮るぐらいかな。ああ、あと、サンドイッチ!」

 舌の上にしっかりとしたバケットの味が蘇る。チーズと塩漬けのハム、アボカドにトマトとレタス。EEEと向き合ってかじった特大のサンドイッチ。噛んだ瞬間、バリっと音を立てて皮が割れた。

『エリック。伝えることを怠ってはいけないよ……』

 丁度その時、餃子のタネも皮も終った。何て見事なタイミング。まるで、時間の神様がとん、と背中を押してうながしているみたいじゃないか。
 さあ、言え。今を置いて時はない、と。
 粉だらけになった手を、二人並んでシンクで洗う。流れる水に指を浸しながら、勇気を奮い起こす。
 ぼんやりとした感情から思考を削り出し、息から音へ。ばらばらの声を繋げ、言葉を組み上げる。
 ずっと言いたかった。何度もシミュレートしながら、君に伝えるまでにずいぶん遠回りした『些細なひと言』を口にする。

「シエン」
「うん」
「あの紙袋……」
「ん……」
「……コーヒー…持ってきたんだ」

 きゅっと蛇口を締めて、シエンと向き合う。

「一緒に飲みたくて……だけど、だけど……つまり、それは、その……」

 えい、何てことだ。決心したはずなのに、言いたいことが上手くまとまらない。咽の奥で分解して右往左往に迷走し、するりするりと記憶のひだに潜り込む。
 一杯のコーヒーに籠めた想いは何だ? スタバで通い詰めた理由は? カフェインの補給なら署の休憩室でもできる。あの店でなければいけなかったのは何故だ?

「……君と一緒に居たかった。同じ場所で、同じ時間を過ごしたかったんだ」

 シエンはゆっくりと首をめぐらせ、食卓に置かれた袋を見た。緑の円の中に白く浮かぶアルファベット。黒を背景に描かれた人魚のロゴマークのプリントされた、茶色いざらっとした紙の手提げ袋を。

「あの店のコーヒー……もうずっと、飲んでないな」
「飲む? アイスのソイラテ」

 すたすたとテーブルに行き、コップをとり出した……あれ? 結露してる!

「餃子つくってたから……時間たっちゃったね」

 氷はすっかり溶けてしまっていた。アイスと言うより、もはや室温だ。

「そうだ、冷たい牛乳を足せばっ!」
「……ソイラテに?」
「ああっ、そうだったっ」

 ソイミルクは植物性。
 牛乳は動物性。
 どちらもミルクだから相性は悪くないけれど、混ぜたら牛乳の風味がソイミルクの味を飲み込んでしまう。

「それじゃ意味ない!」

 何のためにソイラテにしたんだか!

「えーっと、えーっと、氷……入れたら薄くなっちゃうし、水……もだめかっ」

 冷蔵庫の前でおろおろしていると、くすっと笑う気配がした。
 今、キッチンにいるのはシエンとオレだけだ。自分が笑った自覚はない。と、言うことはつまり……
 そろりと振り返る。眼鏡のフレームと裸眼の視界、そのぎりぎりの境目に彼の笑顔が見えた。

「いいよ、そのままで。せっかく持ってきてくれたし」
「う、うん………」

 笑った。シエンが笑ってる。
 ぎくしゃくとコップを持ったまま体の向きを変える。クリアな視界の真ん中で、君の姿を捉える。

「はい、コーヒー……室温だけど」
「ありがとう」

 夢じゃない。現実だ。本物の、生きた君がオレの目の前で笑ってる!
 ラッキー。ハレルヤ! ウラーーーーーッ!(※デンマーク語で『万歳』)

「月ごとの限定メニューとか一通り試してみたんだけど……結局、これに落ち着いた」

(あれ? 何でオレ、どうでもいいこと説明してるんだろう……)

 こくっと一口飲むと、シエンはあれっと首をかしげた。

「こう言う味だったかな? 何だか、覚えてる味よりあっさりしてる」
「ソイラテだから……って言うか、氷も溶けちゃってるしね!」

 頬が熱い。たぶん今、顔の真ん中に真っ赤な斑が広がってるだろうな……血管に沿ってじわじわと、クレヨンで書きなぐった謎の地図みたいにくっきりと。北欧系はこう言う時、すぐ顔に出る。

(熱い……Hot……あ、そうだ)

「ホットビスケットもあった方が良かったかな」
「ううん。いいよ、自分で作った方が早いし」
「そ、そっか、そうだね、ここ、でっかいオーブンもあるし!」
「うん、大きいから火力が強いんだ。だから最初に焼いた時は、ちょっと生地がぼそぼそしちゃった。でも今はもう完璧に覚えたよ。オーブンの癖をつかんだから!」
「使いこなしてるんだね」

 オーブンに軽く触れながらシエンは誇らしげに胸を張った。
 
「Yes!」

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