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ローゼンベルク家の食卓

【4-20-8】あの頃みたいに

2010/09/12 17:10 四話十海
 
 3月の最初の土曜日。
 鉛色の雲の隙間から温かな日差しがこぼれ落ち、これまでの凍てつく寒さが夢のように溶けて行く昼下がり。

「それじゃ、行ってくる。シエンとオティアを頼む」
「はい。任せてください」

 午後からサリーに双子を任せ、二人きりで出かけた。行き先はレオンだけが知っている。

「知り合いの経営するジムがあるんだ。完全予約制だから、ゆっくりできるよ」

 顧客の誰かがやっている会員制のスポーツクラブだろうと、軽く考えていたんだが……レオンの運転する車はビジネス街を通り抜け、高級住宅街を素通りし、どんどん郊外へと向かってゆく。

「どこまで行くんだ?」
「もうすぐだよ。そら、そこだ」

 着いた所はブドウ畑のど真ん中。
 専用の馬場まである、だだっぴろい建物だった。プールもある。ランニングコースも整えられている。ガラス窓の向こうには、アスレチックマシーンが備え付けられたジムも見える。だが少なくとも、会社の行き帰りにふらりと立ち寄れるような場所じゃない。目立つ看板もないし、広告もない。

「……………………えっと……これは……」

 あんぐり開いた口を、ぱくぱくとかみ合わせる。声が出るまでにしばらく時間がかかった。

「どこのスポーツクラブ……なのかな」
「言ったろう? 知りあいのやっているジムがあるんだ、って」
「プライベートジムってことか……」

 それならわざわざ、人を呼び寄せる必要もない訳だ。充実した設備と行き届いたサービス、人目を気にしないプライベートな時間。本来なら矛盾するはずの贅沢を両立するのに、一体どれほどの金と手間がかかるのか……ざっと計算しただけで目まいがしそうだ。

「話はつけてある。今日は俺たちだけの貸し切りだ。たまにはいいだろう?」
「何が、いいだろって……」

 楽しそうだな、レオン。俺の度肝を抜いて、そんなに嬉しいか! まったく、お前って奴は……。

「それとも俺と二人きりは、いやかい?」

 よせ。そんな拗ねた顔したって、ごまかされやしないからな!

「い……嫌な訳、ない」
「……行こうか」
「ああ」

 差し伸べられた手をとると、くいと引き寄せられた。ごく自然に腕を組み、体を寄せる。
 レオンはまっすぐに厩舎へと向かった。ちゃんとわかってるんだな。俺が、何に心引かれているのか。
 中に入ると馬の声、鼻を鳴らす音、牧場のにおいが押し寄せてきた。久しぶりに。本当に久しぶりに触れる懐かしい空気に胸が高鳴る。

「いい馬だ……」
「どれでも、好きなのを選ぶといい。君ならどの馬でも乗りこなせるだろう?」
「どうかな。相性ってのがあるからな」

 一頭一頭に静かに話しかける。側によってもいいかな。撫でてもいいか? 俺を乗せてくれるか?
 何度も往復して、徐々に候補を絞り込み……がっしりした黒毛を選んだ。

「こいつがいい。面構えが気に入った」
「君らしいね」

 レオンが選んだのは、しなやかな体つきの芦毛だった。
 馬具をつけ、並んで馬を走らせる。
 俺のやり方はテキサス仕込みのカウボーイ式だ。ジーンズを履いてラフにまたがればOK。礼儀作法にはこだわらず、基本的に細かいことは気にしない。守るべき掟は至ってシンプル。背筋を伸ばせ、膝を締めろ。馬と自分を危険に晒さない。傷つけない。ただそれだけだ。
 しかも嬉しいことに、レオンはきっちりと俺のテンガロンハットを持ってきてくれていた。
 完璧だ!

「腕は鈍ってないようだね」

 乗馬服を着たレオンは、手綱の扱い一つとっても優雅で気品にあふれていて。まるでヨーロッパの貴族か、王族だ。(見たことないけど)
 
「……そっちこそ」

『かっこいいぞ、レオン。まるで王子様だ』
『君はカウボーイみたいだね』

 少年の頃、こんな風に並んで馬を駆けさせた。夏休みに、俺のバイト先の農場で。少しでも早くお前に会いたくて、帰省を途中で切り上げた……。
 レオンの表情が柔らかくなる。手に取るように伝わってくる。本当に、楽しそうだ。
 嬉しかった。

 ふと、コース上にジャンプ用の障害があるのに気付く。

「こいつ、飛べるかな」
「どうだろう?」
「多分……飛べるな。飛びたがってる」
「ディフ?」

 馬場を軽く回って助走をつける。障害に向かって走り出したが、黒毛はまったく怯える素振りを見せない。
 うん、大丈夫だ。むしろ、喜んでる。体を伏せて、馬と自分の動きを同調させる。
 ……今だ。

「そらっ」

 待ってましたとばかりに黒毛は地を蹴り、ふわりと浮いた。湿った土と青草の香る風が吹き抜ける。重力から解き放たれ、髪が後ろへとたなびく。
 軽々と柵を越え、流れるような動きで前足が着地し、後足が続く。ほとんど余計な揺れや衝撃を感じなかった。しなやかな筋肉が。丈夫な骨組みが、全て受け流し、前へ進むより大きな力へと変換していた。

 余韻を楽しみながら駆け足から早足へ。徐々に歩調をゆるめて行き、馬が止まったところで首筋をなでた。

「よしよし。いい馬だ」
「ディフ」
 
 背後から声をかけられ、はた、と気付く。

『今度からは、やる前に言ってくれ』

 昔、勢いに任せて牧場の柵を飛び越えた時の記憶がよみがえる。むすっと眉をしかめて、険しい目つきで睨まれた。
 おそるおそる振り返る。

 ……笑ってる。

「お見事」
「……ありがとう」

 馬を降りてから、室内プールで泳ぐことにした。ロッカールームにいるのは二人きり。本当に貸し切りなんだな。
 広々とした部屋で隣り合わせたロッカーを開け、並んで着替える。背中にレオンの視線を感じながら、贈られたばかりのスイムスーツに身を包む。膝上丈のパンツの上から、半袖のスーツを被る。背中のタトゥーは、ぴったりフィットした黒い布地の下に隠された。
 試しに腕を回してみる。ほとんど違和感はない。

「サイズ、ぴったりだ」
「似合ってるよ」

 ストレッチで体をほぐす間も、彼の視線がまとわりついてくる。見られていると思うと妙に緊張する。
 遠慮のエの字もありゃしない。こいつ、二人きりだと思って……そりゃ確かに客は俺たちしかいないがな。スタッフはいるんだぞ!

「どうしたんだい?」
「……いや、何でもない」

 にこにこ笑って、首なんかかしげてやがる。
 直に手は出していないから、たしなめる訳にも行かない。仮に触られたところで、拒むのはもとより、文句を言うつもりもないが……。
 わかってるんだろうな。多分。
 くやしいやら、照れ臭いやらで、初っぱなから飛ばした。水に入るなりバタフライで二往復、続いてクロールで一往復。
 
(……俺、何やってるんだろう)

 ふと我に返ってプールの真ん中で動きを止める。仰向けになって、ぽっかり浮いて息を整えていると。すうっとしなやかな影が近づいてきて……水の中に引き込まれた。
 
(う)

 泡立つ水の向こうに、笑っているレオンがちらりと見えた。
 あの時のお返しか?
 腕の間をすりぬけ、一段と深く潜る。互いに互いをつかまえようと、水の中でムキになって追いかけた。追いかけられた。
 派手な水しぶきが上がり、次第に距離が近づいて行く。
 
(逃げるなよ、レオン)

 水をかいて一気に距離をつめた瞬間。彼はくるりと振り返り、自分からしがみついてきた。

「っ!」
「……つかまえた」

 ああ。
 つかまった。
 逃げるつもりは、ない。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 プールから上がった後、備え付けのサウナに入った。もちろん二人きりだ。
 うつぶせに横たわるディフの背に手を伸ばす。
 
「……ん」

 髪の毛をかきあげ、背骨を中心に広がる翼に沿って手のひらを滑らせた。彼は気持ちよさそうに目を閉じたまま小さく息を吐き、自分から体をすり寄せてきた。

(可愛いな)

 こうして二人きりになってみると、改めて気付く。いかに自宅でリラックスできなくなっていたか……
 ドアや壁で隔てられていても、どうしても子どもたちに遠慮してしまう。ディフも常に心のどこかで、子どもたちに異変がないかと、気にかけていた。何かあったら、すぐに駆けつけられるように。

 家を離れて、別の建物に来たことで、ベッドの中でも。浴室でも。無意識にかけていた鎖から解き放たれたようだ。
 さすがに係員の手前、あまり濃密に絡み合うことはできなかったが……実に清々しい気分だ。

 できればこのまま一晩泊まりたいくらいだが、さすがに今はまだ難しいだろう。
 これからは時々、二人きりの休暇を過ごそう。
 そうだ、週末を過ごすためのセカンドハウスを用意するのもいいな。日帰りでもかまわない。誰の目も気にせずに、二人きりで過ごせる場所を……。

 ぱちり、とディフが目を開けた。

「……楽しそうだな、レオン」

 うなずくと、彼は目を細めて白い歯を見せ、ほほ笑んだ。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「ただいま……おわ?」
「おや」

 居間に入ると、ローテーブルの上にずらりと紙が並んでいた。それも、ただの紙ではない。きちんと折られて、半ば立体的な形に整えられている。しかも鳥や船、花、カエル、人形っぽい形になってるやつもある。

「おかえり!」
「これ……どうしたんだ」
「オリガミ。サリーが教えてくれたんだ。これ便利だよ」

 そう言ってシエンは紙で折った箱を手に取った。

「チラシとかコピー用紙で簡単に折れるんだ。クリップとか、ピーナッツの皮とか、いろいろ入れられるでしょ?」
「なるほど、実用的だな」
「うん」

 とても嬉しそうだ。自分の手が、役に立つものを作り出すのが楽しくてしかたないのだろう。

「こっちのトンガリ帽子みたいなのは何だ?」
「カブト。サムライの被るヘルメットなんだって」
「ああ……なるほど」

 言われてみれば、そんな形に見えてきた。

「お帰りなさい。夕食の準備、できてるよ」

 白いかっぽう着を着たサリーがキッチンから出てきた。その後からはブルーのストライプのエプロンをつけたオティアと、いっちょうらの白い毛皮のドレスをまとったオーレ。しっぽをピーンと立てて、しゃなりしゃなりと歩いている。

「すっかり任せちまったな、サリー。世話になった」
「ううん、楽しかったし。こう言う料理って一人だと作らないからね」
「腹減ったー。今日の飯、何?」

 のっそりとへたれ眼鏡がやってきた。

「……いいタイミングで来たな」
「おわ、何だ、このオリガミの山は!」

 一目でわかる辺りはさすが物書き、この手の知識量はハンパなく多い。
 そして食卓の一角には、オリガミで作った人形らしきものが一対、並べられていた。キモノを着た男女のペアで、ご丁寧に顔まで描いてある。居間にあったのとは別格らしい。

「これも、オリガミか」
「うん。おひなさま」
「オヒナサマ?」
「今日は3月3日だからね」

 サリーの言葉に、ヒウェルがごく自然に頷く。

「ああ、ヒナマツリ」

 オティアとシエン、サリーとヒウェル、そしてレオンとディフ。
 6人で食卓を囲み、ひな祭りのディナーが始まる。メニューはシーザーサラダにナスとトマトのマリネ、メインの押し寿司は型から抜いて、一番上にスモークサーモンや茹でたエビ、スライスした卵とアスパラをトッピングしてきれいに飾り付けてある。

「ケーキみたいだな。何だか食べるのがもったいない」
「日本でもクラムチャウダー食べるの?」
「本当は、塩味でうすく味付けただけのシンプルなスープなんだけど。ここはサンフランシスコ式にチャウダーにしてみました」
「オシズシに、ハマグリのスープ。なるほど、見事にヒナマツリの料理だな! でも、もう一つあったんじゃないか? ほら、White-Sakeとか言うアレ」

 くいっとヒウェルがグラスをあおる動作をする。

「白ワインじゃ代わりにならないかな?」
「それだ!」
「せっかくサリーが来てることだし、日本茶も入れるか」
「お湯沸かしてくるね」

 もう、そこには息詰まるような重苦しさも、いたたまれない尖った空気もなかった。
 
(これで……いい……)

 オティアは秘かに安堵の息をついた。
 シエンの表情は作り物じゃない。帰ってきたディフとレオンの空気は、明らかに家を出る時にくらべてリラックスしていた。
 すっかり、いつもの『ぱぱとまま』に戻っていた。これでようやく、シエンも自分も安心して『子ども』のポジションに居ることができる。
 
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