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ローゼンベルク家の食卓

【4-16-2】絵本を探して

2010/02/17 0:32 四話十海
 
 カリフォルニア大学サンフランシスコ校には学食がない。だが、周囲にそれを補って余りある数のカフェが軒を連ねている。値段も、料理の量も、学生たちに合わせてたっぷり、かつリーズナブル。
 そして、学生のみならず近所の人たちもまた、存分にこのカフェの恩恵に預かっていたのだった。
 だれしも必ず一軒か二軒はお気に入りの店がある。ふらっと気軽に訪れては、自宅から持参したマグにお気に入りの飲み物を満たしてもらうのだ。

 テリーもそうだった。
 さすがに自宅はマグを片手に歩いてくるには遠いので、もっぱら大学の研究室に置いてあるのを持ち歩くことにしている。今のお気に入りはロイからもらった漢字のプリント入りだ。取っ手はついていないがしっかりと厚みがあり、直に持っても熱くない。
 クリスマスに世話になったお礼に、と送られてきた。黒地に白で、筆で書いた漢字が一文字、どん! とプリントされている。
 なかなかにシンプルでかっこいい。
 サリーから「忍」と言う字だと教えてもらった。ニンジャを意味すると聞いて、なおさら気に入った。

 この日も行きつけのカフェに入って行き、ニンジャマグをとん、とカウンターに置いた。

「カプチーノの大一つ、エスプレッソ1ショット追加で泡少なめに」
「OK!」

 並々と注がれた泡立つラテをこぼさぬよう、慎重に歩を進める。日当たりのよいテーブルに友人がちょこんと腰かけていた。

「よっ、サリー。もういいのか、体調」
「うん……心配かけてごめんね」
「いいって、もう慣れてるし」

 毎年、年末年始に日本に帰省するたびにサリーは寝込む。アメリカに戻ってから2〜3日したあたりで電池が切れて、ばたっと倒れるのだ。
 最初の年こそ驚いたが、さすがに今では慣れてきて。だいたいそろそろだな、と思った時期にサリーのアパートに顔を出し、看病するのが休み明けの恒例行事となっていた。

「里帰りしても、ぜんぜん休んでないもんな、おまえの場合」
「一番、忙しい時期だからね。今年は風見くんやロイが手伝いに来てくれたから助かったよ」
「あー、見た見た、あの写真な! 赤いハカマ着てたやつ。あれ不思議に思ってたんだけどさ」
「何を?」
「どうしてコウイチのハカマだけ、緑なんだ?」
「それは……その……」

 サリーはそっと目をそらした。本当は男性はあっちの色なのだけれど。
 自分はともかくロイまでもが赤い袴を履いてる理由をここで説明した所で、果たしてテリーがどこまで理解してくれるかどうか。

「二種類あって、好きな方を選ぶんだ」
「なるほどー。そう言うシステムなのか」

 納得しちゃったらしい。
 ただでさえアメリカでは選ぶことが多い。水一杯飲むにしてもガス入りかガス無しか。サンドイッチは白パン、ライ麦パン、それとも全粒粉? ホットドックにフライドオニオンはつける? ケチャップは? マスタードは?
 ヨーグルトはプレーン? バニラ? それともレモンシフォン? レモンメレンゲ?
 それに比べればハカマの色の選択なんて些細なものなのだ、多分。きっと。

 そらした目線の先に、テリーのノートパソコンが置いてある。銀色の筐体の表面に誇らしげに千社札が貼られていた。

『照井』

「あ……」
「あー、これな! クリスマスに土産にもらったネームシール。かっこいいよな!」
「そ、そう……気に入ってくれてよかったよ」

 微妙に複雑な気分がしないでもない。
『照井』の千社札をパソコンに貼り、『忍』の湯飲みに満たしたラテをすするテリーの姿は、日本人から見ればものすごく……エキゾチックと言うか。
 はっきり言って、変だ。
 自分で入手したのではなく、どちらも人から贈られたものだと言うあたりが余計に、こう……。

 ……ま、いいか。
 あんなに喜んでくれてるんだから、OKってことにしておこう。

「サリー。おいサリー!」

 ぽん、と肩を叩かれ、顔をのぞきこまれた。

「大丈夫か? まだ本調子じゃないんじゃないのか?」
「大丈夫だよ」
「そっか……じゃ、ちょっと相談したいことがあるんだけど、いいか?」
「うん、俺にできることなら」
「サンキュ!」

 テリーはごそごそとポケットから携帯を引き出した。表面に引っかき傷が何本もついている。まるで鋭い歯で噛んだり、爪で引っかいたりしたような跡が。

「妹が大事にしてる絵本が壊れちゃったんだ。この本」

 携帯の画面には、ばらばらになった絵本が写っている。

「わあ、見事にばらばらだね」
「転んだ時に地面に落っことしてさ。表紙から中身が外れて、全部のページがばらけちまった」

 表紙には赤と青の服を着て、羽飾りのついたつばひろ帽子を被り、ハープを抱えた若者が紐でつないだ動物と歩いている絵が描かれていた。
 小型犬ほどの大きさだけど、翼が生えている。
 サリーは目をこらしてゆっくりと本のタイトルを読み上げた。

「竜の子ラッキーと音楽師……これ、ドラゴンなんだ」
「うん。ミッシィの……あ、妹の名前な。その子のお気に入りなんだ。どこに行くにも抱えて離さない。あの子にとってはお守りみたいなものなんだ」

 テリーの妹と言うことは、つまり、事情があって親から離れて暮らさなければいけない子どもなんだ。そんな子にとって、絵本一冊と言えどもどんなに心の支えとなることか。
 お守りを無くしたミッシィが、どれほど心細い毎日を送っているか。想像しただけで胸がきゅっと締めつけられる。

「ホッチキスで綴じても、テープで貼り付けてもどうにかなるようなレベルじゃない。新しいのを買ってやろうにも、絶版しててさ。ネットでも売り切れてるし、市内の店、どこ探しても見つからなくて」

 テリーは深い深いため息をついてうつむき、湯飲みをじっとにらんだ。まるで泡立つミルクの底に解決法が沈んでるんじゃないかとでも言わんばかりに。

「あの子、さ。壊れた絵本を離さないんだ。大事そうに抱えて、床の上にじーっとうずくまてった……」

 小さく首を左右に振り、ぞ……とラテをすすった。

 どうにかして力になりたい。テリーと、彼の小さな妹のために。
 絶版した古い絵本はどこを探せば良い?

(コロンコローン……)

 耳の奥に穏やかなドアベルの音色が響く。白い優雅な猫のいる、砂岩作りの静かなお店。流行りの音楽も無し、派手なポップもポスターも無し。本と好きなだけ向き合える、心地よい空気と時間の約束された場所。
 だけどクリスマス以来、何となく顔を合わせるのが気まずくてエドワーズ古書店から足が遠のいている。

(彼を巻き込んでしまった)

 縦に割れ裂けた金色の瞳。闇にひらめく山羊の角。
 悪夢の一夜の明けた翌朝、頬に点々と貼り付けられた白い絆創膏が頬を過る切り傷を押さえていた。
 怪我の具合はもういいのだろうか? 心配だったけれど直接確かめに行けず………

『エドワーズさん、元気?』
『ああ、元気だよ』

 ディフにたずねるのが精いっぱいだった。何故か途中でヒウェルが割り込んできたけれど。

『グリーンティーのケーキ、喜んでたよ。なんかイブの前の夜に教会に入った強盗追っ払ったって言ってた。見かけによらずけっこう強者なんだな、彼』
『何だ、知らなかったのか。あいつ警棒持たせると署内でナンバー1だったんだぞ?』
『そう、なんだ……』

 うん、よく知ってる。押し入ったのが強盗じゃないことも。

(エドワーズさんは、あの時助けた迷子が自分だったとは想像すらしていないだろうけど……)

「ちょっと待ってね」

 サリーは携帯を取り出した。

「ヨーコさんに聞いてみる」
「え、ヨーコに?」
「アメリカでは見つからなくても、日本だと見つかるかもしれないし……そう言うの、詳しいから、彼女」
「そうか」

 電話をかけると、果たしてすぐに出てくれた。まるで待ちかまえてたんじゃないかと言うくらいのタイミングで、可及的速やかに。

竜の子ラッキーと音楽師? 確かに岩波書店から翻訳が出てたけど……こっちでも絶版してるんだわ」

 即答。

「そっか……」
「ねえ、サクヤちゃん。エドワーズさんとこ行ってみたら? あそこ絶版本の宝庫だよ」
「うん……そうだね」

 何でわざわざヨーコちゃんに相談したりしたんだろう? どんな答えが返ってくるのか、わかり切ってたはずなのに。

「行ってみるよ。ありがと」

 電話を切り、携帯を閉じる。

「テリー」
「やっぱ、日本でもダメだったか?」
「うん。でも、市内で見つかりそうなお店……心当たり、あるんだ」
「ほんとか! どこだ?」
「エドワーズ古書店。オーレのお母さんのいる所」
 
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