▼ 【4-16-1】ミッシィの絵本
太陽に愛された浅黒い肌に、天然アイラインに縁取られたくりっとした瞳、くるくるウェーブのかかった黒い髪。
いかにも快活そのものの外見とは裏腹に、ミッシィはおとなしい、控えめな少女だった。
本当の名前はシルバ。だけどみんなからはミッシィと呼ばれている。
ご飯の時も、おやつの時も、食べ始めるのは一番最後。窓際のチューリップ模様のラグの上で、お気に入りの絵本を読んですごすのが大好き。
家族以外の人とはほとんど話さない。だけどちっとも寂しくはない。ミッシィには兄弟がたくさんいたからだ。
お休みの日になると、たくさんのお兄ちゃんやお姉ちゃんが帰って来る。その中でも、テリーお兄ちゃんが一番大好きだった。
初めて会ったのは去年の5月。まだお家に来てからいくらも経っていなくて、ミッシィは一人でぽつんと部屋のすみっこにうずくまっていた。
彼女がそれまで住んでいた場所は、狭くて、暗くて、誰も彼もが不機嫌で、大声で怒鳴ってばかりいた。いつも周囲をうかがい、ちょっとでも大きな音がするたびに、逃げた。大人の入ってこられない狭い隙間に縮こまり、じっと息を潜めていた。
だからこの家に来た時、ミッシィはすっかり怯えて自分の名前すらろくに口にできない状態だった。
そんな彼女が本棚の絵本を見て、始めてしゃべった記念すべき瞬間に居合わせたのがテリーお兄ちゃんだった。
「……みっしぃ」
「ミッシィか」
「みっしぃ」
久しぶりに声を出した。うまく舌がまわらず、口も動いてくれなかったけど、お兄ちゃんはちゃんとわかってくれた。
「ほら」
黄色い太陽、オレンジ屋根の家、藍色の空、そして白いウサギ。おくちがばってん、おめめは点。大好きな絵本を本棚から持ってきてくれた。
ディック・ブルーナーの「ミッフィー」の絵本を抱えて、ミッシィは初めて笑ったのだった。
この白いちっちゃなウサギが少女の心を開くとわかるや、両親と兄姉たちはこぞってミッフィのグッズを集めることに奔走した。
1コインショップにあると聞けば市の反対側にも買いに行き、フリーマーケットでは常に黄色とオレンジに反応し、懸賞プレゼントに応募する。針と糸、フェルトの布を駆使して手作りにも挑戦した。
以来、ミッシィのあらゆる持ち物には「ミッフィー」がついている。マグカップもミッフィー。手提げバッグも、毛布もミッフィー。
努力の甲斐あって、ミッシィは夏が終わる頃には見違えるほど表情豊かな少女になっていた。しかしながら依然として口数は少ないままだった。
ミッフィーの絵本には、ほとんど文字がないのだ。
だが感謝祭の里帰りでテリーは劇的な変化を目にした。
「おにいちゃん!」
にこにこしながらミッシィが走ってきたのだ。両手にしっかりと大きな絵本をかかえて。
「これ読んで」
「OK!」
床にあぐらをかいて座ると、ミッシィはちょこんと膝に乗って来た。明らかに慣れている。ここ数ヶ月の間、何度もこうして絵本を読んでもらったに違いない。
「竜の子ラッキーと音楽師、か……」
その絵本はもうずっと長い間、この家の本棚にあった。だけど、文字が多く、また、絵も丹念に描き込まれていて小さな子どもが読むにはちょっと難しい。少し大きな子は『絵本なんて子どもの読むものだから』と見向きもしない。
ひっそりと忘れられていたこの絵本が、ミッシィの心を釘付けにした。
「これ……なんて読むの? これは何?」
「どうして、この人は泣いてるの?」
たずねる事で、家族と話すようになった。打ち解けた。文字を覚え、言葉を覚え、語彙もどんどん増えて行った。
ミッシィにとって、その絵本は「世界の入り口」だったのだ。
もう大丈夫。誰もがそう思い、安堵した。
ところが、世の中そう上手くは行かないもので……。
一月のある日、テリーは養母から電話で呼び出された。
「テリー。あなた、最近忙しい? ちょっとでいいから顔出しに来られない?」
「どうしたんだ、母さん。何かあったのか?」
「ミッシィがね。この間、庭で転んでしまって……元気がないの。あの子、あなたに懐いてるから」
「まさか、怪我したのかっ」
「いいえ、あの子は無事よ。ただ……ね……」
大急ぎで養父母の家に飛んでいったテリーが見たものは、窓際のラグの上にうずくまるミッシィの姿だった。
「ミッシィ?」
声をかけると、よろよろと顔をあげた。大きな黒い瞳に涙をいっぱいにためていた。
腕にしっかりと、「竜の子ラッキーと音楽師」の絵本を抱えている。
「おにいちゃん……」
小さな手のひらから、ぱらりと色鮮やかなページがこぼれ落ちる。
転んだ拍子に古い絵本は地面に叩きつけられ、バラバラになってしまったのだ。
「絵本、壊れちまったのか」
ぽろっと、黒い瞳から涙が一粒、流れた。
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