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ローゼンベルク家の食卓

【4-15-5】ミルクのお粥が鍋いっぱい

2010/01/24 23:32 四話十海
 
 その日、ハンス・エリック・スヴェンソンはいつものように早朝に帰宅し、シャワーを浴びるのもそこそこにベッドに倒れ込み、泥のように眠った。目を覚ますと、きっちり時刻は11:30‥‥‥これまたいつも通り。

 見事な昼夜反転生活だが、ナイトシフト(夜勤)の月はこんなものだ。本当は、もう少し眠っておいた方が良いのだろう。
 けれど、昼間寝るとどうにも眠りが浅くなる。何かに追い立てられるような夢を見て、かえって疲れてしまう。
 これぐらいが丁度いいのだ、多分。

 空気が乾燥しているせいか、やたらとのどが乾いていた。手探りでメガネをかけ、よろよろと台所に向かう。
 何てこった。昨日、帰りがけに買ってきた牛乳がキッチンのテーブルに出しっぱなしになっている!

 まあ、いいや。
 現在、カリフォルニアは寒波到来真っ最中。6時間ぐらい室温にさらしたところで悪くなることもないだろう。

 今更と言う気がしないでもないが、冷蔵庫に入れようと扉を開ける。

「あ」

 ……まだ1本、飲みかけが残ってる。うっかりしてた。しかもこれ、賞味期限が明日までじゃないか!
 参ったな。2リットル入りのボトルにまだ半分以上残ってる。飲みきれるだろうか?

「……とにかく顔、洗おう」

 洗面所に向かい、験直しとばかりに念入りに歯を磨き、顔を洗い、ヒゲを剃る。部屋に戻ると、チカチカと携帯の受信ランプが点滅していた。
 メールが一通。差出人は実家の母。
 
 
Dear ハンス・エリック
 
元気にしてる?
ここんとこカリフォルニアにしては信じられないくらいの寒さが続いてるけど、あなたは大丈夫?
サクラメントも寒いけれど、そちらは海沿いだからもっと冷え込むんじゃない?

おじいさん譲りの体質だから寒さには強いでしょうけれど、警察のお仕事は激務だし、あなたはただでさえオーバーワーク気味なんだから体調には気をつけてね。

タイガーは元気です。
霜柱をさくさく踏んで庭を飛び回っています。
 
それでね、この間聞かれたrisen grods(デンマーク式ミルク粥)のレシピだけど。
珍しいこともあるもんだわ、あなたが料理に興味を持つなんて!
一体、どう言う風の吹き回し? 明日あたり雪が降るかもしれないわね……
最近の寒さだと、シャレにならないけど。

とにかくざっと書いてみるわね。

ミルクを500ml、お米はだいたい75cc。
ミルクをお鍋に入れて火にかけて、沸騰したらお米を入れる。
弱火にして、時々かき混ぜて煮込む。

全体的にとろーっとなって、好みのやわらかさになったらできあがり。
塩ひとつまみと砂糖を適量。
好みでバターも入れて。

あと、忘れちゃいけないシナモンをたっぷり!
とにかく気前よくたっぷりよ。
小イブ(12/23)のご馳走ですものね。

余ったら、七分立てしたホイップクリームとアーモンドの粉末を入れて、冷蔵庫で冷やしてris a l'amand(リース・アラマン)にするといいわ。
チェリーソースも忘れずにね。

それじゃ、愛してるわ

ママより
 
 
「……え」
 
 携帯画面を凝視したまま、エリックはパチクリとまばたき。もう一度、まじまじとレシピの最後の一文を読み返した。

 ris a l'amand(リース・アラマン)、毎年クリスマスイブの夜に食べる、冷たいデザート。
 チェリーソースをかけたアーモンドの香りのライスプディング。丸のままのアーモンドが出てきたら、幸運はその人のもの。

 あれって、23日の夕食の残りのリサイクルだったのか!

「知らなかった……」

 道理でほんのり塩味がきいてると思ったんだ。

 台所に行き、準備を始める。

 そもそもミルク粥のレシピを母に尋ねたのは、先日シエンが「お粥」を作ってるのを見たからだ。
 とろっとしていて、美味しそうだと思った。消化もよさそうだし。いきなり本格的なのを作るのは無理としても、慣れ親しんだメニューなら何とかなるかも知れない。

 まずは牛乳を使い切るのが最優先。レシピに500mlとあったところを、1リットルだばっと入れる。
 お米も二倍にしてざらっと150cc。さすがに行きつけの食料品店にTAMAKIはなかったので、NISHIKIの2ポンド入りを一袋買っておいた。

 ミルクを入れた鍋を火にかけて、沸騰したところで米を投入。弱火にして、その間に着替えをすませる。戻ってきたら、くつくつといい感じに煮え始めていた。
 煮詰まったミルクがホワイトソースのようにとろりと粘り気を帯びている。牛乳に澱粉を加えて加熱している訳だから、基本的な成分は同じか。

「しまった、時々かきまぜなきゃいけないんだった!」

 慌てて杓子でがしがし混ぜる。底の方にわずかにガチガチと固い感触があった。米粒がこびりついてしまったらしい。
 いいや。ふやかしてから洗おう。

「ええと、これいつまで煮てればいいんだろう」

 だいたい『好みのやわらかさになったら』とか、大ざっぱすぎるんだ、母さんのレシピは。
 何分煮込むって具体的に指定してくれれば楽なのに。その方が失敗も少ないよ、絶対。

「……こんなもんかな……」

 最初は鍋の下半分に沈んでいた米は、今や水分を吸い込んでふくれあがっている。塩と砂糖で味をつけ、ひとさじすくいとり、ふーふーさまして口に入れる。

 ……うん、この味だ。だけど。

「なんかシエンが作ってたのと違うなぁ……」

 器に盛りつけ、シナモンを軽く振って食べる。
 ちょっと物足りない。今度は景気良くばさばさとかけた。表面がうっすら茶色くそまるくらいにばさばさと。

「ああ……これだ」

 おだやかな熱が、すうっと胃の腑に落ちてゆく。体の内側からじわじわと暖まってきた。
 しかし、さすがにつくり過ぎた、か。一回食べた程度じゃ減りはしない。
 まさか、ここまで膨れるとはちょっと予想外だった。

 朝食後、しばらく考えてからエリックはタッパーをとり出し、粥を詰め始めた。
 密封容器だし、大丈夫だろう。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 その日の夜。
 サンフランシスコ市警察の鑑識ラボで、休憩室に一歩踏み込むなり、キャンベルはぎょっとして立ち止まった。

 何だ、この匂いは! シナモンと、牛乳? それだけなら普通にある組み合わせだ。カプチーノかと思ったが、何か違う。
 コーヒー豆とは別のものが混じっている。
 見回すと、匂いの元は、テーブルに乗ったタッパーだった。中には白いどろっとした物体が満たされ、同僚がスプーンで熱心に口に運んでいる。 
 
「おい、エリック……何、食ってるんだ?」
「ん? risen grods」
「何?」
「ライス・ポリッジ。デンマーク式のミルク粥だよ。母から作り方教わったんだ」
「そ、そうか……デンマーク料理か……」

 バイキング式か。
 バイキング式なんだな。

 もしょっと粥を口に入れる。とろっとした触感を楽しみつつ、ちょっと噛んでこくんと飲み込む。
 うん、バニラアイスよりよほどいい。穀物だし。たんぱく質もとれるし。

(でも……やっぱりシエンが作ってたのとは、何か違うなあ)

 スタート地点からして既にまちがってるのだが、当人まったく気付いてない。
 
「ひとくちどう?」
「……遠慮しとく」
 
 その後、ハンス・エリック・スヴェンソンは三日間、同僚にドン引きされつつミルクのお粥を食べ続けたのだった。
 

(犬の日/了)

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