ようこそゲストさん

ローゼンベルク家の食卓

【4-14-9】音の出るリンゴ

2009/11/22 2:45 四話十海
 
 カルボナーラに小エビのサラダ、ミネストローネにマグロのカルパッチョ。
 デザートのパンプディングはリンゴではなくオレンジ入り、甘さ控えめのさっぱりした味わいで、するっと口に入ってしまった。 

「ごちそうさま、あー……美味しかった……このプディングも君が作ったの?」
「ううん、これはソフィアが持ってきてくれたんだ」

 女の人の名前にどきっとする。手作りのプディング持ってきてくれるなんて、かなり親しいんだよな。ひょっとして、家も近く?

「下の階の奥さん。いっつもパンとか差し入れしてくれるんだよ」

 Hの言葉に、ほっと息をつく。

「あ、なるほど……そう言うことか」

 食後のお茶は、シエンの入れたジャスミンティ。シーフードをたっぷり食べた後のにおいを爽かにぬぐい去ってくれる。
 しみじみと余韻に浸りつつ……

 ポケットからiPodを引っ張り出した。見かけも厚みも板チョコそっくりの白い音楽プレイヤーを、そっと食卓に載せる。
 シエンが首をかしげた。

「何、それ」
「お、iPod……nanoか!」

 速攻でHが鼻をつっこんできた。

「はい、nanoです」
「え? え? 何なの?」
「携帯用の音楽プレイヤーなんだ。ここにイヤホンを差し込んで、聞く」
「ふうん……」
「CDに焼いたのと同じ音楽が入ってる。これなら、手軽に聞きたい時に聞けるよ」

 そう、CDは前振り。むしろこっちが本命だったりする。聞くための手間が少なければ少ないほど、垣根は低くなる。

「飽きたら返してくれればいい。オレ我慢できずに先月新しいの買っちゃったから♪」
「あー……買っちゃったか、第二世代」
「はい、自分へのクリスマスプレゼントに。ほら」
「うお、ちっせえ! 手のひらに乗る!」
「どこまでちっちゃくなるんでしょうね、これ……」
「そのうち、財布に入るんじゃないか? うー、迷うなあ。でも今年はiPhoneも来るし……」

 Hとの話の合間にさりげなくシエンの様子を伺う。

「………いいの?」
「うん。使ってやって。そのほうがこいつも喜ぶ」

 そっとテーブルの上のiPodを滑らせる。シエンはこくっとうなずき、白いつやつやした筐体を手にとった。
 
 091228_1201~01.JPG
 illustrated by Kasuri
 

「これどーやって使うの?」
「この、丸いとこを触るんだ。ノートパソコンのタッチパッドと同じ」

 使い方を説明した。わざと半端に、曖昧に。それでも動くのがApple製品のいいところだ。

「後はこっちの液晶画面を見て、使いたい機能のとこにカーソルあわせて真ん中を押せばいい。試してごらん」
「うん……」

 言われた通り、シエンはイヤホンをはめて、iPodを操作した。教えた通りに指を動かしている。
 その間にHとオティアはさくさくと皿を片づけ、キッチンに運んでいる。

「あ、聞こえた」

 予想以上に大きな声を出して、自分でびっくりしたらしい。
 おずおずと耳からイヤホンを抜き取った。

「こんな風に音楽が聞こえるなんて……はじめて知った」
「そうだね、自分が流れる音楽の真ん中にいるみたいな気分になれる」

 手帳を開いてさらさらとペンを走らせる。

「使い方でわかんないことあったらメールしてよ。これ、オレのアドレスね」

 ぺりっとミシン目で切り取り、手渡した。

「うん」

 かちかちと携帯に登録している。
 よし、いいぞ。

「メール、あんまり使ったことないなぁ……」

 チャンスだ。さりげなく次のステップに進む。

「じゃ、試しに一通送ってみて?」
「ん」 

 送られてきたメールのアドレスを素早く登録した。

「俺、電話もメールもあんまり好きじゃなくて………」
「ふうん………じゃあ君は…直接話す方が好きなのかな」
「なんとなく、信用できなくて。ヘンだけどね」
「そうでもないよ。オレも、大事な用件はメモ書いて渡す派だし?」
「そうなの?」
「うん。だからデスクの周り、けっこうすんごい事になってる。さっきメモしたのどこに行ったっけ、みたいな」
「それ、あまりメモの意味、ないんじゃあ……」

 シエンはくすっと笑った。笑っているのだけれど、ほんの少し眉が寄っていて、ちょっと呆れてるようにも見えた。

「そうかも……」

 ふと、ちくっと何か形のない物に刺されるような感覚を覚える。視線を向けると、紫の瞳にぶつかった。
 オティアだ。
 口を引き結び、わずかに眉をしかめてこっちを見てる。にらんでる。

 止められるかな。
 消せ、って言われるかな。

「……」

 あれ、目、そらしちゃったよ………歓迎はしていない、でもとりあえず黙認ってとこか。そう思うことにしよう。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
「ごちそうさま、それじゃ、おやすみ」
「おやすみ。今日は、ありがとう」
「こちらこそ……じゃあね」

 エリックを送り出し(余ったパンプディングをお土産に持たせて)てから、ポケットに手をやる。
 ほとんど厚みのない音楽プレイヤー。こんな薄っぺらい箱で音楽が聴けるなんてちょっと不思議な気がした。
 やわらかな音の波に包み込まれるような感触は、生まれて始めての体験だった。日常生活の中でいつも聞こえてくる音楽とは質が違っている。もっとなめらかで、鮮やかで……。

(眠る前に、部屋でもう一度聞いてみよう) 

 こんな高価なものを(多分)借りていいのかどうか、本当はちょっと迷った。
 でもエリックは知らない人じゃないし、オティアもヒウェルも一緒に見ている場での出来事だったし……。
 メールアドレスも交換したけど、ビリーやユージンたちともしてる。

 だから、これは特別なことじゃない。

「あ」

 部屋に戻ってから思い出す。
 そう言えば、次にどこで会うのか、全然約束していなかった。

 でも不安は感じない。コーヒースタンドに行けば、多分また会えるだろうし、いざとなったらディフに預ければいい。

 そろりとイヤホンを耳に入れて、iPodを起動する。目を閉じて、やわらかな音の波間を漂った。
 瞳の内側にゆらゆらと、淡い光の波がきらめく。白と金色に青と緑が交じりあい、溶け合って……。

(エビチリ、また作ってみようかな)


次へ→【4-14-10】お皿+1
拍手する