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ローゼンベルク家の食卓

【4-14-6】どこかの知らない街角で

2009/11/22 2:42 四話十海
 
 風邪ひいて熱なんか出したのは久しぶりだ。高校一年の11月以来だから、およそ10年ぶり………か?
 レオンと一緒の部屋になってまもない頃だった。まだあの頃はサンフランシスコの気候に体が馴染んでいなかったんだな。
 
 意志の力ではどうにもならないレベルで頭がガンガンと疼く。忘れかけていた関節の鈍い痛みに顔をしかめ、力を抜こうにもうまく行かない。
 胃の腑が絶えずきりきりと締め上げられ、何度か不意に込み上げるおう吐を飲み下した。腹の中にあるものは、昨夜のうちにあらかた吐き出しちまった。今、ここで吐いたら薬が効かない。
 右を向いても、左を向いても、上を見ていてもつらい。うつぶせなんざもっての他。

 いっそ眠ってしまえば、とも思ったが、絶えず身体のどこかしらがきしんでいて、ちっとも休まらない。
 かえって意識がさえてしまう。中途半端な状態で浮き沈みを繰り返していると、ドアがノックされた。

「……どうぞ」

 オティアが盆に乗せたマグカップを持って入ってきた。

「これは?」
「……ソフィアが」

 時計をみると、十二時を少し回った所だった。
 昼飯、か。

「お前の分は」
「ある」
「そう……か」

 ことん、とカップがベッドサイドのテーブルの上に置かれる。余計なことを気してないで、さっさと飲め、ってことらしい。

「ありがとな……」

 マグカップの中身は、淡い卵色の、ふんわりした甘い飲み物。エッグノックだった。適度にとろみのある液体で、のどを通りやすく、栄養もある。むせないよう、少しずつ飲んだ。

 懐かしいな。
 10年前に寝込んだ時は、レオンが作ってくれた。今思うとよくぞ失敗せずにできたもんだと感心しちまう。
 紅茶とコーヒーを入れるのは抜群に上手いし、これも一応、飲み物だが……卵、どうやって割ったんだろうなあ。
 片づける時も、ものすごく慎重に動いていた。
 
 俺が飲み終わると、オティアはアレックスから渡された薬を一回分とりわけて、ころんころんとトレイの上に乗せた。続けてボトル入りの水がどんっと。
 イライラしてるのか。いや、この顔は……心細いのか、もしかして。そうだな、俺が体調崩して寝込むなんざ、あの時以来だものな。
 慣れていないし、不安にもなる。

 薬を飲み、どうにかほほ笑みかけた。

「少し、眠るよ」

 うなずくと、オティアはバスルームに入って行った。そろそろと横になり、枕に頭を乗せる。しばらくするとタオルを手に出てきて、ぺしゃっと額に載せてくれた。
 ……冷たい。

「ありがとう」
「……ん」

 お盆を持ち上げ、歩いてゆく。振り返りもしない。やるべきことを全てしたと、わかっているからだ。
 目を閉じて、ドアが閉まる音を聞いた。相変わらず体の節々がしんどいが、心なしか気分が楽になった。
 かすかに猫の声が聞こえる。置いてきぼりを食らったオーレがリビングで待ちかねていたようだ。

 薬が効いてきたのか、ようやくとろとろと意識が霞んできた。
 

 ※ ※ ※ ※
 
 
 寝室の壁が。天井が。カーテンが。ぐにゃりと歪んで色を失い、ぺったりとした町並みに変わる。
 見覚えのあるような、ないような。
 子どもの頃住んでいたテキサスの町にも似ていたし、見なれたシスコにも似ているような気がする。
 奇妙に入り組んだ町の中をひたすらさまよった。

 シエンがいない。
 どこにもいない。見つからない。

(どこに行ってしまったんだろう?)

 ぼわぼわと奇妙に割れて歪んだ音楽が聞こえる。
 ちかちかとイルミネーションがひらめく。

 ああ、そうだ……遊園地だ。オークランドの、動物園内の。早く行かなければ。迎えに行かなければ……あの子は今、一人なんだ。
 遊園地の周辺はそれほどでもないが、近くには治安の良くない地域がある。シスコに比べて犯罪の発生率も高い。
 もし、そんな所に迷い込んでしまったら?

 周囲を取り囲む街並がぐんぐんと、空に突き刺さるばかりに伸び上がる。
 
 急げ。もっと急げ。
 道が思い出せない。この角を曲がるのか。階段を昇るのか。
 覚えている通りに動いているはずなのに、目指した場所とは逆の方向に進んでいる。右向け、左、全速後進。

 ああ、くそ、どこを歩いているんだ、俺は。
 急がなければ。
 早くシエンを迎えに行くんだ。

 体が動かない。もがけばもがくほど、あの子から遠ざかる。伸ばした指先すら希薄にかすんで消えて行く。触れることさえできない。

 早く………急いで………。
 
 消える前に、あの子の所にたどり着かなければ!

 その瞬間、何もかも一斉に崩れ落ちてきた。街の建物が。壁が。空さえも。
 
 
 ※ ※ ※

 焦りと失望の中で目を開ける。
 部屋の天井だ。

「……あ?」

 連続した時間をすっぱり切り取り、間を飛ばして張り合わせたような、奇妙な感覚を覚える。いつ、入れられたのか頭の下に水枕があった。
 
(寝てたのか、俺……)

 完全に意識をすっ飛ばしていたようだ。
 ドアの所に誰か立っている。

「ただいま」
「シエン……おかえり」

 ふっと力が抜けた。

「薬、ちゃんと飲んだ?」
「ああ。オティアが持ってきてくれた」

 シエンは手際よく額の上のタオルを取り換え、水枕の具合を確かめた。

「こっちは、まだ冷たいから大丈夫だね」
「ああ」
「今日は、俺が夕食つくるから」
「………うん………ありがとう……」

 よかった。この子は、ここにいる。

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