▼ 【4-14-5】米とパスタと
ケーブルカーに乗って、いつものスーパーに向かう。車で来る時とだいたい道のりは同じ。ただ見える景色が微妙に違う。視点が違うのだから、当たり前だ。
そして、今日は一緒にいる人も違う。
シエンはそっと隣に立つ人物の様子をうかがった。
明るいベージュのコートを羽織った、ひょろ長い金髪眼鏡の若い男。(自分よりは年上だけど、ヒウェルやディフ、レオンに比べれば年下だ)
猫好きで、好物はエビ、勤め先はサンフランシスコ市警の鑑識。
特技(?)はコーヒーをこぼすことと洗濯……パソコンを使うのもきっと慣れてる。
夕暮れ時の車内の混雑から、自分を守るようにさりげなく壁になってくれている。
視線に気付いたのだろうか。エリックはこっちを見下ろして、笑った。ほんのかすかに。
ふわふわのフォームミルクに、ほんのりにじんだコーヒーみたいだ。
ほとんど色は見えないけれど、温かさと香りは伝わってくる。
「あ……次、降りないと」
「OK」
荷物を運んでくれるって言うから、お礼に夕食に招待した。深い意味はない。ただ、それだけ。
エリックが家に夕飯を食べに来るのは、これが初めてのことじゃないし。
ディフだってこの人を食事に招いていた。つまり、エリックは既に家に出入りするのを認められてるってことなんだ。
それに、今夜はレオンがいないんだから、わざわざ断ることもない。
「いつもWhole foods Marketで買い物してるの?」
「うん。だいたい、ここ。オーガニックな食材がいっぱいあるし、種類も多いから」
「なるほど……そう言うの、好きなんだ………」
ちょっと考えてから、エリックは何気ない口調で言った。
「フェリープラザのファーマーズ・マーケットに行ったことは?」
「ううん」
「火曜日と土曜日に、フェリービルディングで市場が立つんだ。赤レンガの広場にテントの屋台が出てね」
聞き覚えのある地名に何とはなしに興味を引かれる。
「オーガニック栽培の新鮮な野菜がいっぱい売ってる。あと、クラフトショップもある」
「クラフト?」
「うん、手作りのカゴとか」
「ふうん……」
「あと、何と言っても海産物が安い! ぴちぴちしてる」
「エビとか?」
「うん、エビ。今の季節は牡蛎も美味いよ」
「あ」
思い出した。フェリービルディングって、月曜日にディフとレオンが行った場所だ。
※ ※ ※
スーパーの入り口にはショッピングカートが2種類ある。
買い物カゴを上に載せるだけの小さなものと、それ自体が巨大なカゴになっている大型のと。
迷わず大型のに手を伸ばす。
「ん……」
ちょっと揺れただけで、ビクともしない。
すっと上から手が伸びてきて、ハンドルを握る。エリックだ。
「あ」
「一緒にやろう」
「……うん」
軽くうなずき交わし、力を合わせて引っ張った。
ガタン!
今度は動いた。
「……ありがと」
「どういたしまして。買うものは、決まってるの?」
「うん」
※ ※ ※ ※
ホールフーズ・マーケット(Whole foods Market)、テキサス州に本拠地を構えた大型スーパーチェーン。少々値が張るけれど、自然食品やオーガニック・フードが充実している。
中華料理の食材を始めとする輸入食品や、他ではちょっとお目にかかれないような冷凍食品も豊富。
そこがシエンとセンパイたちの『行きつけ』の店だった。
大型のショッピングカートを引き出そうとして、ちょっと苦戦している。
列から引き出すのがけっこう力が要るんだ。たまに、前のカートにがっちり食い込んでるのがあるから。
「あ」
「一緒にやろう」
「……うん」
カートの先導はシエンに任せ、自分はもっぱら押すことに専念する。いつも買い出しに行ってる店とは、比べ物にならないほど広い。
生鮮食品だけで、こんなに膨大なスペースを取ってるなんて! オレの理解を超えてる。卵だけで一体何種類あるんだろう?
「買うものは、決まってるの?」
「うん」
真剣な顔でパスタの棚をチェックしてる。いくつか手にとって、見比べて、最終的に青い袋に入ったのを選んでカートにどさどさ入れた。
まとめ買いすればそれだけ安くなる。とは言え、使う宛てがなきゃこんなに買うはずがない。
好物なのかな。
家族の誰かが?
それとも彼が?
………食べる時に観察してみよう。
「……よし」
満足そうな表情だ。どうやら、お気に入りの銘柄が安くなっていたらしい。
「ソースは何にする?」
とりあえず自分の一番好きなものを答える。
「カルボナーラ」
「じゃあ、ベーコンと生クリームも買わないと」
「ソース、できあいのじゃないんだ」
「5人分だと、作ったほうが早いよ」
「5人ぶんかぁ………」
懐かしいな、こう言う買い方。実家を出て一人暮らしをするようになってからは、滅多に自分で料理する機会が減っていたし。
もっぱら出来合いのものを買うか、外で食べるか。
買う店も、安さ優先。野菜はまず、カートに入れる前に確認必須。たまに傷みの激しいものが混じってるから。
「何だか、新鮮だな」
「……うん、卵はやっぱり新鮮でなくちゃね。あ、こっちのが1日新しい」
ベーコンは、大入り袋が3つで1セットになったのをどさり。
卵も当然、大きいパックを選ぶ。グレードはA、生でも食べられるのを。生クリームは低脂肪、牛乳は2ガロン入りを一本、1リットル入りを一本、さらにオレンジジュースも同じサイズのを一本。
どんどんカートが重くなって行く。ずいぶん豪快な入れ方だ。慣れっこって言う感じで、動きに迷いがない。
(いつもこんな買い方してるんだ……)
普段はオティアが一緒なのだろうし、そもそもセンパイが居れば、こんなの余裕で『ひょい』だ。
調味料の棚の前では、ソイソースがどんっと追加された。真っ黒なペットボトルはまるでコーラのLサイズ。こんな大きな瓶で売ってるものなんだ……。
「米も買わないと」
「OK、米だね」
カリフォルニアは米の産地だ。町中の小さな食料品店にも米はあるけれど、ここの店はさらに種類が豊富で、量も多い。
「……あった」
「TAMAKI? NISHIKIじゃなくて?」
「サリーのおすすめなんだ。おいしいよ?」
「そっか。日本の人のおすすめなら、まちがいないね」
ごく自然に5ポンド入りの袋に手を伸ばす。
「あ、そっちじゃないよ」
「え」
「こっち!」
「……こっち……なんだ」
10ポンド入りを一袋。両手で抱えてカートに入れる。持ち上げた瞬間、背骨にミシっと来たので慌てて膝を曲げ、重量を分散させた。
「米、よく食べるの?」
「うん。チャーハン作ったり、スシにしたり、オカユサンにしたり」
「Okayusan?」
「お米のporridgeみたいなものかな? いっぱいの水で柔らかく煮るんだ。寝込んだ時の定番なんだって」
「オートミールみたいだね」
「んー、ちょっとちがう。あそこまでべちょべちょじゃないし、油っこくもない……もっと、さっぱりしてる」
眉が寄ってる。どうやらオートミールはあまり好きじゃないらしい。
「それも和食?」
「そうだよ。ヨーコに教わったんだって。高校生の時に」
その名前には聞き覚えがあった。センパイの高校の同級生で日本からの留学生。そして……
「サリー先生の従姉?」
「うん……あれ、サリーのこと知ってるの?」
「うん。病院に行ったことあるから」
「ああ、ヒューイとデューイ」
「よく覚えてるね」
「結婚式にも来てたし……」
声のトーンが下がってる。犬は苦手なのかな。あいつら、中身はともかく見た目は強面だからなあ……特にデューイ。
さりげなく話題を切り替えた。
「今夜も作るの? okayusan」
「うん……一人で作るのははじめてだけど、中華にも同じような調理法があるから」
「中華作るの、得意なんだね。この間のエビチリも、すごく美味しかった」
「ほんと?」
「うん。もう、あれ食べたらテイクアウトの中華、食べる気がしない」
「そっか……」
重たい重たいカートを慎重に押してレジに並ぶ。ビニール袋をとろうとしたら(アメリカのスーパーでは買い物袋は有料)、止められた。
「それ、いらない。エコバッグあるから」
「……わかった」
きっちりしてる。
レジで合計金額を告げられると、シエンは変わった形の財布をとり出し、ぱちんと開けた。
馬蹄型のしっかりした布製で、表面の模様はプリントではなく、全てきらびやかな刺繍だった。何となく異国の空気を感じる。
中国……いや、日本かな? 思わず目が吸い寄せられる。『それっぽい』風をまねただけの模造品じゃなさそうだ。おそらく現地の職人が丁寧に作った物。
「どうしたの?」
「きれいな財布だなって思って。日本の?」
「うん……」
かすかに頬を染めてうなずき、大事そうに財布をしまった。
財布にはおのずと使う人間の個性が現れる。まったく同じ店で、同じ品物を買っても一年後にはまるで違う癖がつく。
しっくり彼の手に馴染んでいた。布の表面がそれなりに摩滅していたけれど、汚れてはいない。それだけ大切な物なんだ。
よっぽど気に入ってるのか、あるいはだれかからの贈り物ってとこかな?
5人分の食材はけっこうな重量があった。スーパーをでて、ケーブルカーに乗って、降りて、坂道を上って。ずっしり肩が下に引っ張られ、ひじが抜けそうになった。
マンションに入り、エレベーターで上昇する時は正直、Gがきつかったけど……がんばった。
「大丈夫?」
「うん……大丈夫」
6階に到着し、一番奥まで進むとシエンは鍵を出して、ドアを開けた。
「ただいまー」
少しくすんだ短めの金髪に、わずかにグレイを帯びた紫の瞳。
ぬっと瓜二つの顔が出迎えた。ドアを開ける前から来るのがわかってたみたいなタイミングだ。
「……」
じろり、とにらまれる。
「Why(何で)……」
『お前がここにいるんだ?』
言外に言われた気がした。それもかなり厳しい口調で、ぴしりと。
「買い物、手伝ってもらったんだ。荷物も運んでくれたし……」
「……」
どうやら、双子の片割れはオレのことをあまり歓迎していないみたいだ。
「キッチンこっちだよね」
荷物を運んで速やかにキッチンに移動、オティアと距離をとる。
「オティア、買ってきたもの冷蔵庫にしまって」
「俺がかよ」
「俺は、ディフの様子、見てくるから」
「……」
「終わったら、お茶出してね」
買い物袋をキッチンカウンターに載せる。これ、中身をしまっておいた方がいいんだろうな。でも、さすがに人の家の冷蔵庫を勝手に開ける訳にも行かないし。
どうしようかと考えていたら……
「みゃー」
足下にしなやかな体がすり寄ってくる。
「やあ、オーレ」
「にう」
ひゅうんと白いしっぽがしなった。
床にかがみこんで子猫を撫でる。
「ああ、本当に君はちっちゃいなあ……ほっそりして、すべすべしてる……」
「み」
「うちのタイガーとは、大違いだよ」
「にゅん」
オーレがぴん、と耳を立て、しっぽを高々と垂直に掲げた。
顔をあげるとオティアがいた
(あれあれ。せっかく退避したはずなのに、彼もこっちに来ちゃったよ)
すーっと俺の前を通過すると、オティアは袋から食料を出して冷蔵庫にしまい始めた。てきぱき、なんてレベルじゃない。そりゃもう、猛烈な勢いで。
……あ、目が合ってしまった。
こまったな。
何て言おう?
「……お手数おかけします」
微妙にずれてるけど、黙ってるよりはマシ。
多分。
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