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ローゼンベルク家の食卓

【4-12-9】お迎え参上

2009/07/24 0:17 四話十海
 
 グラスの中味をちびちびと、舐めるように飲みながらヨーコはため息をついた。

「男に生まれればよかった……」

 げ、と小さくつぶやくと、ヒウェルはぐんにゃりと口をゆがませた。
 中学生の女の子みたいなボディで既にこの気迫なのだ。これが男だったらと思うと。

(サリーっぽくなる……か? いや、それで済むとは思えない!)

「それ以上男らしくなってどーすんだ、お前!」

 ディフもうなずいた。

「十分だぞ、ヨーコ」
「ちがうのー! そーゆー意味じゃなーいー」

 ぶんぶんと首を左右に振って足をじたばたさせる。目はとろんと充血し、もはや言動ともに誰が見ても立派な酔っぱらいだ。

「やばいな。飲ませすぎた……かな」
「酔いが顔に出ないタイプらしいね、彼女は」
「そうみたいだな」

 その時、インターフォンが鳴った。すっとディフが立ち上がり、応対に出る。

「Hello?」
「あー、その、夜分に恐れ入る。ランドールだ」
「Mr.ランドール?」

 レオンの依頼人が何故ここに?
 クリスマスの挨拶にしては、いささか遅い時刻だ。緊急事態か? いや、だとしたらまず電話が来るだろう。

「そちらにMissヨーコ・ユウキがお邪魔しているはずなんだが」
「……何故、あなたが彼女を?」
「コウイチから電話をもらってね。迎えに来た」

 ちらっと振り返る。コウイチがうなずいている。

「どうぞ。上がってきてください」
「すまないね」
「お待ちしてます」

 インターフォンのスイッチを切り、ソファに近づいた。

「迎えに来る友だちってのはMr.ランドールだったのか」
「ハイ」
「つかぬこと聞くが、どこで知り合ったんだ?」
「お二人の結婚式で……」
「なるほど」

 やがて、玄関の呼び鈴が鳴った。ランドールはジーノ&ローゼンベルク法律事務所の顧客だ。今度はレオン自らドアを開けて出迎えた。

「やあ、こんばんわ」
「こんばんわ。どうぞ、中へ」

 リビングに通された瞬間、ランドールは一瞬困惑し、続いて渋い顔になった。

 ここが良識ある一般家庭の居間であることに感謝しよう。もしもどこかのバーで同じことが起きていたらと思うと!
 それに比べれば遥かに危険度は低い。しかし、床に座りこんで飲むとはいかがなものか?
 これではほとんど、男友達の寄り集まった飲み会の末期ではないか! 実際、彼らの間の空気は極めてそれに近いのだが。

 一番分別のありそうなレオンを睨むべきか、一番良識のありそうなディフを睨むべきか。迷ってから2人いっぺんに睨みつける。赤毛の探偵は申し訳なさそうに肩をすくめ、端整な顔立ちの弁護士は何食わぬ顔で受け流した。

(やれやれ、こまった大人たちだ)

 軽くコウイチとロイに目配せし、持参した荷物と脱いだコートをひとまとめにしてソファの空いた場所に置く。
 そのまま大股に部屋を横切り、すとんとヨーコの隣に腰を下ろした。紳士に相応しく、慎み深い距離を保って。振動が伝わっているはずだが、一向にこちらに気づく様子がない。

 ひょいと手を伸ばして彼女の手の中からグラスを奪い取る。その時になって初めて彼の存在に気づいたようだった。

「え……カル?」

(何てことだ、そこまで酔っているのか!)

 奪い取ったグラスを飲み干したい衝動にかられるが、かろうじて自制し、カウンターの上に置くにとどめる。

「……こちらのご婦人にペリエを」

 ぱきっと緑色のガラスボトルの蓋が開けられ、背の高いグラスに注がれ、カウンターに乗せられた。

「どうぞ」

 この調子で命じられるままにほいほいと酒を渡してきたのだな、彼は。容易に想像がつく。もはやにらむ気にすらなれない。

(やはり彼には無理だな……)

 水を受け取りヨーコに渡すと、じとーっとすわった目つきで見上げられた。

「持ってきたんでしょ? 渡せば?」
「そう言う所は鈍らないんだね……」

 コートの下に隠されたオモチャ屋の包み。その存在を彼女はちゃんと見抜いているのか。
 やれやれ、私が部屋に入ってきたのにも気づかなかったくせに。

 とりあえず意識ははっきりしている。予想していた最悪の事態は免れたようだ。
 もうしばらく、ここに置いておいても大丈夫だろう。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 それから間もなく、オーウェン家の呼び鈴が鳴った。

「これは……ランドールさま」
「やあ、アレックス。近くまで来たものだからね」

 部屋の奥から、ディーンが飛んできた。いつもならとっくに寝ているはずの時間だが、パーティーの興奮がまださめやらず、もらったばかりのプレゼントを抱えてころころはしゃいでいたのだ。

「Mr.ランドールーっ」
「やあ、ディーン」
「メリークリスマスっ」
「ああ、メリークリスマス」

 コートの下から持参したプレゼントを取り出し、手渡した。

「わ……ああ……」

 クリスマスプレゼントはもうおしまいだと思っていたところに降ってわいた予想外のもう一つ。
 ディーンは目をまるくしたまま、ぎゅっと抱えて立ち尽くしていた。

「ディーン?」
「ありがとーっ」

 ぴょん、と飛びついて、ぐりぐりと全身をすりよせてくる。

「これ、なに? フリスビー?」
「フラットボールだよ。ちょっと失礼」

 包みを開けて取り出し、少し離れてから、軽く放り投げた。

「そら、ディーン」
「わ」

 フリスビーは空中でかしゃっと形を変えて。ディーンの腕の中に転がり込んだ。
 そう、ボールになって。

「トランスフォームしたーっっ! すごい、フラトボールすごいっ」

 どうやら、喜んでもらえたらしい。

「見て、この絵、見て!」

 その後、ディーン画伯の作品をじっくりと拝見し、アレックスとソフィアと挨拶を交わしてから上に戻った。

「おやすみ。よいクリスマスを」
「おやすみなさいませ」
「よいクリスマスを……ありがとうございました」

 エレベーターの中で、ふうっと深いため息をつく。
 アレックス一家と対面しても思ったより平静でいられる自分にほっとするような、寂しいような気がした。
 
 
 ※ ※ ※ ※
 
 
 その間、ヨーコはランドールに押し付けられた水をちびりちびりと大人しく飲んでいた。
 むっと言うような顔をして。けれど静かに。

 ヒウェルは薄い薔薇色の液体を満たしたフルートグラスを二つ、手に持ってソファに歩いて行き、ロイと風見に手渡した。
 細かい泡の中に一切れ、レモンスライスが浮かんでいる。

「……お疲れさん」
「あ、ありがとうございます」
「ノンアルコールだよ。遠慮なく飲んでくれ」
「はい、いただきます」

 ひょろりとした手がぽん、とロイの肩を叩き、早口で囁いた。

「がんばれよ、少年」
「っ!」
「片思い。切ないよな」

 ぱちっとウィンクすると、眼鏡男は何事もなかったようにバーカウンターに戻って行った。
 ロイはぽやーっとしてヒウェルを見送り、それからぐびっとグラスの中味を飲み干した。
 
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 illustrated by Kasuri
 
(………いい人デス)

 酔っぱらったヨーコ先生にお酌を要求されても嫌な顔一つせずに優しく付き合って。
 一昨日の出来事も、それとなく真相を察しながらも沈黙を守っていてくれている。何て懐の広い人なんだ!

 長く伸ばした前髪の影から、ロイは惜しみなく尊敬のまなざしを送るのだった……ひょろりとしたヒウェルの背に向けて。

 一方でヨーコは片手で結ったお下げの先に指を巻き付け、くるくるいじりまわしている。かと思うと玄関の方をうかがっては切なげにため息をつき、とうとう目を伏せてしまった。

(なるほど。原因はMr.ランドールか)

 レオンは軽く既視感を覚えた。

(決して手の届かない相手を想っている。だれよりもそのことを知っているのに、想いは消えない。いっそ友だちのままで居られたら楽なのに………だけど、気づいてしまった)

 立場は微妙に異なるものの、かつての自分に似ているような気がした。ほんの少しだけ
 報われない片思い。自分はゲイで、ストレートの男性へ。彼女の場合は本人が女性で、相手がゲイ。

 誰も代わりにはなれない。
 代わりのもので満たそうとしても、かえって虚しくなるばかり。いっそ嫌いになれたらどんなに楽か……。

「お」

 再び呼び鈴が鳴った。
 立ち上がろうとすると、ディフがそっと肩に触れた。

「いい、俺が出る」
「ああ」

 のっそりと立ち上がり、玄関に向かって歩いて行く。ヨーコとの間にあった『生きた壁』が無くなるのを見計らってから、声をかけた。
 明日の天気でも話すように、何気ない口調でさらりと。

「君が何を悩んでいるかはしらないけどね、ヨーコ。男でも女でもやる事はそう変わらないものだよ」

 赤いフレームの眼鏡の向こうから、ぽやーっとした濃い褐色の瞳が見上げてくる。

「……」

 ふさふさとした睫毛が瞳の上にかぶさり、再び開いた。
 まだ潤みは抜けていないものの、視線は定まっている。どうやら自分の言葉は届いたようだ。

「サンクス、レオン」
「どういたしまして」
 
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