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ローゼンベルク家の食卓

【4-12-10】★酔っぱらい羊

2009/07/24 0:19 四話十海
 
 ローゼンベルク家に戻ると、相変わらずヨーコは床に座り込んでいる。しかし手にしたグラスの中味はさっき自分が渡した水だ。やれやれ。おとなしくしていてくれたらしい。

 コウイチから電話をもらった瞬間は、チャーリーとの会話や頭の中で渦巻いていた。さらによからぬ推測を巻き込んで、雷鳴轟く空の下でブリザードが吹き荒れる心境だったが……。
 下に行き、ディーンやソフィア、アレックスと会ったことがいい具合に鎮静効果をもたらしてくれたようだ。
 ようやく、頭が回るようになってきた。

「マクラウドくん」
「はい?」
「その、パーティにはいささか遅いが良かったらこれを」

 タッパーにきちっとつめた大量のクレープを渡した。

「……ありがとう。これ、中味はマーマレードですか」
「ああ。グレープフルーツの」
「ハンドメイド?」
「ああ、母のお手製だ」

 ちらっと視線を走らせてからディフは言った。

「でも、これを焼いたのはあなたですね?」
「……何故わかったんだい?」
「シャツの袖に、小麦粉が」

 言われて見ると、確かに。右の袖口に一雫ぶん、小麦粉が乾いて固着している。水で溶いたクレープ生地の、飛沫の形をくっきりと残して。

「自分で混ぜたのでなけりゃ、そんな風には着かない」
「さすが、自分でも作る人ならではの目線だね……」
「面白い香りだな。グレープフルーツだけじゃない」
「ああ。レモンと桃が入ってる。よければ後でレシピを送ろうか?」
「是非に!」

 厳つい顔がほころび、人なつこい笑顔が広がる。

 そうだ、結婚式の時もこんな顔をしていた。
 今まで、自分の中の彼のイメージと、ヨーコやサリーから伝え聞いていたそれとがどうにも合致しなかったのだが……。
 ずれていた二つの人物像がすうっと重なり、一つになった。

「FAXで送ろうか。それともメールの方が?」
「FAXの方がいいな。実際に見ながら作れるし……」

 さらさらとメモ用紙に番号を書いて渡してくれた。

「この番号に」
「OK」

 メモを胸ポケットにしまいながらバーカウンターに歩み寄り、軽く顧問弁護士に目礼する。
 静かにほほ笑み返すとレオンは立ち上がり、場所を空けてくれた。

 確かにローゼンベルク弁護士は愛すべき伴侶と巡り会ったのだ。おそらくは彼にとって欠けていた全てを満たしてくれる相手と。

 ひざまずいて声をかける。

「さあ、おいでヨーコ。帰ろう」
「まだ飲む!」

 くいっと水を飲み干し、手の甲で口元をぬぐうと空のグラスを持ったまま、じろっとヒウェルをにらみつけた。
 にらまれた方はぷるぷると首を横に振って後じさり。
 ひょいとグラスを取り上げ、カウンターの上に置いた。

「いけないよ、もうおいとましないと」
「………おやすみのキスしてくれたら、帰ってもいいけど?」
 
 拗ねた顔でそっぽを向き、ちらっと横目使いに見上げてくる。はん、と鼻で笑って顔を近づけてやった。

「どこにしてほしい?」
「………」

 彼女はにゅうっと顔を寄せて……キスしてきた。不言実行、実に速やかに。

(くっ、口で言いたまえっ)

 確かに言葉より行動は雄弁だが、まさかこう来るとは!

「あ」
「い」
「おいっ」

 背中に視線が突き刺さる。がたっと立ち上がる気配もするようだが、服の胸元にしがみつかれて動くに動けない。
 ちゅっとキスして素早く逃げて。そんな可愛げのあるイタズラでは終らなかった。それどころか舌先でちょん、と重ねた唇をつついて来た。

(これはっ?)

 昨日までと明らかに反応が違う? 堅いつぼみが花開いている……まだまだぎこちないが、しかし確実に。
 昨日の今日でいったい何があったのか。

 チャーリーとの会話が脳裏をよぎる。

『なあ、ランドール。お前、この間かわいい子と一緒にいたろ。黒髪の東洋系の、眼鏡をかけた』
『紹介してくれよ』
『あーゆー楚々としたタイプは、いざベッドの中に入ると……化けるぜ、きっと』

 遅まきながら気づいた。ストレート志向の男がどんな目でヨーコを見ているのか。
 皿の上のステーキか、ケーキを見るみたいに目をぎらつかせ、狙いを定める輩も存在するのだ。確実に。そんな男どもの目の前で、こんな風に無防備に振る舞っているのか、君は?

 想像しただけで胸の奥がざわめき、波立つ。

 いったいだれが彼女を変えたのか………。
 サンフランシスコには彼女の知り合いも多い。昔のボーイフレンドと会いでもしたのか?
 気に入らないような。悔しいような。
 何なんだ、このもやっとしたいら立ちは。

(つまらない男に引っかかるな、ヨーコ)

 誘われるまま、自分からも突つき返す。
 互いの舌先が触れ合うとぴくっと震えて逃げようとする。その動きに乗じて彼女の中に滑り込んだ。

「う……っんっ」
 
 可愛い声だ。でもまだ勘弁してあげる訳には行かない。
 背中に腕を回して逃げ道を封じる。

 どうやら君にはお仕置きが必要だね。うかつにこんなことをしたらどうなるか、しっかり教えてあげよう。
 
 
 ※ ※ ※ ※ 
 
 
「……着いたぞ、サクヤ。鍵は?」
「んー」

 チリン、と鈴の音とともに手渡された鍵を、当然のようにドアにさしこんで回す。
 灯りのスイッチの位置も、家具の場所も勝手知ったる他人の家だ。
 相変わらずほわほわとご機嫌なサリーをベッドに放り上げ、てきぱきと服を脱がせる。

「っと……パジャマはどこだ?」

 あいにくと上しか見つからなかった。まあしっかり布団被せておけば大丈夫だろう。

「眼鏡外すぞ」
「んー」

 すっかり目を閉じてお休みモードに入ったサリーの顔に手を伸ばし、両手で慎重に眼鏡を外す。
 
「飲んで……ないのに……」
「そーかそーか」

 眼鏡をたたんでテーブルに乗せた。

「毛布借りるぞ」
「んー」
 
 
 テリーの声が聞こえてくる。
 結局、また世話になっちゃったなあ。後でしっかりお礼言っておかなくちゃ……。

(……あれ?)

 夢うつつの中、口の中に何かが滑り込んでくる。舌にからみつき、差し込んで下からすくいあげるようにしてなであげられる。
 くすぐったい。むずがゆい。身悶えしても逃げられず、先端を吸いあげられた。

「んっ」

 こくっと細い喉を震わせ、口の中にあふれる何かを飲み下す。
 何だろう……。ああ、体がじわじわ熱い。お酒のせいかな。皮膚の表面がピリピリする。布がこすれるのもつらい!

「は……あぁ……」

 身をよじり、足をばたつかせる。

(熱……い……)

 荒い息をつきながら布団の外に投げ出す。その動きに鋭敏になった体中の皮膚が布でこすられ、微細な刺激が押し寄せる。

(やめて、もう限界。それ以上触っちゃだめだ!)

 だれかの指が首筋をなであげ、髪をかきあげる。さらさらした髪の先端がうなじをくすぐる。

「あ」

 頭の中で白い火花が散った。

「んっ、ううんっ」
「サクヤ?」


 友人の異変に、慌ててテリーは枕元に駆け寄った。何やらしきりとため息ついたり、もじもじしたりしていると思ったら、はあはあと呼吸が荒くなってきた。
 身じろぎした拍子に布団がめくれ、にゅっと素足が放り出される。

「おい、しっかりしろ」

 無造作につかんで布団の中に収納したが、まだもじもじしている。

「あ、もしかして……吐くのか!」

 あわててバスルームに駆け込み、黄色い洗面器を手に引き返す。
 そのまましばし枕元で待機していたが、嘔吐の兆しは見られない。やがてすーすーと寝息を立てて眠ってしまった。

「……やれやれ。ったく、酒強くないのにぽんぽん飲むからだぞ」

 シャツのボタンを外し、ごろりとソフアに横になる。借り物の毛布をかぶり、クッションを枕代わりに目を閉じた。
 
「………の……ばか……」
「何か言ったか?」
「…………………」
「おやすみ」
 
 
 ※ ※ ※ ※


「う……」

 なめらかな肌が酒の酔い以外のものでほんのり桜色に染まり、くってりと力が抜けるのを確認してからようやく唇を離す。

(これで、リセットだ)
(つまらない男に……君を嫁にやるものか。絶対に!)

 それはある意味、花嫁の父にも似たいら立ちでしかなかった。

「ふ……ぁ……はぁ……」

 乱れた息の合間に、腕の中でか細い声がつぶやく。

「ずるいよ、カル……こんなことしても………どうせ、テリーの方が好みなんでしょ?」
「そうだよ」
「っ!」

 ぽこっと小さな拳が胸板を叩く。ほとんど痛みも衝撃もない。
 もともとそれほど腕力のある娘ではない。加えて酔っぱらっているから力が入らないのだろうけれど。

「私は君に、嘘は言わないよ」

 赤いフレームの向こう側で、濃い褐色の瞳に透き通った雫がにじむ。見つめ返し、きっぱりと告げた。

「優しい嘘なんか、ついてあげない」
「うーっ」

 両手の拳でぽこぽこと胸を叩かれる。つぶやく言葉は、完全に日本語に戻っていた。

「ばか、ばか、ばか、カルのばかっ」

 何となく言われたことの意味は察しがつく。

「そうだね……君の言う通りだ……」
「うー、うー、うーっ」

 動いたせいで酔いが回ったのだろうか。こてん、と胸の中につっぷして、酔っぱらい羊は静かになってしまった。
 髪をなでて、うなじから滑らせた手で頬を支えて顔を上げさせる。
 完全に意識を無くしているようだ。赤いフレームの眼鏡に手をかけて、注意深く外した。

「…………」

 何だか支えを無くして急に小さくなってしまったように見える。そっと指先で乱れた黒髪を整えた。
 今しがた自分の仕掛けた濃厚なキスを思い出し、小さな子どもに悪戯をしたようなバツの悪さを覚える。

 ため息一つつくと、ランドールはくってりと目を閉じたヨーコの顔から視線を逸らし、頭を撫でた。
 
 その時になってようやく背後から注がれる視線に気づく。
 振り向くと……風見とロイがじっとこっちを見ていた。
 ロイは柊の実さながらに耳まで真っ赤になって、硬直していた。頭のてっぺんから指先までつっぱらせて、まるで石像だ。

 ややぎこちない動きで風見が進み出る。相棒よりほんの少し早くフリーズから脱したらしい。

「これを」
「ああ、ありがとう」

 さし出されたケースに眼鏡を収めるとコウイチは受け取り、紺色のバッグにしまった。回転木馬がプリントされたころんとした丸い形のバッグ。
 一昨日、ずっと彼が持ち運んでいたものだ……小さくなってしまったヨーコの代わりに。

「む……」

 すぐそばで大型犬のうなり声みたいな音がした。振り向くと、赤毛のいかつい主夫が渋い顔で腕組みをして睨んでいる。

 
(キスしたのはヨーコの方だし……いやそれ以前にMr.ランドールのが挑発してるが……)

『男に生まれればよかった……』

 万事において基本的にポジティブなヨーコが、珍しくもらしたネガティブな一言。その後ろに隠された意味がわかった。
 カル=カルヴィン。
 ディーンが似顔絵を見せた時の、あの何とも微妙な反応も合点が行く。結婚式で友人同士が親しくなるってのもよくある話だが、それにしてもこの2人いつの間にそんなに親密になっていたのか。
 ファーストネームはおろか、愛称で呼ぶようになっていたなんて……。

 サリーたちは知ってたのか?
 知ってたんだろうな。だからあんなに気まずそうな顔をしてたんだ。

「むむむ……」

 少なくともMr.ランドールは嘘をついていないし、ごまかしもしていない。ヨーコ・ユウキと言う人間が、最も厭うことだけはしていない。彼女を傷つけることも。

 それを差し引いても、友だちが目の前で濃厚なキスをされたと言う事実は確かに存在する訳で……。

(どうする? 一応、合意の上だし……でも舌入れるのはやり過ぎだろう!)

 その隣では、何故か眼鏡男が称賛のまなざしを向けていた。

(すげえよMr.ランドール! 魔女がキス一つであんなにおとなしくーっ!)
(ってか徹底してる……潔いぜ!)

 この瞬間ヒウェルの中でMr.ランドール=救世主の位置づけが確定した。

(すまなかった! 金巻き上げたりウォッカ三倍のカクテルで酔いつぶしたりして……)

 じりっとディフが一歩前に出る。その肩に背後からレオンが手を乗せた。

「ディフ」 
「……わかってるよ」

 ぐしゃっと髪の毛をかきあげると、深呼吸。

「明日の夕方の便で帰るんだろう? 空港まで送ろうか」
「いや、それには及ばないよ」

 ヨーコを抱きかかえると、ランドールはすっと優雅な仕草で立ち上がり、きっぱりと言い切った。断固たる意志で。

「私が送る」

(おやおや……)

 レオンは静かにほほ笑み、うなずいた。

 あくまで『面倒見のよい年上の友人』としてのポジションを貫くつもりなのかな、Mr.ランドール。
 懐かしいね。俺もかつてそう在ろうとしたものだよ。

 優しい嘘はつかない、か。確かに今はそうだろう。だが……

 傍らで、腕組みをしてまだ渋い顔をしているディフに目を向ける。
 波うつ赤い髪の合間から、ちらりと薔薇の花びらがのぞいている。

「騒がせてしまったね……それじゃ、よいクリスマスを」

 酔っぱらい羊を抱えてランドールは悠然と退場していった。後に風見とロイが続く。
 見送りながらレオンは密かに思った。

(あれは将来、宗旨替えするかもしれないな……)
 
 そして全ての招待客が退場し、パーティーは完全におひらきになった。
 
 
 ※ ※ ※ ※


「ふはぁ………」

 自分の部屋に戻ってからどーっと力が抜けたね。
 あんなににぎやかなホームパーティは久しぶりだった。あんなに心臓が地道に辛かったのも。
 いや、それにしても滅多に見られないものを立て続けに見ちまったような気がする。さすがクリスマス、奇跡の起きる夜だぜ。

 冷蔵庫にディフから持たされた料理の残りをさっさと収める。明日の朝と昼はこれで事足りるだろう。
 スライスした七面鳥、春巻き、抹茶のスティックケーキにグレープフルーツのマーマレードのクレープ、ちょっぴりつぶれた巻き寿司にジンジャーブレッド。

 それ、と……。

 赤いクリスマスブーツから、ほわっと甘い香りが立ちのぼる。
 さんざん飲み食いした後だけど、一つぐらいならいいよな。

 小粒のピーナッツ入りのチョコを選んでぱりぱり包み紙を開ける。
 おお、この香り。

 ふかぶかと吸い込み、頬張った。

「ん……うまい」

 ぽりぽりやりながらネクタイをゆるめて(元からゆるんでるって?)外し、シャツを脱いでソファの上に放り出す。
 寝間着用のシャツ出すのもめんどくさいし……今夜はこのTシャツ着て寝ちまうか?
 少なくとも新品だ。

 寝室に引き上げようとして、ふと思い出す。

『食べたら歯磨きする。これお約束!』

「………」

 洗面所に行き、もそもそと歯を磨いた。ディーンとの約束じゃ、守らない訳には行かないよな。
 
 
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